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一粒500円のチョコを美味しいと思うには余裕が必要だ

まーそういうわけで2月というわけで、今月もイベント盛りだくさんでやっていきましょうね。まずはなんてったって節分ね。恵方を向きながら米飯を喉に突っ込んで死ぬと来世はより高次の生物に生まれ変われるっていう。うまく死ぬコツとしてパリッと乾いた海苔をいい感じに喉に張り付けて米飯を喉に固定するっていうテクニックが流行ってて、だから節分は毎年死ぬのが当たり前の上級者たちは海苔のことを「ジョイント」と呼んでいる。

まず、人間が「より高次の生物に転生するために死のうとするイベント」ってすごいな、これの難しいところはですね簡単に「まだ高次を目指すのかよ!」ってツッコむと「人間を高次な生き物と考えるのは人間ならではの愚かな傲慢」って批判が飛んできますから。素直に「たしかに人間は辛く悲しく孤独な生き物だからもっと高次の生物に転生したい気持ちもわかるけど!」ってツッコまないとポリコレ的にNGです。あとはそうですね、節分は年の数だけ親に豆をぶつけていい日でもありますね。だいたい朝から晩まで一豆一豆投げることにしていつ豆が飛んでくるかわからない緊張状態をまる一日強いて親を疲弊させるベトコンタイプと自分の持てるだけの豆を握りしめて一投に全てを賭けるショットガンタイプに分かれましたよね。みなさんはどっちのタイプでしたか?僕は毎時何分に仕掛けるっていうパターンを一回作って親がそれに薄々気づいた頃から不規則に仕掛ける方向に切り替えるベトコンタイプです。

で、節分が終わると次にやってくるのが例のアレね。なんだっけな、名前が出てこねえや、どういうイベントだったかはだいたい覚えてるんだけど。アレですよね、確か、女子社員が一人1000円ずつとかお金出し合って、で、一番下っ端扱いされてる事務かなんかの若い女の子が業務時間外にわざわざ近所の百貨店に行って、で、ありったけの刃物を買ってきて男性社員に殺し合いをさせるやつですよね。普段から女性社員に嫌われてるお偉方がコンパスとかのめっちゃ頼りない武器を手渡されてひと笑いなんてのもすっかりお馴染みの光景ですね。強いオスだけがモテる時代でもないので最近はあえて毎年闘わずに死ぬことで暴力や支配を好まないアピールをする男性もいるみたいですね。

よく毎年死ぬ奴が出てくるブログだなぁ、おい、犬!!

「ワン!!!!!!!」

そういうわけで、バレンタインシーズンなんで嫁と百貨店の催事場のバレンタインフェアとか巡ったりしてるんですけど、いやー高いチョコうまいね。高いぶんちゃんと美味いからチョコは偉い。だってなんか本当に高けえのって一粒で500円くらいするからね。高けえって。バフンウニかよ。バフンウニ級のチョコレートなわけですよ。もっとパッと聞いた感じで美味そうな例え方なんかあんだろ。

まあ、そんな感じでねー、美味え美味えつってチョコ食ってたんですけど、嫁が言うわけですよ、「昔はそんな高いチョコ絶対要らないって言ってたのに今はふつうに美味しい美味しい言ってて舌が肥えたね」って、言うわけ。で、あ、そういうもんかなー、たしかに大学生とかフリーターの頃はこんなチョコ絶対要らんかったなー、大人になって年取って舌肥えたんだなーって一瞬思ったわけですけど、いや違えわと思って。単純に金銭的余裕だわと思って。

