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命を賭けてでも正月に餅を食べたい勢なんなの!?

あのー、まあ例年通りね、今年の正月も餅食って年寄りが死んどりますわ。インフルエンザはコロナ対策を徹底した人類に完全に抑え込まれてますし、たしか帰省時期なんかの交通事故件数とか去年のお盆の水難死亡事故件数とかもがっつり減ってたみたいなニュースは見てたと思うんですけど、餅だけはね、そりゃ絶対数こそ多くないものの代打で出てくる玄人の送りバントくらい確実に今年も年寄り殺してるみたいでね。

いやしかし、こんだけ毎年毎年餅食って死んでる奴が出てるのに、なんで餅をみんなそんなに食うかねって俺はもともと餅が好きじゃないんで全然気持ちがわかんないんですけど。だってあれ、餅の味しかしねえじゃん!どう調理したところで味が全然染みなくて表面だけちょろっと味がついてるだけで一噛みした後はずっと餅の味じゃん。一寸先は餅じゃん。油でコーティングされた真っ白なキャンパスじゃん。何色にも染まらない最悪のキャンパスじゃん。キャンパスやめてまえ!

まあでもそれはあくまで餅がもともと好きじゃない俺みたいなやつの意見でね、実際には世の中には正月になったらもう発作みたいに餅を食いたくて食いたくて堪らなくなる人たちがたくさんいるから毎年毎年人が死んどるわけですよ。うちの嫁もそうですよ、今ね、3歳半くらいになる息子がいるんですけども、師走になって正月が近づいてくると、嫁がそろそろ息子も餅食べられるかな?言うてて。待て待て待てーぃ言うて。お年寄りと同じく小さい子供もそらぁあなた餅を喉に詰まらせがちですよ、「まあ、すごく小さくしたら大丈夫かな?」とか最初は俺もそんな嫁さんの餅の美味しさを我が子と共有したい欲を無碍にしたくもないから考えたけどさ、やっぱ餅危ないよ注意喚起ツイートみたいなんがタイムラインにたくさん流れてくるからさ、やっぱちょっと待てよ、と。そんなリスク負ってまでどうしても餅って食べなきゃいけないもんなのかな、て話して。で、嫁さんもまあそうだよねーと言いつつ、じゃあ三ヶ日は救急車とかすぐ来てくれるかもわかんないし成人式過ぎたくらいに食べさせる?みたいなことを言うから、いや待てって待てって待てぇって言うて。救急車がちゃんと来てくれるならセーフとかでもなくて救急車が来てくれるまでの数分呼吸が止まってしまったら死ぬかも分からんし脳に酸素が行かなかったら後遺症が残るかもしれないし、それをどうにかする方法はもう俺はジョジョ5部でやってたペンを喉元にブッ刺して口以外の呼吸経路を無理やり確保するやつしか知らんのよ。俺はいつでも息子の喉元にボールペン突き刺せる心構えで餅を食べる息子を見守ることになるんやけどもそこまでしてどうしても餅を食わんとあかんのかね、人間は。そう言う話になってくるんですよ。そこまでのリスクを負ってまでなぜ、人は餅を食べたがるのか。だってその、成人式以降くらいに食べさせようかみたいなのも完全にもうゾンビ映画のノリになってるからね。他のエリアを全部ゾンビに占拠されながら立て篭ってたんだけど仲間の一人が負傷して熱が出て膿んでやばくて破傷風かなんか知らんけどやばい!みたいな感じなっててさ、それで仲間を大事にする主人公が廊下にめっちゃゾンビいるけどそこを駆け抜けて階段ひとつ降りて下の階の一番端にある医務室まで行けばペニシリンあるかもしれないみたいな時にもともとは悪党だったけど割と理知的だからこの状況では協力し合うのが賢明だただし馴れ合いは無しだぜ的な奴が言うじゃん、「夜だ、アイツらは視力が極端に弱い。夜なら音を頼りにしか俺らを探すしかないからな。もし本当に医務室に行きたいなら夜だ」って。成人式以降なら餅食わせてもいいかなって完全にそれくらいのノリだと思うんだけど、そこまでして食わなくちゃならんの?餅って!?

