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子どもを結ぶその紐はリードかザイルか、あるいは納得の仕方の話

「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た

http://d.hatena.ne.jp/lessor/20130604/1370359538

なんか上記の話が盛り上がってました。内容としては、最近は子供にリードつけて遠くに行かないようにする文化というものがあるらしくて、書いた人は直感的にペットっぽくて嫌だなと思ったんだけど理には適ってるんだよね。だから許容されるべきだとは思うんだけども、やっぱり違和感抱いちゃうのは仕方ないもんで、そこらへんが要因になってる相互不理解ってよくよく考えたら反町さんが言うところのこんな世の中にはいっぱいいっぱいありそうだよね、もっと考えなくちゃいけないね、みたいなたぶんそんな内容です。

で、コメントを見ていると実際にリードを使ってるあるいは使ってもいいかなと思ってる子育て経験者の方を中心に筆者の人が盛大にぶっ叩かれてるんですね。ペットになんか見えねぇよその違和感お前だけだよ馬鹿がって調子なんですよ。うわ、かわいそーと思って。たぶん筆者の人はもうその違和感乗り越えてんのに、と思って。で、基本的にお題超長い大喜利として楽しくはてなブックマークを利用させて頂いてる僕は何書こっかなーと思って、選択肢としては二つ浮かんで、一つは「ペットみたいな名前の子供たくさんいるし今更細かいこと気にすんなよ」で、もう一つが「ザイルじゃん」だったんですけど。ちょっと考えて穏便に「ザイルじゃん」を採用したところなんかいっぱい☆もらいました。わーい。

で、この話の本質って結局そこらへんなんじゃねーのかなと思うわけです。「どう納得するのか」みたいな。納得するコツさせるコツというものをみんなが積極的に考えるようになると世の中のポイズン指数は下がりそうだよね、っていうことをあの☆のTシャツにジャケット羽織った兄ちゃんは言っていたんじゃないのかなと思うんです。例えば古い言葉で朝三暮四という言葉がありまして、もともとは中国の故事成語で確か猿かなんかが主役だったと思うんですけど、最初は朝に4話、日が暮れた後に3話のペースでアニメを消化していこうって話だったんですけど、猿がそれに納得がいかねぇつって、3話でマミさん食べられるところで一区切りなんだから、大体のアニメはそういう風にできてるから3話がターニングポイントだから、朝3話の夜4話にしてくれつって結局朝三暮四でいきましょうということで猿は納得したんだけど、トータルの視聴時間は変わらないのにそれで満足するなんて本当に猿は馬鹿だね、というお話です。「馬鹿だね」が本来の意味なんですけど、よくよく考えるとこの話ってそれで納得できるのであれば丸く収まっていいじゃないという話にも思えてきます。本質的に変わっていなくても当人同士が納得できる解釈を編み出せれば対立はなくなるのではないでしょうか、というそういうお話です。

話を戻しますと「子どもを紐で結ぶ」ということについて、僕はまぁ使い方にも寄りますけどそれで安全がより強固になるなら基本的にいいんじゃないの派です。一方で何だか生理的に嫌悪感を抱いてしまう人がいるというのも理解できます。「ペットじゃん」と直感的に思う人がいることも理解できますし、それじゃなくたって僕らのおじいちゃんのおじいちゃんそのまたおじいちゃんと遡っていって歴史を振り返るにつけ、きっと僕らのおじいちゃんたちは敵対勢力を打ちのめしたらとりあえずそいつらを紐で結んでたであろうことを僕たちは知っています。それを自分の子供にやるのは何だか忍びない感覚というのは別にぶっ叩くほどのものではなく許容すべき自然な感覚なのではないだろうかと思います。

問題になってるのは紐で結ぶという行為そのものではなく、どうも人と人とを安易に紐で結ぶと感覚的に主従関係が色濃く感じられるぞ、という僕ら人間の感覚をどうするかです。で、じゃあ人と人を対等に結ぶ紐ってなんかなかったけなとなって出てくるのが登山でお互いの安全のために結ぶザイルなわけです。あの紐はリードではありません。ザイルです。断固ザイルです。「ペットじゃん」と言われても「ザイルです」の一点張りで通しましょう。あなたは私のバディをペット呼ばわりするんですか?これはリードではなくザイルです。登山をコンビでやる時の相棒の名称はバディじゃなかったような気がするんですけど、ググり方が分からなくて泣きそうです。何はともあれザイルです。これはザイルです。これを繰り返し続ければいずれは「ザイルなら仕方ないねー、問題ないねー」ってなると思います。昔に比べて即死イベント増えたもんねーつって。

また、リードではなくザイルだと思い込み納得することはそれを使う当事者にとっても良いことだと思います。リードだと思って手に持つとやっぱ道具の性質というか言葉というか概念に引っ張られて意識無意識問わずでペットのリードみたいな使い方しちゃう親も実際いると思います。なので、これはリードではなくザイルですということにして、一応子供に結んでもう一方はカラビナかなんかに結んでベルト通す紐に引っかけて、ザイルはあくまで安全装置として原則ザイルは無いかのように子供と振る舞うのが一番角が立たないんじゃないかなぁと思います。拝啓、お母さん、21世紀になって僕初めて「カラビナ」って言葉使ったかもしれません。立派な大人に育ててくれてありがとう。

まーそんな感じで、僕の中ですげー「おー」って思ったのが、違和感を感じないし感じる方が変だ派の人で「こいつはベビーベッドを檻だとでも言うのか?」みたいなんあったんですけど、たぶんそういうことなんだろうな、と思って。あれなんか柔らかいイメージの白っぽい木とかだからいいですけど、真っ黒い鉄のベビーベッドを檻だって言う人はたぶんいますよ。だから柔らかい白っぽい木にしてるんすよ。感覚からは逃げられないんで、どうごまかして付き合っていくか、そこらへんを良く解釈してもらうような工夫ってのは、手間ですけど、大事だよね、とか。そんなんを思いました。以上です。