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アサヒ生ジョッキ缶のバズ、あれが「人が飲み会に求めてたすべて」説

みんなー、飲酒してるー!!??俺はめちゃめちゃ飲酒してるぞ!!

1月は正月で酒が飲めるぞ酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞから始まって結局12ヶ月ずっと酒を飲んでるじゃん、てなる歌あるじゃないですか。俺は飲酒が好きすぎて、あの歌を増やしてるから。俺のあの歌は1月第一週は正月で酒が飲めるぞー、から始まるから。細分化することによって、より365日酒を飲み続けていいリアリティを与えている。ラス前は、演奏がギター以外全部止まってスローでメロウなバラード調に転調するなかでボーカルがしっとりと「閏年は1日多く酒が飲めるぞ、酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」と歌い上げたらドラムがシャンシャンシャンて鳴らして他のパートも怒号のように押し寄せてボーカルが甲高い声で「かんぱ〜い!!」て叫びながら最後の大サビに向かう。だいたいノリとしてはXの紅。

さて、そんな酒飲みのみなさんならきっとご存知であろうのが先日インターネットを巻き込んで怒涛の盛り上がりを見せた、アサヒスーパードライの生ジョッキ缶。

コンビニでこんなん先行発売されてる!!買えたよ!!泡出るよ!!すごいよ!!てSNSが席巻されてる頃には既にどこのコンビニでも完売。いくら何軒コンビニを回っても全然見つからなくて定価だとたぶん300円いかないくらいだったはずの生ジョッキ缶がメルカリなどでは転売ヤーが3缶2000円とかで出品されている。そんな状況の中でアサヒは突如売れすぎによる一旦出荷停止を宣言。おいおいどうなるんだよと思ったらその一週間後には全国の大手チェーンスーパー各社で大量入荷されてるのが目撃されて、また泡がシュワシュワーと増えていく動画がSNSに溢れまくる。泡だけに。

で、コンビニ限定販売の時は乗り遅れて買えなかった俺もこのタイミングでは、やっとこ買えて、うお、すっげ、めっちゃ泡出る、うわマジで店で飲むサーバーのアサヒだ、すっげ、と思いながら飲んでた。軍手を嵌めた手で。一番缶ビールうまく飲む方法、結局さいごは軍手だからね。最後の一滴まで味わいたくて、軍手を嵌めた手にビール缶を逆さに振るシーン、まじで大好き。

で、さ、まあ累計で6本くらいは買ったのかな?買って、飲んで、こりゃうめえなぁ、これはもう普通の缶ビールは飲めんぞ?てくらいうまい気がしてさ、でもまあ当然その分割高だからなぁ、どうしたもんかなぁ、て思ってたらまたいつの間にか店頭からすっからかんに無くなっててさ。

あの時なんかちょっと怖くなかった?昨日まであったはずの生ジョッキ缶がまるっとなくなってるあの感じ。そして、それに伴って「買ったぜ〜」て動画アップしてるのがタイムラインにアホほど流れてくる現象もピタッと凪いでさ。かと言って、まあ可視化されてないだけなんだろうけど「買えなくなっちゃったー」みたいなツイートも見かけないからさ、「あれ、本当にあったよね??集団幻覚じゃなかったよね??」みたいに思って怖くてウケてたんですけど。終戦の後にみんなあの戦争は無謀だったおかしかったみたいな批判で溢れかえって「いや、みんなあの時戦争賛成勝つぞ勝つぞって騒いでたけど、あれあったよね?みんな当たり前に戦争はダメだったって息巻いてるけどちょっと前までそんなんじゃなかったよね?あれ?俺だけ?あれぇ!?」みたいな、そういうのにちょっと似てるなと思って怖くてウケてたんですけども。

話は変わりますけど酒好きのみなさん、飲み会って好きです?俺はあんまり好きじゃなくて。2人3人で相手を選んでしっぽり語らいながら飲むみたいなのはまあいいんですけど、いわゆるみんなでワイワイガヤガヤみたいな、親睦を深めましょうみたいなノリのやつは割と苦手なんですよね。あんまり気が合わないやつの話に受動的に相槌を打ち続けるとか全然おもんないし、かと言って別に積極的に主導権を握って俺の話をテーブルのみんなにしたいとも思わないし、まあ空虚というかTwitter見ながら一人で飲んでた方が面白いよなー、てのが正直なところ。

