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ルーキーと一緒

 嫁の義実家に一泊して、先日我が家に新たにやってきたルーキーと遊んできた。立会い出産ではあったが同時に里帰り出産というやつでもあり、これまで何度か彼と顔を合わせてはいたが一緒にうちのおかんが同行していて長居は気を使ったりとかまぁ色々な理由があっていずれの場合もせいぜい3,4時間の滞在、ちょっとジャイアントパンダの赤ちゃんを見に行く感覚でしか会えていなかった。なのでルーキーの彼を交えて家族三人で一夜を共に過ごすというのも初めてのことだった。

 

 彼がやってきて以降ずっと面倒を見てくれている嫁さんに尋ねるともうルーキーがかわいくてかわいくて仕方ないそうだ。なるほど、やはりそういうものなのか。しかし赤ちゃんってやつは確かにまぁどこを見ても頭からつま先までまるっきり赤ちゃんだ。たとえばほら足の裏を見てみろ、まだ一度も大地を踏み締めたこともない足の裏を。メルカリ的に言えば開封済みですが未使用、限りなく新品に近い状態です。彼の足裏を見た後に自分の足裏を見てみるとずいぶんまぁ30年かけて使い込んだもんだなとそれはそれで関心する。身体のパーツのどこをとってもそんな調子なのでその集合体である彼が嫁をしてかわいくて仕方ないと言わしめるのも無理からぬ話である。そこで僕は彼のなかにどうにか一つ、かわいくない場所を探し出してやろうと自分の腕の中にすっぽりと収まる彼の細部をまじまじと虱潰しに見てやることにした。いいかルーキー、お前の父親は目のつけどころが少し違う。それもただ無意味にだ。まぁそれは今後嫌というほど知ることになるだろう。

 そして僕はやがて一つ、人間には決してかわいさを鍛えることができない箇所を見つける。目玉である。瞳ではない。目玉である。目玉の親父がかわいいのは声が3割、身体が3割、入浴中頭に乗せる手ぬぐい4割である。これだけのフォローがないと目玉単体というものは決してかわいいもクソもない。もちろん人間の瞳というものは大人子ども問わず魅力的なものである。しかしそれは結局、瞼の形があって初めて成立するもの。目玉単体で考えてみればかわいいもクソもないのである。有村架純は頬の輪郭が隠れる髪型をしておけという話と似ている。私はキョロキョロと周囲を眺め回したりふいに一点をぼーっと見つめたりする彼の眼子をじっと睨みつけ、ギロギロと動く目玉の黒目と白目の境界を追い続ける。するとどうだろう、目玉じゃん。かわいくもなんともない、ただの目玉じゃん。初代バイオハザードのTOP画面のおっかねえ目玉とだいたい一緒じゃん。思い知ったかルーキー、お前にだってかわいくないパーツはあるのだ。満足気に瞳を覗き込む僕を彼は不思議そうに見返した。まぁそれは今後嫌というほど知ることになるだろう。

 

 彼は、人に抱かれていないともう絶対に何もかもを許さんという時があるようだ。どれだけ抱えて寝かしつけてやっても布団に置いた次の瞬間には顔をくしゃくしゃにして抱くなら今のうちだぞ泣くぞもう泣くぞという目をするのである。あまりにどうしたって布団に置いた瞬間泣くものだから私は布団に針でも埋まってるんちゃうかと疑った。ルーキー、お前の父親は検針済の三文字も鵜呑みにせずにまずはなんだって疑ってかかる男だ。そのめんどくささは今後嫌というほど知ることになるだろう。当然、針なんかは見つかることもなく、お前ではなく布団に原因があるのではとお前を信じた俺が馬鹿だった。

 ガキのお守りというのは自分も食わなきゃやってられないのだが、どうしたって抱いていないと泣くものだから誰かが見ていてやらねばならぬ。まずは僕が居間でそそくさとチョッパヤで食事を済ませ、嫁さんの自室に戻ると嫁さんの胸元からルーキーを引き受け「ここは俺に任せてお前は先に行け」感覚で嫁さんが食事をとるため部屋を後にする。どうにか彼には寝て欲しいため既に部屋の灯りは落としていてうすら暗い。ベビー向けのオルゴールBGMが小さく流れている。彼と僕が二人きりになったのはもしかするとこのときが初めてだったのかもしれない。嫁さんと彼とがこれまで毎晩過ごしてきた夜が、これだ。

