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読点を減らせば文章力が上がるのか

読点を減らせば文章力が上がる

http://web-ken.hatenablog.com/entry/2013/10/23/190458

上記を読んで僕は今だと思いまして何が今だなのかというともちろんこれは自分の話をするチャンスだという意味で俺の口から出づるのはいつもいつも俺の話ばかりで辟易するのは何も貴方だけに限った話ではなく俺だってそうなのだイーブンなのだということでここはどうかひとつ今日も俺の話しかしないけれどご了承頂きたい願わくばもひとつおまけにご了承頂ければというのが今回実はひとつあってここまで読み進めた諸兄におきましては薄々感づいているかあるいは自明であろう俺このまま最後までいくからね句読点なしで最後までいくつもりだから今日ばっかりは無理に引き止めはしないよすごく読みにくい文字列が延々続くから体調や気分と相談していつでも回れ右してくれて構わない僕と貴方はこんなことなら出会わなければよかったそんなことを思ってしまう日がくることを無闇やたらに恐れながらずるずるずるずると下手糞な笑顔で何も与えられず何も受け取ってやれずそしてやがて離れていくのかもしれませんね冒頭の記事が指摘するとおりに文章を書くことは情報整理との戦いだということには僕も概ね同意だただし僕はうまく整理してやることこそが僕の勝利なのかと言われるとどうにもそうは考えられないどころか整理すればするほど僕は惨めな気持ちにすらなりうる僕が今日したいのはそこらへんの話で本当に僕が伝えたいことはそんなところにあるのだろうか僕には実際のところよくわからない何故わからない何がわからないのか僕が強く強く自覚的でありたいことそれは行儀良くしているだけで褒めてくれるのなんてママくらいのものさ嗚呼どうか誤解しないでおくれ僕は何も文章力なんて要らないんだ糞食らえだそんな啖呵を切るつもりではなくてそうして適切に句点を打って読点を打ってそうして行儀良く精度を持って貴方に伝えたいこと伝えることで貴方を助けてやれることなんて僕ぁ持ち合わせちゃいないんだということiPhone持ってないんだ未だにガラケーなんだガジェット記事もライフハック記事も書けやしない誰の役にも立たない俺による俺の話を上手に書いたところで上手に書けたねと褒めてくれる人なんてママ以外どこにもいやしない頭の中にいる二人の僕は路傍に立ち尽くす僕と上手に書けた僕で二人は同じ顔をしているように僕には見える教室だ僕はただ上手に伝えたくて言葉を選び紡いだつもりでいたんだ今そして覚えているのは言えなかった言葉ばかりで僕があのとき紡いだ言葉なんてひとつも覚えてやしない言えていればもしあの時言えていればと僕が願ったとおりのその僕はきっとその言葉もまた忘れてしまっているのだろう改行少ないですよね一文が長いですよねと言うのは耳にタコなんですけど口髭リーゼント眼鏡そうして細切れにしてまで貴方に租借して欲しいほどの立派な主張やお役立ち情報なんて僕にはなくてただ俺がいるぞ俺の脳は俺の心臓は貴方を眼差しているというそのことだけが真顔の僕で本当はもっともっと言いたいことがあるのだけれど本当だよ時間の矢はいつも一本で僕たちは一秒間に一つのことしか喋れないたった一本の時間の矢に跨った僕の口から発せられる言葉はすべて発せられた瞬間嘘になる悔しいね僕は僕が一秒で感じたことを一秒で貴方に伝えたいだけなんだ一息と一秒は違うそんなありきたりな結論に一息で辿り着けたらどんなに素晴らしいだろう馬鹿馬鹿しいそんなこと出来やしないと笑っている貴方が今この文字列を貴方がこの文字列貴方貴方が文字列が貴方だ貴方よ貴方がこの文字列まで辿り着いたのならば僕はどんな文字列を貴方に伝えたいのか永遠に考え中ですいつか会えるその日まで引き続きどうぞよろしくお願い致します。

最初に書くか最後に書くか迷ったんですが見ての通りで書き方論に何らか提案をしたい趣旨でもないのですが、ただただキッカケをくれたid:web-kenさんどうもありがとうございました。或いはダシにしてすいませんでした。以上です。

詩人の墓では眠れない

さ~とりあえず青空文庫のリンクでも貼るかな~あるかな~どうかな~と思ったら作者ご存命どころかtwitterまでやってた。教科書に載ってるような作品を書いた人イコール死んでるに決まってるだろみたいな先入観があるのって僕だけなのでしょうか。最近の小学生はスガシカオとっくに死んでると思ってる可能性あるでこれ。

谷川俊太郎という人の詩で「詩人の墓」という作品があって昔読んだ時は何言ってんだこいつくらいにしか思わなかったんだけど最近少し分かってきた。年をとったからこそやっとこさわかってくることって高校生の時想像してたよりかは結構あるので良いなと思う。例えば才能のある老人は結構えらいのだ(雑すぎるだろ)。

ぼやぼやーっと考えるのはあの詩人がどこまでも詩を書くほかなかったのはなぜなのだろうということで、本当に彼の目には世界がただただ美しく見えて今目の前にいる彼女も美しい風景の一部としてしか捉えることができなかったのだろうか、あるいはこれはそういう解釈を検討したほうが僕の今抱える個人的な事情にとって都合が良いから想像するに過ぎないのだけれどもしやするとあの詩人は人様から美しく見られるような言葉で飾り立てることでしか人に何かを伝えることができないただの臆病者であったのではないか。そんなことに思いを馳せてみたんだけど鼻毛の速度で結論が見つかってよくよく考えたら別にどっちでもよかった。何故ならばどちらの場合にせよ俺の感想は「俺はそんなやつにはなりたかねぇな」に着地するので着地が同じなら過程はなんでもいいやという非常に雑な考え方の僕こと俺です。

