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ファーストバイトが悪しき風習になるのは良いことなんだけど

ツイッターを眺めてたら結婚式のファーストバイトが話題になってて、あれなんか司会者が言うんだよね。新郎は新婦に対して一生食わせてやるぞって意味を込めて新婦にケーキを食べさせます、新婦は新郎の顎を外そうと思えばいつでも外せるんだからなという警告の意味を込めてアホほどでかい塊を食わせますみたいな、いやここからファーストバイトの是々非々みたいな話するんだからそこボケちゃだめだろ。つまりは司会が「男は外で稼ぐ」「女は家で料理を作って待ってる」みたいな古い価値観を前提にコメントつけてくるの時代錯誤甚だしいよねみたいな話で、それはそうだなぁと思う一方で、そもそもファーストバイトってそんな昔からありましたっけ?みたいなことを思って。俺、成人になるまでの間は(つまり10年くらい前までは)せいぜい親戚従兄弟の結婚式くらいしか出た経験なかったんですけど、ファーストバイトなんかやってるの見た記憶全然ないんだよな。で、5年前だかに自分が結婚式をすることになって、その時に初めてファーストバイトっていう演出の存在を知ったんですよ。大学の友人らの中で俺が結婚一番乗りだったってのもあって最近の結婚式事情に全然疎かったんだ。で、まぁ僕ら夫婦の場合は「俺、彼女の前で口開けたことないから無理!」って言って、いや口開けれないから文字で打って伝えたんですけど。車の前方に括り付けられてるマックスみたいなのを口に装着してる僕がキーボードで打って伝えてるんですけど、全然関係ないけどテレビでつんく♂さんがキーボードに打ち込んでメッセージを伝えてくれるところを見るたびに「つんく♂さん絶対親指シフト覚えた方がいいって、最初大変だけどトータルで考えたら絶対そのほうがパフォーマンス向上するって」って思うんですけど、まぁなんやかんやあって僕らはちょっとファーストバイトは遠慮しときますってことにしたんですけど。しかしまぁ「へぇ、最近はそんなのやってるんだ」って思ったのは覚えてんだ。なのでけっこう最近出てきたものってのが俺のなかでの、あくまで俺の中での認識なんだけど。で、ここからは勝手に想像で色々と思いを馳せるんですけど、いや今更そんな断りを入れなくても一行目からっていうかこのブログ始まった4年前からだいたいずっと想像やら妄想やらを勝手に垂れ流してるだけなんだけど、ファーストバイトが日本に初めてやってきた時どんなだったろうかって考えたらやっぱ革新的だったんだろうしそれはどういう意味で革新的だったかというとそれ以前に比べて男女がずっと対等だって意味で革新的だったと思うんですよ。だってさ、自分の父親母親だとか祖父母だとかがファーストバイトやったらって想像してみて下さいよ、まぁ見たいじゃん。もちろん個別の事例で見ればね、昔の人だって夫婦が対等に相手を尊重しあって仲睦まじくやってるる夫婦なんざいつの時代だっていたんだろうと思うけど、それは置いといてイメージで話を聞いて欲しいと思うんですけど、じいちゃんばあちゃん世代を考えてみるとファーストバイトでーすつってばあちゃんがしゃもじみたいなスプーンをじいちゃんの顔の前に突き出して生クリームまみれににする演出なんか絶対無理だったろとかは想像しやすいじゃないですか。同時にその頃なんて女が家で飯を作るのなんて当たり前で感謝する必要もなければ飯作ったくらいで偉そうにしてんじゃねえよって感覚がスタンダードだったと思うんですよ。そういうのが昔のノリだったと考えるとそれに比べてファーストバイトっていうのは随分風通しがいい演出だとは思うんですよね。ケーキをお互いに食わせ合うっていうビジュアルはやっぱシンボリックにもう女が男の三歩後ろを歩くような時代じゃねえんだぞという感覚を視覚的に表現できてるとは思うわけです。めちゃ好意的に解釈してみれば「男は稼いで食わせる」「女はおいしい料理を食べさせる」というのもファーストバイトなんてけしからんって考えの年寄りへのエクスキューズというか建前にすぎなくて、あの演出が雄弁に語ってる本質って「女だからっておとなしくしてると思うなよ」に僕にはやっぱり見えるんですけど(少なくとも僕が見たファーストバイトってだいたいそんな感じ)。

