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ルーキーと一緒

 嫁の義実家に一泊して、先日我が家に新たにやってきたルーキーと遊んできた。立会い出産ではあったが同時に里帰り出産というやつでもあり、これまで何度か彼と顔を合わせてはいたが一緒にうちのおかんが同行していて長居は気を使ったりとかまぁ色々な理由があっていずれの場合もせいぜい3,4時間の滞在、ちょっとジャイアントパンダの赤ちゃんを見に行く感覚でしか会えていなかった。なのでルーキーの彼を交えて家族三人で一夜を共に過ごすというのも初めてのことだった。

 

 彼がやってきて以降ずっと面倒を見てくれている嫁さんに尋ねるともうルーキーがかわいくてかわいくて仕方ないそうだ。なるほど、やはりそういうものなのか。しかし赤ちゃんってやつは確かにまぁどこを見ても頭からつま先までまるっきり赤ちゃんだ。たとえばほら足の裏を見てみろ、まだ一度も大地を踏み締めたこともない足の裏を。メルカリ的に言えば開封済みですが未使用、限りなく新品に近い状態です。彼の足裏を見た後に自分の足裏を見てみるとずいぶんまぁ30年かけて使い込んだもんだなとそれはそれで関心する。身体のパーツのどこをとってもそんな調子なのでその集合体である彼が嫁をしてかわいくて仕方ないと言わしめるのも無理からぬ話である。そこで僕は彼のなかにどうにか一つ、かわいくない場所を探し出してやろうと自分の腕の中にすっぽりと収まる彼の細部をまじまじと虱潰しに見てやることにした。いいかルーキー、お前の父親は目のつけどころが少し違う。それもただ無意味にだ。まぁそれは今後嫌というほど知ることになるだろう。

 そして僕はやがて一つ、人間には決してかわいさを鍛えることができない箇所を見つける。目玉である。瞳ではない。目玉である。目玉の親父がかわいいのは声が3割、身体が3割、入浴中頭に乗せる手ぬぐい4割である。これだけのフォローがないと目玉単体というものは決してかわいいもクソもない。もちろん人間の瞳というものは大人子ども問わず魅力的なものである。しかしそれは結局、瞼の形があって初めて成立するもの。目玉単体で考えてみればかわいいもクソもないのである。有村架純は頬の輪郭が隠れる髪型をしておけという話と似ている。私はキョロキョロと周囲を眺め回したりふいに一点をぼーっと見つめたりする彼の眼子をじっと睨みつけ、ギロギロと動く目玉の黒目と白目の境界を追い続ける。するとどうだろう、目玉じゃん。かわいくもなんともない、ただの目玉じゃん。初代バイオハザードのTOP画面のおっかねえ目玉とだいたい一緒じゃん。思い知ったかルーキー、お前にだってかわいくないパーツはあるのだ。満足気に瞳を覗き込む僕を彼は不思議そうに見返した。まぁそれは今後嫌というほど知ることになるだろう。

 

 彼は、人に抱かれていないともう絶対に何もかもを許さんという時があるようだ。どれだけ抱えて寝かしつけてやっても布団に置いた次の瞬間には顔をくしゃくしゃにして抱くなら今のうちだぞ泣くぞもう泣くぞという目をするのである。あまりにどうしたって布団に置いた瞬間泣くものだから私は布団に針でも埋まってるんちゃうかと疑った。ルーキー、お前の父親は検針済の三文字も鵜呑みにせずにまずはなんだって疑ってかかる男だ。そのめんどくささは今後嫌というほど知ることになるだろう。当然、針なんかは見つかることもなく、お前ではなく布団に原因があるのではとお前を信じた俺が馬鹿だった。

