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藤井聡太にはしゃぐ白鳥士郎、世界陸上の織田裕二っぽい

藤井聡太すげえなぁ、俺が物心ついた時には羽生善治はすでに化け物として頂点に君臨してたけど、羽生善治がそこに至るまでの軌跡とその過程で「なんじゃこの化け物は」と唖然としながらも魅せられていく世の中の興奮がどんなもんだったのかを俺は藤井聡太を通してこれから体験することになるんだなぁ、ってすげえワクワクする中で『りゅうおうのおしごと!!』っていう将棋を題材にしたラノベを書いてる作家さんがいるんだが、まあこれがなんかちょっとノリがきつい。きついのである。きついとしか言いようがない。なんか、きついのだ。なんでもその作家さんは高校生くらいの年齢で竜王のタイトルを獲得した棋士を主人公にしてるらしくそれで作品を書き始めた当初は「そんな無茶な設定があるか」と叩かれたりもしたそうで、それならまあ大変辛い思いもしたことなのだろう。しかしその荒唐無稽だと言われた設定を現実のものにしてしまう藤井聡太の活躍に強い思い入れを持つことは無理からぬことなのかもしれないが、そのテンションが、そんな彼の事情なぞ知ったこっちゃない俺からするときついのである。もちろん彼は将棋に対する敬意もしっかりと持ち合わせていて一人の将棋ファンとして新たなスターの誕生を我が事のように喜んでいるだけなのはわかるのだが、その我が事具合がちょっと距離感おかしく見えてきついのだ。これは彼が悪い、彼は行動を変えるべきだという話ではなく、ただ俺にとってきつい、というだけの話なので彼は何も悪くないし俺の問題なのでとりあえず俺は彼のTwitterをブロックしたわけだがしかしそれだけでは対処としては全く不十分に足りず藤井聡太についてのネット記事を漁ろうとすると彼の気色ばんだ変に熱っぽい変なテンションの筆致に出会い頭の交通事故でぶつかることはどうも避けられないようで「これもしかして藤井聡太が八冠取るまでそしてそのあともずっと続くやつなのかよ」と暗澹たる気分なのである。

しかし繰り返すにこれは俺の問題なのでただ俺はそれを受け入れるしかないわけだが、受け入れるしかないからこそ、なんなのだこのきつい感じはと考えるわけだが、まあ一言でいうと関係ないじゃん。本質的に全然関係ないじゃん。「現実がフィクションを追い抜いていく」と言われても、それはだって君、君は紙に「この人、高校生で竜王になりましたー、ってことでひとつよろしく」って書いただけのことじゃん。俺は、現実に存在する、俺には逆立ちしても何一つわからんすげえ頭の良い軒並みに化け物みたいな人間どもが人生を捧げて鎬を削り合う将棋という全員化け物世界の中に現れた藤井聡太を見てすげえなって思ってるだけだから、「俺の考えた化け物よりすごい化け物が現実に出てきました」って言われても「いや、君の話してないんだけど」としか思わないのである。まあ彼がはしゃぐ気持ちはわからんではないし、まあなんかとりあえずこれを契機に将棋がもっと盛り上がればいいなと考える人たちが彼の声を率先して拾いに行く事情もわかるんだけど、なんか俺としては本質的には関係ないじゃんと思ってきついのである。

で、気付いたんだが、彼は要するに世界陸上織田裕二なのである。俺は陸上にはこれっぽっちの興味もないので、シラフであのテンションではしゃげる織田裕二すげえな面白えなとしか思ってなかったのだが、やっぱアレ嫌いな人は嫌いだし、まあ嫌いな人にも色々いるんだろうがたしかに陸上にそれなりに思い入れがある人だったらあの織田裕二はかなりムカつくのかもしれないな、と思う。考えると世の中そういうことがきっとたくさんあるのだろうな。