で、そろそろエクスキューズの部分を外していいんじゃない?って意見はまぁわかるんですよ、男が稼ぐのが当たり前じゃないし女が料理するのが当たり前って時代でもないし、もうあの司会者の下り要らなくない?って思うのは自然だしもっともだと思うんですけど、加えて「そういう価値観が前提にあるのが嫌だからファーストバイトは私はしない」っていうのも本人の勝手だと思うんですけど、ファーストバイトを忌避する感覚の理由に「男尊女卑の名残りだから」みたいな考えがもしあるんだとしたら、それは全然違うくないか?って思うんですよ。むしろ真逆だろ、みたいなことを思って。で、似たような感覚を最近どっかで見かけたなと思って、なんだろうなーって考えたら恋愛至上主義の是々非々の話題だったんですね。恋愛至上主義みたいなのを嫌悪する人の中には女が男にモテようと媚びるのはおかしい、女性の自立を妨げる男尊女卑的な思想だみたいな考えを持ってる人もいてたりするんですけど確かに今となってはそういう側面が強いのかもなーとは思うんです。思うんですけど、恋愛至上主義を作り上げた何十年だか前から始まった自由恋愛の機運は果たして男尊女卑的な思想から始まったものだろうかみたいなことも同時に思ったんですよね。だってそれより以前のお見合い結婚が当たり前の時代なんかは女ってそもそもモノみたいに交換されてしまう存在だったわけで、それに比べたら自由恋愛の時代は「女は主体的に男を自分の意思で選ぶぞ!」ってノリだったと思うんですよね、もちろん雇用環境とかジェンダー的役割分担とか女性の方が大変なことは今以上にアホほど理不尽に存在していたと思うんですけど、それでも「相手を値踏みし合う自由恋愛という領域においてだけは女だって男と対等だぞ!」っていうのが自由恋愛が推奨される機運の中心にあったんじゃねえかなって俺は想像するんよすね。

この話は別に、「だから」という理由付けにしてファーストバイトは良いもんだとか恋愛至上主義は良いもんだとか言いたいのでは勿論ぜんぜんなくて、当たり前になって欲しいことが当たり前になったら、それはもう当たり前だからありがたみなんか全然感じなくなって、ただ悪いところだけが目につく形で残るよね、みたいな話。ファーストバイト恋愛至上主義も俺だって無くなってくれたって全然一向に構わないことには違いないんだけど、もし無くなることになったとしてもそれは単に古臭い悪しき風習なのではなくて、これからも僕らが続けていかなくてはならないステップバイステップのとある時代のひとつの形だったのかもしれなくて、その功績があったからこそ今があるのかもしれなくて、そしてその役割を終えようとしているものなんだよなみたいな一定の敬意は払いたいなみたいなことを思うんですよね。今っつうのはきっと、あんなことがあってこんなことがあって色んな全部があってその上にある今だし、そういうことを考えずに「今の時代にそぐわない」という理由だけで過去のものを蔑ろにしてしまうのはこれまで積み上げてきたものを全部ひっくり返してしまうことと同じかもしれなくて、そうしてひっくり返すことを当たり前だと考えてしまう社会は、簡単に悪い方にひっくり返されてしまうんじゃないかなみたいな危惧もあって。なんか、そういうことを考えたわけです。以上です。

2017年最初の洗髪はボディソープでした!!