 彼の身体を揺らしてやりながらぼーっとしていると、聞き覚えのあるメロディがノートパソコンから流れてきた。流れてきたのはオルゴールバージョンだが、僕にはその歌詞が頭のなかで容易に思い出せる。

「俺がついてるぜ 俺がついてるぜ 辛いことばかりでも 君はくじけちゃだめだよ」

 トイ・ストーリーの『君はともだち』だ。それを聴きながら彼の顔を見ていると、僕はなんだか急に彼がものすごい可能性の塊なんだなと思えてきて、なんだか感慨深い気持ちになった。後で嫁さんにこの時のことを話してみると、彼女も同じような経験があったらしい。彼女の時の曲は『となりのトトロ』の主題歌だったそうだ。

「子供のときにだけ あなたに訪れる 不思議な出会い」

 そうだ、彼は、これから、トトロに出会う。彼は、これから、ウッディに出会う。彼は、これから、出会うのだ。

 

 布団に落ち着いて寝ているかなと思ったら、彼は手を宙に掻き、脚を藻掻くようにパタパタとさせている。やがて掛け布団を跳ね除ける。おむつが気持ち悪いのかなと思ったらそうではなさそうだ。単純に暑いのかなとも思ったがそんな風でもない。空調も整えている手前、寝冷えしてもよくないので布団を掛け直してやる。嫁さんの言うことには、子宮の壁を探しているのではないかという。よその子のことは知らないが彼は胎動の活発なやつだった。それも蹴ったり殴ったりするというよりは、うようよとした手つきで壁の感触を確かめるような、壁の外側を探るような、まるでそんな胎動に感じられた。

 へえ、じゃあ彼はまだ子宮のなかにでもいるつもりなのだろうか。

 と、不意にうとうとしていたはずの彼が何かうめき声をあげるので僕は「泣くか?」とじっと身構える。しかしやがて彼は再びおだやかな寝顔に戻る。寝言だろうか。何か夢でも見ていただろうか。しかしそう考えてみた後に気づくがじゃあ彼が起きている時に見ているのは夢ではなく現実だとでも言うのか、それはまた随分彼を買いかぶった解釈なのかもしれない。彼はずっと夢を見ているようなものなのかもしれないし、もうそれは寝ても起きても現実を生きていると言ってもいいのかもしれない。ともあれ彼はここ最近、子宮のなかと母親の腕のなかとを行き来している。

 

 そんな調子で、ルーキーのご機嫌を窺いながら、彼女が普段一手に引き受けてくれている仕事を目と手とで確認しながら自分にもできるところは覚えながら、彼と彼女のいつもの一日にお邪魔して、あっという間に帰る時になった。彼女は僕に「帰っちゃうのか寂しいな」と言うので、僕もあなたと離れるのは寂しいなと伝えた。二週間足らずで彼と彼女は我が家へ戻ってきて三人の生活が本格的に始まるが、次に僕と彼女が二人っきりになる機会はどれだけ先になるのかは誰も知らない。それはきっと寂しいとは言わないのだろうが、では何と言うのか、僕は知らない。ともあれ僕は義実家を後にして一人家路についた。

 

 明け方、嫁さんのすやすやとした寝息が聞こえるなか、彼は布団の上で元気いっぱいに目を爛々と輝かせ手足を楽しそうにジタバタさせて、僕はそれを眺めていた。泣きそうな気配はないがどうにも寝そうな気配もない。そのくせ、こちらが放っておいて寝てしまおうとすると泣くぞ泣くぞの気配をちらつかせる。そうなると僕はずっと彼を眺めているより仕方ない。ジタバタジタバタ積もり積もって彼はやがて布団を跳ね除ける。僕は左手は自分の頭の枕にしたままそっと右手を伸ばし布団を掛けなおしてやる。

 彼はニヤッと笑いまたジタバタと手足を動かす。やがて布団を跳ね除ける。俺はそれを掛け直す。彼はニヤッと笑う。僕と彼とはそれを延々繰り返す。彼が何度も何度も短い手足を動かして跳ね除けた布団を僕は右手でさっとたった一手間で掛け直す。彼の為したことを一瞬で無にする。まるで世界の理不尽さを教えてるような、理不尽な世界との戦い方を教えているような気に僕はなってきた。僕は布団を掛け直す。彼はニヤッとまた笑い、健気に布団をもぞもぞと動かす。僕はそんな彼を眺めながら心のなかで「そうや興毅!来い興毅!その調子や興毅!ええぞ興毅!もう一本いくで興毅!」と繰り返していた(もちろん名前は興毅ではない)。