←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

僕が子供の頃に登場した年上など羅列

https://blog.tinect.jp/?p=53958&

 

今は一児の父なので読んで色々思った。思ったんだが結論は出ないので、暇つぶしに俺に様々な雑な意味での文化資本を与えたであろう色々を思いつくまま羅列する。

 

父親はまあ今32の俺のような息子を持つ世代の親にしては「子供を自分と対等に扱う」をかなり熱心に実践していたと思う。出張で家を空けることは多かったが出張に出る際には必ず長兄である俺に「俺がいないとなればお前が家を守らねばならんから頼むぞ」と言っていた。「子の意見は聞く」と言いつつ論理的対話を強いるので子供としては荷が重かった。言いつつ所詮根底にあるのはパターナリズムで彼の中での納得のいく回答に着地しないことは許さないので、たびたび「これはどう自分の本音を伝えても結局はブチ切れるだろう」という詰みのシーンは少なくなかった。そしてブチ切れられていた。ある程度の領域においては寛大だったが、寛大でいてもらうためには説得という対価を求められるので、相性の良い子供悪い子供はあっただろうと思う。俺はギリギリ相性が良かったが、このやり方そんなに万能じゃねえなと本人も薄々気づいていたようで、妹弟への教育方針は俺とは微妙に異なる。

母は論理的からは程遠いキャラクターである。なにかしら愛情のようなものは感じているのでその点は幸せだったと言える。自身の身体の成長と共に関係性は目まぐるしく変わった。他人の弱さと折り合いをつける、それでも向き合うということは結局のところ母から学んだ部分が大きい。母はいつも家にいたので、いつも対話していた。よくわからないこともよく言うが、他人は俺にはわからないことを言うもんなんだと学んだ。徳光と中山エミリが司会をやっていたある年のヒット曲を紹介する番組で昭和62年とか63年のヒットチャートを振り返る回をやっていた時に「あんたを育てるのに必死だったせいでこの頃の曲は全然わからない」と愚痴っぽく言われた中学生のある晩を今でも覚えている。「俺に言われても」と思ったし言ったが実際大変だったのだろう。あの時誰々に言えなかった言いたかったことをよく聞かされたなぁと振り返るに思うが、まあ彼女も色々大変だったのだろう。

父は年の離れた四人兄弟の末っ子で、僕は生まれた時点で年の離れた従兄弟がたくさんいたので、そいつらのお下がりの本は家にたくさんあった。マンガでわかる偉人の伝記とか、写真がいっぱいある20冊からなる百科事典とか、そういうものを読んでいた。ドラえもんの寝床みたいな押入れで本を読んで時間を潰すのは楽しかった。

田舎なので親戚はたくさんいるので多様性は十分だったろう。大抵の親戚はむかつく奴らばっかで話は合わなかったが合わなくていい、というスタンスの父親なのでそこはありがたかった。「その場では合わせろ」みたいには言うが、そいつらの主張を受け入れろって感じではなかった。「あいつはああいう性格だからああいう言い方になるのさ」という評価の仕方を親父はよくやっていた。

父方の祖父母は早くに亡くなったのであまり思い出はない(ないこたないが割愛する)。母方の祖父は、寡黙なのか饒舌なのかよくわからない人で、ハイな時とダウナーな時の差が激しかった。将棋や麻雀の勝った負けたに子供よりよく怒りよく喜んでいた。人生について語られたことはないが、長いこと人生をやっていくコツみたいなものは学んだ気がする。つまらないと思うとつまらないし、テンションを上げると悪くない。

母方の祖母は、母以上に他人のことばかり気にして生きてる人だった。自分の娘のこととか、その子の孫らのこととか。大学生の時に里帰りで顔を出して一緒にスーパーに行った時、靴下を買ってやろうかと言われたことをなんだか物凄く覚えている。靴下なんか買って要らんかったが、俺に何かしてあげたいんだろうなということを物凄く感じたのだ。連れ合いの祖父が死んでからは割に開放的でカラオケとかパークゴルフとかに忙しいらしく、人生を謳歌しているそうだ。

