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フケに立ち向かえない人間、とりあえずオクト試せ

読んだ。

で、何を隠そう私もフケに長年悩まされてきた人間だ。これ全部砂金だったらいいのにくらいのフケを排出しながらここまで生きてきた。

言いたいことは掲題の通りだが、この元増田は無論「それくらい試したわこの糞が」と思うであろうし、フケという問題に立ち向かってきた人間はみな同様の感想を持つだろう。しかしブコメを読んだ感じ、そして俺の実体験を踏まえても、そういうふうに色々を試すこともせず自分同様に「仕方のないことだ」と諦めているような人間も世の中にいるような気がしたので珍しく善意で筆を取る次第だ。フケは辛いが、仕方ないというほどではない。一回なんとかしてみてもいいのではないかと思うのだ。

フケが出るようになったのはいつからだろうか、なんか小学校高学年から中学生なるくらいだったと思う。フケとの記憶の一番初めは、ぼくの学習机である。学習机にはスーパーマリオワールドの下敷き?中敷き?保護カバー?が敷かれていた。ぼくは毎晩その机に座り頭を掻き毟りフケというフケを落としてやろうとしていた。スーパーマリオワールドのマップをあしらったその机を俺のフケで一面冬景色にすることを日課としていた。とりあえず今あるフケを全部振り落としたら、明日一日学校ではフケは目立たずに済むだろう。そういうノリでやっていた。あと、その頃なんだか放っておくと生えるようになってきていた髭をピンケットで一本一本抜いていたりもしたけど、これは本件とは関係ないので割愛する。32になって改めて文字に起こしてみると俺は一体なにをやっていたんだと思うけど、当時の俺にとっては本当に一大事だったので仕方ない。今そうしている人がいてもそれは何も恥ずかしいことじゃない。そんなやつ、世の中になんぼでもいる、と俺が主観的に言い切ろう。

フケが出ないようにするための努力は俺なりにした。つっても大して何もしていないが、例えば俺はズボラなので朝に頭を洗ってドライヤーで髪を乾かしもせず通学したりしていたがそういうのがよくないんじゃないかと親に言われればちゃんとドライヤーをかけたりもしたがフケは全く改善しなかった。このまま反復法でもう何個か努力エピソードを書いたほうが収まりがいいなと思ってたけど、特に他にさしたる努力はしてなかったな。なんか親もいわゆる「不潔」みたいな感覚でフケを扱ってた気もする。「フケあるよ!頭洗いなさい!」みたいな。確かに俺だって2時間に一回頭を洗えていたら「フケがある人」にはならずに済んだのかもしれないけどさ、実際問題それって可能なの?みたいなことは今になっていれば思う。皮膚科っていう選択肢はなかったな。なんでだろうな、まぁなんでだろうかってのはなんとなくわかりながら「なんでだろう」って言ってる気がする。例えば精神科に行ったほうがいい人が精神科に行きたくないように、歯医者に行ったほうがいい人が歯医者に行きたくないように、カードキー返しに行ったほうがいい人がカードキー持ったまんまバイトをバックレするように、人間ってやつぁ結局自分の問題に向き合うには相応の勇気が必要なのだろう。

フケが出ることを受け入れる人生は、まぁアドバンテージを取られていたな。そこを揶揄されると辛いからな。言い返すにもずいぶん骨が折れた。フケが出ることは確実に俺の弱点の一つであり、俺はその中でやっていかなくてはならないと思っていた。

俺だって、譲れないことはそりゃあるからな、人と相いれなくて険悪になるときもそりゃあたくさんあったさ、そのタイミングで向こうにフケをいじられ始めるとまーそりゃ分が悪い。俺は弱点を丸出しの、ロックマンXシリーズの一番最初の8ボスの前に戦うチュートリアルのでかいボスくらい、弱点が丸見えだった。とりあえずフケをいじっときゃ優勢に持ち込めるくらいの雑魚だったのだ、俺は。その中でもなんとか負けないようにやりくりしてたけどね、頑張って。

