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アニメ『惡の華』見てて中二病のこととかなんか書いた

そういえばオタク要素ゼロでそんな引きこもってだせぇアニメとか見ねぇし、身体動かすの超好きだし、腹筋が6つに割れてる僕なんですけど、縦2列横3列の割れ方なんでたぶんなんかの症状でもうちょっとしたら死ぬのかなと思うんですけど、ピングドラム以来1年ぶりだかにちゃんとアニメ見てます。惡の華、ちゃんと追いかけてみてます。面白いです。ただなんか「あれ、俺の楽しみ方合ってる?」みたいな。これどうやって面白がるべきものなんだろうみたいなのがちょっと自信ないんすよね。6話終えて折り返しくらいなのでなんかそんなようなことをちょっと書いときます。

まず、あの、これって原作も含めて萌えがどうのとかって話ではないですよね?僕は原作まったく読んでないんで分からないんですけど、まぁ原作の絵面は絵面でいいんですけど、なんか放送開始した頃に作画がどうので一部の人がすごい怒ってるみたいなんありましたけど、この話って萌える話なんですか?萌えがわからないんでそこがよくわかんないっす。外人が味の素に感動するみたいな感じでいつか僕にも萌えに開眼する日が来るのでしょうか。こういう話ですらキャラがかわいくないとかで文句言うのであればそれはそれで大変だなって感じなんですけど、時計仕掛けのオレンジとかも矯正プログラム執行する側をかわいい女の子に改変してアニメ化とかしたら喜んでそういう感じで見るんでしょうか。見るんだろうな。そして、別に見ていいんだけど。よく考えたらそれ俺も見たいし。とりあえずまず萌えありきって人は、それはちょっと大変そうだなみたいな、花粉症の人に対する気持ちみたいなんに僕はなるんですけど。

そしてこれも「アニメには萌え要素必須」っていう考え方ありきで出てくるコメントなのかわかんないですけど嫁がなんかこのアニメ見てブーたれてたんすよね。「こんな都合のいい話はない。」「こんな男に女が惚れるわけない。」「童貞の妄想乙。」とかなんかそんなような内容です。で、それに対して僕が思うのはまた「え、そういう話なの、これ?」て思って嫁とあーだこーだしゃべってたんですけど、別に主人公の春日くんに感情移入する話ではないですよねこれ。「俺も昔若かったよなぁ」とかはそりゃ思うんですけど、春日くんの視点にたって一喜一憂して仲村さんかわいいとか佐伯さんかわいいとかそういうToLoveるみたいな話ではもちろんないわけで。

例えば中二病って言葉がありますけど、あれは別に男だけに罹患するものではなく女でも罹患しますし、別に二次元の方へ向かうだけが中二病じゃないですし、三次元方向で罹患した場合それはDQNと呼ばれるかもしれませんしCROOZにポエムを書き始めるかもしれませんし尾崎の影響を受けて後ろ髪を伸ばし始めるかもしれません。豊と見せかけてジャンボっていうボケするのたぶん21世紀初。症状は人によって本当にそれぞれなんですけど、誰しもが成長していくうえで絶対に一度罹ってしまう麻疹みたいなもの、それをないとは言わせませんよね?僕はそんなことないとは言わせませんし、貴方もちゃんと言わせませんか?って話だと思うんです。

何をもって中二病の大義とするかって言い出すとよくわかんないんですけど、まぁ僕らがずっと持ってた厄介なやつとしてあるのが、「自分という存在は特別だ」とか「自分に起こる毎日というストーリーはこの世にたった一つでオリジナルで貴い」っていう感覚ですよね。断っておくと、この二つの感覚っていうのは、まだ僕も20代折り返して30代が遠くにうっすら見えてきた程度の若輩者なので暫定的な結論ではあるんですけど、このような感覚っていうのは、別に事実です。暫定じゃないほんまもんの結論は、50年後、オムツに慣れたころに出します。出せるか。完全にボケとるやないか。そうです、自分が特別って感覚自体は別に持ってていいんです。いやまあ個人の見解分かれるとこですけど。この世でつねって痛みを感じるものは僕の皮膚以外ありませんので、僕にとって世界の中心は僕で僕はこの世界において特別な存在だってのは当たり前のことなんじゃないかなと僕は思ってるんですけど、そう思うようになったのは最近ですし、自分が特別な感覚自体はずっとあるんですけどその根拠が分からない不安というのは長らく巣食ってきたわけです。「つねって痛い」ごときの論理じゃ到底納得ができないわけで、だからこそ納得するために人はあれこれ試していくのでしょう。で、「うわ、こいつ27にもなって自分のこと特別だと思ってんだきっしょ」って思われると辛いんですけど、なぜ特別だと思ってていいかというと特別であること自体がとても些細なことだからなわけですね。僕は特別ですけど、それは本当にどうでもいいことで、僕が僕にとって特別であることは世界にとって何の影響を与えることでもないし、僕が世界に働きかけることと僕の僕が特別だという意識はまったくの別問題だと思うんです。これを同一の問題だと誤解したうえで自分の特別さを確認しようとする症状全般が、いわゆる中二病なのではないでしょうか。

