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別にインターネットが僕らにくれた「場」は「万人の目に触れる場」だけじゃないよね

ネットでの批評とか批判とか
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/05/17/122348

上記を読んでた。

で、「結局こう言いたいの?そんなんじゃ全然ダメだね」みたいな軽いノリで雑にやるとすぐムキーってなって地平線の向こうまで平行になるお題目だったので、できる限り丁寧にやらねばなと思って、まずじっくり咀嚼しようと思ったけど普通にじっくり咀嚼するのが苦痛すぎるのでふざけて自分の言葉に書き直す作業をしながらふむふむ読むみたいなやつをやってできたのがこれ。ふざけてって言っちゃってるじゃん。

駄訳・ネットでの批評とか批判とか

http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/05/19/031424

で、今日はそれ踏まえて思ってること書く感じなので少なくとも上記のどっちかだけは読んでないと何言ってんだこいつ、ってなること請け合いです。上記を読んで「何言ってんだこいつ」ってなるケースについては置いておきますけど。

それでまーとりあえず共有できるとこから確認していくと、「今こんな有様だよね」っていう部分についてはおおむね同意。歯がゆいところがあるよねってのも同意。馬鹿が多過ぎるよねって感覚も同意。じゃあどうしよっかって話は触ってみてもいいかな、あるいは触っていかなくてはならないって問題意識も別にわかる。

ただ石を投げてるみんなに変わってもらいましょう、それにはパラダイムが必要だ、って方向はよくわからんぞっていうかそれ何か言ってることになるのかって感じで、「みんなもっとちゃんとしようよ」って主張を徹底した先に待ってるのなんてせいぜいせめて自分だけでもちゃんとしてようってことで毒杯を飲む、くらいのもんです。

分かるけど、うーんその変わらなくてはならないパラダイムが何かあるとしたら、絶賛本人もパラダイムに縛られまくってるよね、としか思えなくてそっと瞳を閉じた僕の瞼の裏には柵にガンガン突撃する柴犬が見えます。

「お前はリングに上がってきたから殴りあいオッケーだろ?」って事?
リングの外から石投げてるやつはスルー?
いや、オレもリングに上がってねぇよ 笑
リングサイドで「あの試合はかなりしょっぱい試合だった」って言ってるんだよ?
なのにリングの上に引っ張りあげられてしまう。
ボクサーへの批判じゃなく試合の批評をしてるってのにさ。
それを大声で言ったらボクサーにリングへ上がって来いって言われる。
なんだこのシステムは?

(元記事の引用です)

比喩に比喩を重ねると雑になって本筋を見失うのは世の常ですが、むしろ普段は率先して比喩に比喩を重ねて火星を目指す僕なので、いってきます。とりあえず、この人のモヤモヤは分かるんですけど、まずは「いや、完全にお前はリングに上がってるよ」としか言い様がありません。だって殴れる射程にいるじゃん。現に今こうして殴ってる。なんかちょうど殴れるところに立ってたってことは、それはもう結果的に彼の認識のあるなしに関わらずリングに上がってたってことでいいんじゃないかと思います。だって殴れるんだもん。リングって人を殴っていい場所のことでしょ?そして、彼がもう一つ勘違いしていると思われることは、「リングの外から石投げてるやつ」と彼が呼ぶ人たちも別に全員リングに上がっています。彼らを殴ることもまた、事実上は可能だからです。ただし、殴ってて気持ちいいものというやつにはある程度の質量が必要です。サンドバッグはある程度のズッシリ感があるからこそ殴りがいがあるのです。スカスカのサンドバッグを殴っても満足感は得られません。僕の遠いご先祖様はその感覚を「暖簾に腕押し」と言い表しました。

まとめますと、「万人の目に触れるインターネット世界」というやつは平等に殴りあい上等のリングです。バトルロワイアルです。ただしその中で殴るに値する対象というものはある程度の重量を備えたやつだけです。なぜなら重量がないやつは殴っても手触りがなくてつまんないからです。ここでいう重量とは、文量であり人格でありコンテンツであり主張であり、そういうなんかです。重量はあるに越したことないし、「つまらない」「死ね」みたいな羽のようなしょーもない言説よりはよっぽど有意義かもしれませんが、殴るならやっぱある程度しっかりしたものに限るのです。殴られたくないなら、質量を持たなければいい。なので殴られたくないやつは質量を持たないように気をつけながら、うかつにも一定の重量を持ち合わせた発信者をぶん殴る、ただそれだけの話です。そんな羽でも殴られると痛いという不平等感、みたいな下りを比喩でやろうとすると完全に脱線するのでやめます。