あーわかった、全部わかった。もー全部わかった。エラリー・クイーンくらいわかったわ。結局な、このうちの嫁みたいな人間が年寄りになった時に餅を喉に詰まらせて死ぬんだわ。お前死ぬからやめとけと思うのにそれでもなお餅を毎年食いたがる親戚のジジイババアたちみんな、かつては餅なんかで死ぬわけがないし正月といえば餅の人類たちだったのだ。「正月と言えば餅!」これに取り憑かれた人間が当たり前のように毎年謹賀新年に餅を2,3個食べる人生を50年か60年か続けた末に死ぬんだわ。100個目で死ぬ餅だわ。いきものがかり今すぐ楽曲提供してくれ。習慣だとか慣習だとか、こんな恐ろしいものはない。正月は餅を食べるのが当たり前で、それはどれだけ高齢になっても変わらないよというメンタリティ、こんな恐ろしいことはないよ。例えばYouTuberが年寄り6人集めてロシアンシュークリームやらせて、当たりにカラシじゃなくて餅を入れてたらめちゃめちゃ怒られると思うんですけど、その餅を正月に食うのは万人に許される現状絶対おかしいって!もうさ、普通自動車免許と同じノリで年寄りは餅食べないのがスマートみたいな感じに持ってこうよ、杉良太郎今すぐ「今年は餅を食べませんでした」みたいなタイトルのアメブロ書け。

そんな感じでね、餅で毎年人が死ぬということについて考えてるわけですけど、話は変わるんですけど、年越し蕎麦が不味くてね!スーパーでそこそこええ値段の蕎麦と海老天買って、大晦日に食ったんですけど、これがまー、麺も全部小麦粉やんけ!みたいなやつで、海老天も7割がた衣やんけハンサムスーツやんけみたいなやつで、マジで最悪だったんで。関西はうどん派そば派で言うたらうどん派なんでね、店側も「なんでもええから蕎麦食えたらええんねやろ」みたいな感じで客舐めてんのかな?て思ったし、そら舐めるのはしゃあないからじゃあ来年はどうしたら美味い年越しそば食えるかなぁって俺は不味い蕎麦食いながら考えてたんですけど。

そこで、「そこまでして年越し蕎麦食わんとあかんの!?」てなって。俺の中で。俺は蕎麦が大好きなんですけど、結局餅好きと同じ思考回路なってるやんけ思って。ここに人間の業がある。ここに人間の業がある。って思ったよねー。俺も同じように囚われてるんだよ、何がなんでも年越し蕎麦を食べたい業に。蕎麦粉に致死率という概念があっても俺は年越し蕎麦を食べたがるかもしれない。いやそんなわけないやろ!そう言い切れるのは蕎麦粉に致死率という概念がない世界で蕎麦好きをやってるからに過ぎない。

人類は平等に誰しもが浅薄で愚かだと思います。あと、嵐の後には虹が出ると思います。

今年も人が憎しみ合うとか、人が愚かに自分らしくあり続けるとか、そんなものを面白がりながら生きていこうと思いまーす。あけましておめでとございまーす。

以上です。

マヂカルラブリー、漫才か否か論争のやつ雑感

ま、なんか荒れるの自体は仕方ないしマヂカルラブリーが優勝はおかしいみたいな人がいるのも全然妥当なんだよね。だって最終決戦だと7人中3人しか投票してないんだから。過半数割ってるじゃん。でも、他の4人も2と2で割れちゃってるからルールの上では3を取ったマヂカルラブリーが優勝。それだけっちゃそれだけの話なので、別に今起こってる喧々諤々は不思議な話ではないからね。こちとら、大阪市民なんでこの前まで都構想やってましたからね。一応多数決では反対派多数になったけど、約半分はその結果に納得いってないんだから。多数決ってそういうもんだよねーと思う。まあ俺もおいでやすこがが優勝はやだなーってだけ思ってて、それは俺の好みで言えば、センターマイクを境にお互いがお互いの得意なことをやって笑わせるっていうあの感じがなんか嫌だったから、でもまあマヂカルラブリーは笑ったけどめちゃめちゃだから票を稼げるかはわかんねえし、見取り図は見取り図で正統派しゃべくり漫才だけど行儀良すぎてなーみたいなんで全然誰が優勝になるか全くてんでひとつもわからねえなーて思いながら見てたし。そしてその結果、割れに割れて、本当にたまたまマヂカルラブリーが勝ったってだけだから、まあそれについての受け止められ方が荒れるのはどうしたって仕方がないよねー。

