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踏み切り台としての100の質問と、拘束衣としての100の質問

なんかこの前100の質問みたいなのやってたじゃないですか。あれなんかすげー同時多発的にやってる人いたらしいんですね。言うて種明かしは簡単で、俺に促した人がいてね、人偏に足で促すで動かされるなんて堪ったもんじゃない働いてなんていられるかよ来い!お盆来い!って俺が両の手を祈りの形にがっぷり四つに組むことで徐々に徐々に連休が近づいてきてるわけじゃないですか、まぁなんか促した人がいて、その人に促された人がほかにも何人かおったってだけの話だったんでしょうけど、光GENJIのローラースケートみたいにみんなダダダーッと同じタイミングで100の質問に答えてたら、なんかそれにまた呼応するように100の質問に答える人らがバババーッと出てきてね、ジュニアの方がよっぽどローラースケート上手だよねみたいな感じになってて面白かったんですけど、そういうの見かけて面白かった話と面白くなかった話をします(バーン!!)。じゃあ始めます。

僕たぶんいわゆるインターネッツに触れ始めたのがたぶん2000年より手前とかで、今もこうして危ういアカウントの運用とかやってますけれどもこれでも結構触れてた時間は長いんですよ。炙ってるエイヒレを危なっかしく素手でひっくり返すババアが一人でやってるような傾いた居酒屋あるじゃないですか、大体あんな感じなんですけれども、そういう感じで長らくやってる身としては100の質問とかぶっちゃけ、すんげー昔に通り過ぎたところだったんですよ、あの駄菓子のマンボウレベルの糞懐かしい感覚で遊んでたわけだったんですけれども、なんかあのマンボウ菓子、プラスチックの筒の部分ガッチガチ噛む奴とかいませんでしたっけ。それが偉いの?ってなるレベルで誇らしげに全部噛むやつ、いたなーとか思うんですけれども、100の質問をたぶん10年以上ぶりにやりましたけど、自分がやるのでも人がやってるの見かけるのでもめちゃ糞面白いんですよ。これノスタルジーなのか!?と一瞬思って、マンボウのあの外壁の部分、さっき俺プラスチックって断言してたけどそもそもアレって何!?あの何!?を噛んで、噛みながら遠足の帰り道を延々或いてて最終的にマンボウとの因果関係は知らないけど、草むらの方に駆け寄って何かしら吐いてた朝倉くん!朝倉くん、青い顔して列に戻ってたけど、短パンから露出した腿から脛からめちゃめちゃ何かしらの虫にやられまくってボコボコになってたけどね、この件に関してはマンボウなんも悪くないけど朝倉くんはマンボウ悪くないしむしろ何も悪いことなんて起こってないみたいな顔してはったけども脚ボッコボコやったけどね刺されてて、みたいなノスタルジーチェックはもちろん入りますけど。あと、この話に関係ないから黙ってたけど朝倉くん、無駄に双子だった。今思い返しても、伏線と機能することのない双子だったんじゃないかなぁと思う。たぶん俺の人生の登場人物とかそういうことじゃなくて、二人とも別個にそれぞれの人生を歩んでただけなのかなぁって気が最近はする。

100の質問というものに、ここ最近で突然色んな人が答えてるのを見かけて、10年とか前と比べてすげえ面白いなと思うのは、その効能が全然違ってるってことなんですよね。これ、観測範囲の問題って言われたらそれまでなんですけど、10年前の全盛期って、100の質問は踏み切り台だったわけですよ。みんなロールモデルがないわけですから。長々と時間と文量を掛けて自分を開陳する術をあんまりみんなよくわかってなかったんですよね。僕もそうでした。今でこそこうやって、改行がない読みにくい死ねって言われていますけど、これはそれなりに僕が自分の思ったことを思ったままにディスプレイの向こうの貴方に、そう今自分の左手の中指を根元までスッポリと咥え込んだ貴方に、どんな貴方だよそんな貴方いるかよ、そんな貴方に僕を開陳するために獲得した言い回し書き回しであるってことはこれ言えるわけですよおちんち~~~~ん、昔はこういうのあんまりなかった。繰り返すに観測範囲の問題もあると思いますけどおちんちん、どうにも自分というものをあけすけに語る技術というものを持っている人が非常に少なくて、数少ないそれを真似られる人も大変特殊な扱いを受けていて、それでもそういう人らと同じように自分でもあけすけに自分のおちんちんの形を4択でアンサーチェックして頂きたいような人がいて、そういう人らのためのテンプレートとして100の質問というやつは機能してたんじゃねーかなと思ってたわけです。

で、時は流れて現代、2014年ですよ。ちんちんピーンってしてね、寝る前はちんちんピーンって人差し指の爪で弾いてた俺もすっかりカイゼル髭の生えた現代ですけれども、このタイミングでみんなが100の質問やってるの見かけるの糞面白いんですよね。再三繰り返して恐縮ですけど、再三繰り返すといえば、違反に断固とる対応をとるためにレース始まる前に違反モーターの定義をさんざ語るあのエプロンの兄ちゃん思い出すけどね、再三繰り返すにこれ個人的な観測範囲の話があるかもしれないですけど、やっぱみんなブログ書くの慣れてきてるんだなって思うんですよ。かつて踏み切り台として機能していたはずの100の質問が、足枷になってる感じがめちゃめちゃ面白いんですよね。ある程度の文量をしたためて我が意とせんとのおちんちんがなるべく上を向くように、みんな頑張ってるわけじゃないですか。得意領域みたいなんを10年前と違ってみんな携えてるわけですよ。100の質問の一問一答形式っていうのはそういうそもそもの書き手のフィールドを一挙に蹂躙してるんですよね、僕自身もこうやってちんちんピーンちんちんピーン右手でちんちんピーンしてるから左手で割きイカ食べよっかなみたいな駄文を書き連ねてるわけですけれども、そういう機微がすごい出てるわけですよ。

これは僕自身やってみて思ったことなんですけれども、やっぱそういう自分のいつもの書き方・喋り方を制限されるようなところで何しか文字で埋めてくださいねなんて言われちゃうと、思いのほか思ってもいないことを喋ったりしちゃうもんなんですよ。好きなもんとかあんまそういえば普段言わないよなー、とか。なんか、まぁ、俺がそうだからなんですけど、そういうの見るのめっちゃ面白かったですよねー。あと、単純に一問一答的な構成、例えば見出しつけるの好きな人たちのいつもどおり感、真新しさの無さ感、そういうの含めて笑ってたんですけれども、まー如何に自分が今まで使ってなかったものを取り入れるのか、自然に取り入れるための方法論としてのおちんちんピーンみたいなところはありましたよね。実際の俺のおちんちんは人差し指如きじゃピクともしないから。岩だから。以上です。岩。