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【読み物】地の底のダイエー歳末スペシャル

 彼女と最後に会ったのは忘れもしない今年の頭の正月休みの最終日、1月3日のイオンモール築地銀だこのチーズ明太を頬張りながら僕は彼女に別れの言葉を告げられた。口いっぱいに広がる命になるはずだったプチプチの香りを堪能しながら、僕は年明け早々にお先真っ暗になってしまった。ここでその時の彼女の言葉を改めて殊更に反芻する必要はないだろう。そこには、ありきたりな、あまりにありきたりな別れの言葉たちがあるだけだった。なんであんなことを彼女の口から言わせてしまったんだろうとか、どうしてこんなことになってしまったのだろうとか、そういう気持ちはその当時を振り返ってみてもやっぱりあんまりなかったような気がして、僕は悲しいより先にこれからどうしようかと思ってしまって、彼女が僕を忘れるより先に僕は彼女のことを忘れてしまったみたいだった。彼女はよくよく要約すると僕のことをつまらない男だと言っていて、一緒にいても未来が見えなくてと言っていて、それは僕もそうだった。僕は自分のことをつまらない男だと思っていて、同様に彼女のこともつまらない人間だと思っていて、でもそれが何だか僕には救われて、未来のことはわからないけれど、それでも二人でならやっていけると思っていたのが今年を迎えた当時の僕なのだった。だから僕は彼女の切り出した別れ話にすごく驚いた一方そりゃそうだろうと思う気持ちもあって、泣きじゃくりながら謝りながらハムスターみたいにたこ焼きを頬張る僕に別れの言葉を申し訳なさそうにダースで並べる彼女を見ても、そんなにポロポロと泣きながら別れ話をするつもりならどうしてそんなにマスカラをつけてくるんだろうとデイゲームの韓国人バッターみたいに目の下を真っ黒にする彼女を見て、僕はなんでだろうと思う一方、こういうやつだから僕は一緒にいれると思えてたのになと思って、でも彼女の不安は僕には不安じゃなくて、それをそのままにしてた結果がこれなんだと思って、僕は矢継ぎ早の別れの言葉に圧倒されて飲み込むタイミングを失い咀嚼に咀嚼していたチーズ明太を飲み込んで彼女にこう言った。

「わかった、ごめんね、いいよ、別れよう、ごめんね」

来年のことを話すと鬼は笑うと言うけれど、僕たちはもっと来年の、未来の話をするべきだったのだろうと今になっては思う。そういうわけで僕はこの1年、一人、とても寂しい1年を過ごした。

 

 それで、それから1年を微妙に待たない今日、大晦日の朝、かつての彼女からLINEで会いたいと連絡が来た。LINEの連絡が来たのも、最後に会った1月3日以来だった。年の瀬も年の瀬の大晦日だが、特に誰と過ごすでもなし、家で酒を飲みながら紅白を見て眠くなったら寝るつもりで、そばを食うか食わないかも気分次第という有様だったので、だったのでというのもおかしいがわかるだろ、俺は二つ返事でOKした。俺はその時、なんだかんだ心躍っていた。だから、ここまで書いた何でもない調子の何もかもは実のところ虚勢に過ぎなくて、俺のこの1年は彼女を待った1年だったのかもしれない。

 彼女が待ち合わせ場所に選んだのは、俺の家から歩いて数分のところにある地下20mに埋もれたダイエーだった。去年、彼女がよく俺の家に泊まりに来ていた頃、二人でよく通ったうらびれたダイエーだ。とは言え、その当時はさすがに地下20mに埋もれているなんてことはなかった。

 そのダイエーが埋もれたのは今年の8月、この街を震度3の地震が襲った時だった。何十年前に建てたのかもよくわからぬ、福岡ダイエーホークスになったタイミングを調べれば何となくダイエーが発展を始めた時期はわかるのかもしれないがそれすらめんどくさいそのダイエーは、震度3の地震の衝撃により何が何やら地盤沈下で沈みに沈み、気功砲を食らった「武闘台がない!!!」みたいに真四角に地の底に埋もれてしまった。その地震で実際に被害を被ったのは近所の小学校の脚のところの木が腐っていた百葉箱と、そのダイエーだけだった。そのうえ、地元のこの地震についての報道は観光客によって偶然撮影されていたこれまた近所の動物園のアムールトラの赤ちゃんが地震にびっくりして母アムールトラに抱きつく映像がかわいすぎる件一色で、この自然の脅威に為す術もなく地中奥深くに沈められたダイエーの存在は近隣住民以外の誰にもほぼほぼ知られることはなく、そのダイエーのすぐ横のGEOに足を運んだリアル友人のフォロワー200人しかいないマイルドヤンキーがほの暗い穴の底で光るダイエーの看板を写真に撮ってはツイッターにアップするものの、全然バズらないばかりであった。

 