なので、マヂカルラブリーのアレ(特に二本目の吊り革)が漫才なのかどうかという議論を真面目にやるのもあんまり意味ないしな、マヂカルラブリーに勝って欲しくなかった人たちにとっては「本当に勝って欲しかった人たちのやってた漫才こそが本当の漫才」なんだから、あんなもん漫才じゃないって批判が起こるのはそりゃそうだよねって感じ。

そういうわけなので、マヂカルラブリーのアレは漫才かどうかという話は一旦脇に置くとして、「マヂカルラブリーの優勝はものすごくM-1的だったよ」ということは確信を以て言えるよ、という話をしようかなと思ったんです。以下はそういう話です。

マヂカルラブリーの準決勝でやったネタ、つまり今年一番の勝負ネタはやっぱあの吊り革だったという話を見かけました。そして、準決勝でかけた一番の自信作を決勝の一発目にかけるのがM-1のセオリーであるというのもよく聞く話です。そりゃあ、自信作温存して最終決戦に行けなくて披露の機会を損失したら元も子もないので、それはそれでというかシンプルに、非常に合理的な決断です。

でも今回のマヂカルラブリーは、吊り革を温存する策を本番中の他の芸人のネタが繰り広げられている最中で積極的に採用したとのことでした。これひとつ取ってもすごくM-1だなと思ったんだよねぇ。いや、そうしないでいきなり吊り革ぶつけた方が、ラクラクかはわかんないけど、それなりにおいしかったと思うんですよね。今回、まあ言われてるのだと「うるさい漫才が多かった」とかありますけど、あの流れで前半のくじ順を引かずに後半で吊り革ぶっ込んでたら、そりゃあまあどうしたって変化球になるのでウケるだろうし、最終決戦に上がれてたんだろうと思います。そして最終決戦でフレンチをやってたら、まあそこそこにウケて優勝はできてなかったんだろうなというのは安易に想像がつく。でも、それでいいんですよ本来は。今マヂカルラブリーがすごく反感を買ってるのって結局は優勝したからで、だから文句を言われてるだけで、優勝さえしなければ「私は面白かったけどなー」の声だけが残り、それなりにおいしかったんだろうなと思うんです。最終決戦でフレンチやって仮に0票になったとしても、いつかのキングオブコントのロッチみたいな感じでそれをネタにしてバラエティ番組で戦う一つの手札にしたって2021年を十分戦えたはずなんです。

でも、まあ、その道をマヂカルラブリーは選ばなかったんですよね。それはもう流れ、くじ引き順としか言いようがなかったと思う。終わってみて思えば、その時二人はこれワンチャンいけるぞ、てなったんだと思う。

今年ってさ、センターマイクに身を寄り添えてやる漫才が多かったよね。というか、マヂカルラブリー以外だいたいそんな感じだった(気がする)。例年ならもっと舞台を縦横無尽に駆け回る奴らがもう1組2組いてもおかしくないところだったんだけど、今年はどういうわけかあんまりそういう奴らが決勝に残ってなくて、そしてあの空気になってたんだよなー。で、それなら一本目フレンチでもなんとかワンチャンあるんじゃね?てなったと思うんだよね。フレンチのネタ、最初かったるいんですよ、土下座の姿勢で奈落から上がってきて挨拶でもうボケるっていう貯金はあるものの(あるからできたんだろうけど)その後の最初の1分あるかないかくらいは村上によるフレンチのマナー解説が中心で大きな笑いどころは全然ない。センターマイクに寄り添って二人がなんか喋ってる、古風な漫才スタイルでのフリが、まーめちゃめちゃ長かった。で、そこからやっと「俺やってみるわ」の漫才コントが始まって、いきなりのガラスバリーン。これがぶっちゃけ一本目フレンチの笑いのピークだったと思うんだけど、この1分あるかないかのフリは、マヂカルラブリーのネタの中で作ったフリに留まらずそれまでのM-1勝戦の演者がやったネタ全部をフリであり、それら全てをフリにしたガラスバリーンだったように思われる。そして、マヂカルラブリーの2人ではなくM-1全体が作ってくれたそこまでに出来上がったフリを信じて賭けた選択だったように思われる。いきなり吊り革やってもウケるだろうけど、今のこの流れなら序盤をフリに注ぎ込むネタをやっても追い風が吹くんじゃないだろうか、みたいな、そういう算段があったうえでの選択だったんだろうなと思うのであった。

