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早慶の合格者の東京圏の割合が増えてるやつ雑感

別に識者でもなんでもないが北海道の地方出身で大阪という都会(で合ってる?)に大学進学してそれからずっと大阪に暮らしている身として気になる話題なので、思ったことを思いついた順に書く。特に結論を準備しているわけでもなく、ツッコミ待ちで他の人の面白い見解とかを誘発できたら儲け〜くらいのノリです。

 

まずこれは地方と都市部で学歴的な格差が生まれててさらにその格差が今後どんどん固定化されていくのか?なんとも言えん。

まあでもだって高学歴の頭いいやつが面白えと思う仕事なんか都市部にしか無くてみんなその会社に通える距離に家庭作るんだからそんな仕組みを60年?70年?もっと?わかんないけどずっと続けてたらそりゃそうなるでしょ、とは言えんこともなさそう。特に地方含めた旧帝大に入る東京勢の割合が増えてるよ、てのは「私立はちょっと高いので」なのか「一回東京以外で生活してみるか」なのかわからないけど何かしらの動機があってそれで入れちゃう程度にガキの頃から教育に投資して勉強を面白がって頑張れるやつに育てることができる親が都市部に寄ってるくらいは言えるのかなと思う。

ただ一方で単純に思うのは今の若者、特に勉強できる頭がいいやつらってそんな東京に憧れあるのかな?もうそんなことないんじゃないの?

いやおっさんがガキの頃はさ、テレビしかなかったしテレビは東京の話しかしねえし全ての新しい流行やカルチャーは東京で生まれて地方にはそのお溢れがたまに落ちてくるだけだったんだよ本当に。だからみんな東京に憧れてたし、勉強ができて自分は何者かになれるんじゃないかってやつほど都市部の大学に行きたがってたんだろう。けど、今はもうそんな時代でもないじゃん?別に賢いやつは全国どこにでもいるところには勝手にいるし、そいつらがこぞって東京に殺到したがるでもなし、一人暮らししてみたいなとしても勝手知ったるいざとなったら親の物理的な助けも借りれる地元の良い大学に入った方がカネも時間もコントロールしやすく学業に専念できる環境を作れるじゃんコスパもタイパもいいじゃん、みたいなこと考えてても不思議ではない。

こういう記事が出ると地方と都市部に教育格差が!て歯切れのいい主張にみんな飛びついちゃいがちだけど、逆に考えると勉強したいやつはどこでも勉強できる時代になったから東京にこだわる必要なくなったんだって、て考えることもできる。地方の旧帝大を志望する東京圏の学生が増えてるってのも、そんなこと東京圏の若いやつすらもうわかってるんだよって話かもしれない。仮説だけどね。

そう考えるとむしろ「全国の地方から優秀な人間が東京に出てこれるよう東京は門戸を開いてるのにそこを突破して東京にやってくる学生の割合が減っている!ああ嘆かわしい!格差が固定化される!」なんて意見は東京至上主義すぎてそれはそれで舐めてないか?という気もする。

そもそもの話になってしまうが、これを書いてるズイショさんが絶妙にちょうどいい「自分より高学歴の人からは明らか下に見られるし、明らかランク下の大卒や専門卒からはカシコ扱いをされる」くらいの大学出身そのうえド文系なのでピンと来てないのだが、たしかに大学受験の難易度は偏差値とだいたい一致していて俺が入れなさそうな大学に入っている人は俺より受験勉強頑張ったんだなと素直に認められるがそいつらがその後4年間かそれ以上か知らんけどどれくらい勉強してたかをあんまり信用していないところはある。めっちゃ真面目に勉強や研究を頑張ってたやつもいれば俺みたいにモラトリアムを謳歌してただけのやつもたくさんいるだろうし、学部にもそりゃよるんだろうけど卒業単位取得の難易度が入試時の偏差値とどれくらい比例関係にあるのかが大学ひとつしか通ったことないのでわからん。同じように入試時の偏差値と授業の質とが比例してるかもわからん。入試時の偏差値と授業に真面目に出席して熱心に聞くやつの割合に相関があるのかもわからん。筆者のズイショさんは父親が「大学入ったら4年間遊んでていいぞ、遊ぶために頑張って勉強して大学行け」と言ってた世代なので下の世代はもう少し真面目に勉強してるんだろうなとは想像してるけど、俺が大学卒業して15年くらい?その程度ならそこまで劇的に変わるかな?という気もする。あと、父親は偏差値でいうと低い大学の出だが専門性が高い(一次産業に特化した)大学なので遊びまくったにせよ単位取るための最低限の勉強だけで俺の知らんことをたくさん知識として吸収してたんだろうしそれを活かした仕事で俺という息子を大学にちゃんと出す程度にはちゃんとやっている。

なんか、早慶がなんぼのもんじゃいのノリに寄りすぎちゃったけど、言いたいことは別にそういうことではなく、問題視するとしたら優秀な人材が都市部以外でも勉学に励める環境が一層もっとできるといいねとかそれを踏まえて都市部以外の人材も活用できる仕組みを企業の側に求めたいね、とかまあそこらへんの話になるのかなぁ。

