どうも、ズイショですー、よろしくお願いしまーす。
あのー、例の本が一部界隈を賑やかしてますけども。僕はあの本についてはもちろん読んでないんですけど、なぜならまだ出版してないから。出版社と著者のノリを見る限り否定的です、なんかよくないことやってるぞ、やってるぞー!くらいにしか思ってないんですけど、あの本の是々非々とは少し離れたところから思ったことがあったのでざざざーっと雑感を書こうと思ったんです。別にあの本の擁護をしたいわけではない、ただのマーク雑感バーグです。Here we go!
もう20年前の話になりますけどズイショ青年は当時ですね、大学に入って、専門は近代国文学に進むつもりでいたんですが一般教養なんて単位もとる必要もありまさぁわな。で、18や19の若造なんかは心理学なんか興味持っちゃって履修しちゃったりしまさぁな。それで一回目の授業で習ったのがクレッチマーの三分類つったかな?世界で初めて人間の性格だか気質だかを分類したやつの話をされたんですね。
クレッチマー曰くね、人間の気質は体格によって三つに分けられるんだぞと。
まず一つが細身のやつは真面目だけどクズだ、と。一見おとなしくて従順だけどいきなり違う思考ルーティーンになって裏切ったりするぞ。
二つ目はデブね。デブは躁鬱激しいぞ、めっちゃ明るくてみんなで頑張ろうねってテンションでいると思ったら突然落ち込んで陰湿になったりするぞ、と。
で、最後三つ目、筋肉質のやつ。こいつはめちゃめちゃ粘着気質で周りのやつをなんとか自分の思い通りにしようとあの手この手で色々言うてくるぞ。
めちゃめちゃざっくり言うとそんなようなことをクレッチマーが言い出したんだぞみたいな内容だったんですけど。
あ、もちろんこれなんの専門性も持ってないおっさんのうろ覚えのやつだから読んでる人みんな鵜呑みになんかしちゃダメだからね、そうわかるようにわざわざマーク雑感バーグとかいう超つまんねえダジャレから始めてるんだから。興味ある人は自分で調べてみてね。
で、このクレッチマーの話を聞いて大学生になりたてホヤホヤのズイショ青年が思ったのはね。確かにそうだ!と。わかる、わかるぞ〜つって。もうねカイジの一番最初の限定ジャンケンのとこだけで説明できるんですよ、まずデブは安藤でしょ?あいつはずっと情緒不安定でね、仲間にしてくれって泣いて懇願してきたと思ったらすぐ大事なカード使って勝負に出て一人だけ助かろうとするしその後もまた泣いて感謝したと思ったらすぐ裏切るし。細身のやつは古畑でしょ?あいつカイジを信じてついていきますみたいな感じでいながら安藤にあっさりカード預けたりしちゃうし安藤が裏切ったらすぐそれに追従するしほんま真面目系クズとしか言いようがない。利根川なんか典型的な筋肉質型だよね、自分は頑張ってちゃんとやってきてるんだから他人を支配できて当たり前と思ってる。めっちゃ当たってる、当たってるわ〜。
いやいやいやいや!全部偏見すぎるやろ!偏見すぎるよな、お前もそう思うよな、犬!?
犬「わん!!!!!!!!」
そんなわけないやろ言うね、そんな体格だけでどういうタイプの陰湿な人間か分類されたら堪ったもんじゃないですよ。こんななんの妥当性もない偏見を大学の講義でされるなんてね、我慢ならんよとズイショ青年は思いました。しかし、大学の先生はそこからこう続けるわけですよ、「この分類は間違ってますが、分類を初めて試みたクレッチマーがいて、ここから精神医学や心理学がスタートしたんです」みたいな、なんかそういう雑感バーグ。
まー、言うてることは分からんでもない。そんなに中身は間違いまくってたとしても、まず試みた、それってけっこうすごいことなのかもしれない。そうだな、最初に「稲のこの部分これ食えるんちゃうのん?」て言い出したやつ偉いと思うし、「水分含ませたらもっとうまくなるんちゃうのん?」て言い出したやつも偉いと思う。「水分含ませた後に火にかけたら絶対もっとふっくらすると思うからそのためにこんなもん作ってみたんだけど」って土器作ったやつめちゃめちゃ偉いよ。「こうしたら持ち運べる!遠征で狩りに行く時とかこれが絶対いいよ!」て炊いた米を三角に握ったやつも天才。おむすび考えたやつノーベル賞。いやすごいな、米はうまいな。あと最近高いな。なんとかしてくれねえかな。
そう考えたら、まあクレッチマーもすごいのか、言ってることめちゃめちゃだけど、まず分類するってことを始めたのはそれ偉いのかな。そこから歴史が始まったんだもんな。
を、踏まえてですよ、この「分類する」という営みをね、誰がどうするのが一番いいんだろう?て考えるんすよ。
たぶんね、本当は専門家がやるべきなんでしょうね。それこそ例の本の話に戻るんですけど、著者ですら言い切ってるんですよ「まー自分は専門家ではないんでちゃんとした診断ができるわけではないんですけどー」みたいなことを言うてるらしくて。
そーれはあかんやろ言うね。
その道の礎を切り拓いたクレッチマーですら「お前何言うてんねん」レベルの精度で分類を始めたわけですよ。そこから人を分類する学問が始まって、その学問を専門として生業とする人々がなんかんや頑張った結果、今の発達障害とかなんとかっていう色々な概念が確立したってことなんだと認識してるんですけど、合ってる?「今撮ってる?」の顔で聞くけど合ってる?カメラ向けられるのは苦手なんだよねー、カメラ向けられたらどういう顔をしていいのかわからなくってー、カメラを向けられるのが苦手なあなたは自分に自信がなくて少し臆病、本当は自分のことを知ってほしいという欲求が強いんだけど被写体としての自分を直視すると自分はこんなんじゃないと思うタイプ。
分類すんなよーーーー!!やめてくれよーーーー!!俺をそんな目で見るな!!