 そうして俺は、地下20mのダイエーに降り立った。営業中である。地下20mから引きずり上げるでもなく、地中深くに埋もれたまま、今日もダイエーは通常営業だ。クリスマスを終えた26日から元旦を迎える1月1日までのあいだ、何食わぬ顔でいつものBGMを店内に流すいつものダイエーだ。もはやEvery Little Thingトミーフェブラリーかも俺には思い出せないBGMが流れているいつものダイエーだ。なぜ地下20mに埋もれたダイエーを未だ営業し続けるのか、それは親会社であるイオン以外誰にもわからない。しかしこんなに色んな所にイオンモールを作り続けて儲けを出しているイオンが判断したのだから間違いはないはずだ。このダイエーは、間違いではなく、きっと意味があるからこそ、今日も営業し続けている。

 汚い汚いうらぶれたダイエーにはなぜだろう、どれだけ汚かろうとなぜだろう常連がいる。強い強い常連がいる。この店とて例外ではない。俺がこうして入店できているのもその常連たちのお陰だ。地震の直後、有志のジジイが気功砲みたいな穴ぼこに縄梯子を垂らしたうえ、天井の一部を掘削して店内への道を拓いた。俺もその縄梯子のおかげで、この生鮮フロアに今こうして立っている。腰やらなんやらを悪くして縄梯子は堪えるジジイババアに腰縄を結び滑車で下ろしたり上げたりするギミックも有志の手によって開発されている。その安全性に難ありという結論が出てもめんどくさいだけだから、その耐荷重を計算しようとしたものは未だかつて誰もいない。そういうわけで、このダイエーは地下20mにありながらにして「いやその補助なかったらどうやって歩くつもりなの!?」と言いたくなるカートにギリギリつかまり立ちのババアを含む、いつものどこにでもある、床のタイルがバッキバキにひび割れた終わってるいつものダイエーだった。ただし本来であれば正面エントランスであったはずのその自動ドアの向こうには地層学者が見れば垂涎かもしれないしそうでもないかもしれない岩盤がガラスの向こうにあるばかりで、それを覆い隠すようにイオンのプライベートブランドである名前も記憶にない第三のビールストロングゼロの空き缶が積み重なっている。アルコールの気化した匂いがむせ返るそのエントランスで、俺は140円のコーヒーゼリーを食べながら彼女を待った。

 14時が約束の時間だったが彼女は当たり前のように14時には来ない。俺は1時間おきにコーヒーゼリーを買い足しては食べ、食べ終わったコーヒーゼリーの容器をストロングゼロの空き缶の山に投げ込む。割れ窓理論ってこういうことなんだなと噛み締めながら、コーヒーゼリーを買って良い次の時報を待つ。無論、ダイエーに空虚に流れる時報に俺にコーヒーゼリーを買うことを許可する意味などない。それは俺が勝手に決めたことだ。それでも俺には待つことしかできないのだから、コーヒーゼリーを買っては食べて、食べては投げ込み、また次の時報コーヒーゼリーを買っては食べては投げ込んで、気づけば20時を過ぎようとしていた頃だった。彼女はもうきっと来ないだろう。安室ちゃんはさすがにまだ出てはいないだろう、今から帰れば間に合うかもしれない。頭ではそう思うのだが、あの縄梯子を登ることを考えるとその億劫さが俺の身体をこのダイエーに縛り付けた。

 思えばこの一日、俺の前を数多のこのダイエーの常連たちが通り過ぎていった。焼き芋を買い込んだことが匂いから推して知るべきババア、ストロングゼロを飲みながら歩くジジイ、単価500円くらいする新年用の良いかまぼこを右手に紅・左手に白と握りしめて闊歩するババア、ビニール袋から一軒家用のどでかいしめ縄がはみ出てるジジイ、たくさんのジジイババアが俺の前を通り過ぎていったし、あまりに同じようなジジイババアが俺の前を通り過ぎ過ぎている。イオンがあるだろう。すぐ近所にイオンができたじゃんか。俺と彼女が別れたあの銀だこをモールに内包するイオンが、すぐ近所にあるじゃないか。お前たちはなぜ、どうしてこんな縄梯子を伝わないと来れないようなダイエーに、どうしてどこにでも売っているサトウの切り餅を買いに来るのだ。17時の回からだったろうか。俺はコーヒーゼリーと一緒にストロングゼロのロング缶も買っていた。それが、少なとも俺にとっての、この場所にいる俺にとっての自然な俺の在り方だったんだ。

 