別に反論されてムッとするところは一つもない思うままに書いたとっ散らかった文章でしたが、まあ僕もまだ小学生の未来ある息子がいる身なので他人事ではなく気になるトピックなのでなんかテキトーに書き散らかしました。

なお、この文章からズイショさんの出身大学を推測してブコメに書いて見事正解した人には余ってるはてなカラースターが贈られます。奮ってどうぞ。

 

以上です。

投票権は大したもんじゃない

Twitterでは書ききれないのでブログに書くかーレベルの日記です。

テレビの昼のバラエティ報道ショーみたいなので「与党が過半数取れてないってことは今後どうなるんですかね?」みたいな話をみんな眉間にシワを寄せて語ってるのにまず笑ってしまう。たぶん小学校か中学校の教科書に、民主主義の理念として政策ごとに話し合ってうんたらみたいなのは書いてた気がするんだが、そんなことみんな覚えてないのかもしれない。まぁ実際のところ民主党政権時代も含め一党独裁の状況が38歳の俺が生まれてから記憶にあるぶんでいうとずっと続いてたんだから仕方ないのかもなーとは思う。インフレとかデフレとかスタグフレも学校で習った気がするけど、教科書どおりの動き方ってしてない気がするんだよな。

一党独裁がとりあえず面白くなくてアメリカの二党制を羨ましく思う時期もあったけれど、今となっては分断を強固にするのに一番効率的なやり方が二党制なのでアレはアレでどうしたもんなんかなと思う。あと、僕が大阪府民なので、日本のなかで一番二党制に近い分断を迫られる政治行動を迫られてることもあり余計にそう思う(51対49とかで決着がつく都構想の投票とかギスり方やっぱやばいのよ、他府県のみなさんにはピンとこないだろうけど)。互いに敵対視する政治の究極系が二党制だろうからあれはあれで褒められたもんではないというか、政治家は勝ったらやりたいことを推し進めるだけでいいんだろうけど、投票者はその後も敵対勢力と顔を突き合せて生活していくわけだから、あんまりうまいやり方じゃないんだろうなと最近は考えている。

政治について大した興味はなく、「世の中がどうなっても頑張って生き抜くぞ」くらいにしか思ってないので個人の感覚として自助で生きていくぞなのだが当然だからといって自民支持になるというわけでもない。あいつら、俺がやったーありがとー!って思うことやってくれなさそうだしな。俺のしょぼすぎる一票をどこにくれてやるかはまぁ常々考えながらやっていくより仕方なく、そうするより仕方ないのであれば二党制よりかは今の日本の衆議院の状況のほうがまだ好ましいかなと思う。選ぶ先はたくさんあったほうが面白い。

世の中に対して変だなぁと思うのは、アメリカ二党制へのあこがれがあるのかなんなのかは知らないが、どうしてもネットでの言説などを見るに支持政党を自分のアイデンティティにしてる人しか可視化されないのが不思議だなと思う。単に勝ち馬に乗ったり、今このタイミングではこいつが強く出てほしいとかそういうことを考えずに、一蓮托生のテンションでしか投票権を使えない人が世の中そんなに多いの?というのは不思議に思う。みんな、いじめられっこを助けなかったりとか、いじめられっこを助けようとしたやつの肩を持ったりとか、これから人気者になりそうなやつの親友に真っ先になろうとしたりとか、そういう利害関係で生きているはずなのに、いざ政治の話になるとそれとはちょっと違う、全ツッパみたいな信仰みたいなムーヴをする人がどうしても視界の中で目立って、それは変なのと思う。

選挙はなるべくみんな行ったほうがいいだろうと思うので、たまに世間話で選挙行かないっすみたいな若いやつに行ったほうがいいよみたいな話をする機会もある。その時に俺が言うのは「賭けないより賭けたほうが面白いよ」という文句で、シンプルに投票行かないより行ったほうが選挙速報とかちょっとおもしろいのである。それだけだ。逆にいうと投票権というのは非常に尊い権利なのかもしれないが、「使わないともったいないはした金程度の賭け金」だとも思ってる。しょせん1億分の1でしかない自分の投票権なので、自分の投票行動を自分のアイデンティティにしたいとも思わない。

だいたい500円玉くらいの価値かな。500円、失っても別に全然致命傷ではないけど、落としたら拾う程度には大事でしょ。その程度にみんな大事にすればいいと思うんだけど、500円ほどの価値がないと言う人もいるし、お金に換算できないめちゃめちゃ大切な価値がある(その権利をこの政党に使わないのは馬鹿だまである)と言う人もいるし、なかなか難しいもんだなと思う。

ただ、来年の参院選が楽しみなので、来年の選挙楽しみなの人生初かもなので、まぁ500円分くらいは楽しんでいる。未来に期待はしていない。

 

