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2017年最初の洗髪はボディソープでした!!

あのー、僕結婚して今回で5回目くらいの正月だったんですけど、いつからだったかな今回で3回目くらいかな元旦は嫁の方の義実家に泊まりに行く風習になってきたんですけど。結婚する以前とその直後とかは、もちろん向こうの家にお邪魔する機会は作ってはいたんだけど、泊まるってとこまではなかなか踏み切れなくてですね、僕もまぁあんま勝手のわからん家にいるのも落ち着かないし向こうだって娘が「こいつええで~~~、アリやで~~~」って連れてきただけのよくわからん男を家に置いとくのも財布の金抜かれないか不安だったりとかあると思うんですよね、「なにその1万円以上入ってた時は2千円まではバレないみたいな自分ルール!?」みたいなのあったと思うんで、いや抜いてないけどね、なにぶん僕らの住む家から電車で1時間と少したかだかの距離だったのもあってそれまでは義実家に伺っても日帰りみたいなのが常で、別に仲悪いとか本気で嫌だとかでは全然ないんですよ、ただなんかお互いに気を遣い合ってる感じもアレだしね、金にはなってないけど一生懸命で忙しいカメラマン志望としがない事務OLのカップル的に言えば「私たち、あんまり一緒にいないほうがお互いラクなのかもね」的な、あるいは飼いやすいんだけど懐きはしないんだよねみたいな、互いが互いにハリネズミかそういう種類の猫みたいな感じなもんなのでこれくらいの距離感がお互い一番気楽なのかなと思ってやってたんですけど、ここ何年かでちょっと考えを改めて泊まりに望んでたわけなんですけど。それで、年々、たぶん向こうも俺も少しずつ懐いてはきてるんだよね、そんな肩組んで二人で電信柱にタックルするみたいなそういう陽気な打ち解け方ではないよ。どんな打ち解け方だよ。傍から見ても全然わからないかもしれないけど、いやほんと義両親すごいシャイな人なんだ。お義母さんとか、たまに間違えて二人っきりになったらちょっと好き同士の中学生みたいな沈黙になるし、お義父さんと二人になっても会話はするんだけど兄はすべてを知りつつそれを言わないし弟の方も実はすべてを知ってるんだけどそんな兄の思いを汲んで知らないふりをする10年ぶりに再会した腹違いの兄弟みたいな感じになるんですよ。ぎこちないんですよ。表面上はすげえツーカーというか話を合わせてるんですけど、翼くんと岬くんみたいな胡散臭さがそこには流れるわけです。そんな義両親なんですけど、そんなところから始まった僕達なんですけど、やっぱ数年スパンでやってると、それなりにお互い少しは気を許せるようになってくるわけです。それは、そんなホントにポジティブなものなのか実際のところはよくわかりません。「こいつとの付き合いは今後10年20年と続くんだからいつまでもよそよそしくしてたってかったりいだけだな」みたいな損得感情が互いの胸の内に発生してるだけの可能性だってあります。しかし、それでもいいと思うんです。そういうところから出発していつか本当に何か名前があるような関係性になれれば十分すぎると思うので結果オーライではあるわけです今年の正月はそういう意味ではここ何年かの集大成でした、ギュッと距離が縮まった。夕方くらいにお邪魔してお酒を互いに注ぎ注ぎ晩酌と晩飯が並行して始まって、僕も向こうも結構楽しそうで夜は更けていったわけですけど、それで「ズイショくん、お風呂どうする?」なんて言われてね、俺はそれに対して「じゃーすいません、頂きます!」なんか言ってね、それで寝間着と替えの下着を持って風呂場に出向いてシャワーだけ頂くわけですけどそこで僕ってやつは初めて気付くんですよ。僕、この家でお風呂頂くの初めてだったって。そうだ、去年まではさ、そんなにお互い距離感が詰まってなかったからさ、俺もなにせ人の家が落ち着かないタイプの人間なもんだからさ、どうせ起きたら帰るだけだし無理してここでお風呂もらわなくたって家に帰ってから入ったらいいやと思って歯を磨くのに洗面台を借りることはあってもお風呂入ったの今年が初めてだったんですよ、それでまぁお風呂もらうつもりも別に今年だって来る段階では全然なかったから流れでお風呂に入っちゃったもんなんでそれに気づいたら急に恥ずかしくなってきちゃって、さっさと用だけ済ませてあがろうと思ったんだけど用意も何もしてないから頭を洗うにしても身体を洗うにしてもその家の浴室に置いているものを使うしかないのね、それでとりあえずボディソープで身体をさっと洗って流してさ、あとはシャンプーだけしてあがろうと思ったんだけどパって見たら、ちょっと異様な光景なのね。例えば我が家だったら、K-1ファイターくらいの髪の長さしかない俺は市販の安い何でもないシャンプー使ってて、割りとロングで綺麗な髪してる嫁さんは俺あんま把握してないけど俺が使ってるのよりは少し良いお値段のするようなシャンプーを使ってるわけですね。コンディショナーの説明を同じように挟むのかったるいんでそこは濁しますけど、つまりだから俺の分と嫁の分とで二つのシャンプーがあるのが例えば我が家の浴室なわけですけどね、それでいうと義実家の浴室は、嫁が使ってるような高いシャンプーひとつしか置いてないわけなんですよ。すっかり忘れてたーすっかり忘れてたよなー、犬。

