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ウィル・スミスのビンタ雑感

「それでも暴力はダメだよ」というのはあっけらかんと簡単なことだけど、暴力ってなんだろうねみたいなことを、掲題の件とそれに寄せられるSNSのコメントやらニュースやらその後のウィル・スミスのスピーチやらを見ながら考えさせる羽目になって筆を取っている。

俺にとっての「暴力」というもののイメージは、否が応でも屈服せざるをえない不可避の外的な圧力だなと考える。つまり、自分を守るためならば頭を下げて靴を舐めてちんこやまんこにキスをしたとしても、それで自分が明日からも屈辱にまみれながらであったとしても、なんとか生きていくにはそうするより仕方がないそういうものを俺は「暴力」だと考えているような気がする。そして、そういう「暴力」はあらゆる形でそこかしこに今日も存在している。

ウィル・スミスの一発かましたビンタは「暴力」として非難されているそうだが、たぶんここで言う暴力というのは「物理的に相手を攻撃する」という程度の意味認識なのだろうなと想像する。まず、ここに俺と世の中のそういうこという人たちとの間に乖離がある。

まぁ、「むかついたから一発ビンタをぶちかます」と言うのが褒められた行為ではないことは間違いがない。人に張り手をぶちかますのはあんまり良い仕草ではないね。

でも、「もっとこうしたらよかったんじゃないの」とはあんまり言いたくないな〜って気分になる。

「言葉で言い返せたらもっとよかったね」って簡単に言うけど、それって「相手の土俵の中でやろうね」って言ってるのとほとんど同じだし、動画見てよ、みんな大爆笑だったよ。

あのなかでどのような言葉の応答をしたところで、それは全てあの下品極まりないジョークを完結させるためのファニーなパーツにしかならなかっただろうし、ウィル・スミスが本当に傷ついていて、本当に怒っていて、下品なジョークを否定したい気持ちを持っていることを示そうとするならば、ああするしかなかったんだろうなと俺は思うんだ。下品なジョークにどれだけ小粋な返しをしたところで、それは下品なジョークを肯定して、エンターテイメントとしてなぁなぁにすることにしかならないだろうから。

ウィル・スミスのあの振る舞いは非常に紳士的だったとすら思う。その後に司会者(?)としての仕事が出来なくなるほどではなく、ビンタ一発で抗議の意を露わにして、それで終わっている。まあ確かにぶん殴ってはいるので、「それは良くないことだよ」というのは簡単なんだけど、彼はそれ以上をしなかった。ただ、「ぶん殴りたいほどムカついたよ」ということをぶん殴って伝えた。彼の口をつぐもうとはしなかったし、それきりだった。人をぶん殴るのを非常にやばくて野蛮な行為と考えるのは簡単なことだが、俺には彼は非常に理性的に見えた。だって、あそこで彼の頭を何度も頭を割るほどに地面に叩きつけてぐったりしてる彼の頭を踏みつけてその頭に唾を吐き捨てることも彼にはできたわけでしょう。そういうことをする犯罪者も枚挙にいとまはないわけです。

それをしなかったウィル・スミスは偉い!みたいなそんな雑な擁護をしたいわけではないんですけど。暴力ってなんだろうってやっぱり思うわけです。

 

お前が笑って流せばただのジョークで終わるから笑って流せよと迫る、その人の人生の苦難を公衆の面前で茶化す言葉と、

それをジョークにさせるわけにはいかねえよと、ちゃぶ台をひっくり返したくて、冷や水をぶっかけたくて、やっちまったビンタと、

 

どっちも正しくなくていいんですけど、それを「物理的な暴力はどうしてもダメだよ」で片付けていいのかよ、みたいな。

 

俺はそういうことを考えている。SNSが幅を利かせて、私刑も横行する世の中ならそれも仕方ないけど、それなら私刑をかます一員で一因の一員としてさ、もっと何が悪いか何が何が悪くないかをみんなで話し合えたらいいのになぁと思っている。

以上です。

 

ロシアで犬と遊ぶアプリが沢山インストールされててロシアの人も戦争に苦しんでいる

まずはこちらをご覧いただきたい。僕がフォローしてるTwitterの人がまとめてくれてたロシアでどんなアプリがたくさんダウンロードされているかをデイリーごとにまとめて可視化した動画だ。

 

 

作成者の言うとおり本来の意図は、世界どこにいようが別の国の海外IPとしてインターネットにアクセスできるVPNというサービス?を使って(ここらへん俺もあんまわかってないけど)統制されたロシアからの情報ではなく海外の情報にアクセスしようと国民がVPNアプリをインストールしまくっている、という動画である。

なるほど、、と眉を顰めて見ていたわけだが、なんかひとつ浮いてるやつがいる。

なんか犬のアプリがある。なんだこれ?