 ガキのお守りというのは自分も食わなきゃやってられないのだが、どうしたって抱いていないと泣くものだから誰かが見ていてやらねばならぬ。まずは僕が居間でそそくさとチョッパヤで食事を済ませ、嫁さんの自室に戻ると嫁さんの胸元からルーキーを引き受け「ここは俺に任せてお前は先に行け」感覚で嫁さんが食事をとるため部屋を後にする。どうにか彼には寝て欲しいため既に部屋の灯りは落としていてうすら暗い。ベビー向けのオルゴールBGMが小さく流れている。彼と僕が二人きりになったのはもしかするとこのときが初めてだったのかもしれない。嫁さんと彼とがこれまで毎晩過ごしてきた夜が、これだ。

 彼の身体を揺らしてやりながらぼーっとしていると、聞き覚えのあるメロディがノートパソコンから流れてきた。流れてきたのはオルゴールバージョンだが、僕にはその歌詞が頭のなかで容易に思い出せる。

「俺がついてるぜ 俺がついてるぜ 辛いことばかりでも 君はくじけちゃだめだよ」

 トイ・ストーリーの『君はともだち』だ。それを聴きながら彼の顔を見ていると、僕はなんだか急に彼がものすごい可能性の塊なんだなと思えてきて、なんだか感慨深い気持ちになった。後で嫁さんにこの時のことを話してみると、彼女も同じような経験があったらしい。彼女の時の曲は『となりのトトロ』の主題歌だったそうだ。

「子供のときにだけ あなたに訪れる 不思議な出会い」

 そうだ、彼は、これから、トトロに出会う。彼は、これから、ウッディに出会う。彼は、これから、出会うのだ。

 

 布団に落ち着いて寝ているかなと思ったら、彼は手を宙に掻き、脚を藻掻くようにパタパタとさせている。やがて掛け布団を跳ね除ける。おむつが気持ち悪いのかなと思ったらそうではなさそうだ。単純に暑いのかなとも思ったがそんな風でもない。空調も整えている手前、寝冷えしてもよくないので布団を掛け直してやる。嫁さんの言うことには、子宮の壁を探しているのではないかという。よその子のことは知らないが彼は胎動の活発なやつだった。それも蹴ったり殴ったりするというよりは、うようよとした手つきで壁の感触を確かめるような、壁の外側を探るような、まるでそんな胎動に感じられた。

 へえ、じゃあ彼はまだ子宮のなかにでもいるつもりなのだろうか。

 と、不意にうとうとしていたはずの彼が何かうめき声をあげるので僕は「泣くか?」とじっと身構える。しかしやがて彼は再びおだやかな寝顔に戻る。寝言だろうか。何か夢でも見ていただろうか。しかしそう考えてみた後に気づくがじゃあ彼が起きている時に見ているのは夢ではなく現実だとでも言うのか、それはまた随分彼を買いかぶった解釈なのかもしれない。彼はずっと夢を見ているようなものなのかもしれないし、もうそれは寝ても起きても現実を生きていると言ってもいいのかもしれない。ともあれ彼はここ最近、子宮のなかと母親の腕のなかとを行き来している。

 

 そんな調子で、ルーキーのご機嫌を窺いながら、彼女が普段一手に引き受けてくれている仕事を目と手とで確認しながら自分にもできるところは覚えながら、彼と彼女のいつもの一日にお邪魔して、あっという間に帰る時になった。彼女は僕に「帰っちゃうのか寂しいな」と言うので、僕もあなたと離れるのは寂しいなと伝えた。二週間足らずで彼と彼女は我が家へ戻ってきて三人の生活が本格的に始まるが、次に僕と彼女が二人っきりになる機会はどれだけ先になるのかは誰も知らない。それはきっと寂しいとは言わないのだろうが、では何と言うのか、僕は知らない。ともあれ僕は義実家を後にして一人家路についた。

 