犬「わん!!!!」

今年もよろしくな、犬!!

そうなんです、すっかり忘れてたんですけど、僕の義父、毛髪薄いのを吹っ切ってスキンヘッドに舵を切ったタイプのスキンヘッドだったんですよ。だからお義父さん用の気軽に使えるシャンプーがこの浴室、この宇宙には存在しないんですよ。俺はこの宇宙の真理にフルチンで気づきましたよ。だからシャンプーはお義母さんが使ってるちょっと良さげなシャンプーしかなくって、ここでなんか調子こいて風呂まで頂いてしまった自分を後悔し始めるネガティブセンサーが働いてきてよくわからなくなるわけですけど、我が家でもシャンプーに関してはお互い住み分けが出来ていて、俺のシャンプーとお前のシャンプーがすごい明確に屹然としているわけです。縄張りじゃないけどそれに近い感覚があって。例えば猫ちゃんなんかだと自分の縄張りをマーキングするために壁に肛門をこすりつけたりスプレー状の尿を撒き散らしたりするわけじゃないですか、そのイメージがあるので僕にとって誰かの縄張りとかパーソナルスペースを犯す行為というのはそれくらい失礼な行為なんじゃないだろうかみたいな意識が働くわけです。そうなると、もう使えませんよ、わかんねえけど迂闊にこのシャンプーを使って、それを以って肛門こすりつけられたとか尿を吹きかけられたと思われたらどうしようと思ったら、もうそこにあるシャンプーは使えませんよ。それで僕は仕方なく、2017年最初の洗髪、ボディソープで頭を洗ったのでした。頭を洗ったのでした。ボディソープで頭を洗うと基本的にバサバサなるからね。バサバサの頭で何が言えるだろうをモットーに今年も頑張って何か毒にも薬にもならない文章を書こうと思います。以上です。

