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タウラス杯用育成でダイワスカーレットに惚れた

今回はウマ娘やってないひとは読んでもあんま何言ってるかわからんかもしれんよ!まあ雰囲気だけ楽しむことは可能かもよ!?

 

みんなやってる?タウラス杯?

俺は一応やってるけど、まあガチ勢が信じれないほどたくさんいるんだろうし、対人だと運ゲー要素強いし、あまり根を詰めても仕方ないしなとゆったり構えつつ、それでも報酬が魅力的なので頑張れる分には頑張ろうくらいの気持ちでやっている。

そんな調子なので当然上限Bランクのオープンリーグ戦でチャレンジしてるわけだが、最大の問題はタウラス杯の2日くらい前に継承に使うかチームレーススタメンか以外の全ての殿堂入りウマ娘を夜中に酔った勢いで全部移籍させてしまったことだ。

慌てて俺はとりあえずデバフスキル積めるだけ積んだ捨て駒Bランクアグネスタキオンと、スピードスタミナパワーがBのバランス型ゴルシの育成をさくっと終えて、継承用の中からスピードAパワースタミナBでそのぶん賢さが少し足りてないスペシャルウィークの3人で初戦に望んだ。正直、これくらいでまあ普通に3勝勝ち越しくらいはできるっしょ、と思ってた。が、これがまー勝てない。5戦2勝を2度繰り返し、ウマ娘プレイヤーの層の厚さを知るのと同時にみんながどれくらいこのゲームに情熱注いでたか舐めてたよ、ごめんよ、という気持ちになった。

で、勝てない要因なんだが、逃げ馬勢が思いのほか強い。普段やってるチームレースだと逃げってあんまり強くないイメージがあったのでタウラス杯もそのつもりでいたんだが、まぁ普通に逃げ切られる。なかでも自分が育成ウマ娘として解放できてないから意識の外にあったミホノブルボンが強くて好まれ使われて多い気がする。特にパワーを捨ててCとかDに抑えてスピードとスタミナをギリギリまで攻めてるミホノブルボンがまー捕まらない。差せない。そのまま逃げ切られる。体感に過ぎないんだが、サイレンススズカの方がまだ刺しやすい。少ないnではあるが、とりあえずミホノブルボンが絡むレースはミホノブルボンに全敗であった。勝てた勝負は全部スペシャルウィークで、スピードが足りないゴルシはタウラス杯では輝かないということもよくわかった。

さて、とりあえず今のうちのエースはサクッと計算してタウラス杯のために育成されたゴルシではなく、当時俺のプレイスキルもサポカレベルも今より拙くURA制覇が安定しない中で懸命に二人三脚で育てた結果なんとかURA制覇をしたうえに初めての自前スピード因子3を獲得してくれたスペシャルウィークであることがわかった。これだけでも胸熱だか、更にこのスペシャルウィークをたくさん勝たせて更に胸熱になりたいじゃないか。URA制覇も安定して上振れ期待でだらだらプレイしてる最近だったがこうやって勝利への欲をもう一度沸き立たせてくれるのだから対人戦は面白いし、ウマ娘は面白い。

ではここで改めて、急造ゴルシはスタメンを外れるとして、今うちのチームに必要な人材は何か?

答えは、擬似キョウエイボーガンの育成である。ミホノブルボンの無敗の三冠をライスシャワーが阻んだ菊花賞のエピソードはウマ娘ファンなら皆さんご存知のところであろうが、その裏にはもう一人の立役者がいた。その菊花賞の舞台で圧倒的な逃げ馬であったミホノブルボンの前を走り続け最後には力尽きて馬群に沈んだ馬、キョウエイボーガン。ミホノブルボンの逃げスタイルを壊し、ペースを乱し、スタミナを奪い、ライスシャワーの勝利に花を添えた影なる功労者である。