だって当時はさ、あまりにカネがないわけですから、気づいたらあと1週間を500円で凌がなくちゃならない、みたいな。だからまあまず168円の焼きそば3玉入りを2つ買うじゃん?これでざっくり340円、あとは20円のモヤシを毎日買って、モヤシは足が早いから毎日20円を握りしめてスーパー行ってモヤシを買って、1日1食で6日凌げるじゃん、20円かけ6で120円、あと40円で最後の1日をどう乗り切るかだよねみたいな。いやお前そんなドヤ顔でどう乗り切るかだよねって言われてもモヤシ2袋以外の選択肢お前にあんのか?みたいな。そういう人間がね、果たして一粒500円のチョコを美味しがる余裕があるのかって話なんだと思うんですよ。図書館で借りてるから6000円の本を「おもしれー」つって読めてたけど、自分のカネで買ってたら果たして文章頭に入ってくるのか、みたいな。

で、今はそりゃそんな今だって大して稼いでるわけではないですよ。あくまで昔に比べたら稼いでる、余裕があるってだけの話で、手取りが9万5000円なんですけど、社宅にヘクタール級の田んぼがあるんで、あとドリンクバー。だからまあ、そんな給料貰ってるわけではないんですけど、食うには困らない。いつでもおにぎりは食えるし、いつでもジンジャーエールなっちゃんオレンジを7:3で割れる。今のは完全に雰囲気で喋っただけでジンジャーエールなっちゃんオレンジを7:3で割ると美味しいだなんて俺は一言も言ってないしやったこともないですからね。そんな感じで、台風のひどかった年の冬は飢饉で離職率がヤバイんですけど、それでも昔よりは生活に余裕がありますから、手取り9万5000円ってことはメロンパン900個は買えますからね。大富豪ですよ。いざとなればメロンパン900個いつでも買ってやるぞって気概と余裕があればこそ、「なるほど、たしかにこれはメロンパン5つ分の価値があるな」とか言いながら500円のチョコを美味しいなと思えるわけですよ。

たぶんなんでもそんなもんですよね、自分のカネで1万円のコース料理食うのに抵抗あるやつは、他人の金で1万円のコース料理喜んで食えるけど、コースの値段が5万10万になってきたあたりで「いいから現金でくれよ」ってなってくるだろうし。1万円のコース料理を自分のカネで美味しく食えるやつは、10万くらいまでなら他人のカネだしと喜んで食うだろうけど、ここで50万円のワインとかが出てくると「味とか全然わかんねえし奨学金早く完済したいな」って思うんだと思うんです。全部そんな感じだよね、身の丈に合ったもの以上のものは、少なくとも俺はなかなか素直に楽しめねえよ。いやだってみんな6000万奢ってやるから宇宙行くぞって言われて、みんなそんな素直にワクワクできる!?「いや宇宙なんか行かんでも3000万の家が二件買えるやん、親は心配だけど二世帯は嫁さんに気を遣うし、でも6000万あったらまず郊外に3000万の自分の家買ってそこから徒歩10分くらいのところに3000万の家買って親を住まわせたらええやん」とか考えてまうんじゃないですか、知らんけど。「ミストサウナは自分の家の方にしか付けてないの親父にバレたくないから隠しボタンみたいなんにしよう」とか、どんだけ宇宙から見た地球が綺麗なんか知らんけど、やっぱ庶民にはミストサウナの出る浴室の方が大事なんちゃいますのん?知らんけど??

いや、もちろん、この話って、実のところの大前提を一旦置いて話してるってのはもちろんありますよ。掛け値なしに好きなもんってのは実際あります、例えば僕だってもやし和えた焼きそばばっか食ってた頃も平気で1万円の芝居を観に行って「良かったぁ」とか言ってましたし、新井浩文さんが新井浩文容疑者になった瞬間なんの躊躇いもなく6万円の真田丸ブルーレイボックスをポチったりするわけです。本当に好きなものには、高いだの安いだの何も関係なく、必要経費だったりもするわけです。

そんな感じ、そんな感じです、とか言って終わらせようと思ったんですけどよく考えたらこれで終わったら「俺が収入増えたんで500円のチョコ美味しいと思う余裕ができました」って言ってるだけになってる可能性があってそれは感じ悪すぎるだろ、思って。ガウン引っ掛けてワイングラスをちろちろ回してる俺が「諸君も500円のチョコを美味しく思えるように頑張ってくれたまえ」って言ってるみたいじゃん、そんな大した豪遊もしてないのに。あとそのワイングラスの中身、ドリンクバーのファンタグレープなのに!!