とは言え、最大風速はあのガラスバリーンのところで、そのあとは持久戦とまでは言わないまでも凌ぐ戦いであったのは間違いないところで、爆笑の渦とは全然行かずの2位通過だったね、て感じ。

そして最終決戦、ここで吊り革なんだよね。王道しゃべくり漫才をやってのけた見取り図の後にアレをやる。そして、アレをフレンチの後にやること自体が、そこまでの全てがフリになるんだよね。フレンチのネタは最初の1分くらいは野田クリスタルが普通に会話に応答して、その後に延々馬鹿をやるネタで、吊り革はそれをものの30秒で延々馬鹿一徹モードに移行するネタだった。この差異自体が、面白くなってしまう。そのうえ、フレンチのネタは一通りボケた後に一応センターマイクのところに戻ってきて一言くらいは素の野田クリスタルとして「わかってきた」とかコメントするけど、吊り革のネタではそんなのも一切ない。ただずっと馬鹿な動きをしてるだけ。全然センターマイクに戻ってこない。勝負ネタの前にもう一つ別のネタを持ってくることで、フォーマットに則ったネタを一つ挟むことで、このネタが如何に無鉄砲で馬鹿なのかということをわかりやすくしてたんだよねー。で、その一本目もこの流れなら奇抜で面白く見えて、なんとか最終決戦食い込めるだろって判断でフレンチになったんだろうし。

2本目の吊り革は俺的には本当に最高だった、まず1本目とは打って代わって即コント漫才に入るそのスピードに笑ったし、めっちゃ動いちゃっても電車の揺れに耐え続けてるところで「まさかこいつ喋らないままいくつもりか」と思って笑ったし、ここからは漫才じゃなくてジャズじゃんってなったし、そのあとは延々野田クリスタルの動きと村上の合いの手のジャズに笑っていた。センターマイクに戻ることなく、延々動きでボケ続ける執念に感嘆しながら。

まあ、僕から見えたのはそんな景色だったんですけど、これは別に何も、「こういう風に面白い。この面白さがわからんかね」とかそういう話ではなく、「たぶんマヂカルラブリーはこういうふうな勝負に出た」という、それだけです。その結果、マヂカルラブリーがラッキーで勝てた、というだけです。面白いか面白くないかは人それぞれだし、結果が全てでもありません。何より、あの吊り革のネタを正月に色んなところで披露してちゃんとウケるかどうか心配です。俺だってチャンネル変えるかもしれない。あの流れの中では面白かったとしか俺自身思ってないんだから。

この騒動見かけて一番嫌だったのは、M-1はこれから動きで笑いを取る奴が勝つみたいな感じになっちゃってしゃべくりは勝てなくなるみたいな言い分で、そうじゃねえんだよ、その場その場で一番の正解を探した奴が勝つんだよってことで、勝つことが将来的ななにかを約束されるわけでもないし、そこに審査員とか客とかがいる以上、勝ちは常に揺蕩うし、すべては藪の中から出てきた藪蛇なので、すべてを糧にしてみんなもっと笑けようぜ、と思うのであった。俺は来年はまたしゃべくり漫才が勝つと思うし、M-1はトレンドを作るのではなく、トレンドを探す大会なのだろうと思っている。

以上です。

 

「M-1グランプリ2020」感想文

やー、今年も最高だったね、M-1。文句は多い、文句はないことはないM-1だったんだけど、今年も、今年のM-1として最高だったよね。

僕はリアルタイムで見れなかったからTwitterは絶対見ないようにしつつ22時半くらいから録画を観始めて、見事ネタバレ被弾率ゼロで完走してこのブログを書き始めたのが25時25分なんですけど、これ2歳3歳の小さいお子さんがいらっしゃる人がリアルタイムでTwitterで色んな番組の実況してるの見るたび一体どうやってんの!?って思うんですけど。麻酔銃?叙述トリック

