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君よ餅で死ぬな誰も餅で死ぬな

そういうわけで新年あけましてぼちぼち正月ムードも終わりになってきてるわけですけれども、やっぱり今年も餅を喉に詰まらせる事故が各地で多発してるようで中には亡くなられてる方もいるようでほんに毎年毎年どうにかならんもんかねって思うんですけど、まず気になるのは実際どれくらいの人が餅を喉につまらせてるのかよくわかんねえなってことで、よく考えたら毎年餅の事故件数のニュースって都内で何件みたいな感じでしか報道されてねえような気がするんだよな。今ニュースを検索してみると地方紙のネット版で何件か死亡事故の記事が出てくるだけで全体の実態としては全然わからない。過去分の統計がないかとかも軽くググってみたんだけどせいぜいこの記事の中に「消費者庁が東京消防局、政令市消防局などの窒息事故の報告(2008~10年の3年間)のうち原因食品が明らかな2414件を分析すると、餅が406件と最多で、19人が死亡」という記述があるくらいで、これだって数字をそのまま3で割って「毎年約130~140件の餅をつまらせる事故があってうち6~7人が亡くなってる」としていいのかよくわからん。だって政令指定都市の数って日本に20そこそこでそこでカバーしている人口って3000万人たかだかなわけです、むしろ政令市消防局がカバーしていない田舎の人間の方がみんな餅を食うわけじゃないですか?都会は各家庭に臼と杵が一つずつとか考えられないでしょうけど、田舎ではそれが普通だからね。あと村には土俵も必ず最低一つはある。今のは完全にあかん偏見と大嘘が混ざってますけども、それに加えてやっぱ政令指定都市は栄えてる街ですから若者の人口比率も高いと思うんですよ、この統計に加味されてないところに実はまだ見ぬすげえたくさんのジジイババアが眠っているって考えるとやっぱ実際の餅を詰まらせてる人の数っていうのはもっともっと多いんじゃねえのって思うんですけど、今ちょっと間違えて金鉱みたいな言い方なりましたけども、ゴールドラッシュならぬジジイババアラッシュみたいな言い方になりましたけども、まぁ言うてこれは何か俺の調べ方が下手とかもあると思うので、誰か知ってる人いたら教えて。で、人間は馬鹿なので、自分の耳に入ったことだけでこの世のすべてがまるっとパリッとわかると思っちゃってる節があって、例えば地元紙で「1人餅で死にましたよ」ってニュースを見かけて、そして全国区のテレビニュースで「都内で2人死にました」ってニュースを見かけるとするじゃないですか、そしたら人間は勝手に「日本で餅で死ぬのは毎年たったの3人か、じゃあ俺がそんな低い確率を引いて餅で死ぬわけがあるめえな」って思って、それで餅食って死ぬ人が毎年ほんとはもっとすげえたくさんいるかもしれないわけですよ知らんけど。ここの数字をもっとしっかり出して「毎年こんなにたくさんの人が亡くなってるんですよ」って言うことができればもうちょっとマシな注意喚起になるんじゃねえのって思うんですけど、だいたい交通事故の数についてはたぶん全国津々浦々の情報もしっかりまとめてそこそこ正確そうな数字を出しているのに餅詰まらせる事故についてはざっくりでいいのか、みたいな。もう気持ちの部分から俺たち餅に負けてるんじゃないかとも思うんですよ、餅を諦めてるというか、餅を詰まらせて死ぬ人が出るのは仕方がないことなんだみたいな潜在意識が我々に餅の危険性を直視することから背を向けさせているのではないか的な。いや、ちょっとググってhitしなかっただけだから本当はかなり正確な餅による死亡事故件数みたいな統計があったらごめん。今年末から注意喚起に叫びまくるんで是非教えてください。