まあ、でもまあ、一粒500円のチョコは、美味かったんだよね。美味いから買ってもいいかなと思える。逆に言えば未だに縁日の600円の焼きそばとか意地でも買いたくないし、あんな祭りに便乗した残飯売りに払う金なんか一銭もねえし。だからなんかまあ、それに金を払いたいか払いたくねえかってのは、どこまでも考え続けたいよなと思うわけです。金を使うことそのものを良いことにしたくねえっていうか、昔お互い貧乏してたけど仲は良かった友達とかとたまに会ってさ、なんか雑な金の使い方してたら悲しくなるんだよな。貧乏だった自分への復讐みたいな雑な金の使い方してる人って案外見かけて、あれすごい悲しい気持ちになるんよな、なんなんだろ、悲しい気持ちになる。

だから、まー、せいぜい500円のチョコを食うだけで3500字のブログをいちいち書きたいし、金は使うか使うまいか悩み続けたいなーと思うわけです。全然関係ないけど水道から日本酒出えへんかなぁ。

以上です。

怒りは、怒りの形のままでは役に立たぬ

日々、クソを煮詰めたようなニュースがテレビやインターネットやを賑やかし、今日もタイムラインは怒り狂ってる人で溢れかえっていて、しかしそれですらもう、最早すっかり見慣れた日常の風景だ。いい加減うんざりもするものだが、多くの人が怒ることすら出来ずなんとなく我慢を強いられていた時代が長らく年表に横たわっていたことを踏まえればこれはこれで喜ばしいことなんだろうとは思う。しかし、もうそろそろいい加減、みんなうんざりしてきたっていい頃なんじゃねえかなとも思うのだ。

怒りが怒りそのものの形のままで出来ることは我々が期待しているよりかはずっと少なかった。怒りそのものの形をした怒りは、我々の怒りの根源を取り除くための道具としてはあまりに原始的で拙く頼りなく、そして我々が憎み相対する邪悪は怒りそのものの形で立ち向かうにはあまりに狡猾で老獪で複雑であった。かつて我々が怒りの声すら発することができず誰かに届け慰め合うこともできず絶望していた頃のように、我々は我々が今共有し共振し日々すくすくと大きく育てているその怒りが、そのままの形では我々を決して救いはしない取るに足らない無用の長物であることに今一度絶望した方がいいのではないか。

絶望しろ、というのは何も怒ることをやめろということではない。それではかつての時代に逆戻りだ。

しかし、怒りは、怒りの形のままでは役に立たぬ。

我々は、我々が獲得したこの怒りを大切に手放さぬようにいつまでも大事にしたいと思えばこそ、その怒りをもっと人にとって有用な道具の形に作り変えていかねばならない。打製石器の時代を終わらせて、怒りを研磨するのが当たり前にしていかなくてはならない。

あるいは、振り上げた拳はどこにも届かないと知らねばならない。

握れば拳、開けばたなごころなどと甘っちょろいことを言うつもりもない。しかし、ただ拳を握りしめ振り回すばかりでは、どうにもここらが限界だというのはもうどうしたって分かりきったことではないか。

我々は拳を作り、振りかぶり、そうして初めて自分の肩から先に何か可能性がぶら下がっていることを知った。その可能性をもう少し膨らませようと思ったら、それはもうどうしたって一度、拳を開いてみるしかないんじゃないだろうか。両の手を合わせた10本の指に、拳よりも大きな可能性を見出そうとするしかないのではなかろうか。

そしてお前ら全員薄々気づいているだろうことを俺は知っている。拳を解けば現れる10本の指を使って何かを掬い上げたり何かを摘み出したり何かを作り込んだりすることが、ただ怒りに任せて拳を振り回すよりもずっと困難で辛抱が必要でずっとずっとめんどくさいことで、それに向き合うのが面倒だから頑なに握りしめた拳を解きたがらないことも、俺は薄々知っている。