よし、俺は擬似キョウエイボーガンを作ろう。スタミナは青スキルでごまかして最低限に抑え、スピードをAまで持っていき、パワーにも振れるだけ振って競り合いに備え、悠々と大逃げで勝ちきるつもりのミホノブルボンサイレンススズカの前を走ってはスタミナを削るだけ削り、ついでにデバフスキルを積めるだけ積んで、終盤自分は力尽きてエースであるスペシャルウィークにバトンを繋ぐ、そんな最高にカッコいい当て馬を育成してやろう。競り合いでスタミナが減るのか?については諸説あるんですが、一部でまことしやかに言われる「根性は競り合い時のスタミナ減少を抑えるステータス」説を俺は割と体感として支持している。

そうして白羽の矢が立ったのがダイワスカーレット、逃げに特化したウマ娘ながらサイレンススズカのような大逃げタイプではなく後続のウマ娘に常に競り合いを挑発するような絶妙な距離感で先頭を走り続けるスタイルのウマ娘だ。なんかここらへん、同じ作戦のウマ娘でも本来の史実の馬の走り方を反映させてキャラごとにチューニングされてるような気がしてる。気がしてるだけで本当のところはよくわからんのだが、俺はオカルト的に信じてる。

そういうわけで、競り合いを好むダイワスカーレットの逃げは俺が構想する擬似キョウエイボーガン育成に打ってつけだ。おまけに俺はウマ娘のなかでのダイワスカーレットのキャラにあまり愛着がない。ツンデレ?と言っていいのかは詳しくないからわからないが、表向きの優等生キャラと性格悪いわけでは全くないのだが一番に固執する負けん気の強いキャラという二面性、そのうえで強調される内面的なお嬢様気質と幼さ、対して肉体的には成熟しているというアンバランスなビジュアルキャラ造形、うん、そういう2000年代初頭のオタクが好みそうなキャラ、全然好きじゃない。好きじゃないから、捨て駒として育成しても全然心が痛まない。ちなみに俺の好きなウマ娘アグネスタキオンナイスネイチャ(お前もごく普通のオタク仕草やないか!)。

よし、そういうことだ、ダイワスカーレット、これから一緒に頑張ろう。俺が立派な捨て駒に育ててやる。君、ちょっと行ってくれないか、捨て駒になってくれないか。いざこざに巻き込まれて泣いてくれないか。

そうして出来上がったダイワスカーレットがこれ!

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いや、Bランク超えてもうてるやないか!

いや僕もね、アグネスタキオンとゴルシの育成でBランク内に抑える調整は割とお手の物だと思ってたんですよ。URAファイナルまで制覇しちゃうとたぶんBランク越えるなってラインまで育てて、絶妙なラインで苦手な作戦に切り替えてわざと負かす。それでゴルシもタキオンも仕上がっていて今回もそれでいけるはずだったんですよ。ライスシャワースイープトウショウマーベラスサンデーに師事して、順調にデバフスキルを積み、勝たせる目的はないので金じゃない青スキルを積み、ようしこれは完全に仕上がった!お前はもうURAの予選で負けろ!お前が陰の功労者として活躍する場所はタウラス杯だ!さっさと負けてくれ!上振れしちゃうから!という願いを込めて、作戦を適性Gの追い込みに切り替えていざ出陣!賢さ足りなかったら青スキル発動しなくて勝手に馬群に沈むでしょ!出陣出陣!負けるが勝ちだぞ、ダイワスカーレット!!

そこからこいつノーコンテニューで3戦3勝しちゃうの、なんでなんよ!なんでなのよ!?どんだけ負けん気強いのよ!?いつも一生懸命で勝利に貪欲なお前、めちゃめちゃ輝いてるよ!かわいいな!!