そういえば、いいともが終わったあたりからタモリは神みたいな雰囲気が世の中の主流になってきたような気がするが、それはまあ後釜のバイキングが本当に害毒の塊みたいな番組なので「毒にも薬にもならない『いいとも』は実は素晴らしかったんだな」みたいになるのもまあわかるものの、ちょっと前のタモリはいつもやる気のない大して面白くもないおじさんみたいな見方も強く、好きなアーティストのパフォーマンスを見たいのでMステは見るもののタモリの気怠いトークには常に文句を言う人たちというのは一定層存在していたなと思うし、そういうものなんだろう。

たとえば坂本龍馬はとてもファンの多い歴史上の人物であるが、坂本龍馬のファンが全員武田鉄矢のファンであるはずはないわけで、武田鉄矢も好き嫌いがすっぱり分かれるタイプの人間なのできっと世の中には坂本龍馬がたまらなく大好きで武田鉄矢は普通に嫌いな人というのも世の中にきっとたくさんいるはずで、そういう人たちからするとテレビ番組で坂本龍馬特集なんかをやった時にゲストに武田鉄矢が出てきた時というのは本当にもう膝から崩れ落ちるような気持ちになるのだろう。

そういえばこち亀のアニメ化が決まって声優がラサール石井に決まった時も当時の時点で既に彼の人間性があまり好きじゃなかったので若干イラッとしたしTwitterが普及した近年では更にラサール石井ラサール石井らしさが広く知られるようになったわけだが2016年にラサール石井主演でこち亀が舞台化した時のイラッとした感じはひとしおだった。

あと、内村光良全然好きじゃないから子供の頃から大好きだった紅白歌合戦が最近きつい。

きっとこんな感覚を誰しもが何かしらに抱えて生きているのだろう。そんな話をちょっとTwitterでしたら、野球大好きなんだけど中居正広が好きじゃない、というリプライが来て笑ってしまった。

ただハリウッド映画を愛してるだけなのに、いいともにハリウッド俳優が出てきた時になんか知らんけど戸田奈津子がついてきてなんなら戸田奈津子がいじられてスポットを浴びるみたいなのも、たぶん本当にハリウッドスターが好きな人からするとかなりイラッとするんじゃないかなとも思う。

ぐるナイグルメチキンレースゴチになりますをこよなく愛する人の中には江角マキコがレギュラーになった時に相当頭を抱えた人もいたことだろうし、矢口真里がワンピース大好き芸人枠に収まって主題歌まで獲得したことに落胆した人は枚挙に暇がないだろう。菅原小春、24時間テレビ秋元康とコラボするのかよ。わさビーフの新デザインをキングコング西野が手掛けたことに落胆するわさビーフファンもいるだろうし、いろんな人のコンピレーションアルバムにすぐに参加する井上陽水奥田民生に「もうお前はいいよ」と思う人たち。すーっぐ、全部、自分の「節(ブシ)」にするじゃん。いや、コンピレーションアルバムって確かにそういう趣旨かもしんないけど、お前の「節(ブシ)」はもうわかったからもういいよ、その一枠、もっと若手に譲ったってよ。お前の「節(ブシ)」がすごいのはもうわかったからさ〜。

世界はすべてが自分の思い通りになることは決してなく、私たちの「好き」は大きな流れの中でちょっと私にとっては苦手な人気者をも巻き込みながらムーブメントになっていく。それにちょっと乗り切れない時もあるけれど、それでも私たちは「好き」も「嫌い」も抱き締めて生きていくしかないのであろう。

ところで、さかなクン嫌いな魚好きって存在するのかな?さかなクン嫌いな魚好きがいたらDMください。

以上です。

「無理が通れば道理引っ込む」恐れがある以上は断定口調の放言は炎上し続ける

 

