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日輪のババアは見られていることに気付いた

日記でーす。

最近ラジオ体操を習慣化しようと毎日頑張ってるわけですが、まぁ何事につけ師匠を持つってことは大事なことでございまさぁな。漫画でもよくあるじゃないですか、凄腕のおっさんの遊びに付き合わされてクタクタになって「いい加減にしてくれよジジイ、いつになったら修行してくれるんだよー」とか言ってたらジャガーに襲われてね、「みえる……!!俺はいつの間にこんなに成長していたんだ……!見えるぞ!!今までなら目で追うことすらままならなかったジャガー達の動きが見える!!俺の喉笛を噛みちぎるところがスローモーションで見えるぞ!!」みたいな。駄目じゃねえか、喉笛噛みちぎられてるんじゃ駄目じゃねえか。見えてるだけじゃなくて避けれなきゃ駄目だろ、あるいはただの死に際のスローモーションだろそれ。みたいなのあるじゃないですか。つまり何をするにつけても、その道の先を往く師を持って事に臨むことが上達への近道なわけですね。だから僕もラジオ体操をしにジジイババアが50人くらい集う公園に毎朝通ってるなかでもただ漫然と通うんじゃなしにね、この公園で一番ラジオ体操が上手い老人は誰なんだ、と。俺より機敏な老人に会いに行くっていうそういう気概で臨んでたわけですよ。それで最終的に見つけたのがね、でかい公園でなんかその一角にでかいモニュメントがあるわけですよ、なんかいかつい漢字が彫ってあるモニュメント。実際に書いている文字をそのまま言っちゃうと身バレの恐れがあるので仮に「日輪」と書かれたモニュメントということで進めますけど、この日輪の前を陣取るババアがね、まー機敏なの。ラジオ体操の動きひとつひとつが何を目的に設計されているか、今どこの筋肉を動かすことを求められているかっていうのを完全に理解した動きなんだね。そのうえキレもすごくって、まぁとどのつまり参考になるんだ。だから俺さ、もうこの日輪のババアについてこいこうと思って、この日輪のババアを目標に、日輪のババアみたいにラジオ体操踊ることを目標に俺の2017年を組み立てていこうみたいな感じになって、「アタイも日輪のババアみたいに踊りたい」みたいな感じになって、それでもちろんあんまりジロジロ見てるのもアレだからさ、距離で言えば15mから20mくらいは空けて、もちろんその間には他のジジイババアが何人かいるような感じで、日輪のババアの正面から見ると遠い斜向いくらいの位置に、俺からすると視界の端っこに日輪のババアが入ってるくらいのところを自分の定位置にしてさ、毎日ラジオ体操を踊ってたわけ。そしたら今日さ、いつものように俺が6時25分に公園に到着していつもの場所を陣取ってちらと見ると日輪のババアは既に日輪のモニュメントの前にスタンバイしてて「ああ、今日もいるな」くらいで考えてたんだけど、そしたら日輪のババアがちらっとこっちを見たようにも見えたかなと思ったら日輪のモニュメントの後ろに引っ込んじゃってさ、天照大神じゃんって思ったんですけど、向こうも気付いちゃったんですよね、僕が日輪のババアをリスペクトして意識してることに。いや、向こうが「ああ、これはリスペクトだな」と気付いてるとは限らないけどね。むしろリスペクトだって認識してくれてたら弟子に取ってくれるはずだから。まーあんまり快く思われてないんだなってことに気付いてまじかーってなっちゃって。別にそんなガン見してたわけでもないし、距離もけっこう離れてるし立ち位置だってすぐ横には全然関係ないジジイババアのユニットがいて何だったらそっちに不審がられるならまだわかるけどくらいの全然ふつうのところにいたつもりだったんだけど、いやババアには申し訳ないことしちゃったなと思って。ごめんなババア。明日からはババアの視界に入らないように俺の視界にもババアが入らないように新しい定位置探すから、また機敏に舞ってくれよな、ババア。

