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鬼滅の刃最初は「俺は好きだけど……」勢に支えられてたよね

すごいなマジで、Twitterのタイムラインでもみんなマジで鬼滅の刃の話ばっかしてんぞ。俺のフォローしてる人たちがしてるというか、回ってくるリツイートの数がすげえ。つまりそれだけポピュラーってことなんだろうわな。

小学生の頃から余裕で20年以上に渡ってジャンプ毎週読んできてる俺みたいなおっさんから見てもこの鬼滅の大人気ぶりは本当に「なんだこの異常事態」って感じで、まあそれでもアニメを起爆剤に原作コミックが大ヒットみたいなんはまだわかるとしても映画もこれから先どうなるかわからんけど初速としては化け物並みとしか言いようのない興行成績を叩き出してて、俺みたいなただの一読者が「なんじゃこりゃ」て思ってるんだから作者は今何を思ってるんだろうな。まあ、特にごちゃごちゃ考えず「感謝感謝」としか思ってなさそうなキャラクターの人ではあるが。ま、しかし、作った人は感謝感謝で「なぜこんなにウケてるのか」は現金な外野が考えるって構図自体は常にそうなんだろうけどさ。

で、この「なんでこんな売れてんの?」という問題。解けてないよねーみんな、みんな色々言ってはみてるものの芯食ってないよねー。わからんのよマジで、鬼滅を連載開始から追っ掛けていたからこそわからんってみんな言ってるし、売れてから乗っかってきた人たちが自信満々に言う仮説も全然的外れだし、本当になんなのよこの現象。っていう現状をよくよく承知したうえでね、なんかこの前も実写版キャスト大予想っていうクソ記事も書いてた兼ね合いでさ、コミックス読み直してたからさ、ちょっと考えたことを書こうと思ったわけです。なんでこんな売れてるの問題。

まず、俺ね、俺に関して言うと、連載当初からだいぶしばらくのあいだは「俺は面白いなと思うよ、俺は打ち切りになって欲しくないなーと思うけど、うーんジャンプのメイン読者層にとってはどうかな?俺は応援してる、終わらないで欲しいと思うけど、もっと、もっとこうしろよと思うこともあるけど、うーん、それがワニ先生の個性だし、この作品の良さだし、うーん」みたいな感じだったんよね正直な話。ほんで、周りの奴らと話してても、同じような感じで当時を評価してた人たちめちゃめちゃ多い。で、そういう人ほど今の事態に当然困惑してるよね「俺は面白いと思ってたけど、そ、そこまで?」て困惑の仕方をしちゃうよね、俺もしてる。

で、思ったのがさ、俺は初期の鬼滅の刃を「面白い」とは思ったが「熱い」とは思ってただろうか?てところでさ。連載1話から追い掛けてたみんなはさ、鬼滅の刃を「熱いな」って認識したのはどこから?俺ぶっちゃけまさに今やってる映画の後半くらいからなんだよね。だって前半の夢に潜り込むとかの話もさ「いや、バトルせんのかい」て当時は思ったもん。お前掲載順位全然安定してないのに、またバトルせんと心象世界がどうのとかわかりにくいことやって、俺は好きだけどお前もっと、な、俺だけじゃなくみんなにちゃんと面白いと思ってもらおうと思ったら、もっと、な、な?おい目ぇ見ろ、俺はお前のためを思って言ってるんやぞ、目を見ろ、おい、目を、なんやその目は!おい!おい!みたいになってたんだけどみんなはどう?だって俺、蜘蛛山抜けて柱合会議で柱の面々が出てきたの連載で見たとき「終わった!」て思ったもん。これはもう打ち切り決まって、作者がもう次の作品にとっておくとかじゃなくてこの作品に後々は登場させようとしてたキャラを出し惜しみさずに終わる前に全部出しちゃえってなってるパターンだ、あの和月伸宏の悪い癖と同じだ、て思ってたもん完全に。それくらい、そこらへんまではまだ全然普通に打ち切りを心配してたと思うんだよね。

