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種を蒔く

今年、年齢でいえば39になるのだが39を迎える前に死んでも驚かないかなと思うしだらだらもう少し生きるのかもしれないとも思う。ひとつ思うのはまだまだ頑張って生きて何かを残したいという欲望よりも、これからもっと色々よくなるところを死後見守りたいみたいな願いの方が強い。自分にできることよりも自分より後ろの人に託したいことのほうがたくさん思いつく。もちろん、おじいちゃんになったつもりはないので明日からもまたやっていくんだが、今日はそんな気分。

 

・人にやさしくしたい

人にやさしくするのは難しい。人にやさしくしたら人にやさしくされるとはビタイチ保証などないからだ。誰かにやさしくして恩を仇で返されることなんてしょっちゅうだ。でも、それを人にやさしくしない理由にしてはとてもつまらない。それでもきっと人にやさしくした方がいいんだろうと思う。僕の一例でいうと、僕は失敗して痛い目にあった時にそれをおもしろおかしく話せるようにしている。この前こんなことがあってさ、良かれと思ってこうしたんだけどさ、わかってもらえなくてこんなひどい目にあっちゃった。そういうふうにせいぜい10人に笑い話ができれば、1個の失敗なんか元が取れるでしょう。

 

・誠実でありたい

誰かを蹴落として駆け上りたいなんて考えたこともない。みんなと一緒に良い景色を見たい。誰かを蔑ろにしたくない。一方で、誰かの頭を踏みつけることを当たり前にしてる人間と仲良くはしたくたない。そういう奴らにへらへらしたくない。自分が何を大事にしているか誰から見てもわかるような自分でいたい。

 

・論理的でいたい

痛みや嘆きに寄り添うことは簡単だ。だから、誰にでもできるとも思う。じゃあ僕はいいかなと思う。たぶんそれは僕の役割ではない。それが不要だとは思わないけど僕の役割ではない。それが寄り添わないという結果になっても、僕はじゃあどうするかを考えたい。役割分担。

 

ひとりの人間に出来ることは限られてるから精一杯なんて言葉があるのだろうと思う。それで別にいいと思うし、身の程をわきまえないよりかはわきまえた方がずっと健全だ。言葉にするとどれも本に書いてることばかりでうんざりするけど、僕がやるべきことはこの程度かと考えるとしっくりくる。これだけでいいんだと贅沢にすら感じる。

 

以上です。