コロナ禍になってすぐの頃はZOOM飲みとか話題になってたけど、アレだってどれだけみんな続けてるんだって話だよね。気心知れる気の置けない仲間内でやってる人たちはそりゃいるんだろうけど、そういう人たちは別にコロナ禍の前からだらだらSkype繋ぎながら酒飲んでダベるとか普通にやってそうだし。いわゆる世の中に蔓延っていた「飲み会」の代替として「ZOOM飲み」が機能しているのかというとたぶん全然そんなことないんだろうねーというのが体感だ。

翻ってアサヒの生ジョッキ缶の話に戻るんだが、アサヒの生ジョッキ缶は一部からの批判というかネガティブな解釈ご意見として「コロナ禍だから売れてるだけ」みたいなものもあるみたいですなぁ。「外で生ビール飲むことができないから生まれた特需で、今後長く売れるような代物ではない」って考え方です。でも俺はむしろ逆じゃねえかなと思ってて、まあコロナ禍以前に当たり前の慣習であった「居酒屋でワイワイ飲む」なんですけど、まあ酒が飲めない飲み会なんて大嫌いなんて人からすると本当に百害あって一利なしってなもんなんでしょうけど、酒飲みの奴らからしたって「一利くらいはあるけどそんなに多人数でワイワイガヤガヤ2時間も3時間も飲むなんてかったりいよ」て考え方の人はたくさんいるわけで、じゃあ、「その一利ってなんなんだろうね?」て考えた時にピッタンコハマるんがあの生ジョッキ缶バズだったんじゃねえかなと思うわけなんですよ。

まあ、大勢の飲み会、かったるいんですよ、毛繕いコミュニケーションは大事だとしても馬鹿が薄い話を偉そうにするし、そいつの話を無理に遮って誰も彼もに話したい話があるわけでもなく、でも一回かんぱーい!てやったら運ばれてくる料理は食べなきゃならないし、料理を食べたら食べたで酒は進むしで、まあ始まったら飲み会は飲み会なのでやるんですけど、まー全体の9割がたはかったるい。じゃあ、飲み会全否定なのかというとそんなわけではなくて、まあ、かんぱーい!ですよね。かんぱーい!つって、実際にグラスを合わせて「やっぱ労働の後のビールは沁みるね」みたいなその瞬間くらいはまあ嫌いじゃないんですよね。

で、そう考えた時に生ジョッキ缶って、その百害あるなかの残されたその一利を、リアルを介さず擬似的にSNSやらなんやらを通して再現する最高の商品では?みたいなことを今は考えてて。

なんか、6月から月1くらいで限定出荷を繰り返すらしいんですよ、アサヒ生ジョッキ缶。俺、それがもう今から楽しみで仕方なくて。緊急事態宣言がいつまで続くかはよくわからないですけど、みんなでワイワイ飲み会みたいなことができる日常に戻るのはまだ全然見通しが立ってない中で、月1であの集団幻覚みたいなバズがどれだけ続くんだろうかと思うと本当に楽しみで。

付き合いの飲み会なんかせいぜい月1で結構みたいな人たちはそれなりのボリュームを占めているだろうとは思っていて、その人らが「月1くらいなら欲していたものはなんだったんだろう?」てこの飲みに行けない世界で各自考えた時に「ああ、月1でアサヒ生ジョッキ缶をアップし合うので代替できる程度のやつだったな」となるんじゃないかなと思ってて、アサヒ生ジョッキ缶はコロナ禍特需でたまたま売れた商品ではなくて、コロナ禍が収束して以降の飲み会文化にもダメージを与えるくらいに「俺たちが飲み会に求めていたものはその程度だった」と認識させるアイテムになってくれたら面白いんだけどなーと思いながら、俺は再出荷を楽しみにしているのであった。