年上の従兄弟たちは、みんなバラバラにそれぞれやっていて、彼らの話が子供の頃から今まで耳に入ってき続けてるのは端的に言って悪くない。結婚したり子をもうけたり離婚したりみんなそれぞれにやっている。僕は芸能に疎い子供だったので、色んな流行りの音楽を教えてもらったり、ゲームがうまいお兄ちゃんとかデコトラにハマるお兄ちゃんとか色々がいて、「なにが面白いんだこいつら」と思いつつ、僕が自ら手を伸ばしはしなかっただろう知識やら何やらは多く授かった。

学校は、まあそんなに面白い場所ではなかったが、アウェイは嫌いじゃなかった。クラス替えのくじ運に負けたら息を潜めるしかない時もあったし、噛み合えばクラスの中心っぽくなれる時もあった。中心をよく思わない奴らとの対立もままあった。自分が中心に噛み付く側の時も勿論あった。いじめは良くないがクラスの流れの本流を自分の側に寄せれるか奪われるかみたいなのは、まあどこに行ってもあることだし、それを学ぶ場としては学校は面白いんじゃないのと思う。教師から学ぶことはあまりない。音楽の教科書の最後のページの君が代にプリントを貼らせるような学区で育った。

一方で、ボーイスカウトにも所属していた。国旗を掲揚して敬礼させる組織である。右と左の両方のコミュニティに同時に属していたのはいいことだったと思う。ボーイスカウトは、色々な学校の奴らが合同で土日に集まる組織なので、他所の学校の奴らと交流できる環境は良かった。たぶん平日はカーストトップだろうなってやつも最底辺だろうなって奴も入り乱れていて、右寄りの説教がましい大人の統率のもと、表立って喧嘩などはせず、お互いを尊重しながらマウントを取り合ったりしていた。ボーイスカウトは小学生から高校生まで一緒に活動してたりするので、お兄ちゃん像は多様だった。ボーイスカウトそのものが「信念通してなんぼ」みたいな風潮があるので、学校では空気読んでる奴らが信念を押し通す場として下らないことで議論を重ねたりとか、行動とか思想の価値を戦わせ合ったりしていた。

ボーイスカウトは火を起こさなくちゃならないので軍手が要るんだが、同い年の中学生が軍手を忘れた時があって、高校生のなんとかさんは「俺の予備の軍手を貸してやる」と言った。それに対して中学生は「過去にそうして貸してもらったものを失くして返さなかったことがあるので借りたくない」とゴネて、高校生のなんとかさんは「失くしていいから、使え」とブチ切れたことがあった。中学生はそれでも「いやだいやだ」と泣きながら拒絶して、高校生はそれに更にブチ切れる。結局、それがどうなったのかは忘れてしまったが、そういうことがあったのを覚えている。

あと、ボーイスカウトで覚えてるのは、中学生の時に、温泉に一緒に入ってた高校生の先輩が「クラスの女子と俺はこんなエロいことをした」みたいな話をしてくれてえらい興奮したんだけど、その先輩は「話してたら勃ってきちまった、ちょっと、冷やしてくる」と冷水シャワーを浴びに行ってたの、当時は「高校生かっけー」と思ったが、いま振り返ると全部フカシの童貞だったんじゃないかなとも思う。

並行して中学生からインターネットをやっていたので、当時はインターネットの色々なコミュニティで最年少としてかわいがられた。大学生や社会人とチャットするのは本当に楽しくて、ましてやみんな都会の人間なのでワクワクもした。大学受験の時に初めて都会に出て開いてもらったオフ会は、つまらなかったが俺にとって初めて「生の都会」に接触した瞬間だった。会うまでは高揚もしたし、会ってしまえば「どこに行ってもコミュニティの運動力学はそんなに変わらねえな」とか思った気がする。