で、仕方ないからもう一回同じサポカデッキで育成し直すわけですけど今度はこれですよ。

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頑なにデバフスキルのヒントを習得しない。デバフスキル獲得のために温存してるスキルポイントがえらいことになってる。どうせ捨て駒育成なのでその他の勝つためのスキルを一切与えない冷酷トレーナーなどどこ吹く風、有馬記念に向けて意気揚々と勝ち続けるダイワスカーレット。自分が1番じゃないと気が済まないウマ娘ダイワスカーレット。そのためなら自分にどこまでもストイックになれるウマ娘ダイワスカーレット。お前さぁ、シンプルに言って、かっこよすぎるよ。

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その後も順調にデバフスキルを習得することなく、有馬記念をノーコンティニューで制覇し、URAファイナルまで進出するダイワスカーレット。彼女の1番への執念に根負けした俺は、もういいよ、お前は勝っておいで、足りないスタミナは俺のせい、せめてありったけの青スキルを積んであげるからお前は1番のウマ娘になりなさいと言ってあげたが、彼女は結局URAファイナルのゴールを先頭で駆け抜けることはコンティニューを繰り返しても果たせなかった。俺は大変に申し訳ない気分になった。そして勝ちたいから逃げただけのトウショウボーガンにも申し訳ない気持ちになったのだった。

そして俺は、今もダイワスカーレットを育成し続けている。捨て駒ではない、彼女が1番にタウラス杯のゴールを切る、そんなダイワスカーレットに仕上げるために。

以上です。

ウマ娘ハマって、経済動物としての「馬」について色々考える

※前半、数字が一部たくさん出てきますが、数字を追う主旨の記事じゃないので雑です。競馬についても畜産業についても、完全に馬鹿ほどニワカです。個人の思ったことを書いてることなのは随分承知です。注釈いただけたら都度反映させるつもりなのでお気軽にご指摘いただければと思います。何卒、寛大にご閲覧ください。

 

あのー、今更言うまでもなく面白いね、ウマ娘

モンスターファームで全種族を殿堂入りさすまで育成したりとか、ワールドネバーランドシリーズを累計数百時間プレイしたりとか、野球は興味ないけど育成が好きだからクラスメイトの友人からゲームボーイカセットだけ借りて64で戦わせるパワプロ選手を育成代行して金銭を授受する中学生だった俺は見事にどハマりしてしまいました。

課金は申し訳ないんですがケチな性分でものすごい微課金勢で、それでも今は25キャラ開放されてて完凸のサポカも3枚くらいあるんで、育成がワンパターンだなーと思いつつもこんな微課金でこんなに遊ばせてもらってすいませんと思いながら、この前深夜酔っ払ってる時に因子強いウマ娘とチームレースのスタメン以外移籍させてしまったので、「俺、タウラス杯どうすんの?この微課金のショボい勢力でグレードリーグに挑んで木っ葉にされるしかないの!?」というのが目下の悩みです。

それでも図々しく「まあ俺が課金しなくてもみんな馬鹿ほど課金してるし勘弁してくれよ」とサイバーグループのIRを眺めながら楽しく遊んでるわけですが、1ヶ月で150億?200億?わからんけど、とんでもない利益だかを叩き出してるウマ娘なわけです。

で、じゃあ、その元ネタの競馬ってどれくらい売りあがってるんだろ?これからウマ娘の影響で競馬の売上も上向くのかなぁ?と思ってJRAについてちょろっと調べてみたら、年間の売上が直近で年間3兆だかで、ピークが4兆とからしくて、ウマ娘の直近利益が開発費やら人件費とかを加味しつつストア手数料30%も加味しつつで考えても、ウマ娘の流行り方のスケールって「競馬という文化をもう一回全盛期まで見事に返り咲かせてやるぜ!」て言うには(言ってないけど)ちょっとショボいじゃん、みたいな。