外出自粛ムードの2020年日本のお盆に大変インスタントな話題を提供して、実は人間の脳の中には顔と名前を見た瞬間に「こいつなんの人だったかあんま覚えてないけどとりあえずお前はもう一言も喋ってくれるな」という思い出し方になるような記憶の残り方になる海馬のぶぶんが人間にはあるんですけど、多くの人の脳のそのぶぶんの海馬に顔と名前を刻まれたおじさんがこの夏にいたみたいです。

そしてその後の弁明はこんな感じらしいです。

 

で、めんどくさいんで、この炎上の詳細自体はみなさん概ね把握してる前提で話を進めますけど、というか個別の案件として詳細に語る必要もないほどにありふれた炎上案件だと思うんですけど。

色々な炎上案件が日々立ち上っては消え、いわゆる炎上で燃やされた側がどうこうなってしまったりなんだったりって話も多い昨今なので一緒くたに語られることも多いんですけど、やっぱ今回みたいな「断定口調の放言」による炎上は、たとえば明らかな誹謗中傷とか芸能人が文春砲なんかをきっかけに叩かれるのとかとはまたちょっと違うこういう部分もあるんですよ、っていうことを思って書き始めました。

 

SNSでアテンションを高めるテクニックとして「断定口調で」「言い切り型で」「強い言葉で」自分のオピニオンを発信しましょうみたいなのは、まぁぶっちゃけ10年前は言い過ぎかもだけどずーっと長らく言われてきてるわけです。

まぁ普通の考え方、というとズルいんですかね、僕の感覚でいうとでもそれって不誠実な態度じゃないの?と思うわけです。だって色々な人の様々な事情を加味して言えばそんなに簡単にズバッと言いきれることってそんなにあるはずがないんです。そこに何か議論の争点になるべき課題や問題点があったとしてもね、それが存在していることには何かしらの事情はあるんでしょうし、本当に議論を進めて改善していきたいのであればこそ、とりあえず強い言葉でアジテーションをぶちかますなんてのはどうなんだろうなと思うわけです。

そんな感じで10年かそこら前はそういう強い言葉を使う人は一部にいつつも、そうじゃないよねーって感じでやってる人もたくさんいたし、そういう風に今後も続いていくんだろうなーと思っていたわけです。

が、なんかいざそこから10年だかが経ってみると、どうも「この強い言葉を使う」っていうのはなんらかのオピニオンを発信してアテンションを集めたい人たちにとっては思っていた以上に常套手段として当たり前に普通に使われる手法として定着してしまいましたね。「こうでも言わなきゃ伝わらないんだ」というマイノリティ側の文脈がポピュラーになったのも大きな要因の一つでしょう。

 

構造としては赤信号みんなで渡れば怖くないに近いんですかね。赤信号を渡るのを面倒だなーって思ってる人が少なくないこと自体は、まぁ僕も知るところではあるんですよ。誰か一人が赤信号を渡ったら「そうだよな!赤信号ちょっとくらい渡ってもいいよな!」って思って一緒に渡っちゃう人がいるってのは、みんな知ってるし自分にもそういうところあるよな、誰にでもそういうところあるよな、ってのはみんなそれなりに承知しているところなんだと思います。

これを応用してとにかく同意見の人たちに強い後押しに賛同してもらうために「こうだよな!俺はこう言い切るぜ!」ってぶちかまして、それを「そうだそうだ!」ってRTしたりいいねしたり賛同意見を寄せたりする人がいる。

もちろんこの例えは主観によるもので人によって「明らかに渡るべきではない赤信号」だったり「本当はこっちが青いのに信号無視をするやつらのせいで渡れない青信号」だったり姿を変えるのでしょうが、ともあれ「強い言葉」が「みんなで渡れば怖くない」の呼び水となるこの構造自体はまぁみんな理解してるところだと思うんですよね。

で、これを放っておくとどうなるか、無反応・ノーリアクションはカウントされず、目に見えて現れる賛同だけがその発言に対する客観的な評価を表す指標となり、そこで「ポジティブな意見が多かった」となればその意見が正当なものとして罷り通ってしまうかもしれない。