 21時になった。俺はコーヒーゼリーをちゅるんっとやっつけて、ストロングゼロのプルタブをプシュッとやるなり喉に流し込んでやった。彼女はきっともう来ない。彼女は結局どういうつもりだったんだろう。おおよそ一年ぶりの連絡だ。俺だって期待するじゃないか。いいや、俺が期待するっていうことはさ、俺なんかが期待を持てちゃうような言葉を投げかけるお前が、俺は心配だったんだよ。ワンチャンあるかなと思った。それはお前がこう、なんていうか、危険なんじゃないかってことだよな。あんなこっぴどく振られた俺が必要な状態ってことなのだとしたらさ、お前のことが心配だよ俺は。こんなところでストロングゼロ飲んでる場合じゃない。だけどさぁ、縄梯子登る気力が今の俺にはどうしてもさぁ。ストロングゼロの空き缶の山が俺の目の前にそびえ立っている。俺にはどうしてもさぁって俺はそれを見てどうしても思っちゃうから、だから俺は、イオンモールの銀だこでお前に振られたし、今こんな地の底のダイエーストロングゼロでへべれけになっているんだろう。せめてテレビが見れるAndroidスマホでガキ使でも見て気を紛らわせようかなと思ったけれど、ダイエーは今やポケストップだから、せっかくだし5分おきにポケストップ回そうとしてたら16時くらいにごめん電池切れた。だから、もしかしたらお前が連絡入れてくれてるかもなぁと思いつつ、俺は縄梯子を登れないまま、ずっとここでストロングゼロ飲んでるんだ。

 と、その時だ。轟音と共にエントランス横のエレベーターから尋常じゃない砂埃が舞い上がった。粉塵の向こうから現れたのは、ウルトラマンに出てきたような、懐中電灯の先端がドリルになったみたいな地中戦車だった。フロントガラスにはスモークが張られていて内部の様子はうかがい知れない。ただ、スモークにはイオンのロゴが大きく貼られていた。何が何やらわからぬままあっけに取られている自分を嘲笑うかのように、先端の大きなドリルがウイーンとけたたましく回転した。と、次の瞬間、俺の後ろにいた伊達巻を握りしめたババアが飛び出し、モグラタンク的なそれに伊達巻で殴りかかった。

「出せ!私をここから出せ!」

 何を言っているんだ、ババア、お前は自分の意思でこのダイエーにいるんじゃないのか。その背中に背負っているリュックについているカタビラが何よりの証拠だ。お前は、そのカタビラを滑車に引っ掛けてこの地の底のダイエーに降り立ち、そのカタビラを使えばいつでも地上に舞い戻れるはずだ。しかし殴る、ババアは殴る。

「お前のせいで私は!私は!」

 今からでも夜間高校に入り直してソフトボール部の内野を守れんばかりの勢いで殴るババアに続くように、俺の後ろからジジイババアが殺到する。それぞれ思い思いかは知らないがあけましておめでとう的なものを持っている。お雑煮用の細っせえ大根、細っせえ人参を持つ奴が多いようだ。今年は台風であんまり獲れなくって品薄だったけれど、さびれたスーパーでは結構余ってたりするんだ。だからジジイババアは大根人参を握りしめてモグラタンクに殴りかかる。

 ああ、みんな、これを待ってたんだな。待つしかなかったのかもしれない。こんなところで年を越していいわけないんだ、みんなそれぞれに本当に年を越したかった場所がある。それでも、ここにいるしかなかったんだ。それでもそんな自分を変えたくて、だから、今こうして、みんな、モグラタンクに殴りかかっているんだ。中にはタンクにそのまま四つん這いになってしがみついて齧りついているジジイババアもいる。イベントなのか?象徴なのか? モグラタンクが登場した後ろにはエスカレーターがうっすら見えている。直通なのか?ドッキリなのか? このモグラタンクの向こうにイオンへの道が続いているとしてそれが一体なんだっていうんだ。老いらくの暴力に晒されているモグラタンクはわかりやすく煙を上げ始めた。ダメージを意味する演出にしか見えない。ジジイババアにポカスカと殴られ続けるモグラタンクはついに微細動を繰り返し始めた。スマホを見る。電源はない。彼女からの連絡があるのかないのかもわからない。ストロングゼロにすっかり溶かされた脳で銀だこのチーズ明太の味を思い出す。飲み込むべきじゃなかった。エスカレーターの向こうがイオンに続いているのかはわからない。イオンに続いていたとして彼女がそこにいるのかもわからない。もう21時じゃん、イオンがいつまでやってるかもわからない。

 それでも

 それでも今は、俺はそうしたいんだと決意した俺は、試食用に陳列されていた黒豆をむんずと掴み、それを全指の間に挟みモグラタンクにぶつけるべく振りかぶった。ストロングゼロの空き缶の山に半分埋もれている門松に跨った歯の半分ないジジイがそんな俺を見て「いっけー!!」と叫んだ。そんなこと言われる筋合いない。全員酔っ払っている。誰とも何も共有できない。俺の意味のない一年の総決算は、本当に意味がない。それを痛感させられるこの瞬間、それでもその「いっけー!!」は頼もしかった。黒豆を振り抜く。良いお年を。