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ファーストシューズ

満面の笑みで青っ洟を垂れ流す息子の鼻を「これが砂金だったらいいのになぁ」と言いながらティッシュで拭っていたら嫁に「またつまらないことを言って」と笑われた。

息子はいつからか非常に俊敏なハイハイをする男で、あのまだ現実じみていた頃のテニスの王子様の、伊武戦で披露した越前リョーマのあの最初の一歩がめっちゃ速いじゃんみたいなハイハイの使い手で、それなりに距離があったはずなのに一瞬目を逸らしてまた振り返るとザンギエフスクリューパイルドライバーで巻き込めるくらいの距離まで俺に接近しているゴキブリみたいなスピードのハイハイを繰り出す、そんな彼だ。

そんな彼なので「これ最強じゃん」と言わんばかりにハイハイに頼り切った毎日をしばらく送っていて、保育園に行けばよその同じような月齢の子どもも立っただの歩いただの親にとってはコンテンツ力のある成長を見せつけているというのに、僕の息子はというと相変わらずの満面の笑みで四輪駆動みたいなハイハイでパワー型のスタンドみたいな急接近を決めては随分満足げに抱きついてくるのであった。

そんな彼も、いい加減四輪駆動で見える視界に飽き飽きしてきたのであろうか、あるいは押す親と対面のベビーカーをやめて眼前に世界が拓ける押す親に背中を預けるベビーカーの運用に味をしめたのか、最近は自分の足で立って歩くのを随分好んで実践するようになってきた。

俺は馬鹿ほど土地が安い北海道の田舎の出なものだから、これだけの家賃を払ってこれだけかと親戚一同に馬鹿にされるに決まってる小さな家に住まって生きているが、親に手を引かれながら小さな家を自分の足でぐるっと一周散歩する彼は随分殊勝な表情だ。彼の眼に映る景色の真新しさと、その景色を眺める彼の誇らしさを、僕はもうずっと昔に忘れてしまった。ただ彼のどや顔から彼の彼自身の成長の実感を推察するばかりの僕だ。

そういうわけで「また金がかかる話か」とぶつくさ文句を言いながら、彼の初めての靴を買いに出向いた。

彼の足の大きさは10.5cm、彼がこれから歩くことを順調に覚え込んでいけば足は順調に地球のGを受け止め、たとえばべちゃっと壁に叩きつけられたパン生地のようにすぐに大きく広がるだろうので12cmくらいの靴を買うのが良いだろうとヤニ臭い店員のおばさんから助言をいただいた。

それで、妻と二人でどの靴を買おうかとしばらく店内を物色して歩き、きっとすぐに汚れてしまうだろうしと紺色のハイカットのシューズを選んだが、生憎その靴の12cmは在庫がなくって、じゃあ仕方がないかと同じデザインの色違いの白い靴を買って帰った。外を歩かせるのもなかなか大変なものだで、まずしばらくは家の中で靴を履いて歩く練習だ。他所の子供よりずっと歩き始めるのが遅かった息子だ、マイペースな彼だから外で闊達に歩けるようになるのも案外随分先の話で、その頃にはすっかりこのファーストシューズが小さくなってしまっていても驚かない。そう考えると白い靴でもまあいいのかなぁと思えたのだ。

早速、家に帰って早々に、息子に靴を履かせてやった。すると、息子はそりゃあもうびっくりするくらいに靴を履かされるやいなやのアズスーンアズでまるで世界の終わりみたいにワンワンと泣いた。それはもう靴に指にでも噛みつかれてんのかと心配になるほどにワンワンと。まるで息子の足に噛みつくピラニアが見えるようだった。マヤ、恐ろしい子。そんなに泣くことも無いだろう、靴だって悪くは無いもんだ、立ってみろ、歩いてみろ、こいつはお前をこの大地に立たせるのを助ける味方のはずだ。言って聞かせて宥めて持ち上げ、夫婦二人も玄関まで連れ立って我々も自分の靴を履いて見せ、足を踏み踏みマーチを見せて、ほら少しだけ立ってみろ立てば悪くは無いもんだと彼を励ましては見るものの、彼はもう腰から砕けて大粒の涙を流しながら座り込み、靴を脱ごうと短い手足をバタバタと動かすばかりだ。

仕方がないので靴を脱がして妻が彼をギュッと抱き寄せてやると、彼は忽ちに笑顔を取り戻し、すぐに母親に降ろせとせがみ、母の手を引きながら裸足で家の中をまたぐるりと散歩し始めるのだった。満面の笑みで。

息子よ、そのうち靴を履け。そしてそのうち家を出ろ。外の世界は、裸足で歩くにはずいぶん乱暴な世の中だ。ガムもタバコもうんこもあるぜ。ガラスもあれば、砂利もある。お前のその柔らかな足裏で、裸足で歩くにはずいぶん物騒な世の中だ。だからお前は靴を履け。世界に立つお前の重さを一身に受け止める足裏には、きっとこの靴が必要だ。今すぐじゃなくてもいい、しかしいつかは靴を履け。きっとこの靴はお前を守る。お前はこれから何度も転ぶ。きっと何度も膝小僧を擦りむき、慌ててついた手のひらにはきっと何度も小石がめり込む。それでも靴さえ履いてさえいれば、お前を支える足裏は守られ、お前は何度でも立ち上がり、お前はどこまででも歩いていける。だから息子よ靴を履け。今はいいけどそのうち履くんだ。

あるいはお前は分かっていたか。お前の足にフィットしたこのアイテムが、お前が一人で歩いていくためのアイテムであるということを。単身魔王を倒せと城から放り出された勇者は最初の村で初めての装備を買うと「ここで装備していくかい?」と促されるが、幸いなことにお前は勇者ではない。一人ではない。今すぐ旅に出なくてもよい。だから、今は、まだ、履かなくて良い。泣けばいいし、母親に甘えれば良い。

しかし、お前はいつか履く。仮に親がどれだけ履くなと頼み込んだって履いて外に出ようとする日が、やがて間も無くやってくる。俺はそれを知っているから、今日のお前が見せたお前の涙も、笑えて笑えて仕方がないのだ。

靴は歩けば歩くだけ磨り減る。だからお前が俺の目の届く範囲をうろちょろしているうちは、俺がまた靴を買ってやろう。そしていつかお前が俺には見えないほど遠くまで歩いていったその時には、てめえでてめえの靴を買え。てめえで買ったその靴を、きっとお前は泣きながら履きゃあしないだろう。俺はそれを知っているから、今日のお前が見せたお前の涙も、笑えて笑えて仕方がないのだ。

それにしても育児とは、金の話ばかりである。

以上です。