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人間関係の調整における「待つ」という戦略の重要性と難しさ

ほんとに備忘録メモ。

掲題にあるような内容・方面での面倒が最近なんかすげえ多くてだるいんだけど。

色んな人間が噛んでてそれぞれにそれぞれの思惑があったり利害が一致したりしなかったり、大事だと思うものがそもそもバラバラだったりみたいなそういう面倒があって、それはまぁどこにでもある面倒なのだけど。

僕はこの手の揉め事に対して「待つ」という選択をすごく大事にする。それは例えば「今日あの人を説得しても絶対に聞き入れないだろうが、一週間後であれば、別のあの人がその間にこういう動きを勝手にするであろうから、そうなればあの人も説得に耳を傾けざるをえないだろう」みたいなそういう判断だ。

「時間が解決してくれるさ」という言葉はいかにも胡散臭く、僕だってあまり信用していない言葉ではあるのだけれど、この手の話の際には僕は割りと信用していて、どちらかというとその信用は「時間くらいしか解決してくれそうにない」というニュアンスであったりする。

そこにいる登場人物全員が本当にものわかりのいい合理的な人物ばかりであるのなら、面倒な駆け引きなど打つ必要もない。でかいテーブルでも囲んで一同に介してもっとも妥当な落とし所に着地すればいいだけだ。それができればどんなにラクか。それができないから困ってる。

なので僕は時間の経過と、それに伴う状況とか各人の心境の変化とかを、すごく大事に要素の一つとして考える。寝て起きて、寝る前とまったく同じ心持ちでいるのって人間なかなか難しいのだ。そういうところの気の緩みも考慮して、使える期間はできるだけそういう風に使って、その後でどう動くかを考えたい。どこを啄けばどうなるか、どこを軽んじればどうなるか。

みたいなのが僕の基本スタンスなのだけど、けっこうこの感じってイヤな人にはイヤらしくって困る。けっこうみんな待たずに策を弄したがる。誰かに一か八か働きかけたがる。どうなるかはわからないけど、こっちの都合良いように動いてくれるかもしれないとかあっけらかんと言う。僕はそれが悪い方に転んだらどうするんだってタイプなのだ。

もちろん、それでうまくいくような関係性が関係者のなかにあればそれでいいのだろうけど、そうじゃないのに勝手に言うんだからどういうことなんだと僕はそういう時いつも甚だ疑問だ。

どうもそういう時の彼らはボールを自分がずっと持っているのが苦しいのではないかと思う。だから誰かに働きかけて、その誰かにボールを明け渡してしまう。その後どうなるかはボールを持ってる相手次第、どう転んだって自分のせいじゃない。

逆の言い方をすれば、ボールを絶対に渡したくないんだとも言える。黙っていれば彼らがどうするかわからないボールを、自分が働きかけることで自分の手元に戻して、あとは彼らがどこをどう走るか次第、俺がパスを出せるところに走り込めるかどうかは彼ら次第、どう転んだって自分のせいじゃない。

きっとそういう調子で彼らは待つことを拒むのかな、と僕は想像している。

しかし、それでもまぁ待つことのやってられなさはわかったうえでなお、僕は、人間関係とか政治的な要素を含むシーンでは、紅白のふたつに分かれる以上の複雑さを持つ事態には「待つ」ってやつがすげえ重要だと思っているのだ。

同じことを言うのでも、今日言うのと明日言うのでは本当に大違いだったりする。そういうの大事にしたい。一方で、時間の経過を待つ、というのは、そういう風にどんだけ俯瞰でえらそうぶって考えてる時でも、待とうとした瞬間、時間は誰にだって平等なものだから俯瞰を捨てざるをえず、いち当事者としてもんもんと時が過ぎるのを待つより仕方ないわけで、だから待つのは大変なんだぞというところも含めて。

よりもっと「待つ」を上手に使える人間になりてえなぁ。以上です。

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