僕は好んで聴く音楽の好みがとても偏ってるんですけれども、それとは別枠で古今東西を問わずいや嘘洋楽は何言ってるかわかんないから聴かないんですけど時代やジャンルを問わず失恋ソングというものをやたらと聴きたがる傾向があります。いい思い出だったと割り切ることは簡単なことかもしれませんがどこまで言っても失恋なんてものはコミュニケーションの失敗以外の何物でもなくそれは僕と貴方の敗北に過ぎず、そのような事実から目を逸らして美しく歌い上げようとするその態度すらも僕には反面教師の対象で要するに人と人がいるというかけがえの無さを忘れがちで傲慢な僕は「失敗したらお前もこうなるぞ」と自分自身を脅すために失恋ソングを聴きたがるのです。「詩人の墓」も今の自分にとってはそんな感じ。また年とってからごめん全然違ったっていう可能性は全然ある。

今月は序盤くらいからなんだかブログ論が一部で盛んになっていて挙句サードブロガーだの何だのという話題に発展、運営が焚きつけるもそんなてんやわんやになる気配もなく「あいつらなんか言ってるよ」くらいのしょっぱい騒動として落ち着きそうで何よりだ。むしろ揉め事が始まる前に運営がピックアップしてしまうことでエレガントな釣り針感を演出し、言及したら負け的な雰囲気を作りあげ後々の延焼を防ぐファインプレイだったんじゃないかとすら思える。もう一つの可能性としてブログ論ってブログ書いてる人以外は糞ほどの興味もないから誰も相手にしてないだけというパターンも考えられるだろう。

たぶんというかどう見てもそもそもの発端が感想をブログに書いてもらえると肛門から苦い液を分泌するので何かとスムーズに出し入れができるグループ(前言ってたの気に入ったからまた使ってる)の存在であることは見るから明らかだったので一期生にあたる僕もなんか言った方がいいのかなぁと思いながら遠巻きに見物していた。ただどうもある種の議論めいたものになってきそうなきらいが見えて俺はそういうのちょっといいかなと思うし、むしろ「なんで真実以外を口にしてはいけないの?」とか「論理的にはこうであるべきだ如きの理由でなんで俺が考え方を変えなくちゃならないの?」みたいな切り札を持ってる人間なのでそんな奴が混ざってきたら俺ならイヤだなと思ったし、何より隠居仙人めいた立ち位置のid:inujinさんがスポットライト当たったら存外ノリノリじゃねぇかこのおっさんと思ったので俺は混ざらんと好き勝手やってればいいかと思いとりわけ好き勝手やってるように見えるよう意識的に好き勝手やっていた。もちろん当初はもうちょっとブクマを稼いでどや顔でこの度の報告を行う予定だったんだけど桃太郎だけか~キャベツはもうちょいイケるかなと思ったんだけどな。まぁ書きたくないことは一文字だって書きたくない以上そのうえ狙ってブクマを稼げる道理はないからそれはとりあえずいいや。あとこの記事は前の句読点なしでぶっ続けるやつ書いた直後のまさに今書かれているのですがあんなもん伸びるわけないという決めつけのもと絶賛記述中の僕です。

話は「詩人の墓」に戻るんだけど結局僕がどれだけ僕の世界の話をしてもそして誰かが僕の語るその世界を美しいと思ってもそんなことには何の価値もないんだよね。そんなつまらない話ばかり繰り返した挙句透明になって詩人の墓で眠るだなんて俺はまっぴらごめんです。なのでそうではないもっと違うことを口走りたいんだけど、そのために見つめなくちゃならないのは世界ではなくたぶん目の前にいる一人の娘のはずで、そう考えた時に仮想娘としての読者を想定できるブログって単純にちょうどいいんだよね。書いたら読まれたという結果よりも読まれるものを書いているという前提そのものが書く際にもたらしてくれる恩恵って意外とでかいと思うっていうかそもそも俺誰にも読まれない前提の文章って生まれてこの方書いたことないし。

単純に人間ってシンプルでお調子者だからちょっと見られてるっていう意識があった方が何かとテンションあがって血色もいいんだよね。あれだよ、裸足のアベベとかいたじゃん。あいつも誰もいない山奥で一人で走ってるよりもさ戦後復興を遂げて人でごった返してる東京で走った方が調子よかったとか言うじゃん。アベベは別に人に見られたくて頑張って走ってたわけじゃないけど、結果として人の目があったからこそより速く走れたんだよたぶん。高地トレーニング?なにそれおれ知らないわ。

まぁそういうわけで「広く」だとか「たくさん」とかの形容抜きにただ「読まれる」という前提が脳みそ刺激してくれるからブログいいよねって話だったら俺はわかるなぁと思うんだけど、ただし俺は詩人だ俺は詩人だと喚き散らす詩人がいたら今すぐ俺が墓掘って埋めてやっから待っとけって思うし肩書きどうのの話はもういいんじゃねぇかなとも思うけど。まぁそんな感じで僕は読まれてること意識しながら書き散らすのは相変わらず楽しいので席が無いとか席を作るとかそこらへんの話はよくわかりませんけど「わかったからお前おとなしくここ座っとけ」と言われるまでは好き勝手はしゃぎ続けるつもりです。引き続きどうぞよろしくお願いします。以上です。