さて、ここまではなんだかんだ言い換えしてるだけで、「じゃー結局どうすりゃいいのよ」が始まってませんので始めます。この、マジメに重量を持ち合わせた発信者だけが叩かれる残念な感じをどうすりゃいいのよ?ってことなんですけど、これがすごい簡単な話で、叩きにくい仕上がりになってから発信すりゃいいんですよ。そんだけです。

例えば、なんだかネットを残念にしている変えなくてはならない残念なパラダイムがあるとすれば、「万人の目に晒されるところでしか僕らはあーだこーだ言えない」という前提なんかは割りとあるんじゃねぇかなと思うわけです。

何かお題目がある。Aさんがそれに対して自分が思ったことを自分だけで書く。で、それを万人の目に晒す。ぶっ叩かれる。

そりゃ叩けるところあったら叩くでしょ。面白いし*1。じゃあこれについてもうちょっとめんどくさいフローを加えましょう。

何かお題目がある。Aさんがそれに対して自分が思ったことを自分だけで書く。それをBさんに読んでもらう。Bさんがそれについて反論を書く。Aさんが反論を読む。それについてAさんBさんで話し合ってみる。妥協点が見つかるか、平行線のままの部分も残るかもしれない、それでも一先ずはAさんとBさんの両者が「まぁこれくらいにしとくか」となったところで、最初からの成り行き含めたそれを万人の目に晒す。

これだとどうでしょうか。AさんもBさんも絶望的に馬鹿なので結局ぶったたかれるケースというものは往々にしてあるので我々人間を愚かに作り上げたテヘペロ顔の神様の舌をちょん切ってやろうかって思う時もありますが、ここまでやっておきゃそんなボコボコに叩かれはしないでしょう。また、ある程度Bさんとも有意義な気分になれたうえでの結論なのであれば少々馬鹿だの死ねだの言われたところで「はーダメだ通じねぇかこいつには」って感じでダメージもそんなに受けないのではないでしょうか。

結局具体的な落としどころも見えてない段階で(一人で頭の中で考えただけのことなんだからそりゃそうだ)とりあえず勢いに任せて「えいやー」ってぶん投げてそれを叩かれたら「ずるいぞお前ら!」って言われても、そりゃそんな雑なことしてたらぶん殴るよ。ってなるのは当然のことだと思います。

そういえばちょうどタイムリーにこんなのもありました。

 

乙武洋匡さん、銀座の「TRATTORIA GANZO」に「車椅子だから」と入店拒否される

http://togetter.com/li/504751

 

店の対応どうなんだ、いきなり店舗名出す乙武さんもどうなんだ、とか色々ありつつま~派手に燃えてたみたいですけど。これだって、店側の現実での対応を受けた乙武さんが威嚇射撃もなしにいきなりおっ始めたから残念な感じになってるわけで、ちゃんと店側と話して着地した結果をネットにあげてたら当たり前ですけどこんな燃えないわけで。「そういう話し合いがなかなか出来ないからこそネットで声を拡げるんだ!」て言い分はあるかもしれないけど乙武さんがこの店舗にメールで「今日の店側の対応について話し合いたいです。話し合いを行う意思をいついつまでに明示して頂けなければ自分の側から見えた事実関係をネット上で公開します。」とか言えば、絶対応じると思いますよ。内容証明みたいな言い回しだけど、ネット上でおっぱじめることが法的対応レベルで糞めんどくさいことは事実だし。で、そこで話し合って、どういう着地になるのか「車椅子の来店やっぱ無理です」になっても別にいいですし、それに乙武さんが「こういう店もまだあるようで悲しいですね」とかで結んでれば、たぶんこんなようなも燃え方はしてなかったんじゃねぇかなと思います。

