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ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

目上のおばさんどころか同年代にだって見つかりたくない人もいるんですよ!

タイトルからしてパンチ効きすぎてて、読む側も一目見て脊髄で「あ、ここらへん銃火器OKなんですね、了解です」と解釈しちゃうような上記エントリがまー面白いように燃えてまして。こうも燃えちゃうと話の内容自体はもうどうでもよくて燃えてることそのものが面白くなってきちゃうのは毎度のことながら罪深いですね。ヤギにティッシュ食わしちゃダメって言われてもだってあいつら鼻先にティッシュちらつかせてやったらめちゃめちゃムシャムシャ食べるじゃないですか。別にこっちだってヤギがティッシュ食べるところ見たくて見たくてしょうがないわけでもない。でもだって、食べるんだもん。あいつらムシャムシャむしゃむしゃティッシュむしゃむしゃムシャムシャ食べるんだもんむしゃむしゃ。「何こいつめっちゃ食うじゃん」ってこと自体が面白くなってきちゃうみたいなのあるじゃないですか、それと同じで炎上も「めっちゃみんなむしゃむしゃコメントしてるじゃん」ってのが面白くなってきて、まぁ読んじゃう。別にいくら読んだところでハッとするような知見が得られることも滅多にないんですけど、ヤギがティッシュ食ってるのをなんかずっと見ちゃうのと同じノリで読んでたんですけど。

はてなブックマークが盛り上がってるのはまぁいつものこととして、一番感慨深かったのはいつの間にかnoteはnoteのアカウントIDで容赦なく口汚いコメントを投げつける人たちがこんなにたくさん出てくるようなサービスに成長してたんだなってことですね。僕も最近ちょっとだけnoteまた触るようになりましたけど、やっぱ当初のイメージとしてはネットでのアウトプットにそこそこ熟れたセルフブランディングもある程度意識しながら遊べる人たちが使ってたイメージがあったわけですけど、そういう人らは他人の記事にあんな肩外れるんちゃうかくらいの勢いでうんこぶつけるみたいなコメントしませんから。つまりそれだけお客さん感覚でnote内をウロウロするためにアカウントを取得してて自分のアカウントのキャラがどうなろうと知ったこっちゃねえ層が増えてきてる、それだけ盛り上がってるってことなんだなって思いました。でもよく見たら投稿ゼロフォローもほぼゼロみたいなアカウントのコメントも結構ありますね。noteってアカウントがないとコメントできない仕様になってるから、どうしても一言文句言ってやりたくてアカウント取得するみたいな人もいるんですかね。牧歌的に思えたnoteも随分変わったなぁと思いましたし、今後もまた変わってくんでしょうね。わかんないですけど。

それで少し疑問に思ったのは、これって本当に世代論の話なの?ってことですよね。これ書いてる人は「SNSでつながりたくない人」として「目上の方々、おじさんおばさん」を挙げてるわけですけど、人によってはまぁもっといるじゃないですか。俺だって今でこそ29歳、完全におじさんに片足突っ込んでておじさんというぬかるみに長靴でガポッ!っていっちゃってもうビクともしない全く抜ける気がしない、こんなに抜けないのはきっと理科で習った何かしらの力が作用しているとしか考えられないからもう俺はこのままおじさんになるしかないんだ!そろそろシャンプーもメントールきついやつに切り替えなくては!って状態ですけど、当たり前ですけど以前はもうちょっと若かったんですよ。で、その頃、俺が誰とインターネットでつながりたくなかったかというと別におじさんおばさんに限らず同世代の若者ともつながりたくねえ奴とはつながりたくねえかったですよね。だって僕のこのインターネットの使い方見てよ? どう、この押し寄せる文字列? 本題入る前にうんざりするくらい無意味にヤギの話するんですよ? 見る人が見たらキモいなって思うじゃん。見る人が見たら面白れえんじゃねえかなと思って書いてますけど、これを面白れえとは絶対に思わないだろうなって奴には読んでくれなくていいやと思うし書いてること自体を教えてやる必要もないかなって思うじゃないですか。同年代でも「twitterやってる?」って聞かれた時に「やってるよ、アカウント教えようか?」って言っても別にいい奴と「一応アカウント取ってみたけど全然使ってないし、有吉とさま~ず三村しかフォローしてない」で会話終わらせたい奴がいるじゃないですか。じゃないですかって言ってるけど、たぶんその感覚、このエントリ書いた人の中にはあんまね~んだろ~な~。むしろこの人、どっちかっていうと「有吉とさま~ず三村しかフォローしてない」って言われる側だろ~って思うわけですよ。

賛否両論で喧々諤々としているコメント群を見て「まさにおじさんおばさんと若者が相容れないことを表してますね」なんてコメントしてる人もいるわけですけど、たぶんそれは全然違う。このエントリに文句を言いたくなる人ってのはおじさんおばさんではありません。たしかに年齢で言うとおじさんおばさんかもしれませんが、恐らく彼らはおじさんおばさんとして怒っているわけではありません。きっと彼らは「リアルの若者ノリにうんざりしてインターネットに居場所を求めたかつての若者」として怒ってるんじゃないでしょうか。

「まぁ高校生からしたら私もおばさんかもだけど」みたいなエクスキューズ入れてるわけですけど、そうじゃないんですよ。世代によって相容れる相容れないを語ろうとする思考からして、それは相容れない同世代を認識してないってことにほかなりません。相容れないこと自体は別に棲み分けすればいいだけの自然で仕方のないことだとしても、しかしそもそも相容れない同世代の存在すら認識していないというのはどういうことなのでしょう。それはつまり、彼らとは相容れないもう一方の人たちが棲み分けをするコストを一方的に被って実践してきたということです。そして、ある人にとってのインターネットっていうのは、まさにそういう棲み分けを試みた結果、辿り着いた地平でもあるわけです。 彼らからすると「来ないでください」と言われる前に出ていってやった先がインターネットだったりするわけです。

だからなんつーんすかね、おじさんおばさんが若者に怒ってるっていうよりも、おじさんおばさんなんかの明らかに目上の人といる時くらいしか息苦しさを感じない人がインターネット上で「この息苦しさなんとかしてよ」と無邪気に叫んだところ、インターネットには別に目上の人なんかいなくたって同世代と一緒に括られたって息苦しいのが当たり前でずっとその息苦しさと闘ってきた人たちがたくさんいて、そういう人たちの「私たちはその息苦しさをずっと感じながらもうまいこと騙し騙しやってきてるんだよ、甘えんな!」みたいな怒りが噴出した話だと思ったんですけど、なんかそんな感じです。

むしろ想像ですけど、喫茶店で「あたらしいスマホのやつ?で、いんすたぐらむ?やろうと思うんだけど」って喋ってるような40代の主婦は「おばさん来ないで」って言われても「あらごめんなさいね、でもおばちゃんにだってちょっとくらい遊ばせてよガハハ」って言ってくれそうですけどね。それを息苦しいなと感じるのも、まぁ個人の自由ですけど、「ガハハ」って笑うおばちゃんのInstagramむしろ俺超見たいけどね。目やに跡がすごい年老いたポメラニアンの画像を延々アップしてるおばちゃんのInstagramとかあったら俺は超見たいですけど。以上です。

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