以上です。

息子となぞときハロウィン2024

息子が4歳の時から始めた「年に一度ハロウィンの日には家で共に暮らすぬいぐるみたちがイタズラでなぞときを仕掛けてくる」という遊び。今年もやってました。

去年までの模様はこちら。

zuisho.hatenadiary.jp

軽い気持ちでぬいぐるみのかくれんぼレベルから始めたものの毎年恒例となってくると、息子は当然育てば育つほど賢くなるので適切な難易度で問題を作成するのが大変になってきます。大変です。

今年はこんな感じで実施しました。

 

 

まず家に帰ってくるとぬいぐるみが何ひとついなくなっており、食卓テーブルの下に毎年恒例の怪しげなトランクが。食卓テーブルの下にあるままでは上の台につっかえてしまいトランクを開けることはできません。トランクと食卓テーブルは5桁のダイヤルキーの自転車用のチェーンで繋がれており、このキーを解錠しなければトランクを開けられる食卓テーブルの外まで引き摺り出すことはできません。

 

まずは最初に各クイズがどこにあるかを収集するところからですがここは特に捻りは加えずにいつも過ごしてる家の色々なところにクイズカードを隠しているだけです。ただそれだけで、いつもの家がちょっとしたアトラクションになってる感じが面白いじゃないですか。壁に貼ってあるポスターの裏や、おもちゃの箱の中、本の隙間に知らぬ間にクイズが忍ばされている。ワクワクして良いですね。

 

そして今年のクイズのテーマは「自分の持っている知識から類推する」「その情報にアクセスする方法を家の中から見つけ出す」として考えました。

 

Aは首都名からその国名を答えさせる問題ですが、知識がなくてもリビングにある地球儀を見れば正解に辿り着けます。

Bは棋譜の通りに進むとある名称がついている囲いが完成するのでそれが答えになります(正解は五文字でTwitterにあげてるやつは四文字になっててミスってたので刷り直しました)。棋譜を見ただけではわからないので将棋盤に実際に駒を並べて順に棋譜通り指してみることで正解に辿り着いていました。

Cはポケモンからの出題です。このわざ構成を持つポケモンは何?という問題で、正解はコノヨザルを想定してたんですがよく考えたらふんどのこぶしはコノヨザル専用技ではなくオコリザルが覚えてコノヨザルへの進化条件に絡む技だったので出題ミスでした。しかしまあ最終的には他のクイズの答えと照らし合わせると類推できるのでまあ良しとしましょう。

Dは英語の地名を日本語名に直す問題で、理想はアレクサに聞いてみて正解を得ることだったのですがアレクサがうまくこちらの知りたいことを聞き取ってくれずGoogle先生に打ち込みで頼る形になりました。

Eはシンプルな英語の質問から答えを得るという出題でした。これは楽勝でした。

Fは北海道地図がリビングに貼られているもののふりがなは記載されていない、けど位置はわかるのでGoogleマップでその近辺にクローズアップすると何かしら読み方がわかるだろうという出題でした。で、ここ迂闊だったんですがひらがな表記を見つけるのは結構困難でローマ字で記載されているのをみればいけるだろうと踏んでたのですが小学1年生の息子はローマ字未習得でした。ローマ字で日本語入力するためにアルファベットを打ち込むのを覚えると、英語学習の方とバッティングする可能性があるという妻の方針を失念していました。言われてみればスマホフリック入力はしてるけどパソコンで文字打ってるのは見たことなかった。まあ、フォローして正解に辿り着きました。

Gは絵画のタイトルを挙げてその作者である画家を答えさせる問題で、一見ただ知識の有無を問う問題に見えますがつい先日のこどもしんぶんで有名絵画特集が掲載されていたことを踏まえての問題なのでアクセス可能です。

 

すべての問題に答えると縦読みで浮かび上がるのはある音楽タイトルで、この家にあるその音楽タイトルのCDを探しに行けば最終問題に辿り着けます。

 

和暦の概念と自分の年齢を把握していれば簡単に解ける問題です。

 

これにより開錠のための5桁の数字をゲットすればトランクを開けることができて、トランクの中にでたくさんのお菓子を抱えたぬいぐるみとご対面できてクリアとなります。

 

 

年々問題作成の大変さは上がっていってるんですが、息子の成長具合を振り返りながら、ちょっと手こずるだろうけどきっとなんとかするだろうくらいのラインを探りながらの作業はとても面白いです。こちらもなぞとき作りなんか素人なので、頭を捻って考えないとうまいことできませんので、日頃一緒に遊びに付き合うなんかよりは余程対等になれるのも心地よい。これ大変だから来年はもうやだなと毎年思っていますが、サンタクロースの存在をいつまで信じているかはわからないのと同様にこんな遊びにいつまで息子の方が付き合ってくれるのかを考えるとせいぜいあと2年か3年かなんだろうなと思うので、それくらいならもう少し頑張ってみようかなと思っています。

 

ただ、息子も「そのうち友達の◯◯くんの妹の◯◯ちゃんが4歳になったら僕がぬいぐるみたちと一緒に問題考えてなぞときに招待しようかな」とか言ってるので、問題作成者が誰なのかを知っているのか知らんのか知らんぷりなのか、やくわからんけどまあいいやと思っています。

 

以上です。