リプライ欄でも「犬が強い」「犬が耐えてる」とあって、いやこれたしかにおかしい。

それで動画を見直してみると、実はこれ耐えてるのではなく最初から人気アプリだったわけではなくなぜだか急浮上している。

なんで?

気になったので早速インストールして遊んでみた。

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なんの変哲もない、タップしたら色んなリアクションを取ってくれるワンちゃんと遊ぶだけの子供向けのアプリだった。

なぜこれがVPN勢と並んで上位に食い込んでいる?

と、思案していると俺はそのからまだ2歳か3歳かなので全く記憶にないし真偽不明なのだが、何度も聞いたこともある、ある逸話を思い出した。

 

かつて昭和天皇崩御したとき、日本全体が喪に服すこととなり、テレビはまさにお通夜ムード、娯楽を求めた国民によって全国のレンタルビデオショップの在庫は空っぽになった。

 

つまり、このワンちゃんアプリは何か「そういうことか!」とわかりやすく驚けるような巧妙なカラクリでインストールされまくってるわけではなく、シンプルに子供向けの娯楽コンテンツとしてインストールされまくってるのではないか。

ここからは浅薄な想像でしゃべるので読んだ人が突っ込むだけ突っ込んでいただきたいのだが、調べてないので知らんがきっとロシアのテレビはウクライナ侵攻以降、プロパガンダである戦争報道一色であろう。そこからは娯楽コンテンツなんか一切に消え失せているのかもしれない。

しかし、ロシアにだって子供がたくさんいる。子供には戦争のことなんか深刻に向き合う義務なんてないし、もっと楽しいものを見て過ごす日常があるべきだ。もしそれがこの先無くなってしまうとすれば?いつまで無くなるんだ?いつ戦争は終わるんだ?ロシアの市井の子を持つ親にはそんなことわかるはずもない。

じゃあせめて、せめて何か子供が楽しめるコンテンツを今のうちに確保しなければ。

そういう風に多くの市井の子を持つロシア人が危惧したと考えるなら、このワンちゃんアプリがインストールランキングの上位に食い込み続けていることにも全く合点がいくわけである。

これが見えてくるとVPN以外のアプリ動向にも色々「なんでそうなってるのか」が見えてくる。

まず、telegramというのは名前からしてLINEのような通話アプリだと想像できるが、調べてみるとロシア産だった。

もともとのロシアの通話アプリのシェアはわからないが「何かあった時に連絡を取りたい相手と繋がるために一番信用できるのはやはり自国のアプリだ」ということなのだろう。

 

そして、辛い非日常の中においてもコンテンツに触れたいのはもちろん子供ばかりではない。

侵攻より前の日付のランキングがある動画の最初の部分ではInstagramYouTubetiktokなどのコンテンツアプリが上位に位置しているのだが、InstagramYouTubeは早々に圏外に落ちていきtiktokが今日まで辛くも生き残っている。

これもシンプルにFacebookGoogleも西欧側の企業であり、いつアクセス不可になるかもわからない。tiktokは中国なので、それなら一番最後まで残るコンテンツはtiktokなのではないかというロシア人の判断のように見えてくる。

ここまで考えてGoogleでニュースを調べてみると、ここ2日くらいの間で実際に、Netflixと Amazonprimeビデオは、ロシアへのサービスを停止するらしいことが簡単にわかった。情報があまりに多すぎるので恥ずかしながら自分から探さないと目に入ってこないニュースではあるが、探してみればすぐに出てきた。

ロシアの市井の人々はこうなることを予期して備えていたのかもなと思った。

 

VPNアプリだって、こうなってくるとなにも「国外の戦争に関するニュースに触れたい」という理由だけでインストールが増えたのではなく「早くクレカ使えるうちにとりあえずVPN経由でネトフリ一年契約し直して、とりあえず向こう一年はエンタメを享受できるようにしなくちゃ」みたいなそういう人もいるんじゃないかなと想像する(ここらへんは俺がVPNの仕組みあんまわかってないので申し訳ないんだが)。

 

ここまで考えて、やっぱ戦争はやめようよという話にしかならんのだけども。

 

三者の我々は、情勢はどうなんだとか戦況はどうなんだとか、核が飛んできたら嫌だなぁとか、ウクライナの人たちに死なないで欲しいなぁとか、もちろんみんな心を痛めているんだけど、コロナの時と違って(コロナは継続中だけど)トイレットペーパー買い占めたりなんだったりってのは起こっていない。

ロシアの人はロシアの人でまた事情が違う。

攻め込まれたらどうしようと思うのはもちろんとして、今すぐに攻め込まれるかはわからないとしても「私たちはこれから今までの生活を送れるかわからない」ということに恐怖しながら、何とかこれからもできる限り今と同じような、大変なこともあるけれどコンテンツに触れて楽しい気分になれる一瞬がある毎日を送りたいと思ってるんだろうし、これは「明日から食べ物が買えなくなったらどうしよう」とまったく地続きな思考の集合体によって起こってる動きでそれが可視化されたものなのかなと感じて、このアプリランキングの動画を見て、本当に多くの市井の人はまったく望んでいない、日常を穏やかに過ごしたい人たちばかりなのに起こっている戦争なんだなと改めて思った。

