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ちんちんとは何か、それはまだ誰も知らない

これは他所の育児家庭にも一度お試し頂きたい我が家の慣習なんですが、まー僕は平日早くには帰れないんですね。仕事の都合上、どうしてもそんなに早くは帰れない。なので平日は嫁さんに子供のことわりと任せっきりで。具体的にはそういう伝説が残ってる集落に日没と同時に一軒一軒台所の流しの向かいにある小窓に小石をコツンコツンと投げぶつけるって業務がありますんで、日没始まりでその業務始めて集落の戸数がだいたい80なのでもう終える頃には真っ暗ですよ。そっからセグウェイで帰るってなったらもーそりゃ家に着くのはそれなりの時間ですよね。延々砂利道をセグウェイですから。でもね、その小窓に小石がコツンとぶつけられることで「ああ、今日も一日何事もなく終わったことを牛神様が祝福してくれているんだな」ってその集落の人たちは全員思いますから、僕の仕事はすごく意義がある、めちゃめちゃ素晴らしい仕事ですけどね。日給はくるぶしソックス4足セットですけどね。それをメルカリで売って生計を立ててるんですけど。息子のおむつとか買ってるんですけど。

んで何だっけ、そうだ、だから僕平日は子供を嫁さんに任せっきりで、夕方の子供をお風呂に入れるのとかも普段嫁さんに任せっきりなの。僕と同じようにそういうお父さんたぶん世の中にたくさんいると思うんですけど、いや、事情はそれぞれだし様々子細なところは違うかもしれませんよ、「いや、私は同じような仕事してるけど、日給じゃなく時給がアルトバイエルン一パックですよ」なにそれ、高給取り~~みたいな、そういう差はあるかもしれないですけど、まぁいると思うんですけど。ここでありがちなのが「じゃあ休みの日の土日くらいは俺が風呂に入れてやるよ」ってなりがちじゃないですか。我が家も最初の頃はそうしてたんですけど、どっかから「いや、これおかしくね?」って話になったんですよ。そもそもなんですけど、一人で一歳にも満たない赤ちゃんをお風呂に入れるのってすごい大変なんですよ。合理性考えると自分のお風呂も当然兼ねることになるわけですけど、自分の体洗って子供の体を洗って風邪ひかせちゃいけないから子供の体は拭き、しかし自分の体も当然濡れてるし、髪を乾かすよりも先に赤ちゃんの体に保湿クリームを塗ってやったりなんやったりで風呂入ったら赤ちゃんは眠いし髪は乾かしたいけど眠いから泣くしみたいなまーとにかく大変なんですって。やったことないけど何となくわかるよ。それに対して二人がかりだと子供とのお風呂はすごく楽しい。もう一方が普通に相手してあやしてやってる間に自分の体も丁寧に洗って、自分をきれいにするのが終わったら子供をお風呂に呼んで、子供と楽しくお風呂に入って、そしたら子供を先に出してもらってもう一人が子供の体を拭いてクリーム塗って服を着せてやってってやってるあいだに自分の体も拭いてキレイにして髪も乾かして、って考えると。一人でガキを風呂に入れるのは苦行だけど、サポート一人ついててガキを風呂に入れるのは娯楽なんですよね。このすんぽーでいくと、「休みの日は俺が風呂に入れてやってるから!」なんてのは娯楽いいとこ取りじゃねえかって話に我が家ではなりまして、我が家は休日は嫁さんがまず風呂に入り、落ち着いたところで嫁さんに俺が息子を手渡し、落ち着いたところで僕が息子を受け取り世話をしてるあいだに嫁さんが身支度を済ませます。迎えに行った時に見る、湯船に浸かりながらなんかおもちゃとかで遊んでる息子がかわいいのでちょっと羨ましいがこれでいいのだ。

そんなおいしいところを嫁さんに譲るお風呂イベントでも面白いことは何かしらあって、最近はあたたかくなってきたので、嫁さんが風呂に行ったと同時くらいに息子の服をもう脱がせとくんですね。別に寒くねえだろうし、そろそろ連れてきてーって言われてから脱がすのもめんどくさいんでパーっと剥いちまうんですけど。

そしたらなんか息子がすげー自分のちんちん掴むの。

なにこれ?なんなん?なんやこれ?って感じでめちゃめちゃ掴みまくるんですよ。そんな掴んで痛くないんかってくらいめちゃめちゃ掴みよる。やっば気になるんだろうね、寝返りもハイハイも掴まり立ちもできるようになった。離乳食もモグモグ食べる。手も足も口も自由自在に動かせるようになった(俺から見るとまだ雑魚だけど)。そんななかで「ところでこの股についてる何一つ俺の意思どおりに動かない俺の一部っぽいコレなに?」って彼の中でなるのは当然だと思うんですよね。それがなんか俺の中でめちゃめちゃ面白くって。彼のその「ところでコレ何?」という問いについては現時点で父親である俺にとっても「ソレがなんなのか、厄介であること以外は俺にもよくわからない、俺も今、模索中」ってなるのがめちゃめちゃ面白くて。

いや、息子よ。お前の「なんやこれ?」って勘、めちゃめちゃいいセンいってるよ。なんやろな、それな。お前のその興味の持ち方、警戒の仕方、分析の対象にしようとするその態度、めちゃめちゃいいセンいってる。なんやろな、それ。

ある人は、それに振り回される。ある人は、それをぶらさげているというだけで、それをぶらさげている人と扱われ面倒な思いをする。ある人は、それが自分についていることに違和感を持つ。あーちんちんがついていてよかったーって言う人は世の中にたくさんいるだろうが実のところ「ちんちんがついていてよかった」人なんか一人もいないんじゃないかとも俺は思う。そんなものをわざわざ引っさげてこの世に爆誕した息子よ、気の毒だな、と思う。そんな自身の境遇を知ってか知らずか、お前はワシワシと己のちんちんを眉間に皺寄せて掴む。

 

彼は最近できることが増えてめっきりわがままになった。自分の体を自由に使って自己主張できるようになった。食事の時間だからとおもちゃを取り上げると泣いて抗議する。座らされた机をバンバンと叩いて抗議する。今までは犬が西向きゃ尾は東と言った調子で横に抱いて寝かしてやっていたところが、最近では寂しい気持ちの時はそれを頑なに拒むので縦に抱いてやるしか仕方なく、彼は僕の首にしっかりと自分の腕を回してそうして安心を感じながら微睡んでゆく。彼は選ぶようになってゆく。自分の思うままを実現したいと欲を出すようになってゆく。彼は、理想を、持ち始めている。しかしそうはいかない。そんなに世の中うまくない。自分のちんちんをなんぞの顔で掴む彼の顔を見るたび、僕は笑けてしまうのだ、彼の前途多難に。

君は、好きに生きろ。しかし、君は好きには生きれない。ままならない生をお前はいかに満喫するのか、見れるところまでは見たいと思うし、見せれるところまでは俺の生も見せたいと思う。

ちんちんとは何か、僕も、息子も、それはまだ誰も知らない。

 

以上です。