まぁ、そんなことを言っても仕方ないので22時半頃から、まるでリアタイ実況のようにTwitterに都度都度つぶやいてたツイートと共に振り返りたいと思います。なお、全ての僕の勝手な採点は、勝手な採点である以上、審査員の点数を知る前にツイートしてしまうという勝手な矜持のあるルールでやってました。

昼からワクワク。

そして観始めた、録画の本番。2018年は審査員の空気悪すぎて、ファイナリストと観客vs審査員みたいな感じだった。2019年はその反省を踏まえて、審査員も一丸になって超面白い笑えるエンタテイメントをお届けするテンションになってた。2020年はどうなるんだろうとハラハラして観始めたけど、おおむね2019年を踏襲するテンションでみんな臨んでるな、というのは一つホッとしたところだった。上沼恵美子は、今年なんかコロナとかで私生活大変だったらしいと聞くので、元気をもらって帰ってほしいな、と思った。

敗者復活、最初の5組6組くらいしかまだ見れてないまま、とりあえず決勝観始めたら上位3組が舞台にいてて、トップバッターの金属バット観ておいて良かったな、と思った。観ておけば「あ、絶対これ敗者復活上がれないじゃん」とわかっていたからガッカリが少なかったから良かった。敗者復活ってあれ、女性ファン掴んでりゃそれでいいんでしょ?みたいなところが和牛とかの影響で感じていたので金属バット今年は敗者復活でいけるんちゃうか思ってたけど、トップバッターのあのネタみて「全然行く気ないじゃん」と思ってそれはそれでよかったよっかた、と思うのであった。あと、ぺこぱも敗者復活戦序盤だったのでちょっと見れてたんだけど、自分らのネタを食いつぶすセルスオマージュネタみたいな感じになってて、これが決勝行かれても興ざめだなーと思ったので、結果的に行かなくてよかったなー、とは思った。やっぱり、一度爪痕を残したヤツらがもう一度まっさらな爪痕を残すのは難しいな、と思う。そういう意味では、毎回毎回笑えるけど優勝できない違った切り口の新ネタを何年も持ってきてた笑い飯ってすごかったんだなー、みたいなことは思った。

インディアンスも、敗者復活をちょっと見れてたので、厳しかったけど決勝いっちゃうんだというのが第一印象だった。ただ、屋外と屋内という環境の違いとか、その日2回目のネタ出しとかで、こんなに変わるんだなぁと舞台というものの奥深さを改めて思った。同時に、これがちゃんと決勝に上がることをわかってない自分の見る目のなさも。でもやっぱ、序盤ツッコミの人が明らかにめちゃめちゃ上がってて噛みまくってるなかでボケの胸にヒマワリ活けてる人が敗者復活のトップバッターにしかできないアドリブをちょいちょい挟んでそれでツッコミの人の緊張がほぐれて本調子になっていく過程が一本目で見れたのはすごいよかったなと思った。こういうのが見たいんだよ、俺は、M-1で。って感じがすごくした。芸風としては繰り返すにはアンタッチャブルの過剰なふざけに対してツッコミがキレながら突っ込むフォーマットだったと思うんだけど、それをどこまで高速でできるかに心血を注いだ結果、キレがないというと語弊があるんだけど、ボケとツッコミのあいだが流れてるというか、なんかクライマックスがない漫才になってしまっていたなという印象があって、それはつまりこの先があるということなので、これからもっと面白くなってほしいなと心から思った。

これは、2番手なのでこういうコメントになったんだけど、今回の大会はとにかく1つ目のボケまでのフリの時間がこんなに長いことって最近あったかなと思うくらいみんな悠長な漫才が多かった。そういう時代なのかもしれないので、そんなに東京ホテイソンも間違ったことはやってはいないのかもしれない。けど、やっぱり面白いけど物足りなさはあった。「なにかおかしなことを言い始めた、早く突っ込んでくれ突っ込んでくれ」と思うんだけど、ツッコミをグワーッとやりたいがためにボケが丁寧にどういうボケなのかを提示するっていうその時間が空虚に思えてちょっとつらかった部分もあった。去年のM-1を踏まえて見ている自分としては、それがどうも怠惰なゆるいテンポに思えてしまって、没入しにくかった。劇場で、目の前で、やられたらきっと大爆笑してるんだろうなーと思いながら。

