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きっと「おとぎ話」はトーク全然おもんない奴が喋ることを想定して今の形になってる

「おとぎ話」の作者はだれなのか? - (チェコ好き)の日記

読みましたー。ので俺も「おとぎ話」の話をしますが、いつものように元記事踏まえてないうえに10割想像です。全部じゃん。全部だよ。

例えば10年ほど前だったか「すべらない話」という超強力なテンプレートが極東の島国にて爆誕しまして、僕も大変重宝しております。何せ僕は大体どんなひどい目にあっても10回くらい面白い話として他人に喋ってしまったら元とれるだろと思ってるお喋り糞野郎なんですけど、例えば僕が自分で好きでよくする話として失恋した夜にどうしても辛くて慰めてもらおうと先輩の家を目指して出発した若かりし日の僕に次々と不運が襲い掛かって全然先輩の家に着かなくて最終的に雑な業者から仕入れた中古自転車の防犯ナンバーが俺名義じゃないってことで交番に連れてかれて気付いたら夜中の3時でやっと解放されたものの流石に先輩寝てるし帰ろうかなと思ったけどお腹空いたので松屋に寄ったらそこで出てきた豚丼の一口目がガリッと言ってタマネギがめちゃめちゃ辛くて「お前も俺の味方じゃないんだな」と思って気持ちが折れて俺泣くっていう、「お前も俺の味方じゃないんだな」の「お前」ってなんだよみたいな。涙のダムが決壊する最後の一押しめっちゃ辛いタマネギまでの叙事詩を切々と語る本気でやると4,5分の尺を要する俺のお気に入りの面白かった話があるんですけど、こういうのずっとやってると「こいつのこの前の話めっちゃ面白くてさ」みたいな流れで、他の人が俺の話をするってパターンがたまに発生するんですよ。で、まぁ仕方ないからその人に喋らせとくんだけど結構ダメ出ししたい、みたいなそういうのないですか?

「それ先に言っちゃダメだろ」とか「あのフレーズここで入れとかないと後で活きてこないから!」とか「そこ前後関係逆にしちゃうと分かりにくくなっちゃうよ」とか、そういうの結構気になっちゃうんですよ。もちろんそんなんダメ出ししてもお互い微妙な空気になるだけだからしないんですけど、確かに俺がお前にその話したときお前が面白がってくれたことは本当なのかもしれないけどお前全然俺の話のニュアンスの大事なところ汲み取れてねぇよみたいなそういうモヤモヤって何につけてもあると思うんですよね。別にこれは面白話に限った話じゃなくて、例えば俺が「♪カラスなぜなくのカラスの勝手でしょ~ って最初に歌ったのはヒロミなんだぜ」って間違ったトリビアを披露してたら本当は志村けんって知ってる人はイラッとするわけじゃないですか。「最初に歌ったのは実は○○」により生まれる驚きというエンターテイメント自体は維持できてるけど嘘じゃダメだろ、ってなるじゃないですか。むしろヒロミネタやるならマチャアキとの確執で干されたけどスポーツジムの経営がうまくいってるから実は案外お金には困ってなさそうとかもっと適切なトリビアあるだろ、とか思っちゃうじゃないですか。何が大事なのかは人によってそれぞれなのでその人にとってはヒロミでも志村けんでも構わなかったんだな、とかそういう話になると思うんですけどそれを許せないのであれば今の時代は誰でも手軽に色々な情報に触れられるご時勢ですのですぐにググって「本当は志村けんだ」って事実を突きつけることができるわけです。でも昔はできなかったんだよな、「おとぎ話」っていうのはそういう時代に生まれたものなんだよな、とか、そういう話をしたいわけです。

例えば『桃太郎』、起源とか全然知らないですよ、何せ10割想像って最初に宣言してるんで。何かしら、元になる実話があったのかなぁなかったのかなぁ、わかりませんけど、最初にその実話を基にして桃太郎の原型作った奴がたぶんいたと思うんすよね。で、そいつはすごいトークが上手で、そいつが桃太郎の話を始めたら人だかりができてみたいなそんな感じだったと思うんすけど、たぶんその頃の桃太郎は今よりももうちょい全然複雑だったと思うんすよね。で、評判になるわけですけどみんな狩りとか畑耕したりとか忙しいから、「桃太郎って面白い話する奴がいる」と噂になってもみんながみんな聴きに来れるわけではなかった。それで桃太郎知らない奴らが言うわけですよ、「そんな面白い話ならちょっとお前が聞かせてくれよ?」みたいな。「話聞くだけだったら別にその人じゃなくてもお前がしてくれたらいいじゃん?」みたいな軽いノリで「あいつの桃太郎すげぇんだ」って教えてくれた奴にそう言ったんじゃねぇのかなと僕思うわけです。

後日。桃太郎ネタを得意とするそいつ(以後「桃太郎オリジン」)のもとに他所の集落に出向いてた奴がやってくるわけですよ。「おいー、桃太郎オリジンやーい、お前の話をちょっとしてみたんだけどー、全然ウケなかったぞー」とか言って。「ウケなかったってお前、あの話がウケねぇはずねぇだろなんでだ?」と桃太郎オリジン。「いやー、わかんねぇけど。俺つまんねぇって言われてよー。」「待て待て待て。泣くな泣くな。そんなはずはない、じゃあ抜け作よぅ、お前どういう風に話したかちょっと俺の前でやってみてくれねぇか?」あ、今からしばらくこの感じで行くんで改行しますね。その後の二人のやりとりを抜粋していきます。いや、抜粋っていうか今から俺が想像するんだけど。

