←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

息子が三ヶ月検診に引っかかった話

嫁さんが息子連れて三ヶ月検診に行った時、なんか頭の大きさが足りないってんで一ヶ月後に再検診みたいな運びになったらしい。平日は僕は働いてて「じゃあ三ヶ月検診、気をつけていってきてね」という調子だったので当然、伝聞の「らしい」となる。

なんだか聞いた話によるとうちの息子は頭が小さいかったらしい。どうやら赤子の成長を見守って何かあった時にいち早く対応するための知恵と工夫の一つとして「成長曲線グラフ」なるものがあるらしく、この月齢の赤子ならまぁこんぐらいの体重はあるよね、身長はあるよね、頭囲はあるよね、胸囲はあるよね、という目安があるそうだ。それは、上が上位3%の位置する地点、下が下位3%の位置する地点であるそうで、その間に収まれば「ふつう」、収まらず上か下かにはみ出れば「ふつうじゃない」ので再検診、という話だそうだ。

まぁ、その話を聞いた時、不安が全くないと言っては嘘になるかもしれないが、現時点では再検診にいらっしゃいと言った向こうだってよくわかってないんだろうし気を揉んだって仕方ないよなぁと思った。なんかあんまり頭が小さいと疑った方がいいかもしれない病気?障害?、の名前もググればいくつか出てきたが、現時点でそれを不安に思ったって仕方ねえしなぁ、と思った。つまりうちの息子は頭の小ささでいうと上位2%の超頭が小さい子供らしいということは話を聞いてわかったが、その上位2%を分母にした時、そのうちなんぼが病気?障害?やねん。と思ったが、そっちはちょっとググっただけではわからなかった。

まぁ病気なり障害なりを抱えた子供ならそれなりに考えにゃならんことがあるのは確かではあるんだが、俺には下位3%から上位3%のあいだの「ふつう」に収まってホッとする感覚も、そこから外れて心配する感覚もあんまりよくわからなかったもんで自分大丈夫か、と思った。いや、人がホッとするのはわかるんだけど、自分としてはやっぱりわからない。それこそ川上未映子の育児エッセイ本でしていた話なのだが、「人はだれもふつうなんかじゃなくなりたいはずなのに、なぜ赤子の成長だけはふつうに収まって欲しいのか」みたいなことを、川上未映子は書いていて、それを子供が産まれる前に読んだ時はなるほどそういうものなのかと僕も思ったが、いざ自分がその立場になると、思ったよりなるほど、わからんかった。やっぱり、その2%のうち、本当に何か考えなくてはならないことがあるのは何%やねん、ってところが怪しいのがでかかったし、何より僕は、息子に関するなにかしらの事実に「ガッカリ」するのは、嫌だなぁと思っていたのだった。

僕は、親はなくとも子は育つ、と割りに本気で思っている方なのだが、人にかわいそうと思われると人は自分がかわいそうな気になってしまうし、人に不幸とあんまり思われると自分が不幸な気になってしまうものだとは思っていて、しかし世の中の人はそこらへん気を使ってくれずに良かれと思って簡単に他人のことをかわいそがったり不幸を嘆いてあげたりしてくれるもんなので、そういう時に自分がかわいそうで不幸なんかじゃないと撥ね退ける何かしらのパワーがあった方がきっと人は生きやすい。そのパワーを授けるのは、別に親じゃなくてもいいのだけれど、親が子と一緒にいるなら親が授けてやるのが一番手っ取り早くはある。親がいなけりゃ他のどこかから調達すれば良いので別に親じゃなくたっていいのだが、せっかく親がいるなら親は与えてやった方が当人にとっては良かろうな。そう思うので、僕は息子にあんまり「ガッカリ」はしたくないし、「ホッと」もしたくない。自分が自分に対してそうしているように彼にもそうしたいし、彼が彼に対してどうするか・それは彼次第だ。だから、頭が小さいと言われたところで、僕は頭大きくなってくれともそんなに小さくなんかないはずだとも思わなかった。「へぇ」と思った。期待も落胆もしたくなかった。生きてて他人にそんなに多くを求めないのと同様にそうして、そのうえで愛してやりたいなぁと思った。

しかし、こんなに言語化できてしまっている以上、まったく気にしていなかったわけではもちろんないのであろう。駅やスーパーですれ違う他所の赤子の頭は気になるし、息子には「お前は小顔美人だな」と話しかける。まったく気にならないわけは、もちろんないのである。

そして再検診の日がやってきた。

嫁からLINEで来た報告は「問題なし」。むしろ頭は平均より少しでかいくらいだったらしい。聞いてみると、頭囲は測り間違いなんかが少なくないらしく、恐らく今回のこの経緯も一回目の検診のときの測り間違いに端を発するのではないかとのことであった。

それを聞いて、俺はホッとするより先に自分を恥じた。

ここまでなんだかんだ当時思って今も思っていることをさんざ書いてきたが、なんだ、「そうなのか?なんぼなんだこいつの頭は?」と俺が嫁の裁縫箱の中から巻き尺を取り出して測っていればそれで済んだ話だったんじゃないか。そのエンディングにたどり着けなかった自分を恥じた。

96%に入れなくてなんだ、とか考える前に、その誰かが言った「96%に入ってないっすね」というのが本当かどうかを確認するのが本当はよかった。「96%の枠に入っていなきゃダメだ」という変なフレームには収まりたくないなとまでは思っていたが「言われた数字を、自分で測ろうと思えば測れる数字を、ただ鵜呑みにする」というフレームには俺はすっぽり収まっていたのだなぁと思った。

なるほど、俺もまだまだだ。「頭囲が下位2%?それって何cmなの?」とは聞かなかったもの。それを聞いて、自分で測って「あれ、大丈夫じゃん」と言えてたらそれが一番よかったんだろうな。この時点で俺はまだまだ何かに囚われてるし、もっともっとそういうのぶっ飛ばさないと、俺が子供に注ぐ愛は子供にとって迷惑なものになってしまうかもしれないなと思ったのだった。

以上です。