Twitterに書いたこと以上の感想はあんまりない。二本目なにを用意してたんだろうなーとは思う。危なっかしい題材を危なげなく扱うのはそれは一つの技術だと思うし、じゃあこれを「台本」として捉えた時に、誰がやっても成立するのかというとそんなわけは当然ないし、漫才って「その二人だから笑える」みたいなやりとりなのが一番大正義なのだと思うし、じゃあ、この二人がこれをやるのは一つの芸風として成功なんだろうとは思う。ただ、まぁ、笑えるか笑えないかでいうと、なにせ題材がネットずっぷりの僕からするとあまりに身近というか普遍的すぎて突飛には感じられず、そんなに面白いことやってるようには思えなかった。

近年のM-1のなかで和牛のネタがポリコレ的な脱臭を行っていく変遷を見守っていたこともあって、今年の見取り図はどうなるんだろうという期待はすごく強かった。で、脱臭は脱臭でまぁしてた。変な難癖はつけにくい仕上がりになっていた。便宜上の「誰も傷つけない笑い」を目指しつつ、ツッコミの人の変なツッコミのパンチラインをどう残すかみたいなそういう試行錯誤は見えてて、よかったなーと思った。見取り図の、一撃変なツッコミで全然違う絵を見てる側に想起させるやり口はすごく好きなんだけど、やっぱしそれを恐る恐るやってる感じがあって、マネージャーという設定もちょっと「ガリガリに刃は研いでますけど、それはマネージャーがいる審査員にだけ本当の意味で伝わればいいです」みたいな及び腰は少し感じた。

このツイートで言ってることは、二本目も踏まえた結果としては間違ってた、と思う。いや、一本目自体についての感想としては別に間違ってないのかな。ピン同士が組んでやりました、っていう関係性のうえでこれをやるっていうギクシャク感が「関係性を客に愛してる漫才」と評していいものには仕上がっていた気はする。二本目見た印象はまた全然違ったけど。

ここまでの漫才はどれも、漫才師二人の「キャッキャウフフ」をいかに客にウフフと見てもらうか、あーこういうの好きだわーと思いながら見てもらうみたいな、そんな戦略の漫才が多かったように感じていた。俺はここまで「そうか、今はこんな漫才が潮流なのか」と思いながら見守っていたのだった。俺の好きな笑いは、たとえば脇の下を十の指でワシャワシャとまさぐるような、そんな問答無用の脳が面白いか面白くないかを判断する暇もなく問答無用で腹から声が出てしまうようなそんな笑いが好きなもんで、そういうのが今年は足りねーなーと思っていたんだけど、それもくじ運だったのかな!!俺の好きな奴らは後半に溜まってたのかな!?と思ったマヂカルラブリーの登場だったんだけど、やっぱネタのピークが前半に寄り過ぎてたのは事実だよね。最初の30秒だかのまるで冷静淡々ぼやく系のボケみたいな仕草が最初のあのクソボケのフリになってて生まれた大爆発(これは、その前のすべての演者もフリにするような大爆発だったと思う)ってのはあるので仕方ないわけだけれども、まぁ、結果から言えば「これで最終決戦残れるのか」と非常にヒヤヒヤする点数に落ち着いた。後述することにはなるだろうが、そのような「冷静淡々げやく系ボケだと思ったら馬鹿だった」というファーストインパクトも、最終決戦を見ると、これも一世一代のフリだったのではないかと考えると、考えるに恐ろしい。(もちろん野田クリスタルがすごいバカなのはずっと前から俺は知ってたんだけど)。

オズワルド、何もかも不運だったと思う。前回の反省を踏まえて、さすがに淡々とだけじゃ通じないと思って、ツッコミにアクセントないしエッセンスないしスパイスを足そうとして2019を鑑みるとそれは完全に大正解だったんだけど、2020は全然そういう大会じゃなかった。2020のM-1は、なんかコンビ間の親密度とか信頼感が点数と比例する大会になってしまっていたので完全に裏目に出てしまった。審査員のコメントもさぞ辛かったと思う。これから何をやればいいのかわからんなるやろコレ、と素直に思った。なので俺は、この段落を書き始める前にオズワルドのYouTubeチャンネルに登録した。オズワルドはどういう時が一番面白いのか考えたいなと思った。普通にめちゃめちゃおもしろいのは間違いないのだけども。