で、ここまで読んだ人からするとさ、「いやズイショ、ババアだって女性なんだからそういうの気になるに決まってるだろ、最初からジジイを師と崇めろよ」って思うじゃないですか。ただね、みなさんも実際に行ってくれたら分かると思うんですけどああいう場所で向上心を持ってラジオ体操に取り組んでるのはだいたいババアだね。ジジイは完全に社交の場として来てるから。もっと言えばババアと喋りにきてるから。だから全然駄目だね。逆にジジイがそんな調子だから日輪のババアが不審がって警戒するのももっともなんだよ。いや、ほんと、ババアには悪いことしたな、申し訳なかったなと思いつつ、こういうのって本当に死ぬまでやらなあかんのなって思った。以上です。

ラジオ体操はいいぞ

日記でーす。

最近、ちょっと色々環境が変わりましてバタバタしてまして、必然暇で暇で仕方ない時に今更置き石するような年齢でもないし消去法の最後に残った選択肢として書いてたブログの更新頻度は必然減ってるわけですね。いや、年齢を問わず置き石しちゃ駄目だろと思ったみなさん、ネットで申告される反社会行為を叩いていれば世の中が良くなると信じて疑わないみなさん、そのくせリアルに目の前でキシリッシュの赤いヒモをほどくとシュルルッと取れるあの頭の部分の蓋みたいなゴミ、あれをさも気付いていない風に歩きながら落とすおばさんに何も言えないみなさん。そんなあなたが僕を裁くというのですか、「このズイショ、この言い振り、こいつ絶対昔置き石してましたよ、許しちゃいけませんよ」と糾弾しますか? 僕はかつて、カラスでした。とても知恵の働くカラスでした。クルミの中身を食べるために僕は色んな工夫をしたんです。たとえば、クルミを線路の上に置いて砕くだとか、嘴に石を咥えてクルミにぶつけてみるだとか。そんなことを繰り返してるうちに僕はふと思ったんです。電車はクルミを割れる、石もクルミを割れる、じゃあ石と電車はどっちが強いのだろう?賢いのかアホなのかわからない疑問を賢いカラスの僕は持ってしまったのです。そしてその疑問の答えを遂に明らかにしようとしたその日、僕が石を置いた線路の向こうからやってきたのは、街に届けるために鶏卵をぎっしりと積み込んだ貨物列車……、線路は畦の上、季節は秋、実るほど頭を垂れる稲穂かな、史上最大スケールの卵かけご飯が、今始まる。とりあえず「日記でーす」から始まって日記が一行も書かれてないんでここで切り上げますけど、カラスは石でクルミを割ったりはしないんで「そうなんだー」と思わないように気をつけてくださいね。クルミをすげえ上空から落としてアスファルトに叩きつけて割るみたいな知恵はかまします。石咥えるやつの元ネタは、石でダチョウの卵を割るハゲタカです。映像見るとびっくりするんで興味ある方は是非。

それでなんだっけ、そう、環境が色々変わって生活の仕方もバタバタしてるんでね、どうせならもっとドンドンバタバタさせてやろうってことで、習慣的に身体を動かそう思いまして。若い頃はガリガリやったんすけど、さすがに結婚しておっさんなって肥えてきてもうたのもあるし、ちょっと身体動かそうかってなって歩く時間とか作ろうかななってるんですけど、言うたら僕の家の近所の公園でラジオ体操やってるなーってことに最近気付いて。それに行ってみようかなーって思ったんですよ。これみなさん、近所の公園でラジオ体操やってるって聞いたらせいぜい10人たかだかジジイババアのテラスハウスがジャングルジムを背景に繰り広げられてるくらいのを想像してるでしょ、そんなもんじゃないんですよ。僕んちの近所の公園ってまぁまぁでかくてですね、それこそ女子供も入り乱れる夏休み時期なんかになるとですね、あのダーウィンが来たとかどうぶつ奇想天外でみんな見たことあると思うんですけど、ウミガメの卵が一斉に孵化してみんな一斉に海を目指す映像あるじゃないですか。アレくらいの勢いでラジオ体操をするために6時30分に老若男女が大集合するんですよ。なんだそれ気持ち悪りっ!

