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100日後に死ぬワニ炎上は嫌儲か?あるいはSNS発コンテンツはドキュメンタリーか?

みなさん、こんにちは、2秒後にビールを飲むズイショです。三連休の中日をみなさんいかがお過ごしで乾杯~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!

 

はい、そういうわけでもはや説明不要、この3ヶ月間インターネットを中心に世間の話題を席捲させて『100日後で死ぬワニ』が最終回を迎え、みんなに見守られるなかワニくんが最期を迎えたと思ったら感傷に浸る間もなく、書籍化・映画化が発表されていきものがかりとのコラボMVがアップされ、今日からロフトでグッズ販売が追悼企画みたいな名目で展開されますよーってニュースがあって、みんな大激怒、結局は金儲けなのかとか電通が裏で糸を引いてたのかとか死を金儲けに使うなとか喧々諤々の大騒ぎ、しかし漫画描くのだって手間暇かかるわけでましてや作者はそれで飯を食ってる人なんだから自分が作ったコンテンツで金儲けして何が悪いんだインターネットの奴らは本当に嫌儲なんだななんて冷笑する勢も出てきたりでタイムラインが大変にぎやかで最高だ。そりゃ俺だって昼間からプレモル開けるよねって話ですよ。改めまして、乾杯~~~~~~~~~~!!!!!!!!!

僕自身はなんかまた「みんなでワッと盛り上がれて、そのうえ誰しもが他のただコンテンツ消費してるやつらとは一味違う一歩先を行く考察班だったり分析厨にお手軽に誰でもなれちゃうSNS映えのするコンテンツ」が出てきやがったなくらいの感じでしれーっと横目で眺めていたんですけど、こういう方向の話になってくると俄然楽しくなっちゃいますよね、「またや!またTwitterがカメ止めとかジョーカーとかパラサイトの時のちょっときついノリになってるやんけ!今回ミッドサマーと同時進行だから余計きついって!!」と思いながら横目で一応眺めててよかったーって感じなんですけど、それでいろんな人のいろんな意見を見て楽しんでいたわけですけど。それでまぁなんかテキトーに騒動全体を見て思うことをテキトーにビール飲み終わるまでの間書き散らすだけのやつです。

とりあえず、直感的にこの展開に怒る人の気持ちがわかるかわからないかでいうと、まぁ「わかる」んですよ。ただ、なぜ怒るのか、なぜ怒ってるのかを言語化しようとするとこれがまぁ人間みんな意外と難しい。それで、今一番言われてるのか「結局金儲けなのか」とか「死を商売にするな」とかなんですけど、そしてそれを真に受けて「なに言ってんだ、コンテンツで金稼いで何が悪いんだよ」って意見も出てきてて、とりあえずこれが二項対立になるのはすごく面白くないなというか物足りないなというか本質そこじゃないよなーと思って。みんな言語化がうまくできてないんだと思う。

つまりだからあれですよ、俺が高校に入って初めての夏休みにさ、全然違う中学の高校で初めて知り合ったクラスの女子から付き合いたいって告白なんかされてさ、それを家が近所で幼稚園入る前からずっと一緒で高校が別になってからは顔を合わせる機会も減ったけど今でも一緒に遊んだりするボーイッシュな幼馴染の女の子にそのことで相談したら幼馴染は「付き合えばいいじゃん?いい子なんでしょ?」ってショートパンツにサンダルで膝より下くらいまでの高さの川で足をばしゃばしゃさせながら言ってきたとするじゃないですか?この時のこの幼馴染の本心は「付き合えばいいじゃん?いい子なんでしょ?」じゃないし、俺がやるべきことは自分も靴のまま川に入っていって幼馴染を抱きしめる、なわけじゃないですか。その後二人で裸足でコンクリート熱ちいなっていいながら家まで帰るが正解なわけじゃないですか。それと同じで、今湧き上がってる批判の言葉をそのままに受け止めて考えるんじゃなくて、その背後には何があるのか、を考えたいわけですね。

で、まぁ一つ、商業主義そのものへの嫌悪感みたいなんはそりゃあると思うんですけど、別に金儲けそれ自体が悪いって話じゃなくて、コンテンツを純粋に楽しんでる人とマネタイズを考えてるだけの人とのあいだのギャップを感じさせるのはやめてくれ、コンテンツを楽しんでる人に多少気を使ってくれって話なのはまぁわかりますよね。