非常に恣意的な羅列ではあったが、振り返るに僕の人格形成は、このような登場人物らと共に行われた。他にもいっぱい割愛している気がするが、まあこんな感じでやってきてるのだ。

今でも会いたいと思えるような素晴らしい人との出会いなんてほぼほぼなかった。しかし、そういう出会いの積み重ねが今の俺を形作っているのだなぁ、とシロクマさんの記事を読んでしみじみ思ったのだ。

各々、手前勝手な指標を以って、勝手に人生をやっている。それが社会で、人間だ。

そういう視座を獲得するに至る経験は、なんやかんや積ませてもらった。トータルでいうと感謝はでかい。どいつもこいつもいい加減な奴らばっかだったが、そいつらを俺の目は目撃して、今の俺が在る。

これを息子に与えられるかなーとか考えると、あんまり自信がないというか現状手駒が薄い。そう考えると俺の今考えているアレコレはシロクマさんの提起する問題意識とイコールなのだろう。

どうすっかな、どうすべきかなと思いつつ、日々は続いていくのであった。じゃあ俺の大嫌いだった歴代の担任、Facebookやってないか確認してから寝ます。以上です。

おしゃれコンプレックス糞野郎、床屋に行く!!

あのー、りゅうちぇるはりゅうちぇるで、まぁ偉いとは思うんですよ。男らしくでもなく女らしくでもなく、ただ自分らしく、ただ自分がしたい格好をするっていうその信念。その信念の結果いっつも爬虫類だったら絶対毒持ってるじゃんみたいな色彩の格好してるってのは普通にめちゃめちゃ偉いというかカッコイイことだと思うんですよ。俺は筋肉を麻痺させて殺すので死ぬ時めっちゃ無表情になってまう神経毒持ってそうな格好を自分の好きでするんだというその姿勢、誤解を招こうが偏見に晒されようがそんなん関係ない、俺は妻と息子の名前をタトゥーにして彫るんだというその気概。忘れるから。大事なことは書かないと忘れるから。やっぱ凡百の人間は油断するから「そんなに大事なことはいくらなんでも書かなくたって絶対に忘れるはずがないだろう」って考えるんです。でもりゅうちぇるは違う。大事なことでも忘れる時は忘れるってことを彼はわかってる。だから己の身体に刻むんです。愛する妻と息子の名前を。聞かれてパッと出てこなかった時に困らないためにも。ボールペンなんかでたまに手の甲とかにメモ書きするけどあれはすぐ掠れて読めなくなってぐちゃぐちゃって汚くなっちゃうから。アレじゃ駄目なんです。しっかりと墨を入れて彫る。そうしたら絶対忘れない。りゅうちぇる偉い。もっと言えば今後、たぶんりゅうちぇるは奥さんの携帯電話の番号とかもタトゥーにするんじゃないかなと思う。先日から日本列島は災害続きで、停電被害も多く出ています。こういうときに人間思い知るわけです。携帯電話のメモリに頼りすぎて、そういえば大事な人の携帯番号を覚えていないぞ、と。いざという時、電気が通じなくなって、電波が通じなくなってってなった時、あなたは公衆電話からあなたの愛する人にちゃんと電話できますか?と。電話番号覚えてますか?と。だからりゅうちぇるは彫るんです。ぺこの携帯の電話番号を。あとシンプルに嫁さんの携帯番号を身体に彫るのって浮気相手と寝た際に想定されるリスクが数倍から京倍くらいまで跳ね上がるのでエア貞操帯としての役割すごい。だから余談ですけど、やっぱ僕も忘れちゃいけないことタトゥーで彫ってますからね。「上上下下LRLRBA」ってしっかり己の身体に刻んでますから。忘れないと思うじゃないですか。もう今さら、そんな、さんざん入力したコナミコマンドをわざわざタトゥーでメモらなくたって忘れるわけないでしょって思うじゃないですか。その油断が人類を滅ぼすんですよ。これからするのは僕が中学2年生のときに実際に見た、SFC版のグラディウスⅢをクリアできなかったらお前らを滅ぼすって俺が未確認宇宙生命体に凄まれる夢の話なんですけど、その未確認宇宙生命体はほぼぼぼ体長3mのファービーだったんですけど、爬虫類だったら絶対毒持ってる極彩色のファービーだったんですけど、勘弁してやるよ!!!このままだとタイトルの話にいつまで経っても辿り着けねえから!!!この調子でいくとりゅうちぇるの息子の乳歯が生え揃ってもまだ本題に辿り着けて無さそうな感じになってるから今日のところはグラディウスⅢで地球滅ぼすか決めるファービーの話はやめておいてやるよ!!!感謝しろよ!!犬!!!

