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僕の「あちら側」

自分にとってのふつうとは違った形をしていて得体が知れなくて正面からまじまじと見据えるのがなかなかに堪える存在どもを人はたびたび「あちら側」に追いやる。そこには大抵の場合、嫌悪か憐憫か嘲笑かの色がつく。

そういう態度がいかにも立派だとは当然言い難いわけだけれど、それが彼らの世界とうまくやるためのせいいっぱいなのかもしれないな、とも思ったりする。

みんな、せいいっぱいでいっぱいいっぱいなんだなということが最近は想像できるようになってきた。みんな自分が一番かわいくてその次にかわいいものと次の次にかわいいものとを自分の都合で選んでる。そうして自分のかわいいものを全部抱え込むより遥か手前で気付けば両手はいっぱいいっぱいになっている。人間は優しくしたい風には優しくできない。人間は優しくしたいだけ優しくはできない。人間が優しくない生き物だとするならば、その理由は1日が24時間しかないからだ。1年でひとつ歳を取って100を待たずに死んでいくからだ。僕の目にはそんなふうに映っている。最近になって逆に一周して、最初はみんなヒーローになりたかったんじゃないかと僕は考えるようになった。そしてヒーローの影ひとつ見えない、今が、ある。

いっぱいいっぱいで安易に他者を「あちら側」に押し込めようとする人がいて、そんな人らをまた「あちら側」の心無い人間だと解釈する人がいる。そこに大した違いはないんじゃないのかという気が僕にはしていて、忙しない50年だか100年にただ誰もが右往左往しているのだろう。だから「あちら側」なんてものは実のところ存在しなくって、あえて言うならば僕の目の玉を直に見ることができるお前ら全部をひっくるめてが「あちら側」で、「こちら側」は僕の中にしかなくって、世界のどこにも「こちら側」なんてない。ただ眼前の世界を誰にも頼まれていないのに自分のことみたいに抱え込む僕でいたいなといういつも通りの結論になる。以上です。

 

料理酒の場所がどこか山賊みたいな聞き方をしてしまった

日記です。

料理酒が切れたから買ってきてくれと嫁に頼まれて「純米料理酒を買ってきてね、原材料のところに米と麹と食塩しか書いてない方ね、他に色々入ってる『純米』とついてない料理酒もあるから気をつけてね」と言われててくてくとスーパーに出向いて普段料理酒なんて買わねえからどこにあるのかわかんねーなーとプラプラしていたらお誕生日席?センター?什器が交差する十字路のところに特売品とか売ってるスペースあるじゃん。「あれなんて言うのか単語知らないんだけど」感覚で書いてますけど、棚卸し業界ではあそこは「エンド」と言います。前側がフロントエンドで、後ろ側がバックエンドです。むしろ俺はお前ら言葉を知らない奴らに合わせて知らないふりをしているんです。わかりましたか?わかりましたね。なんかあのごちゃごちゃしてる特売のところに料理酒が売ってるのを見かけたので駆けつけて見にいくと案の定というか混ぜものの料理酒しか特売コーナーには置いてなくって混ぜものは残るから駄目なんだよーと思ってそしたら店員さんが俺の横を通り過ぎていこうとしているのが視界に入ったので思わず呼び止めて特売とかじゃない本来の料理酒コーナーの場所を聞こうと思ったんだけどとっさのことだったので思わず口をついて出た言葉が「料理酒ってここにあるのが全部ではないですよね?」で、完全に「これだけの大きさの村だ、年老いたババアしかいねえってことはあるめえ」と匿われた若い女の居場所を聞き出そうとする村を襲った山賊と同じ言い方になった。教会にいます。以上です。