あのー、僕結婚して今回で5回目くらいの正月だったんですけど、いつからだったかな今回で3回目くらいかな元旦は嫁の方の義実家に泊まりに行く風習になってきたんですけど。結婚する以前とその直後とかは、もちろん向こうの家にお邪魔する機会は作ってはいたんだけど、泊まるってとこまではなかなか踏み切れなくてですね、僕もまぁあんま勝手のわからん家にいるのも落ち着かないし向こうだって娘が「こいつええで~~~、アリやで~~~」って連れてきただけのよくわからん男を家に置いとくのも財布の金抜かれないか不安だったりとかあると思うんですよね、「なにその1万円以上入ってた時は2千円まではバレないみたいな自分ルール!?」みたいなのあったと思うんで、いや抜いてないけどね、なにぶん僕らの住む家から電車で1時間と少したかだかの距離だったのもあってそれまでは義実家に伺っても日帰りみたいなのが常で、別に仲悪いとか本気で嫌だとかでは全然ないんですよ、ただなんかお互いに気を遣い合ってる感じもアレだしね、金にはなってないけど一生懸命で忙しいカメラマン志望としがない事務OLのカップル的に言えば「私たち、あんまり一緒にいないほうがお互いラクなのかもね」的な、あるいは飼いやすいんだけど懐きはしないんだよねみたいな、互いが互いにハリネズミかそういう種類の猫みたいな感じなもんなのでこれくらいの距離感がお互い一番気楽なのかなと思ってやってたんですけど、ここ何年かでちょっと考えを改めて泊まりに望んでたわけなんですけど。それで、年々、たぶん向こうも俺も少しずつ懐いてはきてるんだよね、そんな肩組んで二人で電信柱にタックルするみたいなそういう陽気な打ち解け方ではないよ。どんな打ち解け方だよ。傍から見ても全然わからないかもしれないけど、いやほんと義両親すごいシャイな人なんだ。お義母さんとか、たまに間違えて二人っきりになったらちょっと好き同士の中学生みたいな沈黙になるし、お義父さんと二人になっても会話はするんだけど兄はすべてを知りつつそれを言わないし弟の方も実はすべてを知ってるんだけどそんな兄の思いを汲んで知らないふりをする10年ぶりに再会した腹違いの兄弟みたいな感じになるんですよ。ぎこちないんですよ。表面上はすげえツーカーというか話を合わせてるんですけど、翼くんと岬くんみたいな胡散臭さがそこには流れるわけです。そんな義両親なんですけど、そんなところから始まった僕達なんですけど、やっぱ数年スパンでやってると、それなりにお互い少しは気を許せるようになってくるわけです。それは、そんなホントにポジティブなものなのか実際のところはよくわかりません。「こいつとの付き合いは今後10年20年と続くんだからいつまでもよそよそしくしてたってかったりいだけだな」みたいな損得感情が互いの胸の内に発生してるだけの可能性だってあります。しかし、それでもいいと思うんです。そういうところから出発していつか本当に何か名前があるような関係性になれれば十分すぎると思うので結果オーライではあるわけです今年の正月はそういう意味ではここ何年かの集大成でした、ギュッと距離が縮まった。夕方くらいにお邪魔してお酒を互いに注ぎ注ぎ晩酌と晩飯が並行して始まって、僕も向こうも結構楽しそうで夜は更けていったわけですけど、それで「ズイショくん、お風呂どうする?」なんて言われてね、俺はそれに対して「じゃーすいません、頂きます!」なんか言ってね、それで寝間着と替えの下着を持って風呂場に出向いてシャワーだけ頂くわけですけどそこで僕ってやつは初めて気付くんですよ。僕、この家でお風呂頂くの初めてだったって。