犬「わん!!!!!!!!!!!!!!!!」

もっと言えば俺、最初は↑↑↓↓LRLRBAって方向キーの部分を矢印にして二の腕に書いてたからどういう方向で読めばいいかわかりにくいみたいな下り最初やろうとしてたからね。それ面白いの??無駄に長くなるだろうことは間違いないとしてそれって面白いの?ねえ?やっぱ安室奈美恵ってQRコードが実用化された時、他の一般人よりも感慨深かったの?「あーバーコードじゃなくてQRコードだったら生年月日だけじゃなく本籍の住所まで入れれたわー」とか思ったのかな?だから終わんねえから。この調子でやってるとりゅうちぇるの息子の永久歯が生え揃ってもまだ終われてない感じになっちゃうから。本題に戻りますけど。戻るも何もまだ始まってもいないですけど、コラ!!キッズ・リターンの話は始めるなよ!!殺すぞ!!!

あのだからね、りゅうちぇるも格好いいけど、小泉今日子もかっこいいと思うんですよ僕は。あの人、ずっと十代、二十代、三十代、四十代、そして今五十代と、ずっと年齢相応の「きれいな人」をやってるなと思って。世の中アンチエイジングの風潮でいつまで経っても若く見えるようにするのが正義みたいな感じなってますけど、相応に年齢を重ねて成熟していく小泉今日子みたいな感じを僕はカッコイイと思うんですよね。

・・・いや、これだけだったんだよー、俺が言いたいのこれだけだったのに、なんでここまで既に2000字かかってるのかなー。いつもそうなんだよ俺は、回り道回り道ばっかりで、そんなんだから結婚も遅くなって俺初孫ですごいかわいがられてたのに結局じいちゃんが死ぬまでに曾孫抱かせてやることもできなくてさー、もうやめる!!??話を進める気ないならもう今日ブログ書くのやめる!!??

32歳・男性・既婚・一児の父、今後の僕の人生のテーマの一つとして「アンチエイジングしない」というのがあって、無理に若いぶらない、かと言って過剰にくたびれない、ただ年齢相応に年齢を重ねていきたいというのがあってですね、その中で一つあった問題として「お前、いつまで美容院に行くの?」ってのがあったんですよね。最初に美容院行ったのいつかな。親父が通ってる床屋に一緒に行ってスポーツ刈りにしてもらうのをやめたのがいつかな、たぶん中学何年生かだったと思うんだけど、それ以来まぁ一丁前ぶって美容院に通ってきたよね、かれこれ20年近く。これいつまで美容院通うんだろってことをここ一年くらいで考え始めてて。もうええんちゃうかな、みたいな。ぶっちゃけ俺、髪質が硬すぎるし、髪伸びるし、美容院でイイ感じにしてもらったってせいぜい二週間くらいしかイイ感じ保てないし、高けえし、もう美容院いいんじゃねえかなって思ってたんですよ。