 

以上です。

息子が転んで、俺は笑う。

息子は今年の夏に5歳になる。もうそんなになるのかぁと時たまに思う。

そう思っているのは俺だけではなく彼自身もそうなようで、彼は今まだ自分にはできないことを見つけるにつけて、今はできないけど5歳になったらできるで、6歳になったらできるで、と自分の伸び代のアピールに余念がない。

少なくとも今のところ、ぼくたち両親と彼とのあいだには嫌だと思ったら嫌だと言える信頼関係があるらしく、ぼくは度々息子に怒られる。最近ぼくが一番多く怒られるのは彼が何かヘマをこいて痛い目を見た時に笑ってしまった時だ。

部屋中に折り紙をばら撒き遊んでいる。そんな折り紙だらけのフローリングの居間をしっちゃかめっちゃかに走り回る。折り紙に足を取られてすっ転ぶ。すってんころひんとひっくり返って頭をしなやかに床に叩きつけて、一瞬前まで満面の笑みではしゃぎ回っていたのが嘘だったかのように大きな泣き声をあげる。俺はそんな彼を見ると笑ってしまう。コマ送りみたいに早回しみたいにすってんころりんと24フレームですっ転ぶ息子の姿を見るとついついケタケタと笑ってしまう。

泣きながら息子は、自分の足元を疎かにさせた折り紙よりも俺に抗議の声をあげる。自分が失敗して悲しいのに笑わないでと抗議の声をあげる。

すまんすまんと謝りながら、俺は笑いがこみ上げる。まるで自分が全知全能のように自由気ままに振る舞うお前が、調子をこいて痛い目に遭うのが、俺には面白くて面白くて仕方がないのだ。

#8000と電話をかけると、とても大変なお仕事を担ってくださる方に電話がつながり「今、自分の子供がこんな風に転びまして、心配です。死なないか心配です。救急車を呼ぶべきか呼ばないべきかわかりません。こんなことで救急車を呼ぶのは御迷惑なのかもしれませんが、それでもどうしても心配なのですが、どうでしょうか?」という相談に文句ひとつ言わずに付き合ってくれる。何度かお世話になったことがある。

例えば息子が2歳の時に椅子からひっくり返って、フルリフォームしたての壁にしたたかに頭を打ちつけてそのまま壁をがっつりと凹ました時。彼は前代未聞のビッグエピソードに動転驚愕してそのまま項垂れて起き上がれなくなってしまった。この前代未聞の前代にあたるのは彼にとっての2年そこらの人生にしか過ぎないし、それは初めて授かった我が子が初めてそんな風になってしまった我々にとっても晴天の霹靂であったが、電話相談をしてみても「なんか吐くとかし出したら救急車」くらいしか言われるわけがないし、実際にもその後しばらくしたらケロッとしてまた何かしら飯を寄越せだのあれが見たい遊びたいだの言い始めるわけなので全く肝の冷やし損なのだが、そういうふうに子供というのは育っていくわけだ。

だから俺はやっぱり笑っちゃうなと思う。他所様に我が子の生死を気休めでも相談したくなることもなく、元気な子供が元気に転び元気に頭を打って元気に泣く。それを俺が笑って、それに彼が元気に抗議する。俺は痛い目に遭って悲しいのにそんな俺を笑うお前は駄目だぞと抗議する。

これがどうして笑えずにいれようか。

これが笑って済ませられることになるまでに月と日がどれだけ昇ったら沈んだりしただろうか。

そういうことを考えると俺はますます笑えてくる。息子はますます俺に抗議する。

息子はちょっと痛い目に遭ったってぐったりすることなく次の瞬間には跳ね起きて明日の自分の伸び代を語り、今痛い目を見て泣いている自分を笑う父親に意義を申し立て次の瞬間にはケロッとした顔で何かしらの遊びに打ち込む。

これを笑わないという方が俺にとっては無茶な話だ。

悲劇はスローモーションに見える。2歳の息子が転ぶときはスローモーションに見えたが、今の息子がすっ転ぶところは24フレームで見える。それは、彼が成長しているということだし、俺が彼を信頼していることだとも思う。だから俺は笑うし、彼は笑う俺に抗議する余裕があるのだろう。

何かあればすぐにでも手を差し伸べたかった我が子はいつの間にか手を差し伸べるまでもなく勝手に立ち上がるようになり笑ってさえおけばいいほどにたくましくなり、そしていずれ俺の笑い声さえ聴こえないところまで行ってしまえばいいと思う。

以上です。