←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

日々

毎日を生きている。

大変なこともあるが、まあ基本的には楽しくやっている。

この前、後輩の若い男と昼飯を食ってる時に「しかし、なんだかんだ言っても人間に興味がない人間なんていないでしょう」と唐突に言われた。

彼は日頃からそういうことばかり言う気難しい人間でもないのだが、そういうなんちゃって哲学的なことを言いやすい雰囲気を僕が醸し出しているのだろうとも思う。

僕は、「僕は、人間に興味のある人間の方がむしろ一握りのような気がするなぁ」と話した。

僕にはどうにも世の中の人々の多くは、他人に特に興味がないように思われる。

それは、誰も他人となんか話したがらないよなという意味ではなく、一見他人に興味があるように思われるムーヴを見せる人々の多くは、実はその実、実のところ他人に興味があるわけではなく、ただ誰とも繋がらず一人でいることが寂しいので他人に興味があるふりをしているだけで、実際には相手が何を考えているのかなんてどうでもよくって、他人を知りたがる自分を演じて安心しているだけなんだろうとも思う。

そんなようなことを説明すると、彼は「それは、興味があると言ってはいけないんですか?」と返した。

「言うのは勝手だけど、結局は受け取り手次第なんじゃないかなぁ」と返した。「そのままに受け取られることも少なくないから、別にそれでいいんだと思うよ。俺だってこんな抽象的な話を君がわざわざ俺にしてくれて、悪い気はしないしね」とも。

彼は「僕は、興味があるはずです」と真顔で答えた。

僕は、自分が他人に興味があるのかについてはいまいちよくわからない。あるような気もするし、無いような気もする。そんなことに俺は興味がないからお前らが決めてくれ、とも思う。

僕は、人間と人間が関わり合う中で働く運動力学の機微には敏感であり、ほとんどそれを生業として金を稼いで生きていると言ってよい。運動力学のうえでは必然の暴走や爆発や停滞や堕落に積極的に介入して軌道修正を行えることが、きっと今の俺の社会的価値だろう。

僕自身にできることはとても少なく、大した手に職も持たないが、全体を俯瞰した時に彼や彼女が今何を学び何に取り組むべきかはなんとなくわかるし、それを彼や彼女にもわかってもらい気持ち良く毎日に臨んでもらうようにはできる。できると言うと驕りが過ぎるが、そういう役割を果たすために一生懸命やるのはわりかし性に合っているようだ。

しかしところで俺は、彼や彼女に果たして興味があるのだろうか。

「わかってもらえてる」と思わせるのはたぶんわりかしに得意ではある。

けれど、それは僕が彼や彼女をわかっているということにはならないし、僕が他人に興味があるということにもならない。

僕は、一体全体に何を考えて日々を生きているのだろうな。

日々は、悪くはないんだ、本当に。

人に信頼されるのは悪くないし、好かれるのだって悪い気はしない。この人はちゃんと付き合ってくれるはずだとめんどくさい相談をされることも悪くないし、僕にちょっと余裕がなくって少しだけ失望させてしまいそれを察して自分から率先して反省して時にはその意を本人にも伝えもう一つ自分を律する自分になるのも悪くない。足りないところもまだまだあって、自分で思ってるほどうまくはやれてはいないだろうので、俺はもっともっと他人のために頑張らなくてはならんのだろうなぁと思う。そう考えて毎日をやるのは、まぁ性には合っている。

しかし、俺は他人に興味があるのかなぁ。もし、この疑問をそのまま手当たり次第に人に投げかけるなら、多くの人は「興味ないとそんなことできないでしょ」と言ってもらえるだろうことも別にわかっているんだけど、それで「そうだよな、これでいいんだよな」と簡単には思えない程度には僕は他人を信用していない。常に「お前に俺の何がわかるんだ」と思いながら生きている。自分の長所のうまい使い方は覚えても、人間の性根ってそんなに簡単には変わらないのである。

この話はきっと要するに、歳を取ってうまいこと年相応に生きている、という話なのだとは思う。

野心も向上心もない割には、案外うまくやっている。それができているのは、まあ他人よりいくらかは、人間が好きだからなのは間違いないんだろうけど。僕は、僕の彼や彼女への興味よりも、彼や彼女自身のことを考えて、他人に接している気がする。そういう風にムーヴする僕の身体に僕の心はどうもまだあんまり慣れてなくて、僕はたまにこうして呆然としてしまうんだよな。

今のここからズバッと違ったなりたい自分も特になく今の俺の延長線上のもっとナイスな俺になるだけだし、本当の自分を知ってくれとも思わないくらいに俺はいつも本当の自分だし、特に日々に不満もないのだけれど、この感覚は一体なんなんだろうなぁ。

自分の欲望の所在がわからないのもなんだか久しぶりのような、今までもずっとわからない一辺倒で単にわからないに任せて唾を吐いて歩くのをやめたことに問題があるような、カブトムシがカブトムシを力任せに投げ飛ばすムシキングにハマるおっさんの気持ちが分かってきたような、まあそんなふつうの加齢の話でもあるのだろう。

いつも胸に大事に抱えている尊敬する先輩の言葉で「お前は得意なことをするのは得意だけど、苦手なことをするのは本当に苦手だよなぁ」というやつがある。俺は今、本当に得意なことをやっているのだろうか。苦手なことをやっているつもりは全くないのだけれど、大人なので不味くてもセロリを食べれているだけのような気もしないでもない。

以上です。