もちろん競馬の方の売上はあくまで売上であって、払い戻しがあるわけなので、JRAの手元に残るのは25%だか50%だかググってもよくわからないのだが、もちろん売上は売上に過ぎないのでJRAの年間売上3兆とウマ娘の月間利益150億を比較するには吟味が必要にはなるんですけど、ウマ娘の「人にカネを使わせる魔力や魅力」よりも競馬の「人にカネを使わせる魔力や魅力」ってのが断然ツヨツヨなんだなという事実を目の当たりにして呆然とした僕なのでした。

ほんで、そうなると、「競馬」ってなんなの?というところに興味が湧いてくる僕です。

もともとの競馬の印象は、「なんかわからんけどギャンブル」の僕でした。

僕はギャンブルは全然やらない、楽しまない気質の人間で、たとえば投資型の保険にいくつか加入しているものの、担当の保険の営業マンにも「最近上がってますよ!」みたいな感じで定期的に電話連絡を入れるのを喜ぶお客さんがいるというのもわかるんですけど、僕はそういうので一喜一憂するのもかったるいんでそういう定期連絡は要らないです、年に一度くらいの現状報告で結構です、あとは引き下がるべきかどうかみたいな状況になった時のみ連絡ください、て伝えていて、なので本当に年に一回くらいしか連絡がありません。

勝ったとか負けたとかいちいち騒ぐのがかったるいんですよ。だから、まあ賭けない遊びの麻雀とかやったりはしますけど、パチンコだのなんだのの類は一切やりませんし、宝くじも買わない。TOTOもやらないし、まあギャンブルが好きじゃないんです。もちろん、気まぐれや気の迷いでちょっと手を出した事は何度かあって、その時に見事に勝てないってのも、それはある種のラッキーなのかもしれない。つまり、「ワクワクを買う」みたいなことにあまり価値を感じないのでギャンブルとは縁遠い生活を送っている僕です。

で、そんな考えなので、競馬も「まあ、ギャンブル」くらいにしか認識してなかったんですよね。

競馬に賭けた体験で言うと、父親が割と競馬好きだったんで、小学生中学生の頃はたまに馬券買いを代行してくれてました。代行というか一口100円で買うから、ボックス買いする4頭を選べ、馬連で勝ちそうな馬を選んだら俺が買って、勝ったら勝ったぶんは小遣いだ、みたいなことを言われて馬選びを兄弟らとしてた、みたいな思い出はあります。ウマ娘の影響で「俺はウマ娘じゃなくて今のJRAに課金するか!!」と桜花賞とか賭けてみた時もその買い方して、普通に負けてたんですけど、負けた後に「あ、この買い方、穴を買わないと勝っても収支がプラスにならないからギャンブルな買い方しかできないし、これを俺に叩き込んだ親父、息子の競馬教育間違えたな!?俺は息子の競馬教育ちゃんとしよ!!」て思ったんですけど。いや、競馬に賭けるのそんな息子にのめり込まれても困るんですけど。

そんな感じで、僕はギャンブルにあまり馴染みがなくてそんなに素晴らしいものだとも思っていなくて、まあその程度のものだなと思う一方でウマ娘にどハマりして、JRAの売上に目を剥いて、「競馬ってなんなの?」てなってる状況なんですよね。

そんなことをぼんやり思いながらウマ娘をプレイしていると、多くのプレイヤーがそうなるように元ネタの馬たちの活躍や生涯がどういうものだったのかを知りたい欲がむくむくと湧いてきてネットをまた読み漁るわけです。で、そうなると「競馬ってなんなの?」に対する色々なアンサーがむくむくと立ち上がる。「競馬ってしょせんギャンブルなんでしょ?」というかつての僕の考えへの反論がむくむくと立ち上がる。俺みたいなこれまで馬に魅了されなかった人間とは違う、馬に魅了された市井の人々のストーリーが、人生が、むくむくと立ち上がる。

色々な記事を読み漁る中で、俺が特に印象的に感じたのは、ウマ娘で学んだミホノブルボンライスシャワーの関係性の裏側にいた、ウマ娘の中では登場すらしていないキョウエイボーガンという馬の話でした。ここでその馬について語るといつまでも終わらないので興味を持った方は各自ググってくれ。そこには、「馬と人の関係ってなんなんだろう」を考えるキッカケに十分になりうる、一つの物語があるはずです。

