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ふつうの京都デート日記。二。お茶講座ほか。

▼昨日、途中で力尽きたのでその続きです。というか、あとはお茶講座に行っただけなんですけど。

▼一年ほど前に宇治のなんとかというお店で抹茶を飲んだらうまかったので、「こいつはいいや」と思い、入門セットみたいなものを買って家で自分で茶を点てて飲むような習慣を身につけた。ネットで検索したら出てきたyoutubeのお茶の点て方講座のみを参考にしていたので、いわば師匠はユーチューバーである。中学の時の同窓会に行って「俺の師匠はユーチューバーだ」と言ってる奴がいたらたぶんなんの脈絡もなく唐突にそいつの顔を平手で張るだけで笑いが取れると思うのだけど、残念なことに私の茶の師匠は本当にユーチューバーだけであった。いい加減これは良くないなと思い、一度ちゃんとおいしい茶の点て方を習いに行こうと思い立った。

▼余談にはなるが、そのお茶講座に出向くほんの数日前に、あまんじるなさん(id:amnjrn)にお会いする機会があった。というか、ありがたいことに機会を膳立ててもらった。あまんじるなさんは365日お茶を点て続けるガチの茶人さんで、自分も家でお茶を点てようと思い立った際に当然顔は浮かんでいて(いや、当時はアカウントしか知らんのだけど)「まぁなんかあったら、あまんじるなさんに聞けばいいし」と完全にプログラマー男子をパソコンに詳しい人扱いして間違えてWindows10にアップグレードした時に「何もしてないのにバグった」と電話する女子感覚で当てにしていたので向こうからすると迷惑このうえない話なのだが、僕は勝手に背中を後押しされた気になっているので実はずいぶん感謝していたりもする。それで、なんだか顔を合わせることになったので野点で一杯お茶をごちそうして頂いたのだけど、これがもうびっくりするくらい俺が点ててるのとは違って断然おいしいのである。どうしてこんなに違いが出るのか全然わからんけどもうだってどうしたって全然違うのである。類似の衝撃を過去に体験していないか探してみたところ、小学一年生の時にそれはスーパーファミコンが発売されてすぐの頃の話だったと思うのだけど、僕はグラディウスⅢをやっていてアイツは小学生にはなかなか高難易度のゲームだったので僕もずいぶん苦戦していたのだけど、ある時それこそお盆だかの時分、高校生の従兄弟が結構な腕前でどんどんステージをクリアして進めていくのを見た時に自分がプレイしているのと同じゲームとは思えないくらい高校生の操縦する飛行機はビュンビュンと動いていて、僕は痛く感動したのだけれども、あの感じに似ている。道具だって、お抹茶だって、(たぶん)そんなに違うものではない。それなのに全然別次元のうまさになるのだから一体全体どういうことなのだと思った。意味がわからない一方それは希望であったりもする。例えばマラソンという競技は、一人が当時人間の限界と思われていた壁を破って新記録を出すと、ほかの選手もぞくぞくとその壁を破ったりするらしい。「なんだできるんじゃん」という気分が大事なのである。たぶんこれは何事につけても同じで、今回おいしいお茶を振る舞ってもらったことで、それはそれで不遜な態度ではあるのだけど「ようし俺も頑張ればこれくらいうまい茶を点てられる」ということがわかったので、あまんじるなさんにはもうひとつ感謝である。

▼それで、それがきっかけというわけでもなく、それはそれで普通に以前から予定していたものだったのだけど、お茶の点て方講座に行ってきた。もう本当に基礎的な奴。茶道のお作法とかは二の次でとりあえず家でおいしく点てるコツみたいな内容で、平たく言って俺にうってつけの内容でした。普通にそこで習った茶を点てる際のコツを書いてもいいんだけど特に面白みもないので割愛します。担当してくれた人が何回か「うまみの多いお茶」という言い回しを使っていて、「お~いお茶」にしか聞こえず「伊藤園じゃん」と思った。その講座を開いているのは伊藤園ではなかった。

▼それで、教えを乞うことでいくばくか自分の点てるお茶もうまくなった気がして、特に僕は理屈馬鹿なので、何がどうで、どういう理屈でうまいとかまずいとかが決まるのかとか、こういう風にやりなさいにちゃんと根拠がないと飲み込めないとかそういう性分の人間なので、講釈は大変ありがたく、これから日々、茶を点てる際に意識しなくてはならん点が明確になったので大変にありがたかった。あまんじるなさんに出してもらった目標とするようなお茶のイメージがあって、それを目指すうえでのプロセスに根拠がある。とても理想的な状態であるので、師匠はユーチューバーだけじゃないほうがいいなぁと思ったし、記憶は摩耗してそのうちダメになるので、こういうものは自分の中で常にケアしてやって良い状態を保っておかねばならんのだなぁと思った。お茶だけの話に限らず「人には会った方が良い」の本質ってたぶんこういことなのだろうみたいなことを思って、そういうことを考えさせるのも茶の魅力のひとつなのかもしれないみたいなことを思ったが、僕は単にうまい茶を飲みたいだけなのであんまりよく知らん。

▼それで、またあまんじるなさんと会った時の話に戻るのだけど、「茶とは」みたいな面白い話を色々聞いて「ふむー」とか「おもしれー」とか思っていて、お茶をやってる人は面白いなーと完全に他人事だったのだけど、その講座みたいなところに行ったら「旦那さん、自分で興味を持ったなんて珍しいですね」みたいなおべっかを言われ、おべっかだーと思う一方で確かに言われてみれば俺の周りに茶を点てて飲んでるやつなんて一人もいないので珍しいと言えば珍しいのかもしれないという気がしてきた。じゃあもしかすると俺もいわゆるお茶をやる人の末席も末席、末席すぎて砂利の上で正座させられてるくらいの末席だけど、俺もお茶をやる人なのかなぁと思って、ならば俺も少しは茶のことを考えねばならんのかなぁという気がしてきたのだけど、今、俺が誰かに「あなたは、なぜ、お茶を点てて飲むのですか?」と聞かれたとしたら、「俺がお茶を点てて飲むことになにか文句でもあるのかこの野郎!!」としか言いようがない。ので、もう少し考えます。

▼その後、嫁が万年筆が欲しいというので文房具屋に寄った。僕の万年筆のインクも切れていたのでついでにそれも買った。

▼なので、今からペン先を手入れしてインクを入れ替えます。その後、茶を点てて、たぶんダリの図録を読みます。夏休みの最後の一日はそんな感じです。以上です。