日輪のババアは見られていることに気付いた

日記でーす。

最近ラジオ体操を習慣化しようと毎日頑張ってるわけですが、まぁ何事につけ師匠を持つってことは大事なことでございまさぁな。漫画でもよくあるじゃないですか、凄腕のおっさんの遊びに付き合わされてクタクタになって「いい加減にしてくれよジジイ、いつになったら修行してくれるんだよー」とか言ってたらジャガーに襲われてね、「みえる……!!俺はいつの間にこんなに成長していたんだ……!見えるぞ!!今までなら目で追うことすらままならなかったジャガー達の動きが見える!!俺の喉笛を噛みちぎるところがスローモーションで見えるぞ!!」みたいな。駄目じゃねえか、喉笛噛みちぎられてるんじゃ駄目じゃねえか。見えてるだけじゃなくて避けれなきゃ駄目だろ、あるいはただの死に際のスローモーションだろそれ。みたいなのあるじゃないですか。つまり何をするにつけても、その道の先を往く師を持って事に臨むことが上達への近道なわけですね。だから僕もラジオ体操をしにジジイババアが50人くらい集う公園に毎朝通ってるなかでもただ漫然と通うんじゃなしにね、この公園で一番ラジオ体操が上手い老人は誰なんだ、と。俺より機敏な老人に会いに行くっていうそういう気概で臨んでたわけですよ。それで最終的に見つけたのがね、でかい公園でなんかその一角にでかいモニュメントがあるわけですよ、なんかいかつい漢字が彫ってあるモニュメント。実際に書いている文字をそのまま言っちゃうと身バレの恐れがあるので仮に「日輪」と書かれたモニュメントということで進めますけど、この日輪の前を陣取るババアがね、まー機敏なの。ラジオ体操の動きひとつひとつが何を目的に設計されているか、今どこの筋肉を動かすことを求められているかっていうのを完全に理解した動きなんだね。そのうえキレもすごくって、まぁとどのつまり参考になるんだ。だから俺さ、もうこの日輪のババアについてこいこうと思って、この日輪のババアを目標に、日輪のババアみたいにラジオ体操踊ることを目標に俺の2017年を組み立てていこうみたいな感じになって、「アタイも日輪のババアみたいに踊りたい」みたいな感じになって、それでもちろんあんまりジロジロ見てるのもアレだからさ、距離で言えば15mから20mくらいは空けて、もちろんその間には他のジジイババアが何人かいるような感じで、日輪のババアの正面から見ると遠い斜向いくらいの位置に、俺からすると視界の端っこに日輪のババアが入ってるくらいのところを自分の定位置にしてさ、毎日ラジオ体操を踊ってたわけ。そしたら今日さ、いつものように俺が6時25分に公園に到着していつもの場所を陣取ってちらと見ると日輪のババアは既に日輪のモニュメントの前にスタンバイしてて「ああ、今日もいるな」くらいで考えてたんだけど、そしたら日輪のババアがちらっとこっちを見たようにも見えたかなと思ったら日輪のモニュメントの後ろに引っ込んじゃってさ、天照大神じゃんって思ったんですけど、向こうも気付いちゃったんですよね、僕が日輪のババアをリスペクトして意識してることに。いや、向こうが「ああ、これはリスペクトだな」と気付いてるとは限らないけどね。むしろリスペクトだって認識してくれてたら弟子に取ってくれるはずだから。まーあんまり快く思われてないんだなってことに気付いてまじかーってなっちゃって。別にそんなガン見してたわけでもないし、距離もけっこう離れてるし立ち位置だってすぐ横には全然関係ないジジイババアのユニットがいて何だったらそっちに不審がられるならまだわかるけどくらいの全然ふつうのところにいたつもりだったんだけど、いやババアには申し訳ないことしちゃったなと思って。ごめんなババア。明日からはババアの視界に入らないように俺の視界にもババアが入らないように新しい定位置探すから、また機敏に舞ってくれよな、ババア。

で、ここまで読んだ人からするとさ、「いやズイショ、ババアだって女性なんだからそういうの気になるに決まってるだろ、最初からジジイを師と崇めろよ」って思うじゃないですか。ただね、みなさんも実際に行ってくれたら分かると思うんですけどああいう場所で向上心を持ってラジオ体操に取り組んでるのはだいたいババアだね。ジジイは完全に社交の場として来てるから。もっと言えばババアと喋りにきてるから。だから全然駄目だね。逆にジジイがそんな調子だから日輪のババアが不審がって警戒するのももっともなんだよ。いや、ほんと、ババアには悪いことしたな、申し訳なかったなと思いつつ、こういうのって本当に死ぬまでやらなあかんのなって思った。以上です。