逆に俺はなんか観光地とかでめちゃめちゃ自撮りしたり風景撮ったり自分の子供の運動会とか友達の結婚式とかも常にスマホ構えてるやつらを見ると、スマホの画面越しじゃなくて自分の目で見ろよと思う。自分の目で見ないでスマホを構えちゃうそんなあなた、他人とのあいだに一線距離は置きつつも嫌われたくないし人間関係の輪の中にはいたい、そういう気持ちがあるからとりあえず興味があるから撮影してたんだよみたいなアリバイを作りたがる
やめよーよーーーー!!もう分類やめようよーーーー!!絶対よくないよ、こんなこと続けても誰も幸せにならないよ!!
そういうもんだと思ってるので、そんな素人が簡単に人間を分類していいわけないと思うんですよ。でも、もう分類しないとやってらんないんだろうなとも思う。本当ならそんなもん専門家に任せときゃいいんですけど、みんな素人のくせに他人を分類せずにはいられない状況に今の日本は追い込まれてるんだろうなってのもわかるんです。みんな大好きじゃないですか、古くから言えば生まれ年の干支が何かで性格が決まるとか、12星座占いとか、血液型性格診断とか、動物占いとか、最近でいえばストレングスファインダーとかMBTI診断とか、自分のことも他人のことも分類するのがみんな大好き。
分類しないとやってられないくらい人付き合いが多いし大変なんだろうな。人にどう思われるかを気にしてさ、こいつは俺の味方かなどうかな、いざという時俺を助けてくれるかなとか気にしてさ、みんなそんなこと考えてないと資本主義社会を生き抜いていけないから、周りの人ともっと向き合わないとフェイストゥーフェイスで向き合わないといけないんだけど。それすっげえめんどくさいから分類しちゃうんだろうな。
昔はそうじゃなかったんじゃないかなとか思うんだよね、昔の米農家の百姓とかはさ隣の百姓の顔色うかがうより、うちの田んぼの稲ちゃんと育つかなって向き合ってたと思うんだよ。たとえば漫画のバガボンドの宮本武蔵が飢饉の村で稲作と真摯に向き合ってさ、それ踏まえて今まで殺し合いの螺旋のなかで生きてきた自分の半生を見つめ直すとかさ、テレビなんか見てても田んぼの水の温度が夏やばすぎてとか悩みながらおいしいお米作ろうとしてる農家を見てるとめちゃめちゃ向き合ってるのに感動すると同時に俺は向き合えてるだろうかって恥ずかしくなる。
分類するんじゃなくてひとつひとつひとりひとりに向き合いたい。そういう気持ちを忘れずに生きていきたい。
あーーーーーー!!!最後米の例え話で終わりかーー!!米の話大きく二回あったなーーー!!こんだけ、米をディテールとして使うんだったらアメリカの話もしておけばよかった!!米とアメリカを掛けてもっとトランプの悪口とか、アメリカ国民のなかでの大きな断絶の話とか関税の話とかしておけばよかった!!!でももうめんどくせ!!書き直すのめんどくせ!!このままアップしちゃお!!はーーー、やだやだ!!仕方ない仕方ない!!俺は悪くない!!俺は何も悪くない!!
はいクイズでーす、この終わらせ方するズイショさんは細身でしょうか、デブでしょうか、筋肉質でしょうか!?みなさん偏見でお答えください。
以上です。