 明け方、嫁さんのすやすやとした寝息が聞こえるなか、彼は布団の上で元気いっぱいに目を爛々と輝かせ手足を楽しそうにジタバタさせて、僕はそれを眺めていた。泣きそうな気配はないがどうにも寝そうな気配もない。そのくせ、こちらが放っておいて寝てしまおうとすると泣くぞ泣くぞの気配をちらつかせる。そうなると僕はずっと彼を眺めているより仕方ない。ジタバタジタバタ積もり積もって彼はやがて布団を跳ね除ける。僕は左手は自分の頭の枕にしたままそっと右手を伸ばし布団を掛けなおしてやる。

 彼はニヤッと笑いまたジタバタと手足を動かす。やがて布団を跳ね除ける。俺はそれを掛け直す。彼はニヤッと笑う。僕と彼とはそれを延々繰り返す。彼が何度も何度も短い手足を動かして跳ね除けた布団を僕は右手でさっとたった一手間で掛け直す。彼の為したことを一瞬で無にする。まるで世界の理不尽さを教えてるような、理不尽な世界との戦い方を教えているような気に僕はなってきた。僕は布団を掛け直す。彼はニヤッとまた笑い、健気に布団をもぞもぞと動かす。僕はそんな彼を眺めながら心のなかで「そうや興毅!来い興毅!その調子や興毅!ええぞ興毅!もう一本いくで興毅!」と繰り返していた(もちろん名前は興毅ではない)。

牛乳石鹸のCMが炎上してるやつの雑感

たぶん明日には消えてそうな動画でーす。

夫婦共働きでゴミ捨て担当してるだけのくせに辛気臭い顔してる父親が子供が誕生日だっていうのにケーキと誕生日プレゼント持ったまんま会社の後輩と飲みに行って帰るの遅れて妻に怒られて、それで風呂に逃げ込んで何悩んで自分が被害者ヅラしてるんだみたいな感じで絶賛炎上中です。

で、まぁそうだねぇとしか言い様がないんですけど、これ毎度のマジで会議室で何があったんだとしか言い様がないおっさんが酒飲みながら考えたとしか思えないやつに比べると「あ、たぶんこれあっこらへんをくすぐるつもりで作ったんだろうなぁ」っていうのはなんとなく想像はできたんですよね。

それを今から書きますけど、「このような意図が読み取れないまま非難してるやつは駄目だ」とか「読み取れたとしても他の部分にばかり言及してこの意図を重要視しないやつは駄目だ」とかは全く思わないんですよ。このCM大失敗です。そこは間違いない。この出来上がりを擁護することはできっこない。ただ、たぶんうまくいけばこういう意図が伝わる仕上がりになってたのだろう、ていうか「こういうテーマですよ」って説明してから偉いひとに出来上がり見せたんだろうなみたいなことをまずは思うんですよね。

まぁ結局「父親のあるべき姿って今と昔じゃ変わったよね」って話じゃないですか。昔は家庭を顧みず仕事に打ち込んで息子には背中しか見せないのがかっこいい父親であり、今はそうじゃなくて仕事より家族を優先するのが良い父親なんだよね、って話じゃないですか。まぁその「仕事」の象徴が「仕事ミスって落ち込んでる部下を飲みに連れて行く」なのは終わってますけどね。ていうかこれ単純に部下の尻拭いでカッコつけて一緒に残業しちゃって帰るの遅くなったとかならまだマシじゃない?もしかして「残業よくない」って風潮だけは反映させた?んなアホな。そこんところはマジで何で飲みになんか行かせたんだとしか言い様ないんですけど、まぁたぶんそういう意図で作られたものなんだろうなーってのはわかるんですけど。

ほんでまぁ僕はそういうのを読み取ったんですけど、別に僕はそういうのを読み取りましたってだけでみんなそれを読み取らなくてもいいんですけど、じゃあ読み取らなくても今書いたとおり、読み取るとかじゃなくて、今書いたとおりを読んでどうですかってところが気になるんですよね。