これ余談の全然関係ない話になりますけど、僕はけっこう正月の嫌いなところの一つに挙げられるくらいそもそも餅が食べるの嫌いなので余計なんとかならんかなそんなことで命を落とすなんてそんな悲しいことはないと本気で思うんですけど、特に事故の原因になりやすい大きいお餅なんて僕からすると最悪ですね、餅ってどの食い方をしても基本的に味を全然吸わないじゃないですか表面ちょっと申し訳程度に味が染みるだけでその1ミリ先は完全に餅の味しかしないわけじゃないですか、もうちょっとお前も気を使えよと。朱に交われば赤くなる的なやつはないのかと。表面だけで中は真っ白のまんまじゃん。完全に餅のまんまで全然交われてないじゃん。それでお前よくそんな涼しい顔してられるな。それやられちゃうとこっちは、うわー表面以外の9割がたは餅の味しかしねーなーって思いながらモソモソと餅食うしかねえんだわ。俺はそういう餅の、男友達だけでむさ苦しく旅館に泊まってワイワイやろうって時に一人だけ浴衣を着ないでジャージでいるやつみたいな、餅のそういうところがどうしても好きになれないんですよ。UNOにはちゃんと参加してるんだからいいだろみたいな顔をされてもさ、一体感が大事なんじゃないか、男だけなんだからちょっとはだけてボクサーパンツが見えるくらい気にしなくたっていいじゃんかよジャージじゃなくて浴衣着ようよみたいな、そういうところって餅にはあるじゃないですか。むしろ、なんかその餅の表面以外の餅の味のところを味わうと味気ないからみんな噛まずに餅食って喉につまらしてるんじゃねえのとすら思うし。危ないからみんなちゃんとみんな餅噛もうよ。噛んで餅の味しかしないのが嫌なら最初っから餅なんか食うなよ。とは言ってもね、これは単純に食べ物の好き嫌いとして餅が嫌いなやつの言い分なので本当に餅が好きでやっぱ正月は餅食べたいって人の気持ちは全然わかるし尊重したいんですけどね、一年の始まり正月くらいはね、って言いますけどよく考えたらそんな毎年死亡者が出てるような危ない食べ物を毎年毎年ほぼ一年のブランクがある状態で食うのおかしいだろ。甲子園の北海道代表も本州の暑さにいきなり適応することはできないからビニールハウスの中でストーブ炊いて練習したりするんだよ。それと一緒だよ、なにをお前ら何の準備もなくいきなりぶっつけで餅食っちゃってんだよせめて10月くらいから徐々に慣らしていけよ。ベンチプレスと一緒だよ、理想を言えば8月くらいから約半年をかけてだよ、最初は大豆くらいの大きさの餅から始まって徐々に徐々にサイズを上げていくんだよ、それで1月の本番に照準を定めて元旦どれだけ大きな餅を食えるかみたいな結局危ねえじゃねえか。いやでもよく言うじゃないですか、練習でできなかったことが本番でできるわけないって。餅も一緒ですよ。だからどうしても正月に餅食いたいやつはむしろ日頃から餅食えって。なんだろな、あとはドーピング感覚でめちゃめちゃお餅が滑らかに喉を通っていくローション砂糖醤油とか作ったら売れねえかなぺぺ砂糖醤油みたいな商品名で。まぁでも、もう最悪今後はVRだよね、それか孫がじいちゃんばあちゃんを自撮りしてあげてスノーで餅食ってる風に加工してやれるようにするか、何かしら実際の餅は食わずともまるで餅を食ったかのような満足感を得られる方法を考えていくのがいいよね、餅味のガムでも噛みながらVRゴーグルでゆーとぴあみたいに伸びる餅食ってる気分味わえたらそれでもうよくない?ちょっと待って、餅味のガムって何?浴衣着ようよなんだよ餅味のガムって。とにかくこれ、ふざけてるわけでもなんでもなく、俺だって親戚に年寄りようけいるしね、そいつらが平気な顔して自分は全然関係ないと思って優雅に餅食ってて周りもそれを普通だと思ってるのにすげえハラハラしちゃうわけですよ、現実問題食うなとは言わないけどね、餅ってワンチャン死ねるからねって意識がどっかにあるのとないのでは全然違うと思うんですよ、「ばあちゃんそのお餅ちょっと大きくない?」とか言えるだけで全然違うと思うんですよ。だからこうやって僕はね、ここまで読んだ人なら次に餅を見た時に絶対思い出すような文章を、そういう文章を今年も書いていきたいなと思うわけですよ。今年もよろしく。そして来年もまた元気に会いましょう。君よ餅で死ぬな誰も餅で死ぬな。以上です。

