2024年は良い年でした。社会人になって十年以上の時を過ごしましたが2023年末に初めての転職をして、人生2社目の会社で楽しくそれなりに過ごした2024年でした。
初めて同人誌を作ったのも思い出深い2024年でした。数えるのもめんどくさいけどいつからか「もうブログ嫌だな、インターネット嫌だな、不特定多数に向けて文章を書くことにはなんの意味もないな」と思うようになって、本当に書きたい特定少数に向けての文章以外は極力書かないようにしていました。炎上するのが怖いというよりかは「お前らがアホだから俺みたいな人の助けになる文章を書くやつが書くのやめちゃったよ、世界の損失だよ、やーいやーい損失損失ばーかばーか」みたいな気分で。そして、僕のささやかな自慢のひとつとして、僕は内省のために言葉を綴ることって全くしない人なんです。日記とか書いたことない。誰かに読んでもらう予定がない文章を書く理由が、少なくとも僕に限ってはそもそもない、と思っていて。なのでインターネットのバカさにいいかげん付き合いきれなくなった僕は、文章を書くことひいては表現することから全く疎遠になっていたここ数年だったというわけです。
もちろんインターネットの外のリアルの世界では元気に仕事をしていたわけですが(もっと言えば仕事もまあまあインターネットにずっぷりな仕事をしていますが)自分が面白いと思うものを人に見て欲しいから作って出すってことからめっきり離れてたんですね。
で、それで別に生きてるうえでの不都合は取り立ててなかったんですがなんやかんやあって、同人誌でも作ってみるかと思い立って、どうせやるなら全力でやるかと頑張った結果、それなりに良い本が作れてそれなりに期待されてそれなりに買ってもらえてそれなりに読んでもらえた。ピーキーファジーメモリーズという本です。
本を作ろうと思い立ったのが1月か2月で、それを実際に売ることになった会場が12月1日の東京文学フリマ。我ながらずいぶんのんびりしたやつだなと思いますが、それでもまあ世に出せたからいいんじゃないかな、上等だと思います。当日の売り子労働はとっても楽しくて、インターネットのやつらなんかアホばっかでもううんざりと思ってた僕に「ズイショさんのブログ読んでて」と声をかけてくれたり自分のアカウント名を報告してくれたりしてくれる人たちがたくさんいて、僕が書いていたことを好意的に受け取ってくれている人たちと対面するということはとても稀有なので、それはすごく嬉しかった。あとズイショさんに声を掛けてくれる人、軒並みみんな声がちっさい。お前ら全員腹に力を入れろ。背筋を伸ばせ。シャンと立った方が声出るから。ぼそぼそ喋ってたらどんだけ良いこと言ってても「ぼそぼそ喋ってるな」という印象が勝っちゃうから。あと、頑張って聞き取っても内容がよくわかんなかったからもうちょい整理しろ。でも、僕だって本当は気が弱くて去勢を張るコツをテクニックとして獲得してるだけで、自分の思ってることが蔑ろにされないためにテクニックで補強してるだけの人間なのは自分が一番よくわかってるので、僕の文章を読んで何かしらを受け取ってくれた人たちがどういう人たちなのか対面して知ることができたことはとても嬉しい出来事だった。俺が今までやってたことは誰かに届いていたんだと泣きそうな思いだったが次から次に人が来ていつもふざけてるズイショさんを演じるのに忙しくて、泣いたのは全てが終わってアパホテルにチェックインした後だった。本を買ってくれた人たち読んでくれた人たち、本を作るのを手伝ってくれた人たち、本当にみんなにありがとう、今から首吊り台に立つ人の顔で素直にありがとうと思う。
本の売れ行きはちっぽけな同人サークルとしては大成功、別に二次創作じゃないので具体的な数の報告をしてどれだけの利益が出たか報告しても本当は構わないのだろうが、なんかややこしそうなのでそこは控える。文フリ界隈でSNSで宣伝うまいやつばっか売れちゃうのはどうなんだみたいな議論も起こってて、「これ完全に俺も言われてるよね?」と自意識過剰に申し訳なく思ったりもした。
それで「2024年は良い一年だったな〜」と呑気に満足していたら、クリスマス手前のとある夜に人生で過去に経験したことがないほどの希死念慮がやってきた。ここ数年はあんまりなかったんだけど久しぶりにやってきたと思ったら「よその子の成長は早いね〜」てくらい大きくなってやってきた。冷静になるために一人になるために家を飛び出したものの、近所に川があるのがまずい。飛び込んだら100%死ねる川がある。これはやばいぞと思った僕はそういう時のセーフティーネットを事前に構築していて、年に一回連絡を取るか取らないかの話せるやつを準備していて、そいつらに片っ端から電話して、ひとりふたり応答があればなんとかやり過ごすことができたので事なきを得た。応答してくれた相手とはお互いの近況や世間話をして、最後に実は今死にそうだったので本当に助かった応答してくれてありがとうと伝えた。あとで「すいません、寝てました!」とかLINEで言ってくる人にはすでに死にたい気持ちが萎んでるので「おう、突然すまんな、また今度!」みたいな返信をしている。
そんな夜を乗り越えて思うのは、結局2024年は良い年だったということだ。良いことがありすぎたので、その後の些細な嫌なことの積み重ねがとんでもない落差になってしまったということだろう。ジャッキーチェンで例えるならば、人生なんかおもろいことなんか何ひとつないと思ってた時は中華飯店のテーブルに叩きつけられた程度のことが、変に良いことがあると何階から落下してんねんってなるみたいなそういうことだ。このくだりジャッキーチェンでたとえる意味ある?
俺は嬉しくて舞い上がるようなことが今年たくさんあったのだ。だから、第九がよく似合う一年を過ごした年末に死にそうだった。そして、教訓を得た。俺はこれからも、油断をすれば舞い上がる。舞い上がれば重力に引っ張られてまた強く強く地面に叩きつけられる。これを肝に銘じなくてはならない。振り返ると変なジャックポットだったのかなと思う。誰も俺の文章なんか読んでないでしょ、誰も俺に興味なんかないでしょ、そういう風に考えることが俺の文章を書き続けるための必要十分条件だった。褒めてるやつも文句言うやつも知ったこっちゃねえよと思ってやってきたけど、会っちゃうと、眼差しを向けられると、嬉しいから。10年分のジャックポットに押しつぶされそうになってたんだろうな。
今回はギリギリで耐えられたけど、次はそうはいかないかもしれない。次っていつさ?また10年後?そん時俺いくつよ死ぬって。小出しにしようかな、ライフワークにしようかな。あくまで俺が死なないため、ジャックポットをショボくするため。本を作ろうか、何を作ろうか。10年分報われると死にたくなっちゃうことがわかったから、小出しにしていきたいね。生きてていいんだってフラットに思うために、創作しなくちゃならんのけ?めんどくせ〜〜
なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せを集めながら2025年以降をやっていきたいと思っています。
アイラブユーとか、お前はそのままでいいんだよとか、寒くなってきたからあったかくして寝なよとか、お前はおもろいとか、コンプラ的にはまずいかもしれないけど私はあなたという個人が個人的に好きですとか、言えない言葉はたくさんあるけど伝えたい思いがたくさんあって、それを伝える手段が向こうから襖が開いて日が差した。それだけは確かな一年でした。
もう一度、愛してるを伝えるやり方を考えてるところ。所信表明です。
以上です。