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今日もどこかでデビルマン

ほぼほぼまる4日ネットからもキーボードを叩くことからも離れていたのでリハビリがてらに何か書く。

それでネットから離れる直前に、肉食を忌む人の話題を見かけて、それは肉食を忌む人は論理的ではなくて感情的で愚かだみたいな内容だったのだが僕は感情的であることはそんなに愚かだとは思わないので首肯しかねたが、肉食を忌むことはそんなに愚かではないが肉食する人全般を忌む人は少し愚かだなーなどと思った。何も考えずに加工された肉をスーパーで買ってそれを食べることに疑問を持つのは素晴らしいとまでは言わないが、それなりにまあ悪いことではないんじゃないかと思うが、全員が疑問を持つべきだと考えるのは文明を否定しているようでいけすかない。文明を否定すること自体は別に構やしないのだがそのうえで文明を享受するのは違うんじゃないかと思う。たとえば、自動車を発明した人は自分で鹿を撃って日々の食料を確保したりはしていなかったんじゃないかなと想像する。飛行機を作った人たちはたぶん自分の食べるぶんの米を確保するためにあくせくして天候を心配したりだとか雨乞いをしたりだとかはしてなかったのではないかなと想像する。逆にそんなことをしていたら車も飛行機もいつまで経っても出来やしなかったのではないかなと思う。誰かに命を奪って死体を解体することを任せることで出来上がったのが最近のこの感じの文明がある。それを悪いことだ、許さないぞと殊更に批判するやつは野に帰れよと思うのだ。何だったら現代の人たちというのは肉を食べることに疑問を持たなくていいですよ、それよりあなたに任せたいことが他にもたくさんあるのですよという教育をされているんじゃねえかなとすら思う。一応、あなたの代わりにこういう風に食料を確保してくれてる人がいるんですよという教育はするし、何だったらあなたがそういう職業に就いてくれてもそれはそれでいいんですけどくらいは言うが、他にも色々人間が担う役割というのは多岐にわたりますよってことを学校は教えてくれる。学校以前の話で、この日本に生まれて育てられるってことは言外にそういうことが含まれている。命の授業とか、なんかクラスで豚を育ててそれを食べましょうみたいなやつありますけど、あれはいいか悪いかでいうと、クラス単位で義務っぽくやるのはそれは違うんじゃねえのと思う。だって、子供からしたら「話が違うんですけど」って話にしかならないでしょう。「食料はスーパーで買うもんですよ」って教えたのあんたら大人でしょっていう。犬とか猫とか動物園とか、動物はかわいがるものですよって教えたのあんたら大人でしょっていう。その教えをまるっと受け入れたところで手のひら返していきなり命を直に奪うことを学びなさいって罠じゃなくて何なのよ。それを教えたいなら命を奪うことに善も悪もないガキの時分から教えなさいよ。でもそれより優先的に教えたいことがあったから、今の形になってるわけでしょう、じゃあやっぱ動物の命を奪うことについて考えることなんてのは一通り覚えなくちゃならんことを覚えきったあとの余暇に余裕があるやつだけがわざわざ考えりゃいいだけのことで、余暇でやるべきことを学校でやるなよ、と思う。そして余暇でやりたいやつが好きにやりゃいい程度のことを他の人に押しつけるなよ、と思う。自分の中で向き合う必然がある奴だけ向き合えばいい。そして必然はやってくる時は勝手にやってくる。

これはたまたま動物を殺して食うことについての話だったのだけれども、今の世の中っていうのはこういう「誰かが代わりにやってくれているし、なのでそれでいい」ことの領域が昔に比べて途轍もなく広いのだよなぁってことを最近なんだか漠然と考える。例えば子供をあえて持たない生き方が肯定されていて、肯定されていること自体は別にいいのだけれど、これも誰かが代わりにやってくれてるからそんなこと言えるわけだよなぁとか思う。「今の時代に生まれてきた子供は幸せになれるかどうかわからないので自分の子供にそんな大変な目には合って欲しくない、だから子供はいらない」とか言うけど、わかんねえけど昔の農民とかだって幸せにする自信があったから産んでたわけじゃねえだろうって思うし、とりあえず米さ育てておまんま食えるようにしなくちゃならんでそのためには人手がいるけん来年の今頃お乳がちゃんと出るほどの食事にありつけるかなんて何の見通しもないまんま子供を作ってたんだろうし。「だから産めるなら産め」って話じゃなくて、そこで産まずにいられるほど他の誰かが代わりに色んなことをやってくれてる世の中なのだよなぁとか思うわけです。Amazonの荷物が半日で届くのもきっとそういう話なのかなぁと思いつつ眺めていた。テロの後のパリの街が拍子抜けするほど普通でみんな当事者意識に欠けているなんて話もそういう話なのかなぁと思いつつ眺めていた。

それで僕が当事者意識を持とうと思うだとか当事者意識のない奴に腹の一つでも立てるだとかできればそんなにラクでありがたい話はないのだけれど、僕自身はそんな感じでもないのでじゃあここから何書こっかなと思って困っている。そんな風にみんなどこかで困っているのではないかと思う。今日もどこかでデビルマンというけれど、あれもデビルマンが代わりにやってくれてるんだよなーとか思った。今。人間はあくせく生きたがるばかりでとても忙しいからデビルマンが代わりに人間とはいったい何なのかずいぶん苦悩してくれていた。デビルマンが悩んでくれていたから僕ら人間は安心して暴徒に励んだりとかできたのだ。ただ逆に言えばデビルマンが代わりにやってくれたせいで僕らは仕事を取られてしまって、それで馬鹿みたいな暴徒くらいしかやることがなかったんじゃねえかなとも言える。誰だって醜く浅ましく生に執着して無為に暴れるよりもできるなら苦悩とかしたかったんじゃねえかなと思うんだけど、悪魔の力がないので満足に悩むことすらできなかった。悩んだところで何の力もなくって何もできないんだから悩む気力も失せる。モチベーションが上がらない。そんな中で、せめて誰かの代わりに自分のできることをしようと思ったら有象無象の醜い人間に成り下がるよりほかなかった。それはまあ愚かだよなぁと思うけど、ある意味で仕方ねえわなとも思う。

それで、このように「誰かが代わりにやってくれる」世の中において、代わりの利かないかけがえのない<私>はどうすればいいのかみたいな方向で話をまとめるパターンを3つくらい思いついて、ひとつはなんかこう意識高いやつでひとつは批判精神にあふれたやつで、もうひとつは前向きで口当たりいいやつで、どれを書こうかなと俺は思ったが別にどれも書きたくないなと思ったし手が疲れてきたのでもういいやと思ったのでここで切り上げます。以上です。

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