ちなみにウミガメに関しては卵を産んだ時期はてんでバラバラだろうにどうしてあんな一斉によういどんで孵化して這い出てくるのかって言うとですね、月の満ち欠けが関係してるんですよ。ウミガメの赤ちゃんはまず埋められてた卵から這い出て砂をかき分け砂浜に這い上がってきて地上に出るわけですが、陸ってのはウミガメの赤ちゃんにとって危険がいっぱいなんですね。鳥とかキツネやタヌキの仲間とか、とにかく捕食してやろうって天敵が陸には盛りだくさんなんです。とは言えども、砂浜に穴を掘って産み落とされてしまう以上、それはもうどうしようもない。ではウミガメの赤ちゃんはどうするかというと、生まれてすぐのイの一番にウミガメの赤ちゃんが挑まなくてはならないミッションはただ一つ。一刻も早く天敵のいない海へと逃げ込むことです。そこで重要になってくるのが潮の満ち干きです。満月、つまり満潮の時は、潮がもっとも深く砂浜の浅瀬の方まで流れ込んできて、また海に引き込もうとする力も強いわけです。ウミガメの赤ちゃんが海まで逃げ込むのにもっとも有利な環境というわけですね。なので、ウミガメの赤ちゃんたちはこの好機を確実に逃すまいと一斉に産まれ、そして一同で海を目指すのです。卵の中のウミガメの赤ちゃんたちが一体どのようにして潮の満ち干きや月の満ち欠けを察知しているのかは未だによくわかっていませんが、ウミガメの赤ちゃんたちの生への執着は私達も見習うべきところがあるかもしれませんね。ちなみにこの段落は、100%僕の「どうせこんなところだろう」という想像で書いているので、ウミガメの赤ちゃんが一斉に孵る理由がちゃんと知りたい人は自分で調べましょう。ちなみに僕はこのエントリを書き終わった後に調べます。

そういうわけで行ってきましたよ、ラジオ体操。さすがに冬だからかな、ウミガメの赤ちゃんほどの人数はいませんでしたね(じゃあなんであんなにたくさんウミガメの赤ちゃんの話をしたんだ、しかも嘘の)。それでもまぁ結構な人数のジジイババアがいまして、それも一個のユニットのジジイババアじゃなくて、ユニットがすげえたくさん無数にあるんですよ、テラス団地みたいになってるんです。もちろんソロジジイとかソロババアとかもいるんですけど、でもあれちゃんと数えてないけどやっぱ50人くらいはいた気がする。俺が着いたのは3分前くらいだったんだけど、本当にみんな楽しそうでラジオ体操が待ち遠しそうでね。そんなにラジオ体操を楽しみにしてお前らラジオ体操が終わってからの今日の残り17時間どうするねんってくらい楽しそうだったんですけど。やってみたらこれが超楽しいのね。ラジオ体操とかやったのほんとうに義務教育以来くらいの勢いだ思うんですけど、これがすげえ楽しい。十代にやらされてた当時はさ、若いから身体はほっといても伸び伸び動くし、頭使わなくてよかったんだよ。今やると、やっぱ身体が鈍いぶん頭を使うようになってるから、それ踏まえてラジオ体操すると本当に全身の筋肉を丁寧にほぐしてやる目的で構成されてるんだなっていうのがすげえわかるの。こりゃすげえ!ってなりますよ。だからやっぱすげえ楽しかったですよ。で、そのラジオ体操やってる場所まで俺は走って行ってたんですよ、それでもやっぱ身体の芯からは暖まらねえなぁ仕方ねえわなぁと思ってたんですけど、ラジオ体操の第一と第二をがっつりとこなしてからは全然寒くないのね。身体が温まってるんだ。すごいねアレ。本当にすごいと思う。キーボードの配列考えたやつマジですごいな、とラジオ体操考えたやつすげえな、がだいたい同じ感じ。明日以降も起きれたら行きたいなぁ。