 

抜け作「あー、あのー、まずー、おじいさんとおばあさんがいてー。」

オリジン「待て待て待て。お前、そんな始まり方あるか。まずってなんだ。『昔昔あるところに』な。これが有るのと無いのとじゃぜんぜん違うから。これだけお前絶対忘れんなよ。」

抜け作「おじいさんはー、その日ー、弟の息子の葬式に出ててー、その弟とおじいさんはもともとあんまり仲がよくなかったんだけどー。」

オリジン「まずな、お前な、それやめろ。いちいち語尾を伸ばすのやめろ。で、啓示的なエピソード、桃太郎がやってくる啓示的なエピソード、そこもういいわ。たぶんお前が序盤でそこ説明しようとすると間延びして聞く側も飽きちゃうから全削除でいいよ。じゃーそうだな、おじいさん柴刈りでいいや。柴刈りでいこう。お前あと絶対ドンブラコドンブラコ忘れんなよ。ドンブラコだけで子どもの食いつき全然違うからな。」

抜け作「おばあさんはー、桃太郎にいくつかアイテムを持たせててー、骨とー、あとなんだっけな? あのー、あー、そうだ、猿だからバナナとー。あとー。」

オリジン「お前そこで猿だからって言っちゃ駄目だろ! そこ言ったら台無しじゃねぇかよ。お前そこ覚えらんねぇのか、各家来に配る3つ覚えるの無理か。もういいやそしたら。キビ団子で統一しよ。全員キビ団子でお供することにしよ。それならお前も覚えられるよな?」

抜け作「ごめんなー、オリジン。俺馬鹿だから人にうまく喋るの苦手だからよー。」

オリジン「何言ってんだお前! お前は馬鹿じゃないよ! だいじょぶだから! 絶対できるから! 俺の言うとおりに喋ったら絶対ちゃんとウケるから! ……お前、泣いてんのか? 泣かなくていいんだよ。一つ一つ俺が直してってやるからな、覚えやすくしてやるから。頑張ろ? な?」

 

みたいなね。抜け作はあまりに馬鹿すぎるにしても、たぶんこんなような流れってあったんじゃねぇかなとか思うんすよね。もちろん聞き手のリアクションもあったと思う。なんかここ食いつき悪いってことは難しいのかな、もうちょっと簡略化しようかな、みたいなそういうのもあったと思います。それがあったとしても、いかんせん当時はインターネットもなければそもそも文字読める奴もあんまりいねぇわけで、そのうえ一人面白い奴がいたとしても身体は一つしかないわけで、拡散しようと思ったらそれはもう人を介すしかないわけですね。そういう中で、よりツボだけ押さえて広く拡散しようと思ったら、それこそ100人中1人しか使いこなせないような道具は現代でも割と不要と看做されるように(もちろん使いこなせるその1人が優秀とされるケースもあるけどね)、まず広く誰でも伝え広められるような形に物語の方が変形してったんじゃねぇかなみたいなのあるんじゃねーかなーと思うわけです。全然交流あるわけない世界中の色んな地域でおんなじような神話とかが発生してるっていうのも、そういったブラッシュアップの必然と考えると少しは「まぁそういうこともあるんじゃねぇかな」と思えるような気が僕にはしてくるんです。

すいません僕は教養がない男なのであまり深くは立ち入れないんですけどたぶん口承とか言うやつで、身近な例としてはアイヌ語とかそんなノリらしいですね。そんなのは割と少数で時代にあってなくて、実際には現代には文字があって、文字を紙に刷って町中に貼り付けて回ることができて、なんならワールドワイドウェブを通じて全世界に発信することができて、人の手を借りずとも拡散可能な現代なわけですけども、そういう状況下においては自分の発した何かしらについて本意ではない解釈をされた際には直ちにそれが間違っていることを示す情報を提示してマサカリでぶん殴ることができるわけです。でもそのマサカリを屁とも思わずに向こうは向こうでマサカリぶん回してみたいな、なんかどうにもならなさそうな対立とか何かにつけてよく見かけるわけじゃないですか。それは人の手を借りずに自分の思ったことを発信できるツールが中途半端に不完全に出揃ってるからで、不完全だからこそいくら発信したところで対立は解消されないわけで。そう考えると、広く発信するためには伝えた相手もそれをまた誰かにうまく伝えられるように喋ることが求められる口承文化というやつは、歩み寄りが大変困難に思える現代においてももしかすると結構学ぶところ多いんじゃねぇかなぁみたいなことを前のパラグラフ書いてる途中くらいから思い始めました。「伝わるように」と言い出すと話を噛み砕いて雑にしようみたいな話に聞こえますが、その極地を突破した先にはなんか謎の説得力がある、というのは現存する「おとぎ話」が雄弁に証明済みです、みたいなことは、言えなくもない。なんかちょっと馬鹿話しようと思ったらなんか変に真面目ぶってキショい話になってきたので切り上げますけども。なんかそんなことを思いました。以上です。