あとは、当時は「ふーん」くらいのエピソードとして読んでいた、某はてなブロガーのとある夫婦の軌跡についての述懐に登場するウオッカという馬とその夫婦との関係性についても改めて興味深く読んだりもした。

などなど、散々に読み漁った結果、自分が考えるべき問題として到達したのは「経済動物ってなんなんだろう?人間の都合で生かされ、そして殺される動物ってなんなんだろう?そして競馬ってなんなんだろう?馬ってなんなんだろう?」という問いでした。

そういえばなんですけど、僕は、酪農家の倅の倅です。父親は長男ではなかったので牧場を継ぐことはできないため、酪農業に分類されるベンチャー企業に勤めているような人間です。そんな背景のために、恐らく世の中の多くの人よりは畜産業の現場に触れ合う機会は相対的には他の人よりはたぶん多く、たとえば小学生の頃に牛の逆子の出産に立ち会ってなかなか頭が出てこない仔牛の脚に括り付けたロープを大人に混じって引っ張ったこともあれば、その仔牛に名前をつけてやったこともあり、その仔牛が思うような成長ができず肉として出荷される連絡を叔父からわざわざ電話で聞かされた経験などがあります。牛が死ぬ時に、現場の人々がどのようにそれを受け止めるか、語るか、を見聞きする経験も、全く関係のない世界で生きている人よりかは、いくらかは知っているんじゃないかと思います。夏休みの自由課題は、父親の実家の牧場に絡まれば常に楽勝でした。

とは言え、まあ、本当の現場の方々に比べれば、ほとんど門外漢も同然で、誰かにマウントを取れるような立場ではないんですけれども、せっかくなので自己紹介しました。

それで本題なんですけど、「競馬ってなんだろう?」「競馬って良いものなのか、悪いものなのか?」って考えた時に、あるあるで真っ先に出てくる話としてあるあるなのが、やっぱり「人間の都合で走らされて、人間の都合で潰される。それは競馬の闇だし、人間のエゴで闇だよね」みたいな話なのかなぁと事実として認識しているところがあります。

そして僕自身も、牛をかわいがる一方で出荷もする、そんなことを当たり前の日常として生きている親族にどう思えばいいのかよくわからない感情も、当時を振り返れば当然ありました。落とし所としては、そんなに簡単に親族を否定することは当時は難しく(今も全く否定してないんですけど)、「人が食べて明日も頑張る、人が食べてまた新たな人を産む」というのは十分に必要な営みだと考え、また一方で「人間は経済動物をただ搾取しているわけではない、愛情を注ぎ、共に生き、人間にとってより有益になるという尺度はありながらも、より彼らという種族が種として成熟していくことを望んで、人は経済動物を飼育している」とも考え、そして幼い僕は「でも競走馬は違うよね、あれは娯楽だ」と競馬という文化・経済を少し遠巻きに眺めらる立場を取ったところはあったのかもしれません。

しかし、こうしてウマ娘をきっかけに競馬という世界を懐に抱き込まれるような形で認識した僕はどうでしょう。正直、結論はまだ出ていません。

ただ、僕がウマ娘の圧倒的なコンテンツ力に魅せられて半ば強制的に巻き込まれた競馬の世界を見ると俺はもうよくわからなくなってしまったというのが正直なところです。

話を聞くだけでも、当時の空気感を当時の肌で感じることができなくても、ウマ娘という媒介がありながらも、その時々を生きた経済動物・馬たちとそれを当時に生で感じ取った市井の人々の人生が交錯していくことがそこには確実にあった、ということについて、俺は「人間が好きに走らせて、好きに殺してるだけだよ」とはとても思えなくなってしまった。

