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コミュニケーションってもっと「なんかやだ!」で回っていいんじゃないか

https://anond.hatelabo.jp/20190708213107

読んだ。そしてこの程度のことで上から目線言われてて大変やなと思った。別にどれも、これからお互いにときめきながら同じ時間を過ごしてやがて一緒にいることが当たり前になっていくような関係を目指したい相手に最初くらい求めたいこととしては自然なことのように感じられる。

が、まあ、これが上から目線に見えるってのもわからんでもない。で、それ、なんでだろうかって考えたら「理由をちゃんと書きすぎ」なところにそう感じられる原因があるように思われた。いや、それだって書き手が悪いわけではなくって、なんだろ、「理由とセットで言う」ということが、マナーとして徹底されてるよなー世の中、て話なのかなと思った。

「初デートなんだから最低限のちゃんとした格好をして来て欲しい」とかさ、別にめっちゃ普通じゃん。ただ、この欲望の根っこってさ、「お互いオシャレして一緒に歩いた方がテンション上がるから!」でいいじゃん、とは思うよね。本来的にそういうもんだと思うし。

ただそこになんだかんだ理屈をつけて「こっちは失礼のないように時間と金もかけてんのに」みたいな話になっちゃうからなんかギスギスしてしまうんよな。

ただこれはその人の性格が考え方云々というよりもう本当にマナーとしてプロトコルとして世の中で確立してしまってることに問題があるような気がする。

人間なんて気分の生き物なんだからさあ、「なんかやだ!」とか「なんかテンション上がる!」とかでいいはずなんだよな、本来。で、「そうなんだー、知らんけどー」でいいはずなんよ。

もちろん「そうなんだー」の後に「ちなみになんでなん?」て聞くのは全然いいんだよ。「そうなんだー、わかったー、けど何が嫌なんか何がテンション上がるのか全然わからんけどなんでなん?」て聞いて返ってきた答えに「そうなんだー、わからんけどちょっとわかったわー」みたいなのは全然いいと思うんだけど、というかかつてはそんなもんだったし、今もこのようなコミュニケーションは世界中のそこかしこの仲良し間柄のあいだで常に繰り広げられてるとは思うんだけど。

あくまで理由を説明するとか、言語化するってのは「そうなんだー」て許容し合うコミュニケーションをより円滑に行うための補助的なツールだったはずなのに、なーんか言葉の多いインターネットの発達のせいか、自分がどういう性格の人か全然知らん人がいる前提のインターネットのせいか、インターネット以外のせいもたくさんあるんだろうけど、なーんかいつのまにか「理由も言ってやっと聞き入れられる意見」「理由がない意見はあかん」みたいな感じになっちゃったところがあると思うんよな。

そうなるとみんな理由をセットで言うようになるし、そうなると自然と誰の言うこともことさらに正当性を主張してるように見えちゃうし、逆にそこでドツボにハマると「これだけ自分の中での理由を説明できてるんだから私の意見は正当だ!」て考える人も出てきちゃうしさ。

でもそもそもそんな感じじゃないと思うんよな、人と人って。誰も正当な人なんか一人もいないし、そこには人の数だけの「なんかやだ!」「なんかテンション上がる!」があるだけのはずなんだよ。

なんか、元増田関係なくなっちゃったけど、もっとみんな楽に生きようぜ、みんな自分の気分と機嫌を愛し、そして隣人の気分と機嫌も笑い飛ばしていこうぜって。

なんかそういうことを最近思うんだよね。

以上です。