怒りを怒りそのものの形に留め拳を振り上げるばかりの人々は、自分の持つ可能性を故意に握り込み隠蔽し、偽りの無力感に酔っ払っている。

拳を開けばそこには10本の指があり、その掌には指の隙間から溢れんばかりの可能性があるはずだ。その可能性と向き合うには好ましい結果を得るのを急がない少なからぬ忍耐と多少なりとも自分を律しようとする誠実と、そして何より可能性を諦めない並々ならぬ原動力が必要だ。原動力なら既に持ち合わせている。それは、我々を怒りに駆り立てる、それだ。

ならば、後は拳を開くだけだ。恐れることはない、拳を開いたところで、原動力は消えない。この先少なくともしばらくは、うんざりするくらいに世界は燃料を投下してくれる、投下し続けてくれる。拳を開こう。掌を見つめよう。指をわしゃわしゃと動かすのを眺め、できることを考えよう。

拳を開けば、世界なんかではないあなたが、あなたは可能性に満ち溢れている。

可能性を握りつぶして、拳を振り上げて、無力なんかを気取るな。怒りを怒りの形のままにして漫然と満足するな。前を見ろ、振り返れ、拳を解け、手のひらを見つめろ。西に東に北へ南へ駆けずり回らずとも、この10本の指さえあれば、この10本の指の使い方を考えることさえできれば、可能性は、まだ我々の手の内にうんざりするほど残っている。

我々というか、私に限った話で言えば、そういうものに私はなりたい。

以上です。

【読み物】ふつうの不倫がしたかった

ラブホテルのベッドでiQOS吸うの超ダサくない?そんな気もするけど、俺はiQOSを吹かしてる。iQOSを吹かしてるって言い回しあってんのかこれ。

片方の手でiQOS吸って、もう片方の腕では妻じゃない女を抱いている。幸せそうな顔なー。

「ねえ、奥さんとはいつ別れてくれるの?」

女は猫みたいな顔でっていうか、猫に寄せてる感はあるよねこの女。

「意地悪はやめてくれよ、別れたいとは思ってるんだけど、子供もいるしさ」

俺はいつもの言い訳をする。

「とか言って、本当に一番好きなのは奥さんなんでしょ、私じゃないんでしょ」

女はいつものようにむずがゆい声で、決して俺を責めるようには聴こえないように、瞳を潤ませて俺に身を寄せながらそう言う。

「そんなわけないだろ、何度も言っているはずだ、俺たちの夫婦仲はとっくに冷めきっていて」

「きっとうそ」

「嘘じゃない、もう会話もろくにない」

「うそうそ」

「嘘じゃないよ、前も言っただろ、夜になるとデザインが天狗になるんだ」

「天狗?」

「顔が赤くて鼻がフランクフルトみたいに高くて、すごい風を起こす団扇を持っているんだ」

「実際に扇ぐの?」

「扇がれたことは何度かあるよ、帰りが遅くなる連絡を事前に入れなかった時とか」

「自業自得」

「それはそうかもしれないけど、ひどいじゃないか。あんな風を起こす団扇で扇ぐなんて。そしてまた高下駄で僕を見下ろすんだ」

「だから別れたいの?」

「そうだよ、別れて君と一緒になりたい」

最初は「会話も全然ないし」くらいでやってたんだけど、それでは彼女は全然納得しなくて、雪だるま式に嘘を重ねた結果、僕は浮気相手に「僕の嫁は本当は天狗だ」と言いくるめるに至った。