あと、そうだ。今気づいたわ。俺は帽子をよく好んでかぶってるんだけど、それってそもそもフケを隠したいからだったんだわ。帽子かぶってりゃ、頭ごと、フケごと隠せるから。だから俺ずっと帽子好んでかぶってたんだ。あー、これ嫁に明日言うわ。嫁によく怒られてたんだ、室内で帽子被るなみっともないハゲるぞとか。でもそうか、俺はこのコンプレックスに起因して帽子をかぶってたんだな、明日嫁に言うわ、「わかってほしかっただわよー!」って言うわ。ピノコの口調これで合ってるかわからんけど言うわ。

しかし嫁には感謝しかない。そんなフケまみれの、紙吹雪に祝福された谷村新司ばりにフケを全身にまとった俺を見ても、「大変だねー」くらいの感じで接してくれた。嫁には感謝しかない。水を使わないでもそのまま餃子を包めるくらい手汗をかく俺と気兼ねなく手をつないでくれたし、夏の朝に目を覚ましたら池に落ちたのかと思うくらい汗をかいてる俺と一緒に寝てくれている。誠に感謝しかない。

つまりなんだ、清潔感の問題と自己肯定感の問題はまた別個であり、私が世間的な清潔感を獲得できないながらも自己肯定感を維持できたのは嫁やその他の存在は非常に大きい。たとえば私の肩についたフケを「フケついてんで」と声をかけ手で払ってくれていた先輩を、当時は疎ましく感じることもあったが、今こうして文章を書いていて考えるに、それはただただ善意だったのだろうと思う。私はそうすることで「フケをすごく気にしている人」と思われるのが嫌で自分の肩を払うこともできず身動きが取れない部分があって、そのフケに言及する先輩を快く思えなかったが、あのひとは間違いなく僕が自分でできないことをやってくれている良い人だったのだろう。他の人もいるところでそれをやるのはやめてほしかった気持ちはありつつ。

これは自分のフケについての嫌な思い出とかを語るのが目的で書き始めた文章だ。

そして終わりとしてはあっけなく、子供が生まれたタイミングとかだっただろうか、「どうにもならねえものは知ったこっちゃねえ、俺の人生だ文句あるか」でやってきたところをもう少し頑張ろうかと思って、フケをなんとかしようとオクトを買ったのだった。オクト、超しょうもないよ。俺の近所のドラッグストアではプリキュアシャンプーとかの横に置いてるよ。一体どういう扱いなの?

で、オクトがこれすごい効いたんだ。今までのなんだったのってくらいフケが改善された。それで俺は今ではフケが別にそんなに出ない人間として生きてるんだけど、俺が話したいのは何も「オクトすごいよ」とか「努力でフケはなんとかなるよ」って話では全然ないんだけど。

なんだろな、フケで悩んでる話ってなかなかインターネットでも見かけなかったから、俺も今回一連のやつを読んで「俺も俺も」って思ったんだよね。っていうことは、俺以外にもいるんだろ。フケに悩んでる人間。そういう人たちに向けて「フケがあった人類が今こうして生きてる」ってのを伝えたかったみたいな、なんかそういうのな。そういうの。

こういう問題ってすごく個人的な。世界にそんな悩み抱えてるの自分一人だけなんじゃないかみたいな錯覚に陥るじゃん。それ自体がすごくしんどいしさ。そうじゃないんだよ、っていう。あるあるなんだよ、っていう。

こんなに出るフケが、砂金じゃないのはなんでだろ~~~~~~

ってみんな思ってるよ、ってことを俺は言いたいんですよね。一緒になんでだろう踊ろうよ。赤でも青でも好きなジャージを着なよ。俺はじゃない方を着るから!っていう気持ちですよね。

そういう気持ちで、僕はフケが引くほどあっさり治ってしまった人間なので、そういう意味では若干忍びないんですけど、なんか普段話さない、自分の矮小な話をいろいろ書きました。

 

そういえば数年前、まぁまぁ豪快な骨折をしてしまい入院する羽目になって、風呂にずっと入れない生活を強いられて病院のベッドでフケに悩まされてたとき、掃除にきたババアに「ベッドの周りフケだらけやわごめんな」って言うたら「みんな出る出る、生きてたら出る、謝らんでいい」と言われ、「死んだら出ないんやな」と返したら「わからんから私が死んだときに見ぃ」と言われ、良いババア見を感じました。あのババア死んだら唇を水を多分に含んだコットンで撫でる前に頭ガシガシしたるねん。葬式呼ばれるわけあるかよ。

以上です。

 

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