居酒屋でなるだけたくさん酒を飲んで欲しいアサヒがそれをやっちゃったみたいな感じになったら超面白いし。飲み会を楽しめる側にいた人間と、1割くらいの生ジョッキ缶で事足りる楽しみしか得てなかった人間のギャップが浮き彫りになるんじゃないかと考えても面白い。

先行きの見えないこの時代の明るいニュースだなと思って生ジョッキ缶の行く末を見守っている。

以上です。

人が人に教えられることは「俺になれ」「俺になるな」の二つだけ

https://blog.tinect.jp/?p=70563

しんざきさんのこの記事を読んで、思い出したのが掲題の言葉。これもしんざきさんの場合と同様で、俺の言葉ではなく人から聞いて感銘を受けた言葉です。

ただ、しんざきさんと大きく違うのは、別に俺が師事した人の言葉というわけではなく、ただの気の合う友人から聞いた言葉なんですが、その友人自体はめちゃめちゃ門下生を引き連れて「教えること」を今は知らないけど少なくとも当時は生業にしていた人で、そのうえでの言葉であることと彼の人となりを俺がそれなりに知っていること、そして俺と彼がそれなりに馬の合う仲だったことも踏まえて、割と俺の胸に刺さり、今も心掛けている言葉になってるんですが、さてもさても、ややこしいのは、この掲題の言葉を発したその人間の生業というのは、めんどくさいことに「ナンパ師(女性とのコミュニケーションにコンプレックスを持って門を叩く人にカネを貰ってナンパのやり方を教える、自身もナンパをしまくる人)」だったのです。

しんざきさんの語る「再現性」って、つまり「非属人性」って言い換えることは完全なイコールじゃないにせよ、ニアリイコールに言い換えることができんのかな?て読んでて思ったんですけど、じゃあその「非属人性」って本当にそんなものこの人間社会において本当の意味で存在するの?みたいなことを思って、で、その時に思い出したのがそのナンパ師の人です。

特に彼が教えてる領域というのは「ナンパ」つまりは、コミュニケーション全般で、その領域については常に「他者」が介在するのが当たり前すぎる大前提の世界なので、変数が馬鹿ほどばら撒かれてるのが大前提な世界なわけですね。

で、ナンパ師界隈やら恋愛工学界隈においても、そういうものを定量的に判断できるようにしようという考え方は当然あります。

一番わかりやすくてアレなケースで言えば「女はこういうもん」と決めつけて動き方を構築して、その動き方がハマる相手を狙っていくみたいなやり方。で、それをもうちょっと細分化しようと思ったら、女をいくつかのタイプに類型化してラベリングして「こういうタイプには、こういう対応」みたいな、そういう100%の成功率にはならないけれどもできるだけヤレる率の高いセオリーを組み立てていく、みたいな形になっていきます。はてなに長くいる方々はもしかするとご存知かもしれない鼻白まずにはいられない臭せえ臭せえ界隈かもしれませんが、そういう界隈が現に存在していて、こういう考え方の筋道で生まれるノウハウを人から学ぶにせよ天然で自学自習で習得するにせよ実際に活用してワンナイトラブを決め込む人種が港区に限らず全国に存在していること自体は肯定否定は別として、皆様も眉を顰めながら認識しているところなのではないかと思います。

で、前段でお話したこれらのノウハウなんですけど、「再現性をどう担保するか」「属人性を排除して、誰でも同じようにやったら同じような確率で成功できますよ、を考える」という体において、しんざきさんのしている「成功体験の棚卸し」という話とあまり変わらないように僕には感じられます。

ナンパ師のそういう数を稼ぐムーヴについて、まぁ世の中の大半の人は「それってどうなの?」「悪いことじゃないの?」「そんなことをしても人を傷つけるだけだし自分も本当の意味で幸せにはなれないのではないの?」と感じるところだと思います。僕もそう思います。イエス、アイアグリー。名古屋の署名の件は、本当に申し訳ありませんでした!!いや、今、「イエス」って言った手前、勢いで謝ってしまったけど、あの件は俺、なんの関係もねえわ。

で、なんだっけ、そうだ、そんな感じでナンパ師指南だとか恋愛工学の理論が方々で構築されていってる中で、そのナンパ師の人が言ってたのがそれなんですよ。

 