いやね、何より僕はおしゃれコンプレックスなんですよ。「俺みたいなもんがおしゃれなんかしてたら笑われる」といつも考えていたお星様が、ある日地球に落ちてきて、そのお星様が落ちてきたところから芽が出て伸びて花を咲かせやがて実を成らし、その実の中にいた赤ちゃんが僕なのです。それくらいのおしゃれコンプレックスの赤ちゃんが大人になったのが僕なのです。はじめまして、こんにちわ。僕がおしゃれコンプレックスです。乳歯が生え揃っても永久歯が生え揃っても親知らずを抜いても僕のおしゃれコンプレックスは一向に治る気配はなく常に「俺みたいなもんがおしゃれなんかしてたらみんなに笑われてしまう、おしゃれなんかしてはいけないおしゃれなんかしてはいけない、服は着る、おしゃれはしない、清潔感は維持する、おしゃれはしない」と考え、毎日学ランを着れたらどれだけラクだろうか、毎日指定された制服が着れるならそれでいいのでもういっそ戦争とか来い徴兵してくれと思いながら今日まで生きてきたのです。

そんな僕にとっていつもまで美容院に通うんだ?ってのはすごい悩みどころで、実際今までも「いや、最低限の嗜みとしてさ、床屋よりは美容院?別にオシャレとかする気は全然ないんだけど?まぁ、美容院で切ってもらってはいるんだけどさ」の感じで通してはいたんだけど、どっかで来るとは思ってたんだよね、「いい年したおっさんが美容院にわざわざ行ってんのかよ」みたいなフェイズが。どっかで俺も床屋に戻らなくちゃならねぇんじゃねーかなー、みたいな。

それで先日ついに行ってきましたよ、床屋。きっかけは、天啓だったとしか言いようがない。翌日に結婚式の用事があった土曜日なもんでさ、どうしてもその日に散髪しなくちゃならなかったんだけどいつも使ってる美容室が繁盛してて予約が取れねえと。今だと思いましたよね。そして取ってやりましたよ、近所にあるのはずっと知ってた床屋の予約を。俺がかつて小学生の頃に通っていたのと同じ、理髪店と住居が一体化している生まれながらの先祖代々の床屋の予約を取ってやりましたよ、いや本当に先祖代々かは知らないけどね。機嫌がいい時は酒飲みながら自分の床屋稼業を誇りを持って語り、機嫌が悪い時は酒飲みながら「しょせん俺はただの床屋だよ」って愚痴りそうなおっさんが嫁さんに手伝ってもらいながらやってるみたいな床屋に俺は行ってやったんですよ!!

いや、約20年ぶりの床屋だったけど、床屋は床屋だったね。こんなに床屋かねってビックリした。俺が美容院に通い続けた20年ものあいだ、ずっと床屋は床屋だったんだーってびびった。その時はちょうど大阪ででかい地震があったあとくらいで、とりあえずマスター(店長のおっさんをマスターっていうのもアレなんなの床屋のルールなんか)が全客に「地震大丈夫でした?」って聞く感じ、すげえ床屋だったね。「いや、それくらい美容院でも聞くでしょ」って思うじゃん?いや、全然違うんだって。美容院の「地震大丈夫でした?」はセブンルールのオープニングでYOUがつなぎに他の共演者に聞くくらいの感じじゃん、床屋の「地震大丈夫でした?」は宮根誠司くらいの感じで聞いてきますから。この差はすごいですよ。そしてそれにハキハキとどうだったか答えるおっさんたち。床屋だ・・・。俺は床屋に帰ってきたんだなって実感した瞬間ですよね。