いや、この動画の感想いろいろ見てたらね、「意味不明」とか「何が言いたいのかさっぱりわからん」みたいな言い方がけっこう目につくんですよね。で、僕、このCMの出来上がりの擁護はしないんですけど、意味はわかるだろ、と思うんですよね。その価値観に賛同するしないと意味わかるわからんって全然別じゃないですか。

「やっぱり間違ってると思う」って言うのと「さっぱり意味わからん」って言うのは全然違うじゃないですか。どっち?ってのが気になる。僕はなんかそこらへんがすごい気になるんですよね。別に「擁護できる部分はある」とか「情状酌量しろ」とかそういうことを言いたいわけじゃないんですよ。ただ、賛成できない考え方は「意味がわからない」と言って存在すらしていないことにするのか、一旦存在していることは認めたうえで「でもこの描き方はおかしいよね」「だからってこの行動が許されるわけではないよね」と言うのか、お前らはどっちのやり方をする人たちなんだってことが俺のなかでは曖昧にしておけないところなんですよね。

だからーこうやって「たぶんテーマとしては、時代の変化で求められる父親像が変わって、子供の頃に憧れていた父親像が否定されてしまったことへの戸惑いみたいなのあるよねみたいな話をしたかったんだろうね、全然ちゃんと描けてないけどね」って言った時に、どうですか?ってことなんですよ。「いや、だからって誕生日すっぽかして電話無視するの駄目だろ」って言われたら「そうだね」ですよ。そうじゃなくて、CMの描写の話じゃなくて「こういうものを読み取ったんだけど、そういうことってあると思います?」って聞かれた時に「意味わからん」と言いますか?「そんなものこのCMからは読み取れないから存在しない。お前は何を言ってるんだ」って言いますか?ってあたりが気になるんですよね。

このCMが糞ってのは間違いないんですけど、もうこのCMの出来が云々とかの話ではなくてあなたは「うん、わかるよ、わかるけどおかしいよね」の「うん、わかるよ」の一手間を惜しむ人間ですか大事にする人間ですか?っていう話だと思うんすよ。

そしてそれは具体的に言うと「このCMは素晴らしい!男は仕事してればいいんだ!今の男も家事しろなんて風潮はやっぱおかしい!」とか言っちゃう時代錯誤な人と「このCMはひどいね、子供の誕生日なのにこんなことしちゃ駄目だよ。ただ、うちの親父も仕事ばっかで家にいない人でそれを子供の頃はかっこいいと思ってたし、自分も将来はそういう父親になるもんだと思ってたから、ちょっとこのCMを見て思うところはあるんだよね。家庭のために定時で帰る時にバリバリ残って働いてる独身の同僚を見てこれでいいのかなって少し不安に思うこともある」って言う時代に適応して良い父・良い夫であろうと日々努力している人を一緒くたに「この意味わからんCMの肩を持つ人」と見なすのかって話でもあると思うんですよね。この後者の時代に適応しようとしてる人への「うん、わかるよ」を惜しむ人ですか?その後に別に「でもね」が続いても全然いいんですよ、「でもね」が続いて良いとしても「うん、わかるよ」は言いたくないし必要ないと思う人ですか、みたいなことを考えていて。

なんだろ、白黒はっきりつけすぎじゃないですか?っていうと「世の中灰色もありますよね」みたいな話になりがちだけどそんな曖昧なややこしい話じゃなくて、黒くない部分と黒い部分があって、黒い部分の方が多かったら黒くない部分は存在しないっていうのはおかしくないですか?別に「昔考えていた父親像と今求められる父親像が違うということへの戸惑い」はそんなに白いもんでもないから「黒くない部分」と書きましたけど、でもやっぱ変化は求めつつ、変化することへの不安とか戸惑いは黒い忌むべき存在扱いするか、あるいは存在することすら許さないってのが最近のスタンダードならそれはしんどいよなぁ。

