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ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

「楽しい会話」は「わかりあえる会話」とは限らない

コミュニケーションについての話をしますが、どうしても「それができりゃ苦労しない」という部分を含みますので、まぁ参考にできそうなところだけ各自持って帰ってください。

また、全体としてこの文章で考えたいのは「相手に複雑な情報を正確に伝える」ではなく「人とお喋りして楽しい時間を過ごす」であることを事前に共有お願いします。

最近「私、コミュ力がなくて、人と話すのが苦手なんです」という相談をたまたま複数人から連続して受けていて、私は、そうなんだそれは大変だねどうしたものかね、と話を聞いていた。こういう時よく「さて、コミュ力とはそもそも何か?」みたいな展開になりがちなのだけど、問題に対して正しい明確な正解があるのは問題の作成者が問題を正しく理解して問題を作っている場合だけである。「人と話すのが苦手でして……」と恥ずかしそうに頭を掻く彼らがそんな優秀な問題作成者であるとは私には思えない。彼らのいうそのセリフはたぶん「私、何かが足りなくて、人と話すのが苦手なんです」くらいの漠然なセリフに言い換えることが出来ると思うので、そうなってくると画一的な正解などありえない。「さて、何かとはそもそも何か?」、人それぞれである。「私が会話をする際に心がけていること」をコミュ力として定義しようとする人がいるけれど、それはあくまでその人の武器であって、「誰かにとって(誰にとっても)必要なもの」であるとは限らない。なので「コミュ力ないんすよ、僕」と言われたら僕はとりあえず「そうなんだー。ないと困るよねー、コミュ力ー。」と言う。

それで、大体いつものことなのだけど僕はそういう人たちの話を聞いていて最初「え、全然コミュ力あるんじゃない?人と話すの苦手な感じ全然しないけど?」と思う。しかしそれは俺が人の話をよく聞く男なのだからであった。僕こと俺ことズイショさんは、こんなブログを書いているものだから、会う人会う人に「実際に会っても、ずっと一方的に喋ってる人なのかなとちょっとビビってました」とか言われるのだが、このブログの勢いでずっと喋り続ける奴がこの閉塞的な日本社会で三十歳まで生き長らえさせてもらえるわけないだろ、と私は思う。だから実際に人と会っている時の私は意外と人の話を最後までちゃんと聞く。最後まで聞いてから喋り出す。その量が人より少しだけ多いかもしれないことは認める。しかしそれでも私は喋り足りないので仕方なくブログで一人で喋り、また明日から人の話を聞いて喋りすぎないように頑張ろうと誓いを新たにする。つまり私にとってのブログとはエレカシが「♪頑張ろうぜ~~」って歌ってるなかバッティングセンターでフルスイングしてるカッターシャツを腕まくりしたサラリーマン的なアレなのだ。

話が逸れたがそういうわけで私は人の話をわりと辛抱強く聞く人なのである。むしろ標準と較べてもかなり聞く方なのではないかと思う。これは偏に私が「よくわからないこと」をわかろうとすることが好きなのだ。もうこれは病的と言ってもいい。『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するアナスイというキャラクターは子供の頃からなんでもかんでも分解してしまう癖があり、オモチャから時計から何から何まで分解して最終的に人間を分解して刑務所送りになるのだが、「あれみたいなもんです」って言おうと思って書き始めたんだけど最終的に刑務所入っちゃってんじゃねえか。ダメじゃねえか。刑務所に入る予定は今のところないんですが、でもやっぱりそういう人を想像してくれるのが一番わかりやすいと思う。何かあったらとりあえず分解しないと気が済まない。子供の頃はもちろん「なぜなにどうして」と言い過ぎていつも声を枯らしていた。それがわかって自分に得があるのかないのかは全くどうでもいい、とりあえず視界にわからないものがあったら限界まで分解する。そんな調子なので、ある意味で「私、自分でも原因はよくわからないけど人と話すのが苦手なんです」という人と私は相性がいいのかもしれない。人と話すのが苦手な人の話は聞いていて要領を得ずよくわからないので人になかなか話を聞いてもらえずそれで困っているわけだが、そんなよくわからない話が私は大好物なのでいつまでも話を聞いていられる。

