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謝ったら死ぬ病の人に「間違ってない部分もある」のは当たり前

僕はもう20年くらいインターネットに触れているんだけど元来集団への帰属意識が薄いもんで俺は俺、他人は他人と思ってやっていたのだけれど、ブログで頓珍漢なことを言っていたフリーアナウンサーがそれが原因でテレビ番組を降板させられたというニュースを聞いていわゆるネットスラングでいうところの「大勝利」という感覚を生まれて初めて覚えたので、「俺はこの件にけっこうよっぽど怒ってたんだなぁ」ってことと「年取ったんだな俺、気をつけよう」ってことを同時に思った。

それで、頓珍漢な人は頓珍漢なのでまぁいいとして「言い方は悪かったが考え方としては間違ってない、一理ある」みたいな評価を一定数見かけて、それに対してなんだかなぁと思っていた。

先日、「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」というタイトルのブログを書いたのだけど*1つまりはそういうことで、結局世の中のたいていの炎上・失言・暴走した正義ってのは、複雑さに耐えられずに音を上げて本来複雑である問題を単純化して極論を振り回していることを咎められているのであって、一部が正しいのは当たり前といえば当たり前、というか一から十まで本当に何から何まで全部間違ってることを言うのって小学校に行って一応の読み書きを習得してしまった人間にとってはそっちの方が逆によっぽど難しい。今回の件だって例えば「医療費なんとかしないとヤバイ」という問題意識自体は別に間違ってない。ただ、普通に喋ってたら間違ってない部分がいくらか含まれるのは恐ろしく当たり前、そんなことがいちいち加点になると思ったら大間違いだ。

そして何より、複雑さに耐えられなかったことを咎められた人が自身の主張の正当性の担保にしようとする「間違ってない部分」っていうのはたいてい他のみんなだってわかりきっていることだったりする。人はよく問題意識の正しさをそのまま自分の行いが正しい論拠にしようとするが、それはしばしば誰でも解ける問1.だけ解けてその後の問10.までは軒並み出鱈目を書いた癖に、それで10点の答案が返ってきた時「問1.の配点が10点なのはおかしい。80点くらいあるはずだ」と主張してるのと同じレベルだったりする。あなたが「間違ってない」と思ってる部分については他の多くの人だって間違ってない。問題はその先で、その先の部分を考えるにあたって、あなたは徹底的に役に立たない。むしろいない方がいい。あなたの問題意識が正しかったとしても、その問題について語り合うに相応しい相手は別にあなたじゃなくたって他にいくらでも当てがある*2

私の問題意識は正しい、なので、私の言ってることに難癖をつけるよりも先に、あなたも問題に目を向けなさい、代案がないなら私の主張に賛同しろ。みたいな主張もあるけれど、野良犬が餓えて人里に降りてこないようにするためにはどうしたらいいだろうか?という問題を会議室に野良犬がいる状況で考えるのは難しい。まずは野良犬を追い払うのが先だろ、と私は思う。もちろん、追い出した後に我々はちゃんと考えなくてはならない。そうしなければ、第二第三のゴジラ感覚で野良犬がまたやってくる。そうならないためにも誰も餓えない世界を私たちを目指さなくてはならない、という部分はもちろんあるのだけれど、それを促す野良犬こと議論が深まっ太郎個人が優秀な評価に値する存在であるとは特に思わない。繰り返しになるが、100点満点のテストで10点分の正解しか書けないやつはテスト前に何日徹夜してようが10点、問題意識への関心の強さは評価の対象にならない。

それで、じゃあ一度そういうヘマをこいた人はもう一生馬鹿にされるしかないのか、謝ったってお前らどうせ許す気ないんだろ、みたいなコメントも見かけたのだけど、ただ謝るだけではまぁ許してもらえないんだろうなと思う。ここで必要になってくる作業というのは複雑さともう一度向き合うということなのだと思う。別に珍しくも特別でもない「間違ってない部分」に固執して、そこばかりクローズアップできるように問題を矮小化・単純化するのではなく、もう一度本来の複雑さを見直して自分の間違ってなかった部分と間違っていた部分を丁寧に切り分ける。ぶっちゃけこれがちゃんと言葉にできるならば直接言葉として謝らなくたって結構許してくれる層はいるんじゃねえかなと思う。まぁ、自分の誤りを認める作業なのでその過程で必然的に謝罪の意は出て来るんだろうけど。

みたいなことを考えていたら、以前に小池一夫が炎上していた時に出したブログはやっぱり素晴らしかったんだな、と思いだした。

謝ったら死ぬ病の人たちっていうのは結局、複雑さに耐えかねて、物事を単純に捉えてゼロかイチかでしか考えないようになってしまっているから、謝って自分の非を認めるってことがまるで一から十まで自分をまるこごと否定して生まれ変わってやり直さなくちゃならないくらいに考えているのだろうけど、実際は別にそんなことはなくって、複雑さにしっかりと目を凝らして、変わらなくてはならないところと変わらなくていいところを丁寧により分けて、そしてなるほどと思えばいいだけの話なのだ。まぁそれがすげえ難しいことだってのは俺だって重々承知はしているけれど。だからってそんなこと億劫だと匙を投げて開き直る人は怠惰だと思わざるをえないし、間違ってない部分もあるから俺の言うことは一から十まで正しいなんて言う人と話せることは残念ながら何もない。以上です。

*1:

*2:とういようなことは以前も書いてた。

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