わかりやすい似た事例でいうとさ、仮面ライダーの新フォームのCMね。最近の仮面ライダーって、1年のあいだに何回かパワーアップして新フォームになるんですよ。で、その際に当然新フォームの武器とかも商品化されるわけなんですけど、このタイミングがネタバレっちゃネタバレなんですよ。だいたいパワーアップの必要が迫られたタイミングでパワーアップするもんなので、仮面ライダーがピンチでこのままじゃ勝てないよみたいな時に新フォームが登場するんですけど、ピンチだピンチだ、さぁどうするどうなる仮面ライダー!!ってタイミングで次週予告が入って、そこで新フォームがちょっとだけお披露目されます。「さぁ、次週どうなる!!!???」と言いつつ、新フォームが2秒くらいお披露目されます。次週ピンチを乗り越えられるかどうかはネタバレしないけどなんか新フォームが登場するよ、ってことはネタバレされます。で、その次週予告が終わった直後に、CMで新フォームの武器が紹介されるんですよ。これは最初、俺も面食らった。俺もそろそろ30近いしそろそろもう一回仮面ライダー見始めるかって見始めた時にこれを見た時は「まじかよ」と思ったし「ひどくね?」とも思った。いや、大人だからさ、どうせ仮面ライダーはピンチを乗り切るだろうことはわかってはいるんだけどさ、けどもうちょっとなんかこうさ・・・となったのは本心だ。で、まぁそれどうなん?っていう論争は実際にまぁあるみたいで、でもまぁ仮面ライダーっていうコンテンツ自体がさ、歴史があるもので、ホビー展開で儲けることを目的にしたもので、そういうことあんま気にしない子供がメイン対象で、子供的にそれでテンション上がって購買につながるならまぁ仕方ないよね、みたいなある種の「お約束」みたいなものとして概ね受け入れられているみたい。

まぁ大事なのはこの「お約束」って部分だよね、最初はなんやかんやありながらも歴史があって議論が尽くされて、そういう「お約束」に落ち着いてるなら、そこまで目くじら立てて怒るわけにもいかないし、「そういうもんなのか」で済ませるしかないのかもしれない。

ただ、今回のワニのやつに関してはそういう歴史みたいなものがないし、なにせ未だ嘗てない空前絶後のエポックメイキングなコンテンツだったわけなので、そんな「お約束」なんてまだ全然ない状態、むしろみんなで「お約束」を作りながら育ててきたコンテンツだってことだよね。だからみんな納得できないんじゃないかっていうのが一つ。

そして仮面ライダーもそういう問題あるよね、を踏まえて考えると、このワニのやつの一連のブームはどこまでがコンテンツでどこまでがブームだったのか、という問題も考えるべきだよね。

仮面ライダーっていうのは金儲けに腐心する大人と子供が喜ぶコンテンツを作り続けるために結局金儲けのこともめちゃめちゃ意識してる大人とがたくさんたくさん関わって金儲けのためのチームが世に送り出す完全無欠のコンテンツなわけで、こっちは完全ないち消費者としてただただコンテンツを楽しんでついでにそれをTwitterで実況してりゃいいわけだったんですけど、あのワニのやつがあの4コマ漫画単体で仮面ライダーに匹敵する噛みごたえのあるコンテンツだったかというとそれはやっぱり違うだろうなと思う。みんなで見守る、見守りながらあーだこーだ言う、明日が気になって気になってその気持ちをまたTwitterでツイートしてしまう、みたいなそういう参加型であることありきで初めて面白れえってなるコンテンツだったんだろうなと考えるのは想像に難しくない。

そういう意味では、今回のみんなの反感っていうのはかつての『電車男』の映画化ドラマ化メディア展開に対する失望に近いっちゃ近いのかもしれない。アングラなネットの世界でつながってる「俺たちみんな」で作ったものが、マスメディアによって大衆向けに作り変えられて出荷されていったあの時の感じ(いや、俺2ちゃんねらーでもなかったからそんな知らないけどさ)あの時の感じに似たものをみんな感じているのかもしれない。

もちろん、電車男とワニはだいぶ違ってて、電車男は、電車男にまつわる一連のスレッドそれ自体がコンテンツで、そのコンテンツはまさしく「みんなで」作り上げたものであるのに対して、今回のはワニの作者の人が一人で描いたコンテンツが商業展開されてるだけで、そこに何の問題があるの?と言われればそれは確かにぐうの音も出ないかもしれない。しかし、あの漫画は作者一人で描いたものであったとしても、100日後に死ぬワニの本質は漫画それ自体ではなく、それが流行になるという「現象」総体をみんな面白がってたんじゃねえかなぁと思う。そういう意味では、今回のワニが死んだ後の色々な商業展開がなければ考察や解釈や二次創作やらなんやら綯い交ぜの「現象」はワニの死後しばらく放っておいても続いていたはずで、その流れを商魂によってぶった切られたと考えれば強く思うところがある人が出てくるのも不思議ではない。電車男もなんかテキトーなところで「これ今後、出版して実写化とかするんで、この後の流れはこっちで考えます」って言われてスレッド終了させられたら嫌でしょ。つまり、ワニが死んだだけでは『100日後に死ぬワニ』という「現象」はまだ終わっていなかった。それなのに強制終了させられた、って考えるとわりと僕は腑には落ちます。

