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不妊治療についてとりあえず今んとこ思ってること

最悪について思いを巡らせることこそが大事だみたいなことを思うんですけど、酒とタバコは一向にやめる気が起きないんですけど、とりあえず全力の予防線として「答えはまったく出ない」し、来るな来るなと神がいるならば全力で願うけれども別にその当事者をあーだこーだと否定する気もマジでない。何せ否定する論拠すら見つからないからだと全力の予防線を張ったうえで。

不妊治療はしんどい。
http://anond.hatelabo.jp/20130514124434

卵子バンク “産みの母”“遺伝上の母”の扱い…法整備10年間進まずhttp://sankei.jp.msn.com/life/news/130514/bdy13051400160000-n1.htm

上記二つ見かけました。

籍を入れてからもう一年以上経って式も終えて新婚旅行も行って、そうなってくると次の話を始めようじゃないかという雰囲気もあるので実家のお母さんに電話して「もしもしお母さん? 中学のときの保健体育の教科書ってまだ捨ててない? じゃがいもと一緒に送ってよ! なんなら一年生のときの担任、体育の先生だったよね! 連絡先知ってる!?」みたいな、そういうのそろそろ考えた方がいいのかなみたいな。そうすると付随的に「なんか思うように行かなかった場合」についても考えとっかなって脳が自動でなるんですけど、そんなところに上記2つの記事がなんか今日飛び込んできたわけです。

最初にハッキリしとくとたぶん僕は、不妊治療には手を出したくない派です。この後なんか書きますけど理由はどうあれ僕は手を出したくない。他の人にも強く「しない方がいい」と言い切れるほどのものはそんなにないんですけど、村長っぽい否定派にはなります。村長っぽいってめっちゃ自信満々に言いましたけどそれはいわゆるなんか、袖がついたゴザみたいなん着てる杖ついた村長的な、「ならぬ! ならぬぞ~! 」みたいな、そういう否定派になります。

まず根っこから言うと、「自然の摂理に逆らうのは如何なものか?」というのがやっぱ不妊治療に手を出しにくい最大の理由になります。神様というものはあまり普段意識しないんですけど、日々生きてて神様の存在とか意識したことほとんどないですし、それで「いない」というのは乱暴かもしれませんけど所詮その程度の意識できない程度のやつなので給食で牛乳をもう一杯飲みたくなった時くらいしか神様に用事がないんですよ。「おう、神様、お前いらねぇならその牛乳もらっていいか」みたいな。僕と神様の接点てそれくらいなんですけど、もし神様が両親共働きだったら学校終わった後スーファミやりに行くかもしれないですけど、そうでなければもう俺は神に用事がないかなって感じなんですけれども、もしそれがいてそいつがそれなりに機能しているのであれば、この不妊治療ってやつは要相談の話なんだろなと思うわけです。かつての人間こと僕らのおじいちゃんおばあちゃん並びに尾がない猿は、「神様からの授かり物だ」とかテキトーなことを言いながらお父さんやお母さんを高い高いしてたものと思われるわけなので。

繰り返しますが、僕は神とかどうでもいいんですけど。それはきっと僕に余裕があるから今んところ神がどうでもいいんでしょうけど、論理やなんやを突き抜けてもうどうにもならないときの心の支えとして神がいるともし仮にそうするのであれば、不妊治療の向こう側に不幸が待ち構えていた時に、どうするか考えてから始めろよオイって話です。自然の摂理に従えば「子供ができない」というマル秘情報を抱えた螺旋を内在する肉の塊が人間の知恵で子供を授かろうとするのは、これが神へのおしりぺんぺんでなくて一体なんだと言うんでしょうか。その人間の知恵が100%の確率で子供を授けてくれりゃぁ世話はないわけですけど、当然そんなこともないわけで。そんな時、いわゆる宗教の教えというのはどうにもそんな貴方を助けてくれそうにありません。いつも優しかった貴方の中の神が貴方を助けてくれない、そんな自体になるかもしれない、その一点で僕は不妊治療ってあんま気乗りしませんよねー。

再三ですけど僕は神とかどうでもよくてこの話全体たぶん比喩とかなんですけど、単純に古い考え方とあからさまに対立する不妊治療はまだまだ倫理や論理が追いついてないし、そこで何かしら問題が発生して心が辛くなった時に極端なところの宗教を筆頭とした先人が残したうまい消化のノウハウは通じないわけだけど、ノウハウなしでそれにぶち当たるやつを貴方はわざわざやりたいですか、みたいな。俺はやりたくねぇな、って思ってます。もちろん、だからって不妊治療するやつは馬鹿、歯全部溶けろ、その結果を導くためにコーラ飲めとは言いませんけど、あくまで俺は袖のついたゴザを着た情弱村長程度なんだろうとは思ってるんですけど、「だってそんな希望が垂れてんだもん」で手を伸ばすのはおっかねぇぞってことで、もし気の知れた人間が手を伸ばそうとしてたら、ここで書いたようなことは言おうかなと思っています。何より僕も当事者になるかもしれんのがなぁ、ってのが目下2月2日に豆を投げる理由ですけど。以上です。