なお、今日見たなかで一番面白かったジジイは、ラジオ体操第一と第二のあいだで行われる首の運動をくわえタバコでやって、ラジオ体操第二のイントロのミュートになる部分にあわせて指先でタバコをパーンと弾いてポイ捨てして直後にラジオ体操第二の最初の運動である小ジャンプを当たり前の顔でこなしていたジジイね。超笑ったし。ただ漫然と生きてたら何十年生きたところであんな感じにしかなれないのなら一日一日を懸命に頑張らなくてはならないな、と思った。以上です。

恵方巻きなどしょせんは細長い握り飯それに節分を託すなど笑止千万開いた口が塞がらない豆を売ることを忘れた日本人米に頼る日本人嗚呼嘆かわしや米神話を信奉するより仕方ない日本人変わるのだまず豆を豆から取り戻せ節分は豆を撒け黙ってないで豆を撒け巻きずし食うな豆を撒け

胸に手をあてて考えてみろまずお前たちは本当に豆を売ろうと誓ったか豆を売ってやろうと脳は汗をかいたかかいたのか?かいてないだろう?お前らは安易に豆を売って米に手を出した。いや違うか豆は売ってないのか豆を売らずに米に手を出したんだ。豆を捨てたお前たちの米は果たして我々国民に届いているのか俺はそれをとても疑問に思っているんだ恵方巻きなどしょせんは細長い握り飯どうしてそれを特定の何気ない日取りに我々が手に取るものだとお前たちはどうして確信したか俺にはわからないんだ豆を撒かずに米を食うのか米なら食うと思ったお前らの卑しさに俺はほとほと呆れ返っているんだ恵方を向いて黙って巻き寿司を食えというストーリー、そこには鬼が不在だ鬼が不在なんだ前も悪もないそんな抽象的な物語を我々が許容すると思った、お前はそうやって俺たちを見下したんだ俺はそこのところが許さない。鬼が出てこない物語、それで俺たちが踊ると思ったお前らの性根が俺はどうしても許せないんだ。鬼はいる。豆をぶつけられないならぶつけられないでいいが鬼はどうしたって必要不可欠だ。お前たちはまず二月から鬼を奪った。恵方巻きを食べてる最中に喋ると鬼が来るよ。そう一言付け足すだけで鬼は二月に留まることができたんだお前たちは鬼の居場所を奪った。鬼ありきの人間を蔑ろにしたんだ。コラボレーションしにくいんだ恵方巻きというイベントは買い切りパック感があるんだ。一息に食えという指示がおれには二月三日という日を無色透明にしているようにしか思えない。だった黙った食えというじゃないか。黙って一息に食えというじゃないか。そうすればもう、最初に食うか最後に食うかしかないではないか。最後に米なんて食えるか馬鹿馬鹿しい、必然一番最初に食うしかないが、三角食べとかできないのだ、ただ恵方巻きを食べるしかない。食べきってからオードブルを食べる子どもたち、そこにいる子どもたちの顔は食前酒感覚で恵方巻きを食べたような顔をしているのだ。足かせだ。本当ならもっと唐揚げを勢いよく食べれるところ、節分ということで恵方巻きを食わざるをえず、唐揚げで満たしたかった胃の空きスペースを恵方巻きに奪われて、そんな悲しい子供の笑顔を俺は見たくなんかなかった。一体誰が喜ぶというのだ。何気ない節分を、こんな風にしてしまったのは誰だ。ただいそいそと豆を食べていたかっただけなのに、どうしてこんな、海苔巻きて。ジャンクフードじゃん。サッと食ってパッと仕事に戻れるやつじゃん。どうしてそんなものを年中行事にしようとしたの?そのうえインフルエンザが流行りがちなこの時分になんで手で食うものを流行らせようとしてるの?流行られてたまるか俺は許さないぞ絶対に許さない豆を取り戻せ豆を撒いて拾ったあの頃を思い出せ思い出すんだ恵方巻きを食ってる今よりずっと楽しかっただろうがよ。前を向けよ。豆が転がってるだろ。俺たちはそっちに行くんだよ。恵方巻きってなんだよ恵方ってなんだよおかしいだろうがよ絶対に。そんな、めざましテレビの視聴者にレンジを絞ったような年中行事を俺は絶対に認めない。たとえ、恵方とeffortがかかっていたとしてもだ。