出遅れた2016年暫定賛歌

ブログ、という自分の好きに文章を書いていい場所があるんですけど(おでんつんつん動画をアップさえしなければ何を書いても何人殺そうが亜光速のがんもどきで何人のこめかきを撃ち抜こうが全く問題がない場所)、一年の締めみたいなものを、今年は明確に「今年はもう別に書かなくていいでしょ」と思って書かないでいて、大晦日だって言ってんのに麻辣ピーナッツが置いてあるファミマを探してチャリで15kmほど放浪してその間にポケモンの卵が3,4とか孵り、そういえば年越しそばに入れる刻みネギを買い忘れていることに気づきスーパーに立ち戻ったものの言わずもがな俺がそんな理由でスーパーを訪れたのと同様にその日は誰しもが一年で一番にネギを求めた日だったものだから刻みネギはとうに売り切れていて、本当のことを言えば殴りかかったらたぶん勝てるしかつネギを持ってそうなジジイはたくさんいたのだけれど、良いお年をの気持ちでネギは諦めて家に戻り、風呂に入り、風呂から上がり、酒を飲み、紅白を眺め、オリラジが縁起物に昇華した瞬間を見かけ、それで年を跨ぎ、揚げと海老天の両方を乗せたしかしネギがないそばを食い、嫁と今年もよろしくねなんて言って嫁は寝て、それでテレビを点けてて嫁に寝れないんだけどなんて言われても嫌なのでテレビは消して、お皿を片付けて洗ってまだ眠くなかったのでテレビも消しちゃったし仕方なくパソコンを開いてみたら、2016年を締めくくるエントリを書いてるブログがたくさん目について、なんだ「今年は書かなくていいでしょ」なんて思っていたのはこの世界における僕のたった僕で、いやもっといるんだけどね、ブログアカウント持っていて一年の総括エントリを書いてないやつなんざ死ぬほどいるんだけど、それでも書かなかった僕の視界に入ったのはてんでわざわざ書いたやつばかりだった。それがなんだか面白くって、「ああ、そう」と僕は思った。僕は書かなかったけど、それは僕だけの都合で他の人は勝手に書いていた。それを僕は見て、内容はまだ全然ちゃんと読んでないんだけど、「そうか、お前らには一年なんか色々あったんだな、まぁ俺は知らないけど」と思った。それは、「ああ、俺もやっぱり書いときゃよかったなぁ」なんて話では全然なくって、ただ、俺が俺のいる場所から俺のいない場所を見渡せばチカチカとせせこましい光があって、それを見かけてわははと笑い、オーイと声をかける俺は、きっとその光がなければきっと黙ったままでいたのだ。何もないところにオーイと呼びかけるのはどうにも背中が寒くって、オーイと叫ぶ方角を誰だって探してる。その探してる視界の先に、僕がいたらと思うと僕はオーイと叫ばずにはいられないし、僕にそう思わせるのは僕の瞳に飛び込んでくる眩しくもなんともないずっと遠くのあなただ。以上です。

仗助は成長した。吉良吉影は成長を拒んだ。

上記の増田の言ってることはまぁすげえ分かるし何の文句もないのね。でもまぁ俺には俺の感想がある。こっちも読んじゃった以上書きたくなっちゃったから。そういうわけで、原作は過去に読んでるうえでジョジョ4部のアニメも全部見た人のざっくりとした感想です。

でもやっぱ見てて思ったのは、荒木さんってすごいブレない、明快な作劇をする人だなってことですよね。最初っから最後まで全部カッチリ決まってる状態で書き始めたんだななんて印象はまるでないけれども何が骨子なのか、テーマなのか、何と何の対立を描きたいのか、x軸は何でy軸は何なのか、すんごいぶっとい柱としてあるんだな荒木さんの中に、ってことは思った。

いや、なんつうかこう、あのシーンとあのシーンはこういう対比で!!みたいなかっちりしたことは苦手なんであんま言えないんですけど、なんかいちいち関心してしまう感じはありますよ。