競走馬の世界に携わる職を持つ人々ないし、競馬ファンにおいて「馬肉を食うか食わないか」論争が存在するということは存じ上げています。俺はまぁ今後もめちゃめちゃ食いますね、うまいんで。馬肉。

しかし、他の経済動物、例えば牛であったりとか、鶏であったりとか、豚であったりとか、それらの経済動物の飼育に携わる人たちが「俺は自分が育ててる動物は食べないよ」と言ってるのは寡聞にして聞いたことがありません。これまじで、そういう人がいるなら純粋に聞きたいから、このエントリ拡散されて欲しいんだけどなー。読んでる人、いたら、よろしくね。これひとつ取っても、馬っていろんな経済動物の中で特殊な位置付けなんだなーて思います。「負け続ける馬をにわかが応援する」ハルウララブームを「死なせないために勝たせたい」競馬業界の方々が一部で冷ややかな目線を向けていたという話も、ウマ娘にハマって調べたことをきっかけに見聞きしました。馬を食べるか食べないかの話についても、ハルウララが安易に脚光を浴びることの是々非々についても、喧々轟々の賛否両論が巻き起こるのはよくわかる。どちらも否定する気は全く起きない。

しかし、それは競馬という世界の特異性であって、経済動物を扱う様々な業界の中ではやっぱり特殊な世界であって、そして何より、経済動物と人間の繋がりがどういうものであるか、人間が動物を使役して人間のためにを第一に考えながら飼育して共存する、この今の世界の現状をどう解釈するか?そういうシステムに依存しきった社会と一人一人がちゃんと向き合う一番の一助になるんじゃないかと選ばれた生き物が馬なんじゃないかってことを、俺はウマ娘から入ったにわかの分際で考えてしまうんだよね。

牛の世界においても、牛は一頭一頭に名前がつけられて、骨格とか乳房の張りとかで審査される品評会みたいな舞台があって、そこで優秀と評価された牛は種牛なり産む牛なりとして長生きさせてもらえて、そこで評価を貰えなかった牛は事情によっては肉にされる。馬と何も変わらないんだよね。

一方で高評価を得た牛が、全国区で名前を轟かせるかというともちろんそんなことはない。牛は直接交尾をするしかない馬と違って、冷凍した精液を全国に配送して人工授精できるので、本当に人知れず全国の国民の食を支えている。昨日、自分が食った牛の親の名前知ってる人、誰かいる?いないでしょ?でも、生産者は親の名前も知ってるし、子の名前も知ってるどころか名付けてる。馬も牛もそういう意味では何も変わらないし、脚光を浴びるチャンスを与えられてる馬って、そういう意味で本当に不思議な経済動物なんだなということを改めて認識している。

個人的な話で言えば、自分がそういう家系だからっていうのもあって過激派ヴィーガンとか苦手なんだよなぁ。「食うためにころすとかかわいそう!」てそんな浅はかに言われてもさ、俺は本当の意味では現場の人間では全くないからあんまり偉そうなことは言えないんだけどさ、そんな何も考えてないわけないじゃん、て思うし。

そう考えた時に「経済動物たちと関係ない人たち」と一番接点を待つ経済動物として存在する「馬」という存在を俺はすげえ考えてしまうんよな。ヴィーガンも世の中にたくさんいるし、逆に動物なんか人間がコントロールするものだからどうでもいいだろみたいな考えの自称リアリストもいるし、でも実際の現場にいる人たちは馬でも牛でも豚でも鶏でも、羊とか挙げるとキリがないけどさ、鹿を狩る人も熊を狩る人も、ジビエを出す料理店の人もさ、そんな割り切ることなく真ん中あたりで日々考えながらやってるんだろうからさ、せっかくこんなにウマ娘流行ってるんだったら、それをきっかけに俺がグダグダ喋ったようなことを考えてくれる人が、1人でも増えたらいいなと思うのだった。それが、動物のためにもなるし、人間のためにもなるだろうしさ。

 

なんか説教臭くなってしまったので、どうせならせっかくだしもう一つ。みんな、サークルで募集するのは中距離シューズで統一しない!?