まさに人によっては「無理が通れば道理引っ込む」みたいな状態になりかねないという懸念が発生するわけです。

そうなったら、まぁその強い意見に対して「私は違うと思う」人は、そう表明せざるをえないですよね。

 

なんかよくわからんけど突然綱引きに巻き込まれたみたいなもんなんじゃないかなと思います。

「赤勝て白勝て、赤が勝ったら旅館の料理は廃棄前提のフードロスを考えるべき社会にとって良くない存在だ、そーら赤勝て白勝てみなみな綱を引け」

みたいなそんな状態にいきなり巻き込まれたらみんなとりあえず自分の引きたい方の綱を満身の力を込めて引くしかないと思うんですよね。サッカーのゴールポストを運ぶ作業だったら「俺がわざわざ走って加勢に行かなくてもまぁあんだけいりゃ運べるだろ」とかわかるかもしれませんけど、たまたまタイムラインに流れてきたみんながたくさんRTしたりリプライしたりしてる1ツイートが、今どっちが優勢の旗色かなんてゴールポストに殺到している人の数があまりに大勢すぎて実際のところはよくわかりませんから。「そんなにみんなで寄ってたかって殴らないでも」とこのような炎上を見ていて思う人からすると「ちょっと見たらこの人がただただ怒られてるだけなのはわかるでしょ」と思うかもしれませんけど、まぁでもとりあえず人は綱を引くんじゃないかなーと思うんですよね。だって自分が引かないせいで負けて、「無理が通れば道理引っ込む」みたいな状態になってしまったら目も当てられないじゃないですか。

そういう理由で人は目の前の炎上に一言なにかを言ってしまうんだろうなぁと思いますし、こういう構造自体はたとえば不倫がバレただとか七味を無駄遣いしたとか他のタイプの炎上にも言えるようなことなかもしれませんけど、もともと外に発信するつもりで強い言葉を用いたせいで起こった炎上案件についてはもうそれだけで人の「無理が通られてこいらの道理が引っこまされてしまったら嫌だ」という気持ちをも狙って引き起こしてるわけなんで、もう何も言い訳はできませんし、被害者ヅラはできませんし、テクニックとしてそれを使っておきながら「ちょっと言い方を間違えただけです」なんて弁明も罷り通りませんし、自分なりの道理を押し通して相手の道理を引っ込ませるやり方を好んで使った人間がまともな議論をする相手として見做されるのはなかなか今後も難しいんじゃないかなーと思いました。

 

「じゃあそんななかで、炎上を見る側としてはどう考えるべきなの?」という話題は今日は一旦置いといて「なんかインターネットってそういうふうにできているよね」というお話でした。

 

以上です。

もう「グラフでわかりやすく表現」は資格にしません?騙しに使う馬鹿が多すぎ

こういう昨今なので、腹立つ話が本当に多い毎日ですけど、俺こういうの腹立つんだよなー、ほんと一番嫌いかも知れん。

あんまわかってない人を騙すのって、本当にすごく簡単なんですよ。別にグラフに限らずですけど、別に僕だってあんまわかってない人を騙すことなんてやろうと思えばそれなりできるだろうなと思いますよ。でもそれはやっちゃダメだよねーの精神で多くの人は生きてるわけじゃないですか。できるけどやらない。

そんな中で、できちゃうからやっちゃう奴にのさばられると本当にどうしようもないんですよ。だって、できちゃうんだから。あんまわかってない人は馬鹿ほどたくさんいて、騙眩かそうと思ったらなんぼでも騙眩かせる人なんてゴマンといるわけですから。こっちは矜恃でやらないってしてるのに、それを好き勝手騙眩かそうって矜恃も何もない馬鹿にやられちゃったらマトモな側はどうしたって勝ち目ないんですよ。