そうだ、去年まではさ、そんなにお互い距離感が詰まってなかったからさ、俺もなにせ人の家が落ち着かないタイプの人間なもんだからさ、どうせ起きたら帰るだけだし無理してここでお風呂もらわなくたって家に帰ってから入ったらいいやと思って歯を磨くのに洗面台を借りることはあってもお風呂入ったの今年が初めてだったんですよ、それでまぁお風呂もらうつもりも別に今年だって来る段階では全然なかったから流れでお風呂に入っちゃったもんなんでそれに気づいたら急に恥ずかしくなってきちゃって、さっさと用だけ済ませてあがろうと思ったんだけど用意も何もしてないから頭を洗うにしても身体を洗うにしてもその家の浴室に置いているものを使うしかないのね、それでとりあえずボディソープで身体をさっと洗って流してさ、あとはシャンプーだけしてあがろうと思ったんだけどパって見たら、ちょっと異様な光景なのね。例えば我が家だったら、K-1ファイターくらいの髪の長さしかない俺は市販の安い何でもないシャンプー使ってて、割りとロングで綺麗な髪してる嫁さんは俺あんま把握してないけど俺が使ってるのよりは少し良いお値段のするようなシャンプーを使ってるわけですね。コンディショナーの説明を同じように挟むのかったるいんでそこは濁しますけど、つまりだから俺の分と嫁の分とで二つのシャンプーがあるのが例えば我が家の浴室なわけですけどね、それでいうと義実家の浴室は、嫁が使ってるような高いシャンプーひとつしか置いてないわけなんですよ。すっかり忘れてたーすっかり忘れてたよなー、犬。

犬「わん!!!!」

今年もよろしくな、犬!!

そうなんです、すっかり忘れてたんですけど、僕の義父、毛髪薄いのを吹っ切ってスキンヘッドに舵を切ったタイプのスキンヘッドだったんですよ。だからお義父さん用の気軽に使えるシャンプーがこの浴室、この宇宙には存在しないんですよ。俺はこの宇宙の真理にフルチンで気づきましたよ。だからシャンプーはお義母さんが使ってるちょっと良さげなシャンプーしかなくって、ここでなんか調子こいて風呂まで頂いてしまった自分を後悔し始めるネガティブセンサーが働いてきてよくわからなくなるわけですけど、我が家でもシャンプーに関してはお互い住み分けが出来ていて、俺のシャンプーとお前のシャンプーがすごい明確に屹然としているわけです。縄張りじゃないけどそれに近い感覚があって。例えば猫ちゃんなんかだと自分の縄張りをマーキングするために壁に肛門をこすりつけたりスプレー状の尿を撒き散らしたりするわけじゃないですか、そのイメージがあるので僕にとって誰かの縄張りとかパーソナルスペースを犯す行為というのはそれくらい失礼な行為なんじゃないだろうかみたいな意識が働くわけです。そうなると、もう使えませんよ、わかんねえけど迂闊にこのシャンプーを使って、それを以って肛門こすりつけられたとか尿を吹きかけられたと思われたらどうしようと思ったら、もうそこにあるシャンプーは使えませんよ。それで僕は仕方なく、2017年最初の洗髪、ボディソープで頭を洗ったのでした。頭を洗ったのでした。ボディソープで頭を洗うと基本的にバサバサなるからね。バサバサの頭で何が言えるだろうをモットーに今年も頑張って何か毒にも薬にもならない文章を書こうと思います。以上です。

君よ餅で死ぬな誰も餅で死ぬな

