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痴漢安全ピンの話の流布は今痴漢に悩んでる人を苦しめる

めちゃめちゃ手短に書く。

痴漢なんてどうせクソなんだから被害者はこっちなんだから表沙汰になって困るのは向こうなんだから痛い目見ても自業自得なんだから、痴漢されたらあいつらの手を安全ピンで刺してやればいいんだよ、みたいな話題でキャッキャと盛り上がってる人たちが世の中の一部にいるらしい。みなさんそれぞれに嫌な思いをされた経験があるのだろうからそんな言説を面白がれるんだろうし「だよねだよね」と共感し合うことで何かしら過去に受けた傷から救われてはいるんだろうなと思う。とは言え、こんな乱暴な話が世の中に流布されて、流布する方は楽しいのかもしらんが、それでどういう人がどういう風に受け止めるかを考えるとなんだか仄暗い。

まず、そういうことを言って楽しんでる人たちの間で実際にそれを実践してる人できる人ってどれくらいいるんだろうかと思う。たぶんだけど、一握りもいないんじゃないかなと思う。もしそれを言ってる人たちが本当にみんな実行しているなら、もっと違った形で「ネットで話題」になってるはずだろうし。たとえば「電車でいきなり安全ピンで刺された」みたいな報告事案が多発する、とか。「いや、手を刺されても痴漢はやましい思いがあるから告発なんてできない、故にそういう話題は起こらない」って反論が飛んできそうだが、痴漢ができるような混雑した電車で剥き出しの安全ピンを痴漢にだけピンポイントで刺すなんて作業が各所で行われて全部が全部成功するとも思えない。もし本当にそんな痴漢対策が広く実践されてるようなら、何の後ろめたいところもないのにぶすっとやられたって報告事例がネットに散見されるはずなんだよな(本当に広く実践されている!という立場を取りたいなら「もし痴漢してなかったとしても抗議すれば痴漢と疑われるかもしれないので、やっぱり報告事例が上がってこないのは本当に広く実践されていたとしても不自然ではない」と反論することができるが、それならいよいよ問題だ)。

つまり、みんな「実際そんな危なっかしいことはできないけどなー、そうしてやりたいなー」という願望をまるで本当に正しい対策みたいに言ってまことしやかに共有してるってのが今の状況なんじゃねえかなーと思う。

で、僕が気になるのは、そんないわば「だったらいいのにな」をまことしやかに共有して遊んでるムーブを、そんなムーブをムーブともわからないままに孤独に痴漢被害にあって苦しんでる人が見たらどう思うのかなーって考えたら追い詰められると思うんだ。「あ、そんな大それたことを毅然とやらないと痴漢被害からは抜け出せないんだ」って。本当はもっとあるはずなんですよ、そんな理不尽に被害に遭う人が渾身の勇気を振り絞らなくても、誰かの善意や優しい社会の仕組みで、相互を信頼しあうやり方で痴漢を退けることってもっとあるはずなんですよ、たとえばググったら出てくると思うんですが、痴漢を憎む人が近くにいることを伝えられるアプリがあるんだよーとか、そのアプリで無言のSOSを発信したらそれを受け取っただれかが痴漢を探して捕まえるかはわからないけど痴漢はキョロキョロと痴漢を探す目を意識するかもしれないんだよーみたいなそういうアプリ。僕もとりあえず入れるだけ入れてるけど、御堂筋線では鳴ったことないわ、あんま普及してないんだなきっと。普及すればいいのに。スマホからでめんどくさいのでリンクとか貼らないけど。

他の、自分の負担にならない方法がたくさんあるんだよより先に、痴漢には安全ピンだ!という主張が調べると真っ先に目に飛び込んできてしまう世界って、それなりに大変なんだと思うんですよ。自分が悪いわけでもないのに、困ってるのは自分なのに、てめえの勇気でどうにかしちまえそれができりゃさぞ痛快みたいな、そんな話が目についてしまうのは辛かろうなと思う。

で、そんなことを考えてると思い出すのが「あれ、それ俺なんか経験あるぞ?」ってなる。なんだっけと思い出してみると、ホモソーシャルの、女を抱いた抱いてない抱いた奴が偉い抱いてない奴は駄目の世界なんだよね。

僕はボーイスカウトに所属してて、ボーイスカウトは幼稚園児から小学生中学生高校生大学生から大人までが世代間異文化交流でキャンプしたりするよくわからないコミュニティなんだけど、お年頃で気になるあの子のことを考えると夜も眠れない中学生の頃とか、高校生の先輩から「女まだ抱いてないのか?だっせ、そんなんじゃダメだぞ」みたいなことをすげえ言われてたのね。「勢いだよ」「強引にいかなきゃ」って高校生が中学生に教えるんですよ、で馬鹿な中学生の中には真に受けるやつもいて、実践したのかな、実践したことにしてるのかな、同じようなことを言い出すやつが出てきたりして。でもやっぱ思うのはそういうことを中学生の俺たちに言ってた高校生のあいつらな、たぶん童貞もいっぱい混じってたと思うんだよなー。童貞の妄言を真に受けて、実践しちゃう奴らがいたあの感じ、あの感じと似たものを今のこのムーブに感じるわけです。

女の子には強引に、勢いで、無理やり口説いてなし崩しに迫って抱けりゃ勝ちだとは僕は思いません。そして世の中的にはそれはそうであるはずだと思う。けど、男社会の中でそれがどれだけ多数派の価値観かはわからないよね、つまらねえ「だったらいいのになぁ」を流布する奴らがいるから、「だったらいいのになぁ」を実践して勲章にして吹聴する奴らがいるから。そんな言説に追い詰められなければ、今までどおりずっと「あの子は僕のことが好きかしらどうかしら」でうじうじと生きて、いつか良い人に巡り会えたんじゃないかしらみたいな良い奴が、女を雑に扱うことを正当化して、セックス実績を勲章みたいにぶら下げて、寂しい人間になってしまうのをこれまでたくさん見てきたよ。

恐らくは多くは安全ピン童貞の人々が、まことしやかに「痴漢なんて安全ピンで刺せばいい」なんて、強張った主張を振りかざす。それを真に受けた追い詰められた人たちが、実際にそれを実践してまたそれが正解だと振りかざす。若けりゃ若いほどそれを真に受ける。そしてまたそれは伝播する。そんなことをしばらく繰り返した後に残るのは、弱い人間が馬鹿にされる、馬鹿にされないために他人を傷つけることが肯定される、今すでにこの世にあるそれと寸分違わぬ、クソみたいな世界でしょう。

僕はそれを望まない。

痴漢に遭って苦しい思いをする人がいない社会を目指すためには、人を無闇に憎み人を傷つけることを正当化して、なんならそれが勲章になって人を扇動できるような、そんな価値観が本当に必要なのだろうか。そんなに今まで通りでいいんだろうか。

以上です。