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「誤解を恐れずに言えば」を冒頭で使うのはやっぱなんか変だ

この文章では「誤解を恐れずに言えば」について考えます。そしてこの言葉は冒頭で使うのではなくむしろ論理展開の締めで使うのがいいのではないかという結論になりますが、この文章の締めは全然「誤解を恐れずに言えば」ではありません。あらかじめご了承ください。

何かツイッターのタイムラインを眺めていたら炎上してるっぽいブログ記事が流れてきたので読んでたら冒頭で「誤解を恐れずに言えば」と書いてあって「みんなこの言い回しほんと好きだなぁ」と思った。それで、なんとなく僕は炎上芸人の人たちが免罪符にも何にもならないのにやたら常套句として使っている「誤解を恐れずに言えば」はなんだか誤用っぽいよなぁ、そもそもこの言い回しってそんな使い方するもんだっけなぁと思って、ネットで検索して調べようと思ってとりあえずGoogleを開いてみたものの「そういう使い方」と「そういう使い方に対する批判」に汚染され尽くしていて僕は途方に暮れた。仕方がないのでとりあえず、自分ってこの表現使ったことあったかなぁと思って自分のブログを「誤解を恐れず」で検索してみると一件ヒットした。

少し長いけど、段落ひとつまるまる引用します。

で、なんかSMAPが5人で温泉旅行をしてたんですけど、なんかすげぇ良かったですね。人生とはなんぞや的なことを思ったりしました。彼らはとどのつまり天下とったアイドルといって差し支えないと思うんですけど、全員おっさんなわけです。ええ歳なわけです。だからといってアイドルとして落ち目なのかというとたぶん世間的には全然そんなことない。よっぽど5人で政治的思想から大量殺人でも企てない限りきっと彼らは死ぬまでアイドルなんだろうなと思います。解散したところで元SMAPという肩書きにはなるかもしれませんが変わらず彼らはSMAPなんだろうなと思います。誤解を恐れずに言えばたぶんあの人たちはそういう意味で、既にドリフターズの域に達してるんでしょう。

なるほど、手前味噌ですが、僕はこの使い方は良い「誤解を恐れずに言えば」なのではないかな、と思いました。

いきなりポンと、なんの前置きもなしに「SMAPドリフターズの域に達している」と言ってしまえば、様々な誤解を招く恐れがあります。「てめえ高木ブーに対応するのは誰だと言いたいんだ」と掴みかかられるかもしれません(森くんが荒井注なのは間違いないとして)。「天下のアイドルを下品なお笑い芸人風情と一緒にするんじゃねぇ」と三角絞めを決められながら罵られるかもしれません。「SMAPはとっくにドリフターズを超えてるわ」とバールのようなもので殴られるかもわかりません。比喩的な表現は常に誤解・誤読されるリスクを抱えています。

しかし、私はいきなりそれを言うのではなしに、私はその一文へと至るまでの間に一定の言葉を尽くしています。そこに至るまでの言葉を踏まえるとここでいう「SMAPドリフターズの域に達している」というのは「現在の元ドリフターズメンバーがそうであるように彼らは今後一定以上の存在感を示し続けることだろう」という意味で言っていることがわかるでしょう(僕にはそう読めたんですけど、そう読めなかったら力不足ですいません)。

つまり、「誤解を恐れずに言えば」というのは「ここまでに書いてたことをちゃんと読んでくださっている方には誤解されることはないと思いますので言いますが」という意味合いで使うことが可能で、何せ自分が昔に書いた文章でそういう使い方をしていただけの話なので、それを以って「これが正しい使い方だ」と言うことなんてできやしないのですが、こういう使い方の方が最近巷で氾濫している暴論のエクスキューズとしての枕詞よりもいくらかカックイー(かっこ良い)のではないでしょうか。

よく「誤解を恐れずに言えば」に対する揶揄として、「誤解を恐れろよ」という言い回しがありますが、僕も全く以ってその通りだと思います。文章を書く以上、不要な誤解を招かぬよう出来る限りの努力をするべきだと私は思います。だからこそ書き手はあらゆる手立てを講じて、ここまで言えば誤解されることはないだろう、そう思える文脈を形成できたと書き手が判断した時にのみ、本来恐れるべき誤解の可能性をとことんまでゼロにできたと自負できた時にのみ、「誤解を恐れずに言えば」という前置きとともにエキセントリックな修辞を使うことが許されるのではないでしょうか。

いわば「誤解を恐れずに言えば」と言うのは、書き手から読み手に対する「私は『人事を尽くして天命を待つ』を全うした」という宣言であり、ある意味では推理小説などでしばしば使われる「賢明な読者諸君にはお分かりの通り…」と言ったような読者への挑戦状であるとも言えるのかもしれない。そこにあるのは、伝わらないかもしれませんがそれは仕方のないことですよという書き手の読み手に甘えたエクスキューズなどではなく、伝わらなかった場合は私の責任だ、それでも私はきっと誤解されることなく意図どおりにあなたに伝わるだろうと思っています、という書き手としての矜持と読み手への誠意と信頼なのではないでしょうか。そして、文章を書いて何かを伝えるうえで必要なことというのはそこらへんなのではないでしょうか。まぁ、引用したエントリではその前の段落でっていうか一行目で僕、SMAPをコントユニットって言い切ってるんですけどね。だめじゃん。

ちなみにですが、ここではひとつひとつ紹介しませんが、はてなブックマークで検索してみたところ、ここで僕が言っているような「誤解を恐れずに言えば」の使い方はちょくちょく散見されましたので、そんなに僕の言ってることが的外れなことではないのかなぁ、どうなのかなぁと考えています。もうちょっと僕も色々見ていきたいと思っていますが、興味のある人がいたら眺めてみてください。

本文「誤解を恐れず」を検索 - はてなブックマーク

ネットでポピュラーな使い方が嫌なので僕はどうやら無意識に避けていたようにも思える「誤解を恐れずに言えば」という言い回しですが、これを機会にカックイー方の使い方を今後ちょくちょく使っていって、そちらの使い方が少しでも一般的になればいいなぁと思いました。

しかし、たまたま興味が湧いた言葉でたまたま検索してヒットした唯一のエントリが今揺れに揺れているSMAPについて書いたものになるとは、瓢箪から駒とはまさにこのことだ。以上です。