そういうわけで新年あけましてぼちぼち正月ムードも終わりになってきてるわけですけれども、やっぱり今年も餅を喉に詰まらせる事故が各地で多発してるようで中には亡くなられてる方もいるようでほんに毎年毎年どうにかならんもんかねって思うんですけど、まず気になるのは実際どれくらいの人が餅を喉につまらせてるのかよくわかんねえなってことで、よく考えたら毎年餅の事故件数のニュースって都内で何件みたいな感じでしか報道されてねえような気がするんだよな。今ニュースを検索してみると地方紙のネット版で何件か死亡事故の記事が出てくるだけで全体の実態としては全然わからない。過去分の統計がないかとかも軽くググってみたんだけどせいぜいこの記事の中に「消費者庁が東京消防局、政令市消防局などの窒息事故の報告(2008~10年の3年間)のうち原因食品が明らかな2414件を分析すると、餅が406件と最多で、19人が死亡」という記述があるくらいで、これだって数字をそのまま3で割って「毎年約130~140件の餅をつまらせる事故があってうち6~7人が亡くなってる」としていいのかよくわからん。だって政令指定都市の数って日本に20そこそこでそこでカバーしている人口って3000万人たかだかなわけです、むしろ政令市消防局がカバーしていない田舎の人間の方がみんな餅を食うわけじゃないですか?都会は各家庭に臼と杵が一つずつとか考えられないでしょうけど、田舎ではそれが普通だからね。あと村には土俵も必ず最低一つはある。今のは完全にあかん偏見と大嘘が混ざってますけども、それに加えてやっぱ政令指定都市は栄えてる街ですから若者の人口比率も高いと思うんですよ、この統計に加味されてないところに実はまだ見ぬすげえたくさんのジジイババアが眠っているって考えるとやっぱ実際の餅を詰まらせてる人の数っていうのはもっともっと多いんじゃねえのって思うんですけど、今ちょっと間違えて金鉱みたいな言い方なりましたけども、ゴールドラッシュならぬジジイババアラッシュみたいな言い方になりましたけども、まぁ言うてこれは何か俺の調べ方が下手とかもあると思うので、誰か知ってる人いたら教えて。で、人間は馬鹿なので、自分の耳に入ったことだけでこの世のすべてがまるっとパリッとわかると思っちゃってる節があって、例えば地元紙で「1人餅で死にましたよ」ってニュースを見かけて、そして全国区のテレビニュースで「都内で2人死にました」ってニュースを見かけるとするじゃないですか、そしたら人間は勝手に「日本で餅で死ぬのは毎年たったの3人か、じゃあ俺がそんな低い確率を引いて餅で死ぬわけがあるめえな」って思って、それで餅食って死ぬ人が毎年ほんとはもっとすげえたくさんいるかもしれないわけですよ知らんけど。ここの数字をもっとしっかり出して「毎年こんなにたくさんの人が亡くなってるんですよ」って言うことができればもうちょっとマシな注意喚起になるんじゃねえのって思うんですけど、だいたい交通事故の数についてはたぶん全国津々浦々の情報もしっかりまとめてそこそこ正確そうな数字を出しているのに餅詰まらせる事故についてはざっくりでいいのか、みたいな。もう気持ちの部分から俺たち餅に負けてるんじゃないかとも思うんですよ、餅を諦めてるというか、餅を詰まらせて死ぬ人が出るのは仕方がないことなんだみたいな潜在意識が我々に餅の危険性を直視することから背を向けさせているのではないか的な。いや、ちょっとググってhitしなかっただけだから本当はかなり正確な餅による死亡事故件数みたいな統計があったらごめん。今年末から注意喚起に叫びまくるんで是非教えてください。これ余談の全然関係ない話になりますけど、僕はけっこう正月の嫌いなところの一つに挙げられるくらいそもそも餅が食べるの嫌いなので余計なんとかならんかなそんなことで命を落とすなんてそんな悲しいことはないと本気で思うんですけど、特に事故の原因になりやすい大きいお餅なんて僕からすると最悪ですね、餅ってどの食い方をしても基本的に味を全然吸わないじゃないですか表面ちょっと申し訳程度に味が染みるだけでその1ミリ先は完全に餅の味しかしないわけじゃないですか、もうちょっとお前も気を使えよと。朱に交われば赤くなる的なやつはないのかと。