勝ってる時でも負けてる時でも、あの椅子に座ってる時の中継の受け方ってM-1の見どころのひとつだよね、と思う。

放送を見る前からすごく期待してて、期待の仕方としては2018のトム・ブラウン的なそういう暴れ方を期待していて、実際に面白かったしめちゃめちゃ笑ったんだけど、大会上の果たした役割としてトム・ブラウン的だったかというと全然そうではなくて、最年長ファイナリストのおっさんがめっちゃはしゃいだ笑いをやってるっていうところで、すごく関係性というかストーリーの中での笑いに収束されてしまっていた気がしていてもったいなかった。これは、錦鯉の二人が悪いわけでは全然なくって、くじ運の問題かもわからないくらい、「今回の大会」の傾向をもろに受けてしまっていたんだろうなぁと思う。

アキナとウエストランドは、なんで残ってるのか全然わからないネタだった。旧時代的と言い切るとポリコレ勢みたいに思われそうだが、単純に真新しさがなくて、昭和の漫才に安いメッキを貼っつけたみたいなネタだった。で、他のコンビのネタも面白いんだけど、二つの肺を根本から締め付けられるみたいな畳み掛けはなくて、笑い殺しにくるというよりかは楽しませるような漫才が多かったように思う。それ自体が悪いということは全然ないんだけど、その中になんでアキナとウエストランドのこの二組が?というのは正直残った。僕は、去年の史上最高と言われたM-1に味をしめて何かしらのストーリー・潮流を作ろうとした作為があって、決勝の大御所たちではない、準決勝までの審査員たちになんらかの狙いがあって今回のファイナリストが選出されたのではないかなと少し邪推をしてしまうくらいであった。本当にとにかくテレビの前のお茶の間のみなさんを満遍なくゲラゲラ馬鹿笑いさせようと思ったらこのメンツになる・・・?みたいな。そういうのは少し感じないではなくて、そのバランスの中にこの2組の毒というのももはや稚拙に感じられるアレがどうしても必要だったのかなぁみたいなことを思ってしまったのだった。

 

その地域を知って愛着ある人からしたら、ゲラゲラ笑える漫才なのはわかるけど、これ最終決戦のネタかー??とは正直思った。むしろ取っ組み合う下りとかも含めて、なんか自分らの売り出し方を身内にアピールしてるように見えて、今回の大会を象徴しているように見えた。優勝は優勝で大事だけど、見ている人に印象的に覚えてもらうのはそれと同じかそれ以上に大事なのだ、みたいな。そういうノリを今回のファイナリスト立ちに感じていたので、なかなか見ていて、難しい色の吐息が出る漫才だった。

で、その後のマヂカルラブリー。結局一番笑ったのはこれ。ただ、ここまで書いてきたように色々考えていることはあったので、一番笑ったのはこれだけど、一番笑えたものが一番良いものだという確信は見終わった後でも全く持てなかった。ただ、この漫才と言えるかもわからないただバカな動きを繰り広げる一辺倒がここまで違和感なく受け入れられたのは、この前の一本目の1ボケ目までの長いフリと溜めがあったからこそであり、あれがあったから開幕直後の動きボケからの「それをやめないししゃべくらない」を成立させていたのでその一点におてのみは技巧的だったんだけどその一点以外については全く何一つ擁護できないので、だからこの時点では「ありがとう」としか思えなかった。なんかお行儀の良い今大会でものすごく馬鹿なことをやってくれてありがとうという感謝の気持ちでいっぱいになった。野田クリスタルがお米農家に見えた瞬間であった。

