小遣い制について、語る時が来たか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
読んだ時点で20ブクマほどついてて「これは内容的にもきっと伸びる!」と思い、さっそく☆を稼ぐ方向で検討開始。
選択したテンプレートは「そうなんだ、じゃあ私○○行くね」。
静謐な筆致でしょーもないことを長々述べるタイプの馬鹿馬鹿しい記事だったので、やや突き放すコメントの方がいいだろうとの判断だ。
○○に何を入れるかであるが、「ランチで行くやや高めの値段設定の飲食店」から選択肢を探すことにした。フレーズの持つ音の面白さと、知名度と、高級感のバランスを考慮して検討する。
値段設定の高さが瞬時にわかり、かつ知名度が高いとなると選択肢が絞られすぎるため今度は「ランチに適切か」というセンシティブな問題が新たに立ち上がる。最初は語感良すぎるので「びくドン」が候補になったが流石によっぽどムシャクシャしてないと昼からハンバーグは食わない。
ラーメン系全般やすた丼、王将なども検討したが、実際の値段設定はそこそこであるにも関わらず「ランチ食う金がある」よりももっと違う男くさい独り身っぽい哀愁のニュアンスの方が強く伝わってしまうのではないかと懸念して取り下げた。他の要素はほぼ完ぺきに条件を満たしているにも関わらず致命的に語感が全然面白くない五右衛門パスタに絶望したりもした。
さて、ここで私はすた丼がそこまで高いかというと別にそこまででもないにも関わらず何故私自身はこれを一度候補にあげたのだろうかを考えた。
しばらくしてスタ丼で言えば吉野家や松屋のようにより安価な競合他社が存在するジャンルのお店であれば「高いランチ」というニュアンスを伝えやすいというメリットを無意識のうちに察知したのではないかということに気付いた。
ここまでくれば後は消去法、圧倒的な音の面白さとつるまるやはなまるなどの安価な競合を抱えたあのうどん屋がファイナルアンサーになるのは最早必然である。
そうして出来上がったのが下記のブコメだ。
「そうなんだ、じゃあ私つるとんたん行くね」
結果からいうと惨敗であった。
主な敗因は空気の読み違いだ。
私はその風変りな文体からいわゆる「才能の無駄遣い」的なそういう評価がブコメの空気の一部を形成していくだろうと予想した。しかし実際はというと生活に密接した題材であったために筆者の生活と自分の生活を見比べ、そこから読み取れる差異に共感したり非難したりだとか、はっきりいってただの日記レベルの個人の体験に基づくアドバイスが主流となった(みんなどんだけ水筒勧めんねん)。
今になれば悔やんでも悔やみきれないなぜこの流れが読み切れなかったのだろうかという初歩的なミスであったが、この流れを読み誤った時点でこのボケは必死だったと言える。
やはり記事内容に寄り添わない変化球を投げるのであれば、今後の空気を読むという傲慢な気持ちは捨て、ある程度空気を読み違えずに済む40~50ブクマ付近でコメントするべきだったかもしれない。謙虚な気持ちを忘れず今回の反省を次に活かせるよう心掛けていきたい。