で、無限列車編の終盤くらいから「お、やっとちゃんと熱くなってきた」となってその次の遊郭編からは明らかにバトルが熱くなってきて掲載順位も安定してきて、つまり連載初期から読んでた少なくとも俺の中では鬼滅の刃って「ジャンプ漫画としてはエンジンかかり始めるのが抜群に遅かった漫画」だったんだよね。連載当初から読んでた人らに聞きたいんだけど「最高に熱いジャンプ漫画」って鬼滅の刃を認識し始めたのっていつからだった?て。俺に関して言うとそんな感じだったもんでな。

だから、アニメ化が決まった時も「最初のたるいところどうするんだろ」って普通に心配してた気がする。エンジンかかるまでが長いから、俺は好きよ?俺は序盤も全然好きだけど、みんな脱落しないかな?みたいな心配をしてたよね。全くの杞憂だったんだけども。わからんけど、幽遊白書の霊界探偵になるまでの、バトル漫画に切り替わるまでの序盤をどう処理するか問題が当時あったのかどうかも俺はその頃小さかったから知らないけどそれに似たような危惧があったんだよね俺の中では。

で、結論としてはアニメ版鬼滅の刃はアニメ化する時点で原作の物語がそれなり進んでてアニメ制作スタッフも「ははーん、そういう漫画ね、熱い漫画なのね」ってわかってたから、一話からめちゃめちゃ熱くしたから上手くいったんだ、てのが俺のなかで合点のいく一旦の結論。あるいは結論の一端の。アニメから入った人たちが原作に触れたら1話から激アツの展開に見えるんだと思う。俺は当時「なんか独特の雰囲気の、民族伝承を読んでるみたいな雰囲気の、全然ジャンプっぽくない漫画が始まったなー」と思って見てた。

つまりは、アニメ版鬼滅の刃は実はたぶん思ってる以上にすごく上手に換骨奪胎のやり方がうまくいったアニメ化だったと思うんだよな。

まずアニメの炭治郎、序盤から強そうに見えすぎる。鬼の方も含めて。ま、たしかに序盤で岩が切れるようになるからさ、そういう意味では超人的に強いはずなんだけどさ、やっぱ煉獄さん編くらいまでは炭治郎らの3人はそんなめちゃめちゃ人間離れをした化け物みたいな強さの連中には原作読んでて見えなかった。訓練の成果を発揮しながらちゃんと頭で考えて工夫してなんとかかんとか対応して頑張るパンピーにしか見えなくて、それで無限列車の戦いを経て、まさに超人同士の激闘激突に触れて「もっと強くならなくちゃ」ってなって、そこから本当の意味での超人バトルに身を投じていくみたいなイメージで、ましてやその超人対決の中でも人間という生き物の弱さをそれまでと同様丹念に描いて、そのうえで人間としてもっと強くならなくちゃって誓う流れだったと思ってて、つまり映画でやってるところまでが鬼滅の刃の第一章、心身ともに等身大の人間らしさの尺度で成長してきた炭治郎が、分厚い壁にぶち当たってそれでも人間らしく超人的な強さを求めようと誓うまでの第一章なのかな、てイメージなんだけど、この原作読んでるうえでのイメージをどれくらいの人と共有できるものなのかはよくわからん。少なくともアニメの演出は、かなり早い段階から(常に相手の鬼のほうが格上なので苦戦はもちろんするものの)超人対決みたいな見せ方になってたから、そこでやっぱアニメから入った人たちとはあの世界観の受け入れ方に結構なギャップがあるんだろうなーみたいなことは思ったんだよね。

というわけで、つらつらただ考えてたことを書いたんだがこれはもともとの連載当初から追い掛けてた読者とブームにハマってる人の微妙な温度差について思い当たる節を書いただけで、なんでこんなど偉いブームになってるのかはまた別の話。

とりあえず、「アニメ化で火がついた」といえば簡単だが、「教読本としての役割をアニメが果たしたから、一部の物好きな読者があんなに心配そうにひっそりと見守ってた鬼滅の刃原作序盤を、多くの人がすんなりと受け入れているんだな」ということと、アレを「俺は好きだし」「俺がアンケ出さなきゃ終わるから」と思ってた人たちが、こんなことになるなんて予想もできなかったのは自然なことではと思ったのだった。

引き続き考えよう。面白い漫画だ〜。

以上です。