で、その後においでやすこがであった。これをちゃんとやっている、と言っていいのかよくないのかが本当に全然わからなかった。面白いんだけど、これは漫才か??と思った。理由は書いてる通り、センターマイクを境に、お互いがお互いの得意なことをお互い勝手にやっているだけだったからである。それはもちろん成立していて面白いのだけど、ものすごく足し算の漫才に見えたのである。掛け算ではなく。すごく不思議な感覚で、「この二人じゃなきゃできなかった漫才」であるのは間違いないのだけど、一方で「この二人みたいな二人なら誰でもできた漫才」のようにも見えてすごく気に食わない気持ちもあった。誰にでもできることではないけれど、本当のこの二人の唯一無二の漫才だろうかと言われるとそうは思えなくて、ごめん、面白いんだけど素直に勝ってほしくない・・・!と思ってしまった。「俺にはつまんねえよ」じゃなくて「勝ってほしくない」と思ったのはM-1見ていて初めて思ったことかもしれない。で、特に今回は舞台を縦横無尽に駆け回るような、立ち位置がスイッチするような人たちが多かったから、特にこのおいでやすこがのセンターマイクを境にお互いがお互いの得意な芸をやってそれがシンセサイザーの組み合わせみたいなノリで組み重なって成立してるみたいな漫才がすごく異質に見えて、コロナの仕切りが一組だけセンターマイクのあたりにあるのかなって思っちゃったんだよね。なんか、この二人が優勝獲っちゃったら、なんかすげえ気持ち悪いなって思っちゃって、ネタは別に全然面白かったんだけど、マジでそういことを思ってしまってごめんね、とうい気持ちだった。

ただ、「こんなの漫才じゃない!」でいうと、一番全然漫才してなかったのが一番バカバカしてく笑えたマヂカルラブリーで、見取り図は一級品のガラスケースに入った漫才をしていて、これはある意味では、すごく高度な泥仕合だなと思って、私は結果を見守るしかないのであった。

 

そういうわけで、最高レベルの泥仕合を制したのはマヂカルラブリー。録画を見終えた直後にこのブログ書き始めてるので、その後のSNSでの評判とかは全く見てない。歓迎されてるのか、「見取り図だろ」「おいでやすこがだろ」と罵声を浴びているのかもわからない。でもまぁ、最終決戦の投票があんなに荒れてるのもたぶん初めてだっただろうし、だから俺あんな大爆笑したんだろうな、とも思う。

 

観終えてみると、本当になんだかコメントのしにくい大会だったなぁ、と思う。

面白いんだけど、すごく面白かったんだけど、俺が欲しかったものと違う、というのが率直な感想ではある。けど、それはもちろん、俺がちょっとズレてるからそんな感想になるんだろうな、とも思う。素直にそう思う。

突飛な発想、異常な人間の異常なんかじゃなくて、なんとなく私達の心を代弁してくれる、私達の胸の内を反映してくれていて、普段忘れている私達の胸の内を私の胸に去来させてくれる、そんな関係性を目の前に表出させてくれる、そんなコンビがファイナリストに多かった気がする。決勝戦の採点がどうのというよりも、やっぱり誰がファイナリストに選出されているかという部分に偏りを感じた大会ではあったかなぁ。

どいつもこいつも愛らしく、ちょっとおかしいボケる方もそれにガヤガヤするツッコむほうも、その互いの関係性を楽しんでいるやつらが選出されているんだなという傾向を、もしかしたらこのご時世による僕の感傷にすぎないのかもしれないけど、なんだかそんなことを強く感じるそんなM-1だった。物足りなく感じるのは、コンビの関係性を面白さに昇華するべく互いに向き合うベクトルがみんな強くなりすぎてるせいで、やっぱり去年以前のような客(視聴者)を笑い殺してやろうみたいな殺気がどうしても薄くて、あんまり酸素が多くて呼吸がしやすすぎたなぁという部分だ。

ま、今年はそんな一年だったしね、とも思う。いや、実際には俺がそう感じただけで息ができないくらい笑い転げながら行く末を見守った人もたくさんいるんだろうし、そんな人がたくさんいるんだろうなってくらいみんなめちゃめちゃ相手の顔を二度見しまくっておもしろい掛け合いをしていたし、人との付き合い方やら距離の取り方やら何から何までしっちゃかめっちゃかにされたこの年、「人前でたった二人ぼっちでただただしゃべくる」という競技において羨ましいと思えるくらいになんだかんだ仲の良さそうなボケツッコミという凸凹の関係をまざまざと見せつけてくれるというこのイベントは、やっぱし絶対素晴らしいものなんだろうなと今こうして書いていて、俺ちょっと文句言い過ぎだなと思いながら本当にそんなに文句をつけるような大会だったかなと振り返った時に思ったし、それで勝ち残った最終決戦は三者三様にものすごくいびつでものすごくその二人だから拝めた関係性ばかりだったし、じゃあそれでいいじゃん、来年のM-1も楽しみだなぁと思いました。

じゃ、今から柱合会議見て寝まーす。

以上です。