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20131220

大好物の話題にテンション上がって思わずテキストエディタ開いたもののこんな取るに足らない話を取っ掛かりに何を書く気なんだおれは。もちろんまだ決まってません。

「お箸は何本、お付けしましょうか?」

http://fujipon.hatenablog.com/entry/2013/12/19/181202

何事につけて繊細すぎて考えすぎの優しいおじさんid:fujiponさんがコンビニの姉ちゃんに「お箸は何本、お付けしましょうか?」て言われて「箸の数え方は『膳』なんだけどなぁ」と思いながらそんな鬼の首とったように指摘するほどのことではないけどどうしたものか返答に悩むっていうそれだけの話なんですけど。

とにかく僕はこの手の話が大好きなんですけど、「この手の話」の定義も曖昧なんですけど兎に角僕は大好きで仕方ないんです。

世界は、というと大げさなんですけど、やっぱしこの世界の何が面白いかっていうと要らん要素が多すぎるんですよね。ほんとならコンビニで欲しいものとお金を交換するだけの関係性を良好に維持するにあたって単位なんてこの世に存在しない方がよっぽど都合がいいんですよいや箱と個をミスって笑えないシーンとかも世の中にはあるけど今はそれは置いておいてね。「数量1」を表すのに必要な単位がものによって異なるからこんなややこしいことになるんですよ。そりゃそうだろう、日本語は欲しいものとお金を交換するためだけを想定して作られているわけじゃないし、またコンビニの姉ちゃんも欲しいものとお金を交換するためだけにこの世に生を受けたわけではない。彼女は彼女として生まれ彼女の人生を歩み、その人生のある地点においてたまたまこの日とあるおじさんと欲しいものとお金を交換する関係性として出会ったにすぎないわけですよ。おじさんのために生きてるわけじゃないからおじさんをモヤモヤさせてしまうこともそりゃああるだろう。どちらか一方が正しいとかどちらかが間違ってるとかそんなつまらない話は置いといて、全ての人と人とがちょっと交わる瞬間っていうのはそういう理不尽でまったく無駄なノイジーな情報量が多いベリーハードモードからスタートするってことなんだと思います。俺はもうただただそういう世の中の仕組みですらない必然というか絶対に逃れられない前提条件そのものが面白くて面白くてもうクシャクシャにしてやりたいくらい大好きなんです。本論とは関係ないところでコミュニケーションがけっつまずくことは生きていて驚くほど多いけれどそれを「んなこたどうでもいいんだよ!今それ関係ねぇんだよ!」とぶっきらぼうに処理するのではなくちょっと立ち止まって考えてもやもやはもやもやで残しつつこのもやもやは俺とこいつの差異なんだなと飲み込んでみることで僕は、長い人生の中の時たまたまたま一瞬すれ違ったに過ぎない貴方の長い長い人生のどこかで確かにたまたま出会ったのだとかそういう実感が込み込みで得られて超面白い。

針小棒大にもほどがあるし、ふじぽんさんからすると「こっちは別にそんな話してねぇよ」って話だろうしで申し訳ないんですけど、テンション上がっちゃって何か書き留めておかずにはいられなかったのです。毎度すんません。

しかし、このエントリが12月19日に書かれてること考えるとコンビニの姉ちゃんはサンタ帽かぶってた可能性があるよね。むしろそっちの方が面白いからそうであって欲しい。サンタ帽かぶっておめでたい恰好の姉ちゃんと相対して何気ない一言で胸にもやもやが去来するおじさんとか、めちゃめちゃ面白くて最高。

みんな違ってみんな良いは綺麗ごとの嘘っぱちかもしれないけれども、少なくとも俺にはみんな違ってみんなその差を埋めようとやきもきしてるのを見るのが面白すぎて愛おしいのでオールオッケーです。最高です。以上です。