あとは、これ、ワニに限らず本当に今後みんなで考えていくべき問題だと思うんですけど、SNSでリアルタイムで綴られる生きている個人の悲喜こもごも、これって否応無しにコンテンツとして消費されていくわけなんですけど、これって結局、新しい時代のドキュメンタリーとして受け止めればいいんですかねぇ。今までテレビやら映画やら本やらで見ていたような、編集されたドキュメンタリーよりもっと生々しい、あるアカウントを持ったある人間の人生をみんなで見物して、見物している我々の側でさえその物語に影響力を持つドキュメンタリー。今回のワニのやつも、ワニというコンテンツではなくて「ワニのやつをきっかけにどんどんすごいことになっていく一人のイラストレーター」のある意味でのシンデレラストーリーを追ったドキュメンタリーだったんですかね。というか、俺もそういう消費の仕方してたもん。なんかインタビュー受けたり、終いにゃテレビにも出演してたらしいし、「インターネットをきっかけにそんな人生激変する人があるんだなぁ、夢があるねぇ」くらいはやっぱ思うものね。で、まぁ「そんな人の人生をドキュメンタリー感覚で消費していいのかお前ら」という問題は今回は棚に上げてですね、じゃあどうせドキュメンタリーなら、商業化に乗っていく流れも全部見せちゃえばこんなことにはならなかったのに、とは思うんですよね。ロフトでグッズ展開するならするで、嘘でもいいからロフトの公式アカウントかなんかからリプライでオファーとか出しときゃこんなことにならなかったのに。作者のアカウントが「100日経って本編が終わった後に、いくつかお知らせがあります」とか言っておけば、それだけでも全然違ったんじゃないかなとも思う(これは俺が知らないだけでちゃんとそういう事前告知やってたらごめん)。

いわゆる真実に基づく、編集はあっても演出はナシが売りのドキュメンタリーに対して、いかにもドキュメンタリー風に作っているけれども全部演出脚本に基づく作り物である作風のコンテンツをモキュメンタリーと呼んだりなんかします。

結局ワニの作者の一連のネット民と共に駆け上がっていったシンデレラストーリー全体がドキュメンタリーだったのかモキュメンタリーだったのかわからなくなってしまったってのもなんかみんなの嫌悪感の理由の一つにあるような気もします。僕個人的にうまく当たるかどうかわからんもんを始まる前から仕込むのはさすがにきついと思うんで、たぶん、ネットでバズってどっかのタイミングで金儲け好きな人たちが一枚噛むようになって「ワニくん死ぬまでに頑張れば間に合うから100日目に大々的にやっちゃおうぜ」って流れになったんだろうなとは思うんですけど、であればそれを水面下でやるべきではなかった。どこからが仕込まれてたもので、どこからが偶然の産物なのか、はたまた最初から仕組まれていたことなのか、わからなくなっちゃいますから。

結局、ワニがどう死ぬかへのみんなの興味っていうのは、作者がワニをどう殺すのか、そして私達はそれをどう受け止めるのか、そして私達の受け止め方がどう社会に影響して、ワニと作者はコンテンツとして商業的にどうなっていくのか、みんなそこまで含めての興味だったんじゃないかな。ワニの死に方がどうなってるかはグッズ制作する人たちもいきものがかりも映画化のために動き出してるいわゆる人たちはたぶんみんな作者から事前に聞いてたし、知らないのは自分たちだけだったし、もっと言えばワニと作者がこれからどうなっていくのかを知らないのも自分たち消費者だけだった、ってのが主な失望と反感との理由なんじゃないかなぁ。

まぁ、もちろんそんなふうに怒ってる人が割合としては実際のところどれくらいのもんなのかはわからないし、書籍化・映画化がちゃんとヒットするのかどうかってのはとても気になるところです。そういう意味で、ここからが本番ですね。インターネットはいつも面白くて最高だ。

あとなんかもうちょっとしたら他にもなんか思いつくことありそうだけど、とりあえずいま時点で思うところはそこらへんかなぁ。ビールもなくなったからもう一本買いに行かなくちゃならないし、なんかさぁ、あの夏の日、あいつのことなんで俺抱きしめてやれなかったんだろう、自分の気持ちに気づいて素直になれなかったんだろうって思って落ち込んできたし、そんな幼馴染実際には存在しないから余計落ち込んできたわ。

以上です。