ほんで、まぁ実際切ってもらったんですけどね、これがま~意外となんとかなった。結構俺もやっぱ床屋に警戒してたところはあって。「床屋ってのは、油断するとイチローの髪型にされる」みたいな先入観というか偏見があったので、いやイチロー今どこで髪切ってるかは知らないですよ?シアトルって床屋とかあるの?ゴルゴ13と美味しんぼがめっちゃたくさん置いてるけど決して全巻揃っているわけではないうらぶれた床屋とかってシアトルにもちゃんとあるの?そういうところがないとイチローがどうして今あんな髪型になってるのか全然意味わからないんだけど?あともう一つの可能性としては弓子夫人かな、イチローを支える内助の功である弓子夫人が類まれなる朝カレーレシピを日夜研究しているのと同じノリでイチローの散髪をしている可能性はまぁワンチャンありますよね、美味しんぼ24巻のカレー対決を延々読み返すイチローの髪を弓子夫人がカットしている可能性もあるかなと思うんですけど、そういうわけで放って置くとイチローカットにされるのが床屋の常だと思ってるんで、そりゃあ「おまかせ」なんて態度はおくびにも出さずめちゃめちゃ細かく注文してやりましたよ。普段、美容院でやってもらってる髪型にできるだけ近づくように、サイドはこうで、バックはこうで、トップはこれくらいでってそれはもう細かく注文しました。その結果、まぁまぁそれなりのイイ感じに仕上がって、時間もいつもの半分の30分でカットを終えて、実際料金も半分くらいですからね、これはもう大満足としか言いようがない。

ほんで、床屋となると思わぬ特典がありまして、顔剃りまでやってくれるんですよね!

そういえば美容院に通い始めた時は何が不満って顔剃りがないのが不満で。顔中の産毛を丁寧に剃ってくれてツルッツルになるあの感覚。そういえば昔は好きだったんだ。でもいつからか僕はそういう自分の「好き」も抑え込んで、他人の目を気にして、「オシャレに気を使うなら美容院行かなきゃ」なんつって、今まで生きてきたんだな。そう思わせられる心が洗われるような時間でしたよ。目元には蒸しタオルを当てられて、顔中にはあたたかいシェービングクリームを塗りたくられ、ジョリジョリと自分の顔がきれいになっていくのを肌と音で感じる。いやーこれは本当の至福の時間でした。

で、「終わりましたよー」つって顔上げて、鏡を見たんですけど、吐きそうになったんですけど、あのー、これめっちゃ書いててテンション落ちるところなんですけど、眉毛ががっつり整えられてたんですよ。

めちゃめちゃがっつり整えられてたんですよ。高校の野球部くらい整えられてたんですよ。意味わかりますか?高校の野球部って、坊主にせなあかんルールなので、髪型でオシャレする余地がないんですよ。だから、眉毛くらいしかオシャレするところがないんで、めちゃめちゃ整えるんですよあいつら。高校の野球部、めちゃめちゃ眉毛整えよるんですよ。他にオシャレできる要素がないから。針の穴を通すくらい眉毛細くするんですよ。いや、これはコントロールの精度の比喩じゃくてそのまんま、針の穴通るくらい眉毛細くするんすよ、野球部。坊主のくせにオシャレしようと必死やから。僕、なんか、それくらい眉毛整えられてもうたんですよ。

いや、僕ね、もともと眉毛めっちゃ豊かなんですよ。どれくらい豊かかっていうと、関ジャニ∞の丸ちゃんよりまず俺にぬ~べ~役のオファー出せよってくらい豊かなんですけど。で、それを一つのチャームポイントっていうかね、もともと目つきとか表情とかが怖いって思われがちなタイプだから、その豊かな眉毛を愛嬌にしようかなーってのはずっとあって、それでずっと変に整えたりせずに豊かな眉毛に今までずっとしてたわけですよ。それを突然こんっなに整えられるとはみたいなんが結構ショックで。

っていうこの前段を読んで「へ~そうなんだ」と思ったあなた、そこのお前、お前は文盲だ!!!!!!今まで何を読んでた!!????俺はおしゃれコンプレックスなんだよ馬~~~~~~~~鹿!!!!!!!!!!そんな自分が他人に印象とか考える余裕があるわけないだろうが!!!!俺の顔を見ろ!!!!!あるわけないだろうが!!!!こんなことしたらただただ「うわ、かっこよく思われたいと思って眉毛整えてる」って思われるリスクを背負うだけじゃねぇかよ勘弁してくれよ眉毛整えたごときでかっこよくなるわけないのに、なんでこうなっちゃうかな~~~~~~~~~~!!!!!!!いつもこうなんだよ俺は、いつも恐る恐る慎重に進むべき道を選んだつもりでいてもさ、俺いつまで経ってもこんなんばっかだよおじいちゃ~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!