人が人に教えられることは二つだけ、「俺になれ」と「俺になるな」。

 

まあ、つまり、しんざきさんの文脈を都合よく拝借して解釈するのであれば、本当に相手のことを大事に思うのであれば都合良く自分の成功体験を棚卸しできるなんて自惚れることなく、その二つのどちらを教えるかだけでやり繰りしろ、それが誠実だ、て話なのかなと当時も今も俺はそう解釈しています。

難しいのは、これだけ聞くと「お前は俺にはなれない、俺になれるお前を目指せ」「お前なら俺になれる、死ぬほど努力して俺になれ」みたいなことなの?みたいな誤解を生みやすそうなところだと思うんですけど。

僕も、ヤリチンナンパ師から受け取った言葉を真に受けて何も考えず運用するほどアホじゃないのでよくよく考えながら自分の人生において運用するよう考えてはいるんですが、「俺になるな!」とアドバイスを求めてくる他人に言う時は、だいたい自分の成功体験とワンセットです。「俺はこういう風な流れでいい感じに収めた、でもそれは俺が俺だからできたことで、お前にできるとは到底思えない。お前にできるとは思えない。お前は別のやり方を探す必要があると思う、とりあえず俺の成功体験はそんな感じ」くらいの感じ。「俺になれ!」とアドバイスを求めてきた他人に言う時はだいたい自分の失敗体験とワンセットかもしれない。「状況的にかなり悪いからどうしてもうまい成功体験は得られないだろう、しかし、その後の糧になって今の俺があるので、ここでどうせ成功体験は得られないだろうしと消極的に撤退するよりかはしんどいかもしれないけど突っ込んでみるのも一つアリかもしれない、そこでお前が得られるものは俺が得たものとは勿論違うだろうけど」みたいな調子だろうか。どちらも、雑で極端な一例には過ぎないのかもしれないが。

あ、ちなみに全部、主には仕事の話ですよ。俺はナンパ師ではないんで。

 

つまり、非属人化とか再現性とかを観点にしんざきさんの組み立てる論理はそれはそれでわかるのだが、「棚卸し」ってそんなに簡単に人間にできるのかなぁ?という疑問に立ち戻った時に、下の人間に確実にそのまま継承できる何かがありえる機会って、それこそゼロじゃない?と思うところがあって。ゼロとは言わないけど、再現性はないんじゃないの?と思って。

「自分がなんらかの経験からポジティブなりネガティヴなりの何かを得た」を語って、そのうえで「俺になれ」「俺になるな」のどちらかを言うのが他人にできるせいぜいなんじゃないかなー、みたいな。自分の頭で考えようみたいな言葉もなんか寒い言葉の扱いになってますけど、他人は思い通りにならないし、その中で他人とやっていくしかないよねーて考える時に、俺はこの「俺になれ」「俺になるな」の2つで悩む態度こそが誠実だと思うし、そうじゃなくて「棚卸し」を考える態度は「俺になれ」一辺倒な感じもしてなんか嫌で、まー人は育たなくて俺が良ければそれでいいんだけどさと思いつつ、悩ましく思うのであった。

これたぶんあんまうまく書けてねえな、これが今日の俺の調子だから仕方ないか。えーと、俺になるな。

以上です。

タウラス杯用育成でダイワスカーレットに惚れた

今回はウマ娘やってないひとは読んでもあんま何言ってるかわからんかもしれんよ!まあ雰囲気だけ楽しむことは可能かもよ!?

 

みんなやってる?タウラス杯?