「奥さんとはいつ別れてくれるの?」

「天狗はゴマを食べるとその分、鼻が伸びる。僕は彼女に日々ゴマを食わせる。鼻が伸びすぎてその重みを支えきれずにぼとりと落ちる時、それがあいつの命日だ」

「そしたら私と一緒になってくれるの?」

「そうだよ、だからもう少しだけ我慢してくれよ」

天狗の弱点がゴマだというこの下り、俺のオリジナルだ。そんな初期設定、天狗に全然ないし。そもそも俺はどうして、自分の妻を天狗と言い出してしまったのだろう。吸い終わったiQOSのフィルタを灰皿に落とした。

「それで、息子さんは私のこと気に入ってくれるの?」

「それはもちろんだ、ホワイトライオンだから、俺の息子は」

「嬉しい、私、ホワイトライオンを育てるのが夢だったの」

「運命かもな」

「いつだったっけ?ホワイトライオンになったの」

「あれは、あいつが一歳を過ぎた頃だったな、満月を見たらホワイトライオンになった」

「嬉しい」

「俺も嬉しいよ」

嘘のやつあるじゃん、妻とは別れるとか、子供は大事だから迷ってるとか、そういう感じのことを言っておけば引き伸ばせると思って浮気してみた結果がこれじゃん。我ながら盛りがすごい。でも、もう戻れないんだ。

何これ、俺、嫁は天狗だって嘘ついて、息子はホワイトライオンって嘘ついて、ここまでやらなきゃ浮気ってできないの?もっとスッスッスーってみんな浮気してるイメージだったんだけど?どうしてこうなったの?嘘の上塗りの究極系を今おれはやっている。

女は、そんなことを考えている俺のことなんか何も知らないかのように、脇の間に頭を潜り込ませて髪を撫でるようねだりながら甘えたように言う。

「天狗がいなくなってー、そしたらホワイトライオンが私のペットになってー、あなたとこうして毎日いられるのよね」

「もうすぐだよ」

俺は彼女のウェーブがかかった髪を撫でる。

何がもうすぐなんだよ。嫁が天狗なわけないだろ、もし本当に嫁が天狗なら、そんなすごい風圧を出す団扇を持ってる嫁を騙して浮気できるわけないだろ、普通の嫁だよ。息子も、もちろん、普通の、ただの息子だ。白い毛なんざ1ミリも生えてねえわ。

「じゃあ、そろそろもらっていい?」

「もちろんだよ、今はこれくらいしかできなくてごめんな」

彼女は俺の胸に牙を突き立てる。俺の皮膚からプツリとという音が聞こえんばかりに血が流れる。彼女はそれを蒸し牡蠣の汁を飲むようにうまそうに吸う。ここで!?ここで、気さくな女友達的な一面出すかね?!俺の血を吸うこの場面で!かわいいけど!!もっとおしとやかに俺の血を吸って欲しい気持ちはあるけどこればっかりは仕方がないね。彼女はきっと間も無く、羽を生やし、窓から飛び立つ。俺の血をたらふく吸っていかにも満足げに。

彼女があまりにアバンギャルドなもんで、俺もついつい嘘を盛りすぎた。俺の嫁は天狗で、息子はホワイトライオン。それを彼女はからきし信じているから、「そういうわけで、まだ別れられないもう少し待ってくれ」という言葉を信じてくれている。明日もこの人と会えたらなと俺のことを思い出しながら、夜に羽ばたく。奇想天外な彼女だから、俺の奇想天外な嘘を信じる。彼女は俺の血を胃でゴロゴロと言わせながら、俺のことを考えている。彼女の当たり前な誠実を汚しているようで、そりゃあ俺だって嫌気もさす。

家に帰って、嫁さんが天狗になってたらどうしようって、彼女と別れた後はいつもそう考えながら家路を歩く。なってるわけねえのに。なってるわけねえのか?現にコウモリみたいな翼で夜を渡り歩くあの女とセックスした後で、俺は妻が天狗じゃないって信じられるのか?歩く歩く歩く。

世界に、本当は人間が俺だけだったら、そりゃあどんなにラクだろう。しかし、ほとんどみんな、本当に人間なんだろう。