と、ここまで書いていて気づいたのだが、彼らの悩みというのは「人に話を聞いてもらえない」というあたりにどうやらあるようだ。俺があまりに面白がって聞きすぎているので気づかなかった。言われてみると彼らは確かにどこか申し訳無さそうに話し始めることが多い。「わかりにくいと思うんですけど、すいません」という調子が発話の端々から滲み出てたりする。こちらとしては分解一筋三十年でノウハウもそれなりに蓄積されているため一般的にはわかりにくい話でもけっこう「俺の分解進研ゼミはそのわかりにくいやつをもう既に経験済みだ!」となったりするし、わからないならわからないで「どうにかしてわかってやるぜ」とむしろテンション上がって前のめりに寝ないでマリオをやってる時の顔になる。そういう風にしばらく話を聞いていると、相手も顔を紅潮させている僕を見て「あ、こいつ、わざわざ申し訳ないとか思ってやる必要ねえな」と気づき、申し訳なさそうさがナリを潜めて結構たくさん溌剌と喋るようになる。それで僕は、「これがたぶん他の人の前でもできればいいんだろうな」と気付くのである。

これをすげえ雑に言うと、いわゆる「もっと堂々とハキハキ喋りなさい」とかいう手垢のついたセリフになるのだろう。しかし、僕がここから先で主張したいのはそういう話とはちょっと違う、ということをあらかじめ理解頂きたい。そもそも簡単に「もっと堂々とハキハキ喋りなさい」と言う人はその時ワンセットで「そして、そのように喋ってもこちらが不快に感じないくらい理路整然と要領良く私にわかるように喋りなさい」と暗に言っている。それができないからたぶん彼らは困っている。特に会話が苦手じゃないタイプの人であったとしても例えば学校の先生とか上司とかで物分りの悪い高圧的な人物に何か報告なり相談なりをしなくてはならないシーンで、自分ではなく相手のものわかりが悪いことが原因だとわかったうえでどうにも今から私が相手に伝えなくてはならないことは相手には簡単には伝わらないような気がする、と察した時、ついつい要領をえない申し訳無さそうな言い方になってしまったという経験はないだろうか。悪くもないのに申し訳無さそうにするのはもしかしするとあんまり良くないことなのかもしれないが、だってそうした方がどうしたって処世術的にはラクなのである。うまく伝わるかどうか自信がない時に堂々とハキハキと喋るのはたぶんなかなか難しいことなのである。そして、彼らにとっては人との会話すべてが伝わるか自信がなくて、そのうえその原因は自分の方にあると認識しているのだ。たしかにそんな人がハキハキと喋るのは難しいのかもしれない。また、そういう怒られる怒られないなんて物騒な話を差し引いたとしても、たとえ利害関係のない友人同士の会話などにおいても彼らがどこか申し訳なさそうに「たぶんわかってもらえないと思うんですけど」という調子で話すのは彼らなりの気遣いであったりもする。つまり、彼らは自分の話がわかりにくいことを重々承知しているので、相手に対して「もし私の話がわからなかったとしても、それはあなたが悪いのではなく私の方に原因があるので気にすることはないですよ」という優しさメッセージを発信しているのだ。彼らがハキハキ喋れないのは、人が良いからでもある。

しかし、だ。「楽しい会話」を行ううえで、この申し訳無さそうな感じというのは一般的に考えて残念ながらどうにも足かせ以外の何物でもない。まず、何よりそんな態度で来られると向こうだって気を遣ってしまう。普通に喋ってくれりゃいいところ、「わからないと思うんですけど」って感じで来られると「わかってあげなきゃ」って気にもなってくる。両方優しいからこそそうなってしまう。互いが互いに勝手に感じている謎のプレッシャーが場を支配する。しかし、自信がなくて、そのうえわかりやすく喋ることが現にうまくできない人に迷惑だからハキハキ喋れというのも無理がある。じゃあもう一体全体どうすればいいのだろうか?