俺は一応やってるけど、まあガチ勢が信じれないほどたくさんいるんだろうし、対人だと運ゲー要素強いし、あまり根を詰めても仕方ないしなとゆったり構えつつ、それでも報酬が魅力的なので頑張れる分には頑張ろうくらいの気持ちでやっている。

そんな調子なので当然上限Bランクのオープンリーグ戦でチャレンジしてるわけだが、最大の問題はタウラス杯の2日くらい前に継承に使うかチームレーススタメンか以外の全ての殿堂入りウマ娘を夜中に酔った勢いで全部移籍させてしまったことだ。

慌てて俺はとりあえずデバフスキル積めるだけ積んだ捨て駒Bランクアグネスタキオンと、スピードスタミナパワーがBのバランス型ゴルシの育成をさくっと終えて、継承用の中からスピードAパワースタミナBでそのぶん賢さが少し足りてないスペシャルウィークの3人で初戦に望んだ。正直、これくらいでまあ普通に3勝勝ち越しくらいはできるっしょ、と思ってた。が、これがまー勝てない。5戦2勝を2度繰り返し、ウマ娘プレイヤーの層の厚さを知るのと同時にみんながどれくらいこのゲームに情熱注いでたか舐めてたよ、ごめんよ、という気持ちになった。

で、勝てない要因なんだが、逃げ馬勢が思いのほか強い。普段やってるチームレースだと逃げってあんまり強くないイメージがあったのでタウラス杯もそのつもりでいたんだが、まぁ普通に逃げ切られる。なかでも自分が育成ウマ娘として解放できてないから意識の外にあったミホノブルボンが強くて好まれ使われて多い気がする。特にパワーを捨ててCとかDに抑えてスピードとスタミナをギリギリまで攻めてるミホノブルボンがまー捕まらない。差せない。そのまま逃げ切られる。体感に過ぎないんだが、サイレンススズカの方がまだ刺しやすい。少ないnではあるが、とりあえずミホノブルボンが絡むレースはミホノブルボンに全敗であった。勝てた勝負は全部スペシャルウィークで、スピードが足りないゴルシはタウラス杯では輝かないということもよくわかった。

さて、とりあえず今のうちのエースはサクッと計算してタウラス杯のために育成されたゴルシではなく、当時俺のプレイスキルもサポカレベルも今より拙くURA制覇が安定しない中で懸命に二人三脚で育てた結果なんとかURA制覇をしたうえに初めての自前スピード因子3を獲得してくれたスペシャルウィークであることがわかった。これだけでも胸熱だか、更にこのスペシャルウィークをたくさん勝たせて更に胸熱になりたいじゃないか。URA制覇も安定して上振れ期待でだらだらプレイしてる最近だったがこうやって勝利への欲をもう一度沸き立たせてくれるのだから対人戦は面白いし、ウマ娘は面白い。

ではここで改めて、急造ゴルシはスタメンを外れるとして、今うちのチームに必要な人材は何か?

答えは、擬似キョウエイボーガンの育成である。ミホノブルボンの無敗の三冠をライスシャワーが阻んだ菊花賞のエピソードはウマ娘ファンなら皆さんご存知のところであろうが、その裏にはもう一人の立役者がいた。その菊花賞の舞台で圧倒的な逃げ馬であったミホノブルボンの前を走り続け最後には力尽きて馬群に沈んだ馬、キョウエイボーガン。ミホノブルボンの逃げスタイルを壊し、ペースを乱し、スタミナを奪い、ライスシャワーの勝利に花を添えた影なる功労者である。

よし、俺は擬似キョウエイボーガンを作ろう。スタミナは青スキルでごまかして最低限に抑え、スピードをAまで持っていき、パワーにも振れるだけ振って競り合いに備え、悠々と大逃げで勝ちきるつもりのミホノブルボンサイレンススズカの前を走ってはスタミナを削るだけ削り、ついでにデバフスキルを積めるだけ積んで、終盤自分は力尽きてエースであるスペシャルウィークにバトンを繋ぐ、そんな最高にカッコいい当て馬を育成してやろう。競り合いでスタミナが減るのか?については諸説あるんですが、一部でまことしやかに言われる「根性は競り合い時のスタミナ減少を抑えるステータス」説を俺は割と体感として支持している。

そうして白羽の矢が立ったのがダイワスカーレット、逃げに特化したウマ娘ながらサイレンススズカのような大逃げタイプではなく後続のウマ娘に常に競り合いを挑発するような絶妙な距離感で先頭を走り続けるスタイルのウマ娘だ。なんかここらへん、同じ作戦のウマ娘でも本来の史実の馬の走り方を反映させてキャラごとにチューニングされてるような気がしてる。気がしてるだけで本当のところはよくわからんのだが、俺はオカルト的に信じてる。