あとやっぱ単純にこのCMは駄目だなと僕も思うし、このCMそれ自体には僕はそれ以外何も思わないんですけど、「ひどい描写を一部含むのでこの表現に少しでも心を動かす奴はどうかしてる」みたいなのがあんまり当たり前になったらやだな、それは別にCMに限らずなんだけど、壇蜜の時はさすがにそんな話するところとも思わんかったけど、今回のはこれくらい書き残しときたいなと思った。

とりあえず今はCM主演してる新井浩文Twitterで要らんシモネタ言って変な感じにならないかハラハラしています。以上です。

 

『カリギュラ「オレオレ詐欺選手権」』が笑って泣けて最高に面白い

いいですか皆さん、「面白い」とは何か。まぁ人それぞれでいいんですけど、僕はこの問いに対してざっくりかつカッチリとしてそれでいてビビッドなひとつの回答を用意しています。

それは「たくさん入ってて、入ってるその全部が本物」であるということです。

インド演劇なんかでもよく言いまさあな、全部入ってなあかん言うてね。ラブがあってコメディがあって人情モノでかつサスペンスで敵がいて敵を倒すべき復讐の動機があって、平たく言えばあれもそういうことなのかなと思うんですけど僕のイメージはちょっと違うくて、インドの人らのこの掟はラブのシーンがあってコメディのシーンもあってアクションのシーンもあってとかそういうことだと思うんですけど僕がどうしようもなく「面白れー、最高だー」と思うのはそういう色んな要素が一瞬に同時にいっぺんに入ってるのを見た時です。ひとつのシーンに色んな要素が全部入ってて、そしてその全てがただ要素を増やすためにねじ込まれたんじゃなしに全部本物って瞬間、そういうのに俺はどうしようもなくグッとくる。

みなさん生きててご存知でしょう。この世界ってやつは、人間ってやつは、相反するようで表裏一体のさまざまなエモーションと共に一瞬一秒を駆け抜けてさらば気づけば老いて死ぬだけ高潔はときに愚直で、誠実は一歩間違えば狂気で、哀愁は少し角度を変えれば滑稽で、愛情は刹那の先には憎悪になるかもしれず、笑顔は諦めを意味するかもしれない。様々なエモを携えて生きるエルモだよ。人間だよ。全員狂っている前提では世の中回らないので、誰も狂ってないていで誰もがマトモを演じて生きる社会とエルモだよ。でもやっぱ俺は時々思うんだ、俺たちがこの複雑怪奇な社会の片隅であるいは真ん中で、こんなにもたくさんの感情を同時に抱きしめて生きてるだなんてまるっきり狂気なんじゃないかと俺は時々思うんだ。そのことをまざまざと見せつけてくれる瞬間、数多の感情が同時に沸き起こるコンテンツに触れたその瞬間、俺はどうしようもなく「面白れー」と思ってなんだか何もかもが愛おしい気持ちになったりするもんだ。

でね、それでいうと最近見たなかでね、そういう俺の琴線にバキバキにベタベタと爪痕と手垢を残していったのがカリギュラの「オレオレ詐欺選手権」です。Amazonプライムビデオに加入しているのなら誰でも見れます。今すぐ見れます。見ろ。加入者は全員見ろ。すごいんだってホント。

概要としては至極シンプルでね、実際のオレオレ詐欺の対策研究をしている専門家監修のガチオレオレ詐欺セオリーに則って芸人の実の母親にオレオレ詐欺ドッキリを仕掛けようって内容なんですけど。いや、これだけ聞いて「何も知らないいたいけなババアをいじめて笑いものにして相変わらずテレビバラエティっていうのは低俗極まりねえな」って思う人もいるとは思いますよ。これについてはもう何も反論できないからね。それを言われたら俺だってぐうの音も出ない。ただ、面白いんだよー。うん、最低だ、最低だけど面白いっていう、『駈込み訴え』のユダがあいつは酷いやつだと愛してるを繰り返す感じにならざるをえないよね。でもなんつーのかな、掃き溜めに鶴でもないんだよね。鶴は掃き溜めにいなくたって美しい鶴は鶴だから。ただ掃き溜めでしか見られないような、なんかオリーブオイルまみれの鶴。「お前めちゃめちゃなんかゴミとか弾くじゃん、よく見たらテカっててかっこいいじゃん!」みたいな、掃き溜めでしかわからない鶴の美しさみたいなものがあるのかな、わっかんねえけど。