ここで話が俺に戻ります。俺のブログはすぐ俺に話が戻ります。なぜならここは俺のブログだからです。

前述した通り、僕は異常な分解癖で、わからないことフェチを持っているわけですが、こんな僕のことを世の中の人たちはわかってくれるのでしょうか? 正解は、あんまりわかってくれません。いや、全然わかってくれません。わかるよわかるよって言ってもらっても「いや、ほんと?ほんとにわかってる?どうかな~」とか言うんで無理しなくて大丈夫です。「お前なんかにわかってたまるか」みたいな攻撃的なやつじゃなくって、普通に、だってこれ読んでて「なんだこいつ」って思いません? 僕ですら思います。書いてて「なんだこいつ」って思います。でも僕はわからないことフェチなので「なんだ俺、わけわかんねー、おもしれー」って思って俺のこの分解癖なんなんだろうってわかろうとします。で、わかろうとする研究の一環として友人なんかにこんな話して「なあなあ面白くねー?」って聞いてみると「何が面白いのか全然わかんない」と言われるので「なんでわかんないのか全然わかんねー、おもしれー」って思います。僕はわかってもらえないですが、人に伝わらないことばかり言っていますが、申し訳なさゼロです。どっちかでいうと僕に原因があるんだと思います。だってわけわかんないことばっか言ってるんだから。でも、僕はそもそもわからないことが面白いので、わかりあえないことを申し訳ないとはまったく思ってないのです。

で、こう考えてみるとですね、相手に何かを伝えるのが苦手でついつい申し訳ないなと思いながら喋ってしまう人に僕が言いたいことはですね、なんかたぶん会話って、仕事のうえでの会話とかはそりゃもちろんこんなんばっかじゃダメなのかもしれないけどね、雑談とか、酒の席の会話とか、友人同士の与太話とかってね、なんかそんなにわかりあえなくてもいいみたいですよ。わけわかんないこと言ってても「何言ってんだお前、わっけわかんねー」って笑ってくれますよ。で、たまにわかったらラッキーくらいの感じで。それで全然なんか楽しいですよ。そういう人ばっかなのかはわかんないけど、それで楽しい人って案外いるっぽいですよ。だって俺みんなの言ってること全然わかんないもん。でもわかんないわかんないってはしゃいでたら、結構相手も頑張ってわかるように喋ってくれるし、それで結局わかんなくても「まぁよくわかんないけど盛り上がったからいいや」ってなって終わったりするよ。

「すいません、伝わらないとは思うんですけど……」って感じで話しちゃうと相手も気を遣って「うーん、いやだいじょぶです、2割くらいは伝わりました、うん、伝わってると思う……」って感じになっちゃって楽しさも20%くらいになっちゃうんですけど、「わかんなかったらいいんだけどどうー?」って明るい感じで言ったら「うん、8割がたわかんない、8割がたわかんないけど2割はわかったかも」って返ってきて「がはは2割かーい」ってなってなんでかはわからんけどその時の楽しさは80%くらい出てたりするんだよね。俺はそういう会話が好き。俺はそういう会話ばっか好きすぎるんだけど、意外とみんなもそこまで嫌いじゃないみたい。

だから、わかりあえる会話ばっかりが楽しい会話とは限らないし、わかりにくいこともうまく言えないことも全然悪いことじゃないんだよ。ってことを、僕はあなたに言いたかったのです。

もちろん、伝えたいのに伝えられないのが苦しくて、そんな自分がイヤでイヤで仕方ないんだって人からすると到底受け入れられない話だとは思う。「なるほど、そういう考え方もあるのかな」と思えた人だけ持って帰ってください。まぁ、よくわかんねーけど気付いたらうっかり最後まで読んじゃってなんかわかんねぇけどまぁいっかってなってたらそれで十分。「それができりゃ苦労しねえんだよ糞が」って思わせちゃったらごめんね。次はもっと楽しく出来るよう頑張る。ずっとそうしてる。ずっとずっとそうしてきた。以上です。

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