犬「わん!!!!!!!!!!!!!」

おじいちゃん!!!!??????

だってそもそも今回のこの床屋企画ってさ、「アンチエイジングしない」ってのがテーマだったわけじゃん、それがなんで高校の野球部くらい眉毛整えられなくちゃならないわけよ。

言ってよね!!高校の野球部くらい眉毛整えるつもりだったなら最初にちゃんと言ってよね!!!「甲子園目指すために坊主にする覚悟はあるけどモテたいはモテたいから眉毛は整えるし、クラスの女子と機会があれば全然カラオケとかは行きたいから部活の練習で忙しいし帰ったらすぐ寝ちゃうからリアルタイムでは見れないけどMステとカウントダウンTVは録画するしツタヤとかも全然行くし、別に野球に限らず運動全般得意だから球技大会のバスケットボールではバスケ部の奴からもらったリング前へのパスをアリウープ決めちゃうくらいだからそんなん坊主だろうとモテないわけがないし、実際めっちゃモテてたし、めっちゃ彼女いたし、そういう高校の野球部みたいな眉毛にしていいですか?」ってちゃんと俺の眉毛に触る前に床屋のほうが責任を持って言ってよね!!!っていうか、堂本じゃ~ん。この話、高校の時に同じクラスだった野球部の堂本じゃ~ん。あいつめちゃめちゃ眉毛整えてたも~ん。俺そんなんできんかったも~ん。恥ずかしくて眉毛整えるなんて俺ようせんかったし、それを普通にやってた堂本、坊主だけどめちゃめちゃモテてたも~ん。32だよ俺。走馬灯ならまだしも今思い出さなあかんのこれ?幼稚園くらいの頃に夜中なんかで駄々を捏ねてたら父親に雪が降り積もった庭に放り投げられた記憶とか、中学生の時に交通事故で死んだ友人のこととか、浪人時代にせっかく知り合ったのに死んでしまった同い年の風俗嬢のこととか、義理のお父さんと初めて一緒にお酒を飲んだ夜のこととか、立ち会い出産して初めて息子を抱いた時のこととか、そういうのとのバーターでたくさん流れる走馬灯のなかの一つとして思い出すなら別にいいんだけど、今これ単品で思い出す必要全然なくない?まじで。堂本のこと、今っていうか俺、思い出す必要なくない????

眉毛整えるなら一言欲しかったわ~!!!!あと全然おしゃれコンプレックス治ってないわー、おしゃれコンプレックス全然治ってないし、32歳だし、もうほんと全然、全然おしゃれコンプレックス治ってないわー。彫るわ、お前のおしゃれコンプレックス治ってねえからってもう彫るわ。

以上です。

100日祝いと一歳祝いのカメラマンのテンションの差

‪息子の100日祝いの時に記念写真を頼んだカメラ屋が30はいってねえかくらいの若けえ姉ちゃん一人のすげえ近所のラクな立地だったから行ったものの、なんか撮影中に息子をあやして笑顔を引き出してくれるスキルも低くて微妙だなと思ったんだけど、まあなにせ近いし、値段も割とリーズナブルだし、もう一回だけ使ってみようかなと思って今日息子の生誕一周年記念の撮影として行ってみたら一年前はあんなにクールだったお姉さんがすごくいい感じで息子をあやして構って笑顔を引き出しながら写真撮ってくれて満足な仕上がりになりそうなので良かったんだけど、それはつまりどういうことなのか、一年を経て仕事への向き合い方が変わったのか?あるいはもともと「3ヶ月そこらの赤ちゃんはリアクション薄いから構うだけ無駄」みたいな考え方だったから前回テキトーだったけど今回はちゃんとやったみたいな説もあり、後者だとそれはそれでプロとしてどうなのと思いつつ、まぁ今回が良かったから来年も使っていいんだけどさぁ。‬以上です。