とにかくそういう最低の企画なんですけどね。単純に「騙すテレビ」と「騙されるババア」に二分しちゃうとそんなに面白くないんですよ。ではまずこの企画を受ける芸人ひいては芸人と母親の関係について思いを馳せてみましょう。こんな企画、まぁ駄目じゃないですか。それでも企画を受ける芸人ってどういう人なんでしょう?まぁ少なくとも芸人の側で企画として成立するなと思える母親だってことなんですよ。だってそりゃそうでしょ、番組だとか番組じゃないだとかじゃなくてやってることオレオレ詐欺ですから、息子の仕事に理解もなくて息子のことがかわいくも何ともない母親だったら何がどうなるかわかったもんじゃないから、そうじゃない母親を持つ芸人が出て来るわけですよ。そこにあるのは一定の信頼関係ですよね。母は子への愛情があって、子もそんな母からの愛情を知っている。僕はそこには子から母への愛情もあると考えるのですが、本当に愛情があったらそもそもドッキリに仕掛けないだろうという考えもあるだろうでここは一旦保留しましょう。

そんな風に名乗りを挙げた芸人のおかんがね、名乗りを挙げたのは芸人であっておかんじゃないけどね、電話でオレオレ詐欺を喰らうわけなんですけどね、詳細は伏せますがまーこれがえげつない。ババアって基本的に優しい生き物なんです。かつそれは愚かとも直結してしまうのかもしれない。子をかわいく思えばこそ、電話越しに語られる息子の状況を聞くにつけ不安は増すし、冷静ではいられなくなってきて、子を助けたいと思えばこそ相手の言うことに従ってしまう。そんなババアの優しい健気な心に漬け込んで金を騙し取ろうなんてね、オレオレ詐欺は本当にひどい犯罪ですよ。シンプルにこの番組を見た後だとオレオレ詐欺への憎悪の気持ちが増すのでそれだけでも広く多くの人に見られて欲しいなと思う

ほんで、電話で騙されようとするおかんをね、詐欺師集団が電話してるすぐ横で息子である芸人がそれを見守るんですけどね、これがまたすごいいいんですよ。愛する母親がね、この世に唯一無二の母親が、いつの間にか自分よりうんとちっちゃくなってる母親が、騙されて脅かされてなだめすかされて、動転して悩み苦しみながら右往左往してるわけです。見ていて辛くないわけがない。その悲痛な表情。しかし一方でこれはバラエティ番組であって彼らの職業は芸人ですから、おかんにツッコミも入れなくてはならんのですね。詐欺師の常套句にほいほい良いように引っかかるおかんに対して「いや、あかんやん」「めっちゃすんなり聞いてるやん」「騙されてるやん」とおかんにツッコミを入れる≒おかんを責めるようなことを言うんですね。ただ言いつつも顔は騙されておろおろしてるお母さんを見ていて悔しいやらなんやらなんですよ。ここがまたね、フィクションじゃない実際のオレオレ詐欺の構図を再現してるようで俺なんか泣けてきゃうんですよ。実際のオレオレ詐欺被害の話題なんかでもよく見かけるんですよね、「これだけオレオレ詐欺が流行ってるのにどうして引っかかってしまうんだ」って被害者である老人を家族が責めてしまうケースが少なくないんです、みたいな話。お母さんが騙されて苦しんでいるのを見るのは辛い、できることなら騙されてなんか欲しくない、だからお母さんについつい「騙されるなよ」と言ってしまう、でも悪いのはお母さんなんかではなく詐欺集団なんだ、1から10まで全部詐欺集団が悪いんだ、どれだけえげつない手段で騙してくるのかも今眼前で見えている、騙されるのはお母さんが子供を心配するがゆえなのだから本当は絶対に責めちゃいけないんだ、でも人は時として責めてしまう、自分がその場にいなくって何もできない無力感からついつい責めるべきじゃない愛する人を責めてしまうこともある、みたいなのがね、全部入ってるように見えたんです、少なくとも俺には。俺にはね!

