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炎上して自殺したっぽい小泉さんを見かけて思ったこと

ブログが炎上して自殺した小泉みつお議員は一体何を書いてしまったのか?

http://gigazine.net/news/20130625-koizumi-mitsuo/

 

インターネット面白炎上おじさんが、インターネット炎上自殺おじさんになってしまいました。死は、どう転んだって面白いもんじゃないですね。

僕もインターネット大好きおじさんをやっているのでやっぱこの件をどういう風に位置づけたらいいもんかなーとか時たま思いを馳せる瞬間というのがこの数日ありました。あーちゃん、のっち、小泉さん。のっちのっちかしゆか小泉、あーちゃん小泉中島知子くらいの頻度で考えました。カンヌのやつかっこよかった。

まぁ極端に分けると「炎上させたお前らが殺したもんやで派」と「自業自得やで派」になりますよね。それで言うとどっちでもないからめんどくさいんですけど。

まず、炎上させたお前らもうちょっと暴言慎めよ派っていうのは、まぁ分かるんだけどそれを言っても実用性の無さがすごいので、その立ち居地で旗を掲げる人らってのはちょっとめんどくせえなこいつ、て気もします。ネットで他者の振る舞いを制限するのって超むずいですよね。というか無理ですよね。その前提を突っぱねて「お前ら、そういうこと言うなよもー」っていうことにどれだけの意味があるのか。「割箸は環境に悪いからやめましょう」が正しいとして、「洗って使いまわせる箸をこちらでは用意できませんので各自My箸をご持参ください」みたいなレベルですよね。誰が持ってくるかよボケが、って話です。My箸を持たない人間は一定以上減るわけがありません。

対する「自業自得だろざまぁ派」の人には、まぁそんな調子の人はもう死ぬまでそのスタンスでいくのでしょう。良い悪いではなく、そういう人ら一定層いるだろう、て感じです。そのスタンスの有象無象を変えてやろうっていうのは無茶なので、まぁインターネットのそういうノリは人為的活動の結果といえども天災と割り切ったほうが考えやすいんじゃねぇかなと思います。イナゴを説得するよりかはイナゴに襲われない生き方を啓蒙した方が早いよね、ていう。

こう書くとイナゴ寄りっぽいんですけど、僕はたぶんイナゴしない方ですし、小泉さんざまぁとも思いませんし、同情じゃないんですけどぶっ叩けばいいとも思えず、困ったなと思うんですけど。

インターネット革命みたいなもんがあるとして、なんすかそれって話になると結局手間が減ったよね、てことに尽きると思うんですよね。「誰でも発信できる!」というのは今更耳にできたタコが腐れてただれ落ちてそんな耳は犬でも食わねぇよっていう陳腐な言い回しですが、誰でもお手軽にほぼタダで発信できる以上それで誰かが損しても一向に構わねぇやってことなんだと思います。例えば昔は、誰かが書いたもの言ったことを発信しようとなるとすげぇ手間だったわけで、今でもそりゃありますけど新聞でも雑誌でもテレビでもまず多くの人に届けるのにすんげー手間がかかってるから、それでわざわざ発信したものが糞だと困るから人間の一人や二人でも校閲なり編集なりやらせるよう雇ったってそいつらの人件費なんて広く発信するインフラ構築費用に比べたら誤差だから、ちゃんとコスト払うからまともな内容にしといてねってことだったんだろうなとかテキトーに思います。で、そのインフラがタダみたいなもんになったら編集も校閲もいちいちやってらんねぇよ、全部自己責任でよろしくね、てなってるのが今のインターネットなのかなぁと明日お風呂入る時に思うことにしました。

ちょっと迂回するんですけど、乙武さんがちょっと前に炎上してて弁解ブログが糞じゃないっすかってのがありました。その時に僕が思ったのが「実際に出版された本はめちゃんこ面白い物語なんだけど、初回原稿赤ペン入りまくるような人だからネットやってない小説家とかいそう」みたいなことです。結局コストがかからないということは本来必要なコストも惜しまれるようになるってことなのかなぁ、とか。誰かブログ原稿チェックしたれよ、って炎上のたびに思いますけど、タダで発信する情報のチェックをタダでするなんていちいちやってらんねぇよって話なんでしょう。一人でできちゃうんだから一人でやりなさい。一人でやらざるをえない。

僕がそんなことを考えてて思い出すのは、小学生中学生の時にやっていたそういう遊びです。例えばカセットテープに自分がパーソナリティになったつもりで録音するラジオとか、無地のノートに書き殴った漫画とか、あと僕なんかは親父がビーバーなので家に木材がたくさんありましたよね。そこに鏡文字で原稿を彫り上げて一枚一枚バレンを押し当てて自分だけのオリジナル新聞を作って家族や友人に配ったりとかしました。もともとダムにするつもりだった木なので湿ってていい感じにやわらかくなってて彫刻刀が面白いようにスルスル進むっていう。そういうのみんな若い頃はやってたと思うんですけど、やってない奴は全員その場で死にかけて腸を引きずりながら帰れと思いますけど、そういうのあったと思うんです。ただ、それを世界中の人に見られてたらと思うとゾッとしますよね。当時は、コストはないか自分で払える範囲でしか払えないので、拡散は当たり前ですけどしないわけです。せいぜいクラスメイトに「つまんねぇよ」って言われるくらいで。その「つまんねぇよ」が全国から飛んでくるかと思うとゾッとしないですよね。いや、そのリスクまさに負ってるのが今書いてるこの文章なんですけど。恐ろしい時代になったもんだ。

なので、あっちゃこっちゃ言って僕は全部言い切った気になってますけどどうも不完全だなと思いつつテキトーに切り上げることにしたんですけど、小泉さんもそういうガリ版小泉新聞のノリで書いて発信しちゃったんだろうなーとかも思うんです。もちろん彼がぶち上げてたことは何一つ褒められない内容なわけですけど、インターネットさえなければあの人と同じノリで人生を傍若無人に謳歌して幸せに老衰で死んでいく人なんて世の中になんぼでもいるんだろうなぁ、とか思います。もちろんそれが良いことか悪いことかはさておきですけど、「インターネットが人を殺した」と言って差し支えないんだろうなくらいには思います。

ここまで色々ニュアンスは述べたじゃん伝わってよ!的な超雑な比喩まとめとして、琵琶湖が全部日本酒になってアル厨が激増したんですけど遂に琵琶湖アル厨で死者が出ました!みたいな段階なんだろうなぁと感じます。そりゃお酒自制できないのは自業自得かもしれないけれども、社会問題として一人一人が考えるべき問題でもあるのでしょう。だって埋め立てる気はないんだろうし。以上です。