まずメインの主人公格3人、仗助・億泰・康一、こいつらの成長がすごい丁寧に描かれてるってのは一目瞭然じゃないですか。それに対してラスボスである吉良吉影の向上心の無さってすごいですよね。「成長」とは真逆のコンセプトのキャラクターですよね。いや、吉良吉影という人間自体は自分の生活を守るために必死で、ある意味ではすごい向上心がある人間なんですけど、そうして生まれたアナザーバイツァダストについても過去に自分を吹っ飛ばす能力なんだから随分後ろ向きな能力ではありますよね。この対比がまずひとつでかくって。

4部のx軸y軸でいうと、「成長と停滞」みたいなのと「利己と利他」みたいなのってすげえわかりやすくあると思うんですよね。吉良吉影というラスボスは「停滞と利己」という最悪を突き詰めたバランスゆえのラスボスだったんだろうなと思うんですけど、その中途に現れる敵スタンドにおいても鉄塔男なんかはね、あのスタンドは露骨に「停滞」を象徴してたよなーとか、脳みそが足りないもんだから成長というか前進しか考えないネズミのスタンド使いが現れたのも印象的ですし、ジャンケン小僧みたいに露骨に成長を望む敵も多数、露伴もそうだしハイウェイスターの奴なんかもそうですよね。あくまでそれは二項対立ではなくってx軸y軸の話だから、別に後に味方になるやつでも停滞を望んだり、利己的だったりもする。しげちーとかは、初登場時の行動原理の自分勝手さは大したものだったのだけれど、なんか殺人鬼相手だと大変な男前になった。

あと、「成長と停滞・利己と利他」をテーマだと仮定すると、あの料理人は結構面白くって、個人にはそんなテーマを押し付けつつ、「町」を主人公にしようとするような話を作るにあたって「新陳代謝」をモチーフにしたスタンド能力が出て来るのはある種の必然であるようにも感じる。

自分が今どこらへんの話をしてるのか眠すぎてわからんなってきてるのでテキトーに進めますが、戻るに、増田の主張はまぁわからんでもない。承太郎がとどめを刺すのってどうなの?

これについて思うのは、たしかに吉良の顛末ひとつを見ればそういう印象にもなるけれども、遡って吉良の親父の写真のお化けの死に様を考えるとどうだろう、とかは思う。高校生のうら若き主役が手を血に染めてはならぬ、という配慮で大人の承太郎がでしゃばったとなればそれが納得いかないという人の気持ちもよくわかる。しかし、それでいえば仗助はわりかしにトリッキーな手で吉良の親父を(もともと死人とは言え)殺しにかかったのである(しかもかちかち山のたぬきみたいなエグい手で)。

子供をただただ大事に甘やかして殺人すら肯定している父を、仗助は実の息子に殺させて。で、仗助自身はその殺人鬼の息子を承太郎にとどめを刺させるの、なんか僕はすごく自然ななりゆきに思わされた。

成長と停滞でいうと、残る者、託す者、みたいなことも感じる。4部は高校生の面々が主にクローズアップされてたのは言わずもがな、彼らに何を教えてやるかが大人でもある。そこで良い部分を見せたのが承太郎で、悪い部分を見せたのが吉良だった気もする。ここらへんはまぁ「利己と利他」だったりもする。自分らの後輩に未来においてどうあって欲しいか、が「今」の在り方に直結する。そう考えると、承太郎と吉良ってとても鮮やかな対比だし、承太郎が吉良をぶん殴るのもすごい必然性に感じる。

あとは、そうね、荒木さん自身もジャンプにおける自分の立ち位置について考えると、ただの正義VS悪みたいなのはダルかろうな、とか思って。3部の主人公の承太郎を保護者役として登場させたのもそういう感覚がやっぱ本人の中にもあったのかなぁみたいなことはちょっと思った。

いや、でもどう転んだってねえ、ありゃあ青春で、成長で、奇妙な冒険でしたよ。ケチつけたい気持ちはすげえわかるけどなぁ、つけなきゃ駄目かなぁ。そこんとこ俺にはちょっとよくわからん。寝ます。以上です。