 

以上です。

息子よ、貴様まさか理屈屋の息子か

こんなご時世で人集りに遠出する気も起きないので今日も今日とて今年の夏で4歳になる息子と公園に行く。

いつも同じ公園ばかりに行くのでは気晴らしにもならないので自転車に乗って一駅離れた町の公園へと向かった。

道すがら空のペットボトルを持ったおばちゃんが信号待ちの俺に唐突に話しかけてきて「なー、兄ちゃん、かなんなー。見てみいこのペットボトル、みんな人の家の前にポイポイ捨てていくねん。こんなコロナの時期やからこんなん私だってほんまは触りたくもないのにほんまかなわんで」と愚痴をこぼした。俺に話しかけたそのおばちゃんはマスクをしていなかった。

それからもう少し行ったところの信号待ちで、今度は「こんなところに歯医者なんかあったんだ」と気づいたのだが日曜日も午前中は診療してもらえると書いてあって、日曜もやってるなんて珍しいなぁと思うのと同時に、そこで差別化を図ろうとしてるのって治療の腕が十分なのか少し不安になってあまり行きたくないかもなぁと思った。

公園に着くと息子は意気揚々と遊具を巡って遊んだ。今日は手のひらに収まる小さなホルスタインのぬいぐるみを引き連れていて、コンセプトとしては自分が公園で遊ぶというよりかは、ホルスタインのぬいぐるみをもてなしてあげるような趣旨のようで、ホルスタインのぬいぐるみを置いたブランコを揺らしてあげたり、ホルスタインのぬいぐるみを抱きしめて一緒に滑り台を滑ったりを楽しそうにしていた。俺はそれを見守りながら彼が一人っ子であることやペット禁止のマンションに住んでいることについて何かしら考えたりなどした。

最近の息子は0歳からやっている英語教育の成果が目覚ましく日常的に何かしら英語で何かを言っていて公園でもたくさん英語を喋っていたのだが、俺が英語がてんでダメで知識も足りなければ耳もダメなので0歳から英語に慣れ親しんでいて俺のカタカナ英語のRとLの発音にも文句をつけて地団駄を踏む息子の流暢な英語が俺にはまじで聞き取れなくて、すまんが俺には日本語で言ってくれなどのやり取りを繰り返しながら公園で遊んでいた。英語で会話できる相手がいるともっといいかもなーと思い、lang-8で「僕が日本語の対応をするんで、あなたは息子と英語で喋ってくれ」みたいな友人を探そうかなとスマホをいじりながらホルスタインのぬいぐるみを乗せたブランコを揺らす息子を眺めていた。

隣では両腕にがっつり墨が入ったお父さんが娘の乗るブランコを揺らしていて、この娘さんはスーパー銭湯とか温泉とか行ったりするのかなぁ。このお父さんは家族がスーパー銭湯に行ってる間、車で待機してタバコを吹かしながら一人でネプリーグをぼんやり見たりしているのかもしれないなぁと思った。

母の日ということもあったので、ケーキと花束を買って家に帰ろうと思っていたのでテキトーに切り上げようと思い「今日はお母さんいつもありがとうの日だから、ケーキと花を買わなくちゃならんから帰るぞ」と息子に促すと割と素直に「うん、じゃあ、帰ろう」と言うので帰ろうとしたところで5mくらい離れたところからベンチに腰掛けてワンカップを一人で飲んでる絵に描いたような赤ら顔のクソジジイが「おう、坊主!かわいいな!」と叫んでいて「お礼言えば?」と水を向けると「ありがとう」と息子は返礼し、続けて「牛さんもいるねん」と公園でずっと抱き締めていたホルスタインのぬいぐるみをジジイに向かって高らかに掲げて示した。ジジイは「おう、かっこええな!」と宙に向けてワンカップを乾杯し、息子はそれに対して、「もう!かっこええじゃなくてかわいいでしょ!」と返し、ジジイは笑っていた。息子は「かわいいやつだなお前は」と言われながら生きるのが彼にとっての当たり前なのである。僕は息子の手を引きつつ会釈をしながらあのジジイはディスタンス保ってるからいいけど今日はやたらとマスクしてない人に絡まれる日だなぁと思った。