矜恃もない馬鹿があんまわかってない人を騙眩かそうとインパクトのあるグラフを使ったら、それに対しては正攻法ではどうしたって勝てないんですって。だってインパクトの多い方にみんな飛びついちゃうんだから。本当に勝ち目がないんです。耳目を引く、派手でインパクトのある嘘グラフを訂正しようとしたところで、そっちはそんなに拡散されないんですから、なぜなら地味だから。

これいい加減なんとかしません?「これじゃあダメだろ」って思ってる人自体は一定数いるはずなんですけど、あんまわかってない人の数の方が遥かに多いから、逐一訂正っていうやり方では絶対に無理なんですって。一定いるあんまわかってない人が、自分の信じたいものに飛びついてしまう。これを止めることは「正しいグラフの見方」「ダメなグラフの見極め方」を啓蒙するやり方ではもう絶対どうしたって無理なんだから。「そんなことはない」なんて反論はやれるもんならやってみろってレベルで無理。

じゃあどうするんだって考えたら、とりあえずもうこれ、資格にしません?

業務独占の資格じゃなくていいから、名称独占の資格にしません?

業務独占ってのはたとえば医者とかの、「その資格持ってないやつがその業務やったら即シバきまわしますよ」みたいな資格ね。

対して、名称独占ってのは行政書士とか美容師とかまー世の中にたくさんあるんですけど、誰が実際の業務をやって対価もらっても別にいいんだけど「私資格持ってるんでちゃんとしてるんで、って勝手に名乗ったらシバき回しますよ」みたいなそういう資格。

さすがにグラフ作るのを業務独占の資格にしてしまったら、みんな一般人はグラフを作ってはいけなくなってしまうわけですから、なんだっけ、あの、エクセルとかパワーポイントを作ってる会社の人!なんだっけ!あのメガネの!ここまで出てるけど名前を思い出せない!思い出した!カーネルサンダースカーネルサンダースさんが黙っちゃいないから。資格がないと誰もグラフを作っちゃいけないとなるとさすがに世の中は回らなくなるし、カーネルサンダースの収入が無くなって個人で趣味として飼ってる2億羽のニワトリが飢え死にしてしまいますから。カーネルサンダースはエクセルとパワーポイントを売って得た副収入で2億羽のニワトリを趣味で飼育していますのでね、さすがに業務独占資格にするのはダメだなと思うんですけど。

せめて名称独占みたいな感じにしちゃってですね、なんか世の中の人々の行動をうわっと変えてしまうようなセンセーショナルなグラフが出てきた時にね、これを作った奴は誰なんだ、信用できる奴なのかみたいな、そういうのが一目でわかるような資格を作っちゃってさ、「あーちゃんと資格を持ってる人のグラフならこのインパクトはそのまま真に受けていいんだ」とか「これは資格のない人が作ったグラフだから当てにしちゃいけないなー」とか、それくらいはあんまわかってない多くの人々にも「名乗ってるか名乗ってないか」くらいはわかると思うんで。 まずはそこらへんからやっていきませんか?とマジで思ったんだよねぇ。

インターネットの極端な議論だと「インターネットにアクセスできるのを免許制にしよう」みたいなのもたまに見かけたりするけどさ、もうそれは無理があるから、インターネットってうんこくらい誰でもしてるから。うんこくらい誰にとっても身近だから。インターネットを免許制(免許取ったやつにしかアクセスできない)にするのは流石に無理があるからさー。

じゃあその手前のところで、水際作戦考えようよって本当に思うし、グラフに限らずだけど信憑性のひとつの目安として「資格にしちゃう」っていうのは、与太話じゃなくて本当にみんな考えようよと思う。何十年何百年かかってもいいから。ホモサピエンスが何千年何万年、火との付き合い方を考えてるように、情報発信との付き合い方をみんなで本気で考えていこうよ、と本当に俺は思っているのであった。

メリークリスマス、竹内まりや

以上です。