君よ餅で死ぬな誰も餅で死ぬな

そういうわけで新年あけましてぼちぼち正月ムードも終わりになってきてるわけですけれども、やっぱり今年も餅を喉に詰まらせる事故が各地で多発してるようで中には亡くなられてる方もいるようでほんに毎年毎年どうにかならんもんかねって思うんですけど、まず気になるのは実際どれくらいの人が餅を喉につまらせてるのかよくわかんねえなってことで、よく考えたら毎年餅の事故件数のニュースって都内で何件みたいな感じでしか報道されてねえような気がするんだよな。今ニュースを検索してみると地方紙のネット版で何件か死亡事故の記事が出てくるだけで全体の実態としては全然わからない。過去分の統計がないかとかも軽くググってみたんだけどせいぜいこの記事の中に「消費者庁が東京消防局、政令市消防局などの窒息事故の報告(2008~10年の3年間)のうち原因食品が明らかな2414件を分析すると、餅が406件と最多で、19人が死亡」という記述があるくらいで、これだって数字をそのまま3で割って「毎年約130~140件の餅をつまらせる事故があってうち6~7人が亡くなってる」としていいのかよくわからん。だって政令指定都市の数って日本に20そこそこでそこでカバーしている人口って3000万人たかだかなわけです、むしろ政令市消防局がカバーしていない田舎の人間の方がみんな餅を食うわけじゃないですか?都会は各家庭に臼と杵が一つずつとか考えられないでしょうけど、田舎ではそれが普通だからね。あと村には土俵も必ず最低一つはある。今のは完全にあかん偏見と大嘘が混ざってますけども、それに加えてやっぱ政令指定都市は栄えてる街ですから若者の人口比率も高いと思うんですよ、この統計に加味されてないところに実はまだ見ぬすげえたくさんのジジイババアが眠っているって考えるとやっぱ実際の餅を詰まらせてる人の数っていうのはもっともっと多いんじゃねえのって思うんですけど、今ちょっと間違えて金鉱みたいな言い方なりましたけども、ゴールドラッシュならぬジジイババアラッシュみたいな言い方になりましたけども、まぁ言うてこれは何か俺の調べ方が下手とかもあると思うので、誰か知ってる人いたら教えて。で、人間は馬鹿なので、自分の耳に入ったことだけでこの世のすべてがまるっとパリッとわかると思っちゃってる節があって、例えば地元紙で「1人餅で死にましたよ」ってニュースを見かけて、そして全国区のテレビニュースで「都内で2人死にました」ってニュースを見かけるとするじゃないですか、そしたら人間は勝手に「日本で餅で死ぬのは毎年たったの3人か、じゃあ俺がそんな低い確率を引いて餅で死ぬわけがあるめえな」って思って、それで餅食って死ぬ人が毎年ほんとはもっとすげえたくさんいるかもしれないわけですよ知らんけど。ここの数字をもっとしっかり出して「毎年こんなにたくさんの人が亡くなってるんですよ」って言うことができればもうちょっとマシな注意喚起になるんじゃねえのって思うんですけど、だいたい交通事故の数についてはたぶん全国津々浦々の情報もしっかりまとめてそこそこ正確そうな数字を出しているのに餅詰まらせる事故についてはざっくりでいいのか、みたいな。もう気持ちの部分から俺たち餅に負けてるんじゃないかとも思うんですよ、餅を諦めてるというか、餅を詰まらせて死ぬ人が出るのは仕方がないことなんだみたいな潜在意識が我々に餅の危険性を直視することから背を向けさせているのではないか的な。いや、ちょっとググってhitしなかっただけだから本当はかなり正確な餅による死亡事故件数みたいな統計があったらごめん。今年末から注意喚起に叫びまくるんで是非教えてください。これ余談の全然関係ない話になりますけど、僕はけっこう正月の嫌いなところの一つに挙げられるくらいそもそも餅が食べるの嫌いなので余計なんとかならんかなそんなことで命を落とすなんてそんな悲しいことはないと本気で思うんですけど、特に事故の原因になりやすい大きいお餅なんて僕からすると最悪ですね、餅ってどの食い方をしても基本的に味を全然吸わないじゃないですか表面ちょっと申し訳程度に味が染みるだけでその1ミリ先は完全に餅の味しかしないわけじゃないですか、もうちょっとお前も気を使えよと。朱に交われば赤くなる的なやつはないのかと。表面だけで中は真っ白のまんまじゃん。完全に餅のまんまで全然交われてないじゃん。それでお前よくそんな涼しい顔してられるな。それやられちゃうとこっちは、うわー表面以外の9割がたは餅の味しかしねーなーって思いながらモソモソと餅食うしかねえんだわ。俺はそういう餅の、男友達だけでむさ苦しく旅館に泊まってワイワイやろうって時に一人だけ浴衣を着ないでジャージでいるやつみたいな、餅のそういうところがどうしても好きになれないんですよ。UNOにはちゃんと参加してるんだからいいだろみたいな顔をされてもさ、一体感が大事なんじゃないか、男だけなんだからちょっとはだけてボクサーパンツが見えるくらい気にしなくたっていいじゃんかよジャージじゃなくて浴衣着ようよみたいな、そういうところって餅にはあるじゃないですか。むしろ、なんかその餅の表面以外の餅の味のところを味わうと味気ないからみんな噛まずに餅食って喉につまらしてるんじゃねえのとすら思うし。危ないからみんなちゃんとみんな餅噛もうよ。噛んで餅の味しかしないのが嫌なら最初っから餅なんか食うなよ。とは言ってもね、これは単純に食べ物の好き嫌いとして餅が嫌いなやつの言い分なので本当に餅が好きでやっぱ正月は餅食べたいって人の気持ちは全然わかるし尊重したいんですけどね、一年の始まり正月くらいはね、って言いますけどよく考えたらそんな毎年死亡者が出てるような危ない食べ物を毎年毎年ほぼ一年のブランクがある状態で食うのおかしいだろ。甲子園の北海道代表も本州の暑さにいきなり適応することはできないからビニールハウスの中でストーブ炊いて練習したりするんだよ。それと一緒だよ、なにをお前ら何の準備もなくいきなりぶっつけで餅食っちゃってんだよせめて10月くらいから徐々に慣らしていけよ。ベンチプレスと一緒だよ、理想を言えば8月くらいから約半年をかけてだよ、最初は大豆くらいの大きさの餅から始まって徐々に徐々にサイズを上げていくんだよ、それで1月の本番に照準を定めて元旦どれだけ大きな餅を食えるかみたいな結局危ねえじゃねえか。いやでもよく言うじゃないですか、練習でできなかったことが本番でできるわけないって。餅も一緒ですよ。だからどうしても正月に餅食いたいやつはむしろ日頃から餅食えって。なんだろな、あとはドーピング感覚でめちゃめちゃお餅が滑らかに喉を通っていくローション砂糖醤油とか作ったら売れねえかなぺぺ砂糖醤油みたいな商品名で。まぁでも、もう最悪今後はVRだよね、それか孫がじいちゃんばあちゃんを自撮りしてあげてスノーで餅食ってる風に加工してやれるようにするか、何かしら実際の餅は食わずともまるで餅を食ったかのような満足感を得られる方法を考えていくのがいいよね、餅味のガムでも噛みながらVRゴーグルでゆーとぴあみたいに伸びる餅食ってる気分味わえたらそれでもうよくない?ちょっと待って、餅味のガムって何?浴衣着ようよなんだよ餅味のガムって。とにかくこれ、ふざけてるわけでもなんでもなく、俺だって親戚に年寄りようけいるしね、そいつらが平気な顔して自分は全然関係ないと思って優雅に餅食ってて周りもそれを普通だと思ってるのにすげえハラハラしちゃうわけですよ、現実問題食うなとは言わないけどね、餅ってワンチャン死ねるからねって意識がどっかにあるのとないのでは全然違うと思うんですよ、「ばあちゃんそのお餅ちょっと大きくない?」とか言えるだけで全然違うと思うんですよ。だからこうやって僕はね、ここまで読んだ人なら次に餅を見た時に絶対思い出すような文章を、そういう文章を今年も書いていきたいなと思うわけですよ。今年もよろしく。そして来年もまた元気に会いましょう。君よ餅で死ぬな誰も餅で死ぬな。以上です。