で、じゃあなんでそれをやらないのかっていうと結局みんなめんどくせぇからだと思うんすよね。ちゃんと相手と向き合って議論するのがめんどくせぇ。だからサボってる、それだけでしょ。「やましいことがないなら万人の目に触れるところで議論できるはずだ!」って意見はあるでしょうけど、いや、人間はポカするし、一度ポカしたら火達磨になる仕組みはお前も知ってんだろって話で、それならクローズドなところで議論を仕上げて、仕上がったところでアップすりゃいいじゃんって話で。これを嫌がる人ってのは結局「万人の目に触れるような場じゃないと、人の耳目を集められるみたいなインセンティブがないと、めんどくさいから議論はしたくありません」って言っちゃってるみたいなもんじゃないんすかね。

蔓延ってる言い回しで言うと「まずアウトプットして、注目を集めること、賛否両論が出てくることに意義がある」とか言うかもしれないけどさー、賛否両論が出てその時点で賛否両論出たからそれで良しになるジャンルって、例えば食い物屋とかさー、漫画とか映画とか、小説とかコンテンツとかさー、いわゆる「消費されるもの」だけなんじゃないですかね。少なくとも「建設的な議論をしたい」とか「世の中を変えたい」とか思ってるような人は、「まずは賛否両論です」とか言って雑な見解を全方位にぶん投げるのはダサいって考えになっていかないとどうにもならないんじゃないのかなーとか思いました。「とりあえず勢いで賛否両論巻き起こすのはダサい」って風潮になって、クローズドで言葉を重ねた叩きにくいやつを連名でアウトプットしてさ、そういうのが増えれば賛か否かをとりあえず明記する感情的な二言三言のコメントもダサいみたいな風潮にはなっていくと思いますけどね。ただ、それを実際にやるのは超めんどいですけどね。こんな超めんどくさいことやるとすれば、頼まれもしないのに延々書き続けるブロガーというような人たちなのかなってのはちょっとありますけどね*2

まとめますと、「万人の目に触れる場」をネットは提供してくれて、そこで色々みんなキャッキャやってるけども、メールでもskypeでもなんでもいいけど別に人の目に触れない場所でやりとりする、ていう手段もインターネットは可能にしてくれました。後者を使えば丁寧に議論することもできるのに、万人の目に触れる羞恥プレイして脳内麻薬ぴゅーぴゅー出ないといちいち議論なんてやってられないですよーみたいなノリで頭の中書き散らしながら「議論が必要なんです!」とか「まず問題提起をして、賛否を問うことが大事なんです」とか言ってたらそりゃ停滞しますよ。オーディエンスがいなくてもマジメに議論を重ねてそうして出来上がったものをアウトプットする、っていうのが普通にできるようになれば残念なインターネットも少しはマシになるんじゃないですかね。そしてそっちに持ってける奴がいるとすれば、インターネットに入り浸って言葉を丁寧に紡ぎたいと思ってるブロガーとかなんだろうと思います。

ということを、たぶん最初から漠然と思っていて、じゃあ実際にそうやってクローズドなところで話してみてお互いに適度に「なるほどねぇ」と思ったところで書きましょうというのができればわかりやすくて見栄えいいかなと思って、元記事の人にコンタクトしてみてました。

普通に断られたので、仕方なく一人でシコシコ書いた次第です。突然こんな絡まれ方したらダルいだろうし、仕方ないよねっていうトホホ的な追記であって「ほら、クローズドでは喋るのめんどくさいんだろ?PV乞食乙」みたいな意図は特にありません。以上です。

*1:叩くの面白いのは自明の一般論、あるいは現在におけるスタンダードだという話で、僕が叩くの好きでそれを正当化するための言い回しではないです。「現状こうある」という話です。

*2:いや、そういう人との相互やりとりを踏まえて記事を書く人とか、人と話さなくても強度がある記事書けちゃう人とかもいるんですけどね。というか、こういう段取りってオフライン上ならみんな生きてて多かれ少なかれやってるはず。それをやらなくても発信できちゃうネット上ではサボって一人でわっひょーいって好き勝手書いて、それを「みんな受け入れてくれ」とか言ってるみたいな状態なんだろうと思う。