そういうわけで、競り合いを好むダイワスカーレットの逃げは俺が構想する擬似キョウエイボーガン育成に打ってつけだ。おまけに俺はウマ娘のなかでのダイワスカーレットのキャラにあまり愛着がない。ツンデレ?と言っていいのかは詳しくないからわからないが、表向きの優等生キャラと性格悪いわけでは全くないのだが一番に固執する負けん気の強いキャラという二面性、そのうえで強調される内面的なお嬢様気質と幼さ、対して肉体的には成熟しているというアンバランスなビジュアルキャラ造形、うん、そういう2000年代初頭のオタクが好みそうなキャラ、全然好きじゃない。好きじゃないから、捨て駒として育成しても全然心が痛まない。ちなみに俺の好きなウマ娘アグネスタキオンナイスネイチャ(お前もごく普通のオタク仕草やないか!)。

よし、そういうことだ、ダイワスカーレット、これから一緒に頑張ろう。俺が立派な捨て駒に育ててやる。君、ちょっと行ってくれないか、捨て駒になってくれないか。いざこざに巻き込まれて泣いてくれないか。

そうして出来上がったダイワスカーレットがこれ!

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いや、Bランク超えてもうてるやないか!

いや僕もね、アグネスタキオンとゴルシの育成でBランク内に抑える調整は割とお手の物だと思ってたんですよ。URAファイナルまで制覇しちゃうとたぶんBランク越えるなってラインまで育てて、絶妙なラインで苦手な作戦に切り替えてわざと負かす。それでゴルシもタキオンも仕上がっていて今回もそれでいけるはずだったんですよ。ライスシャワースイープトウショウマーベラスサンデーに師事して、順調にデバフスキルを積み、勝たせる目的はないので金じゃない青スキルを積み、ようしこれは完全に仕上がった!お前はもうURAの予選で負けろ!お前が陰の功労者として活躍する場所はタウラス杯だ!さっさと負けてくれ!上振れしちゃうから!という願いを込めて、作戦を適性Gの追い込みに切り替えていざ出陣!賢さ足りなかったら青スキル発動しなくて勝手に馬群に沈むでしょ!出陣出陣!負けるが勝ちだぞ、ダイワスカーレット!!

そこからこいつノーコンテニューで3戦3勝しちゃうの、なんでなんよ!なんでなのよ!?どんだけ負けん気強いのよ!?いつも一生懸命で勝利に貪欲なお前、めちゃめちゃ輝いてるよ!かわいいな!!

で、仕方ないからもう一回同じサポカデッキで育成し直すわけですけど今度はこれですよ。

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頑なにデバフスキルのヒントを習得しない。デバフスキル獲得のために温存してるスキルポイントがえらいことになってる。どうせ捨て駒育成なのでその他の勝つためのスキルを一切与えない冷酷トレーナーなどどこ吹く風、有馬記念に向けて意気揚々と勝ち続けるダイワスカーレット。自分が1番じゃないと気が済まないウマ娘ダイワスカーレット。そのためなら自分にどこまでもストイックになれるウマ娘ダイワスカーレット。お前さぁ、シンプルに言って、かっこよすぎるよ。

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その後も順調にデバフスキルを習得することなく、有馬記念をノーコンティニューで制覇し、URAファイナルまで進出するダイワスカーレット。彼女の1番への執念に根負けした俺は、もういいよ、お前は勝っておいで、足りないスタミナは俺のせい、せめてありったけの青スキルを積んであげるからお前は1番のウマ娘になりなさいと言ってあげたが、彼女は結局URAファイナルのゴールを先頭で駆け抜けることはコンティニューを繰り返しても果たせなかった。俺は大変に申し訳ない気分になった。そして勝ちたいから逃げただけのトウショウボーガンにも申し訳ない気持ちになったのだった。

そして俺は、今もダイワスカーレットを育成し続けている。捨て駒ではない、彼女が1番にタウラス杯のゴールを切る、そんなダイワスカーレットに仕上げるために。

以上です。