出遅れた2016年暫定賛歌

ブログ、という自分の好きに文章を書いていい場所があるんですけど(おでんつんつん動画をアップさえしなければ何を書いても何人殺そうが亜光速のがんもどきで何人のこめかきを撃ち抜こうが全く問題がない場所)、一年の締めみたいなものを、今年は明確に「今年はもう別に書かなくていいでしょ」と思って書かないでいて、大晦日だって言ってんのに麻辣ピーナッツが置いてあるファミマを探してチャリで15kmほど放浪してその間にポケモンの卵が3,4とか孵り、そういえば年越しそばに入れる刻みネギを買い忘れていることに気づきスーパーに立ち戻ったものの言わずもがな俺がそんな理由でスーパーを訪れたのと同様にその日は誰しもが一年で一番にネギを求めた日だったものだから刻みネギはとうに売り切れていて、本当のことを言えば殴りかかったらたぶん勝てるしかつネギを持ってそうなジジイはたくさんいたのだけれど、良いお年をの気持ちでネギは諦めて家に戻り、風呂に入り、風呂から上がり、酒を飲み、紅白を眺め、オリラジが縁起物に昇華した瞬間を見かけ、それで年を跨ぎ、揚げと海老天の両方を乗せたしかしネギがないそばを食い、嫁と今年もよろしくねなんて言って嫁は寝て、それでテレビを点けてて嫁に寝れないんだけどなんて言われても嫌なのでテレビは消して、お皿を片付けて洗ってまだ眠くなかったのでテレビも消しちゃったし仕方なくパソコンを開いてみたら、2016年を締めくくるエントリを書いてるブログがたくさん目について、なんだ「今年は書かなくていいでしょ」なんて思っていたのはこの世界における僕のたった僕で、いやもっといるんだけどね、ブログアカウント持っていて一年の総括エントリを書いてないやつなんざ死ぬほどいるんだけど、それでも書かなかった僕の視界に入ったのはてんでわざわざ書いたやつばかりだった。それがなんだか面白くって、「ああ、そう」と僕は思った。僕は書かなかったけど、それは僕だけの都合で他の人は勝手に書いていた。それを僕は見て、内容はまだ全然ちゃんと読んでないんだけど、「そうか、お前らには一年なんか色々あったんだな、まぁ俺は知らないけど」と思った。それは、「ああ、俺もやっぱり書いときゃよかったなぁ」なんて話では全然なくって、ただ、俺が俺のいる場所から俺のいない場所を見渡せばチカチカとせせこましい光があって、それを見かけてわははと笑い、オーイと声をかける俺は、きっとその光がなければきっと黙ったままでいたのだ。何もないところにオーイと呼びかけるのはどうにも背中が寒くって、オーイと叫ぶ方角を誰だって探してる。その探してる視界の先に、僕がいたらと思うと僕はオーイと叫ばずにはいられないし、僕にそう思わせるのは僕の瞳に飛び込んでくる眩しくもなんともないずっと遠くのあなただ。以上です。