去年に引き続き「せっかく関西に住んでるんだから」というゆるい理由で甲子園の応援に行って来た。
僕自身は野球のルールとかは普通に知ってるけれど基本的にはスポーツ観戦にはあんまり興味がない方で、たとえば普段プロ野球の試合なんて全く見ないし、なんだったら12球団全部言えるかも怪しい。それでもこうして年に一回くらい、花火を見に行くくらいのゆるいノリで白球を追いかける高校球児を観てるのはそれなりに楽しいし、バカスカ点が入るシーソーゲームも一点が明暗を分かつ手に汗握る投手戦も見ていてテンション上がる。
それでもしかしさすがにずっと黙って見ているのもつまらないので、幸いなことに僕は年齢的にも例えば父親とか親戚のおっちゃんとかみんな野球が大好きな世代だったりするので、脳の奥底でうっすらと記憶に残っている熱心にテレビで野球観戦をしていた彼らの背中をロールモデルにいちいち騒ぎながら見守るのがベターなのだろうとうだうだ言いながら観戦していた。すると、途中から「俺は本当にこんなことばかり言っていていいのか?」と不安になってきたのだ。
あまりに当たり前のことばかり言い過ぎている。
気付けば観戦している間中延々、本当に当たり前のことしか言っていない。気の利いたことも言わず一味違った視点の提示をすることもなく、ただ只管に見れば誰でもわかることしか言っていない。いい大人がこれでいいのかと不安になってくるのである。
以下、僕が観戦中につぶやいていたセリフを思い出した順に列挙していく。
「ここでもう一点取れるとラクに守れるんだけどなぁ」
「ここで簡単にアウトをあげたくはなかった」
「ここで同点にされるのは辛い」
「取られたら取り返すしかない」
「泣いても笑っても最後の攻撃だ」
「前に転がしていきたい」
「ピンチを乗り切った勢いにこのまま乗りたい」
「一点ずつ追い上げていくしかない」
「ここで打てばヒーローだ」
「これで負けたら悔しい」
「このチャンスを大事にしたい」
「この一点差を守り抜きたい」
「ここで逆転したらすごい」
「ここは打つしかない」
「これ以上の点はやりたくないところ」
「なんとか三塁ランナーを返してやりたい」
「ここでゲッツーは勘弁だ」
「運もあるからなぁ」
「負けたくないのは向こうも同じだ」
「この回を0点に抑えられたのはでかい」
「あの回の大量得点が勝負を決めた」
見ていただくとわかるとおり、全部、すごく当たり前のことである。
野球はたくさん点を取った方が勝つので、全部すごく当たり前である。
見ればわかる。そりゃそうだとしか言えない。点は取りたいし取られたくない。
すごく当たり前である。
情報の質的にはずっと「犬はかわいい」レベルのことしか言っていない。こんなに当たり前のことばかり言っていて俺は大丈夫なのだろうか。
しかし同時に、当たり前のことばかり言っているのはすごく快感でもあったりする。
生き馬の目を抜く娑婆世界においては常に駆け引きが重要視され、誰もが本音を隠して、言葉で相手を出し抜こうと躍起になっている。
しかし、我々は本当はそんなこと、全くしたくはないのだ。当たり前のことしか言いたくない。見たままのことをそのままに、なんの装飾もされていない思ったままのことをつぶやいていたい。
野球観戦には、そういう現代人の隠された欲求を満たす効果があるのではなかろうか。
ゲームセットとなり整列する両チームに拍手を送りつつ、僕はそんなことを考え、そして「両方ともよく頑張った」と言った。