自転車に乗った後はケーキ屋に立ち寄りケーキ3つとシュークリーム1つを買い、花屋に立ち寄り花束を買い、目的を果たしながら家路を辿った。

 

この春から保育園から幼稚園に移り変わって以降、昼寝の習慣が無くなり、息子の就寝が早いので晩飯も早い。家に戻るとまだ外は明るい中、夕食の準備が既に始まっていた。ここで息子がゴネ始めるのである。

曰く、ご飯ができるまでのあいだに買ってきたケーキを食べたい、と。

そんな要求は当然余裕で突っぱねる。

 

「甘いもん先に食べたらご飯食べられなくなるでしょ、ご飯食べた後にみんなでケーキ食べようね」

「この前もお菓子食べ過ぎてご飯食べれなかったでしょ、だからダメ」

 

しかし彼は聞き入れず食べる食べると抗弁を繰り返し、やがては涙を流して高らかに泣き始める。

が、そんなことで「仕方ないなぁ」となる俺ではない。

 

「お前泣けばなんとかなると思ってるのか?じゃあ俺も泣いて食べさせたくないと言えばお前は納得して諦めるか?諦めないだろ?俺も同じだよ、泣いてどうこうしようなんて甘いんだよー」

 

と、息子の要求を突っぱね泣くままに泣かせておいてしばらく経つと、息子の言い分に変化が起きた。

 

「シュークリーム、おいしいかおいしくないかわかれへんから、シュークリーム食べる!」

 

最初は何を言ってるんだこいつはと思っていたのだが、やがて僕はその意味に気づく。

これは、偏食の激しい彼にいつも俺が口酸っぱく言っている言葉なのである。

「嫌いなものを無理やり食べさせる」というのはあまり良くないんじゃないかなぁとは思う一方、食わず嫌いで一口も手をつけずにというのはどうなんだみたいな方針でやっている。なので、一口も手をつけずに「食べたくない」という彼に対していつも言うのが、そんなようなフレーズなのだ。

 

「食べてみないとおいしいかおいしくないかわからないでしょ、とりあえず一口食べてみて、それでおいしくなかったらもう食べなくていいから、とりあえず一回食べてみよう」

 

彼は、ふだん「食べたくないものを食べろと言われるとき」に親が用いるこのレトリックに着目し、それを「食べたいのに食べさせてもらえないとき」の抗弁に応用してこのレトリックを持ち出したのである。

 

「シュークリーム、おいしいかおいしくないかわかれへんから、シュークリーム食べる!」

 

そのことが分かり、舌を巻いた俺は、白旗を上げてシュークリームをキッチン鋏で二つに割り、その半分を彼に与えた。論理的に負けたのだから仕方ない。理屈の上で彼に分があるのに、それを退けることは理屈屋としてまかりならない。

 

彼はシュークリームを頬張りながら、三匹の子豚的なYouTube動画を見て「オオカミは悪いやつだねぇ」と笑う。俺はそれに「オオカミを悪いやつに仕立て上げてる可能性はあるんちゃうかな?どうしてこれは小さい3匹のオオカミを大きいブタさんがいじめる話になってないんだと思う?」と問いかける。

まだまだ4歳、されど4歳と思いつつ、これからこいつとの対話は面白くなる一方なんだろうなぁと思って、楽しいやら恐ろしいやら、どうでもいいやらなのである。

以上です。