ちょっとだけネタバレになるけどね、母親が騙される一部始終を見届けた芸人に対してカメラ回してるスタッフが「これがオレオレ詐欺なんです」って言ったら芸人がそれに対して「絶対あかん!」って言うんですけど、これがもう俺には笑うのと同時にちょっと涙が出るんですよ。「絶対あかん」と心の底から思いながら「絶対あかん」って言う人って普段なかなか見れるもんじゃないですから、ほんでなんで「絶対あかん」って思ったかについても、本当に色んなもんが一つも混じりけなしに入ってるから、ちょっとこの企画は、すっげえなと思って。

いやーだからこれはちょっと、ほんとたくさんの人に見てもらってその感想を聞きたいし読みたいんですよね、僕。たださすがにね、ちょっとこの俺のテンションのあがりようはおかしいだろってのは自分でもわかってるんですよ。僕の持論で男はみんなしょせんロリコンかマザコンのどっちかっていうのがあるんですけど、僕それでいうと絶対マザコン側の人間でババアがもともと大好物なんですよ。抱く抱かないじゃなくてね、コンテンツとしてのババアが大好き。ディズニーリゾートには興味ないんでね、僕の視聴率を取ろうと思ったら犬・ラーメン・ババアってくらいババアには目がないですから。僕が大学に入ってからはすっかり両親の実家に帰省する機会も減ってね、数年ぶりに会いに行った祖母と一緒にスーパーを回ってるとね、ババアが言うんだ、「なんか欲しいものあるか、買ってやるぞ」って。「いや、特に大丈夫だよ、ありがとう」って言っても「そうかい?遠慮しないで言いなさい」って言って最終的に「靴下あるか?靴下買おうか?」って言い出すんですよ、大都会大阪で生きる大学生がね、ど田舎の町から一歩出たら誰も名前を知らないようなスーパーでわざわざ靴下欲しがると思うかって話なんですけどね、婆ちゃんは孫になんか買ってやりたかったんだよ。何かしてやりたかったけど、靴下買ってやるくらいしかできない距離に俺がもう行っちゃったからさ、だから婆ちゃんあの時に靴下買ってやりたいなって思ったんだと思うんだよな。俺のなかでのババアの象徴っていうのがだいたいそんな感じ。聖母のように愛したい意思だけが残って、けど身体は枯れて、十全に愛して包み込む能力は失ったのにまだ愛そうとするババアって存在がすげえ愛おしいんだよね、俺の中で。だからすげえ色眼鏡は入ってるんだ、ババアがすげえ輝いて見えるメガネ。なのでそうじゃない人、ババアに関しては完全に裸眼の人の感想とかも聞きたいんだけど。でもやっぱ俺と同年代、30から40くらいの、おかんがもうすっかりババアだなみたいな年代の男?女と母親の関係は俺ちょっとわかんねえんだけど、そこらへんの年代の男性は、やっぱただのバラエティとしてじゃなくて色々「来る」ものがあるんじゃねえかなと思うんだけどどうなんだろう。「老い」について考えさせられるっていうとそれはまた違うんだ、俺の身長は伸びなくなったけど母親の背中は曲がる一方だなみたいなそういう「年月」みたいなこととかもすごい考えて、なんだろう、すごかったな。すごかった。見て。これは見れる環境の人とりあえず一回、騙されたと思って見てみて。以上です。