表面だけで中は真っ白のまんまじゃん。完全に餅のまんまで全然交われてないじゃん。それでお前よくそんな涼しい顔してられるな。それやられちゃうとこっちは、うわー表面以外の9割がたは餅の味しかしねーなーって思いながらモソモソと餅食うしかねえんだわ。俺はそういう餅の、男友達だけでむさ苦しく旅館に泊まってワイワイやろうって時に一人だけ浴衣を着ないでジャージでいるやつみたいな、餅のそういうところがどうしても好きになれないんですよ。UNOにはちゃんと参加してるんだからいいだろみたいな顔をされてもさ、一体感が大事なんじゃないか、男だけなんだからちょっとはだけてボクサーパンツが見えるくらい気にしなくたっていいじゃんかよジャージじゃなくて浴衣着ようよみたいな、そういうところって餅にはあるじゃないですか。むしろ、なんかその餅の表面以外の餅の味のところを味わうと味気ないからみんな噛まずに餅食って喉につまらしてるんじゃねえのとすら思うし。危ないからみんなちゃんとみんな餅噛もうよ。噛んで餅の味しかしないのが嫌なら最初っから餅なんか食うなよ。とは言ってもね、これは単純に食べ物の好き嫌いとして餅が嫌いなやつの言い分なので本当に餅が好きでやっぱ正月は餅食べたいって人の気持ちは全然わかるし尊重したいんですけどね、一年の始まり正月くらいはね、って言いますけどよく考えたらそんな毎年死亡者が出てるような危ない食べ物を毎年毎年ほぼ一年のブランクがある状態で食うのおかしいだろ。甲子園の北海道代表も本州の暑さにいきなり適応することはできないからビニールハウスの中でストーブ炊いて練習したりするんだよ。それと一緒だよ、なにをお前ら何の準備もなくいきなりぶっつけで餅食っちゃってんだよせめて10月くらいから徐々に慣らしていけよ。ベンチプレスと一緒だよ、理想を言えば8月くらいから約半年をかけてだよ、最初は大豆くらいの大きさの餅から始まって徐々に徐々にサイズを上げていくんだよ、それで1月の本番に照準を定めて元旦どれだけ大きな餅を食えるかみたいな結局危ねえじゃねえか。いやでもよく言うじゃないですか、練習でできなかったことが本番でできるわけないって。餅も一緒ですよ。だからどうしても正月に餅食いたいやつはむしろ日頃から餅食えって。なんだろな、あとはドーピング感覚でめちゃめちゃお餅が滑らかに喉を通っていくローション砂糖醤油とか作ったら売れねえかなぺぺ砂糖醤油みたいな商品名で。まぁでも、もう最悪今後はVRだよね、それか孫がじいちゃんばあちゃんを自撮りしてあげてスノーで餅食ってる風に加工してやれるようにするか、何かしら実際の餅は食わずともまるで餅を食ったかのような満足感を得られる方法を考えていくのがいいよね、餅味のガムでも噛みながらVRゴーグルでゆーとぴあみたいに伸びる餅食ってる気分味わえたらそれでもうよくない?ちょっと待って、餅味のガムって何?浴衣着ようよなんだよ餅味のガムって。とにかくこれ、ふざけてるわけでもなんでもなく、俺だって親戚に年寄りようけいるしね、そいつらが平気な顔して自分は全然関係ないと思って優雅に餅食ってて周りもそれを普通だと思ってるのにすげえハラハラしちゃうわけですよ、現実問題食うなとは言わないけどね、餅ってワンチャン死ねるからねって意識がどっかにあるのとないのでは全然違うと思うんですよ、「ばあちゃんそのお餅ちょっと大きくない?」とか言えるだけで全然違うと思うんですよ。だからこうやって僕はね、ここまで読んだ人なら次に餅を見た時に絶対思い出すような文章を、そういう文章を今年も書いていきたいなと思うわけですよ。今年もよろしく。そして来年もまた元気に会いましょう。君よ餅で死ぬな誰も餅で死ぬな。以上です。