そういった症状の一つに「この世にオンリーワンな幸せで特別な恋愛をする」っていうのもこれまた当然あると思うんですけど、すっげぇ回り道しましたが佐伯さんはたぶんそれだよね、と僕は思って見てたので「童貞の妄想乙」ってのがピンとこなかったんですよね。こんくらい回り道せんといきなり言っても「ちがわい!こういう男に惚れる女もいるんだい!」っていういよいよ童貞乙みたいな受け取られ方されたらヤダなと思ってめっちゃ回り道したんですけど。それでもクラスのかわいい娘はそういう症状になった時はだいたいDQNに行くナリっていう藤子F先生の名台詞もあるんですけど、まぁなんで付き合ってんのかわかんねぇ二人ってことで別になんでもいいじゃんってことで。まぁ嫁も6話見て「あかんな、佐伯さんもおかしいな」言うてたからいいんですけど、そして7話以降でどうせ佐伯さんもどんどん症状が悪化して露骨なアレになってくんだろうなと思って見てるんですけど。

まぁ、じゃあ惡の華というのはそういうのを観察して眺める話なんだとして、そんなもん眺めて何が面白いんだと言われてしまうとよくわからんのですけど。ノスタルジーなのかな。戒めかな。戒めはちょっとあるかもな。糞ダサい失恋ソングとか好きなんですけど、そういうのもたぶん喉元過ぎたらアレだけど、お前今でもちょっと油断したらまたこんなんなるかもしれないからね、みたいな感覚はあります。どんだけ平凡を受け入れてさりげなく生きることを選択したとしても、しょせん自分が特別っていう感覚は捨てられないんだから、俺は今でもちょっと悲しい目にあったらそれを世界の終りだと錯覚するでしょうし、その時の俺にとってきっとそれは確かに世界の終りそのものだぞ、世界終わらないように気をつけろよ、という戒めでそういうものを見たがるのかもしれません。

余談なんですけど、「中学の時にいたなーこんなやつ」ってのですごいハッキリ覚えてるやつがいるので何か解釈しやすいというか見やすいです。別にクラスの人気者でもない普通の男子と別に美人でもない普通の女子が、全然うらやましくもなんともない美男美女でもない便宜上お似合いということにしといているけどそれすらどうでもいいラブラブカップルが中学の時にいたなーって思って。春日くんと佐伯さんが「付き合う」っていうのもそんな感じなんだろうなーって。あの二人は単体では割とクラスでおとなしめで取り立てて話題の中心になるもんでもないけどラブラブであるという設定においてキャラ設定を強固にしてたしこっちもテキトーにひゅーひゅーとか言わなきゃならないし痴話喧嘩というものを始められたら休み時間の話題の一つにしなくちゃならないし、ラブラブであるということを教室という世界に知らしめることであいつらは自分らの特別さを確認しようとしてたんだろうなとか今考えると思うわけです。当時の彼らがそんなこと考えてたわけはもちろんないんですけど、本当にラブラブだったんでしょうけど、彼は彼女を過剰に特別でかけがえのない存在だと思ってて彼女も彼を同様にそう思ってただけなんでしょうけど、そういう力学の一種があの時の教室には働いてたなーとか思い出します。これってあるあるなんでしょうか。なかなか言葉では説明しにくいんですけど、百聞は一見に如かずとも言いますので、その彼氏だったほうの奴の名前ググったらfacebook出てきたんでリンク貼っときます。いや、やめときますけど。本人見つけたらびっくりするだろうな。惡の華のレビューだと思ったら「あれは自分の特別さを確かめるために付き合ってたんだ」ってひどい断定されて中学の時にクラス公認カップルやってましたよこいつつって自分のfacebookページにリンクされてるの見たら人間ってどんな顔するんだろう。見てぇ。超見てぇ。

まー惡の華の話戻りますけど、なんかそういう一事が万事みたいな思考に基づいた運動力学ってすべての僕ら青少年が持ち合わせてたと思うし、そしてそこに仲村さんみたいな症状の力学が介入してきたらきっと彼や彼女も僕らの教室も僕や貴方も、本当は終わりでもなんでもないハリボテのはずなんだけど当人にとってはガチンコお先真っ暗な世界の終わりに立ち会うことになってたのかもしれないなーとか思って、これからこの話はそうなってくんだろうなーどうなるのかなーいいもん見れるかなーと思いながら見てます。面白いです。

最後に二つほど言いたいことがあって、一つは思いのほか勢いよく書けちゃって挟むところがなかったんですけど、最初「らかん」って打っても変換できなかったんでググりました。もう一つは、中二病的諸症状を麻疹のようなものと書きましたけど、僕のこの筆の走りっぷりを見るにどうも糖尿病とかそっちに近いっぽいですね。いずれオムツをしてそして死ぬまでこの病気と付き合うほかないようです。以上です。