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親指シフト二ヶ月半でモノにした人による偉そうなアドバイス

前回のエントリを書いてからまた一ヶ月くらいが経っていました~。

のでまたetypingやってみた結果がこちらです。

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はい、大体以前の自分のローマ字打ちと遜色ないレベルに到達しました~。WPM(一分間あたりの打鍵数)の数字でいうと一ヶ月で約60くらい向上していますね。この調子でいくと一年後にはWPMが800くらいになっている計算なので、えーと、キーボードの製品としての耐久性を検証するためのおじさんに転職することができそうですね。これからの時代はそういう、逆に機械の仕事を奪っていくんだみたいな野心が大事になってくると思うんですよね。椅子の耐久性チェックで延々お尻置くところをどすどすしてるピストンマシーンが僕なんかツボで見てたらずっと笑ってまうんですけど、そういうのも今後はクールポコとかがやればいいと思うんですよね。30万とかする革張りの超頑丈な椅子を壊れるまでクールポコが杵で叩き続けるニコ生とかやってたらたぶん僕は睡眠時間も削ってずっと見てちゃうと思うんですけど、あと旭山動物園の円柱のところを延々くぐり抜け続けるアザラシも言われてみればちょっと耐久テストっぽいよね。シンバルを叩き続ける猿のオモチャとかもやっぱ耐久テストとかやるのかな。椅子とかはさ、それで確かな耐久度が確認されて安全が保証されてみんなにお届けされるんだみたいな感じで必要な犠牲っぽいというかそれで壊れた椅子も見てもそんなに悲壮感ないけど、耐久度テストと称して壊れるまでシンバル叩く猿のオモチャは悲壮感ハンパないよね。その叩いてるところを見て子供に楽しんでもらうのが仕事なわけじゃん。誰にも見られることなくシンバル叩き続ける猿は結構キツイものがあるなと思うんですけど。

それで、まぁ話を戻しますけど親指シフト始めたのが5月の15日、今日で2ヶ月と10日くらいになるわけですけど、大体これくらいでなんとかなりますわ~、実際はこっからまだ伸びてくだろうなとは思うんですけどとりあえず中級者レベルくらいにはこれくらいでなりますわ~という報告なんですけど、せっかくだしこれから親指シフトを習得しようかなと考えてる人のためになることでも書こうかなと思うんですけどまぁぐちゃぐちゃになると思うので、ちゃんと丁寧に解説してる以下のエントリをまずは参考にしてねとは前置きしておきます。


上記、なんかやたらに親指シフトの布教に熱心な桐谷ヨウさんの解説記事です。非常に丁寧にまとまっていてやっぱ出欠取らない大教室の授業を履修したらまずこういう奴と友達にならなきゃなって感じがしますね。ただそもそもこの人が俺に親指シフトの履修を執拗に迫ったって背景があるんですけどね。マジで学がない芸人やプロ野球選手に投資ビジネスを持ちかける人かよくらいの勢いで勧誘されたからね。

で、まぁこちらのエントリの内容は共有されたし前提で俺はこうしたけどね~って部分をお話していきたいわけですけど。

まず、キーボードにテプラ貼るといいよ。俺は貼ったよ。そんな体験、ピアニカ以来だったよ。すみれ組でピアニカ吹いた時以来だったぜ。なんかいろいろ見てると最終的にはどうせブラインドタッチで見なくなるんだから最初から覚えこむつもりでキーボードは一切見ないで配列表とにらめっこした方がいいよって意見が大勢みたいだけどこれについては僕は全然異論がありますね。「ここを押したらこの文字が出ますよ」ってことが目で分かる分からないでは全然話が違います。全くの音ゲー初心者にやらせるならポップンミュージックよりjubeatの方が体感的に一瞬で楽しめると思うんですよね。あとね、これ想像なんですけど、配列表とにらめっこ支持派の人はね、親指シフト習得以前の段階でタッチタイピング自体は習得してるんじゃねえかなっていうこれは憶測なんですけど。配列表をパッと見て出力したい文字の対応するキーの位置を確認した時点でどの指で押せばいいのかってところまで紐付いて理解できる人であればテプラ貼らんでも変わらんのかなとも思う。でもそもそもタッチタイピング自体が怪しい我流ローマ字打ちをやってた人は絶対キーに貼った方が覚えこむのは速い。それこそピアニカにも最初からドレミファソラシド貼らんでええやろって派閥もあると思うんですけど、それを言うのは楽譜が読める奴の言い分だと思うんですよね。音符の位置をパッと見てもわからんので下にドレレミミソとか鉛筆で書き込んでるようなレベルのやつは絶対ピアニカにシール貼った方が速いでしょみたいなそういう理屈です。まぁテプラ貼るの糞めんどかったけどね、なのでさっきの記事でも紹介してましたけど、3000円の親指シフト配列刻印してあるキーボードを買うのが一一番いい気がする。買ったらやらなあかん気がしてくるしそういう意味でもちょうどいい。

で、練習開始初日でローマ字は封印して完全移行するのが僕のジャスティスですね。なぜなら人間は困った時の方が本気が出るからです。できないというのは嘘つきの言葉なんです。ってさっきそこを通りかかったギラギラした目のおじさんも言ってました。とは言ったもののこれは相当にマッチョで茨の道であるというのは了解していますので現実的なラインを考えてみますと、それでもせいぜい最初の一週間は親指シフトの練習する時間を確保して、そのあとは全面移行くらいかなやっぱり。で、この練習の期間くらいは使ってもいいかなと思うけど、NICOLA派宣言の例文はそんなに熱心にやらなくていいし、これを打ち込む速度みたいなのを習熟度の目安にして定期的に写経するみたいなのは全然やらなくていいと思う。なぜなら実戦に即してないから。単独打鍵メインの例文とか右手打鍵中心の例文とかがあって、なるほどよくできてるなぁとは思うんですけど、逆に言えば実際に文章を作るシーンではなかなか登場しない特殊な文字列であるとも言えるわけです。一番最初のそれこそどこを押せば何が出るかまるで頭に入っていない状況では役に立ちますがそのレベルを脱したら無理にこれで学習を続ける意義は僕にはちょっと見つけられません。頻出語句も、まぁ頻出ではあるんですけど、じゃあ今僕がそういう頻出語句を「語句」と意識して打鍵しているかというとそんな感じでもなくって、やっぱ最終的には「五十音を任意の順番で出力し続けて文字列を綴っていく感覚」で打鍵することになるので、あんまりやらなくていいんじゃないかなぁ。と個人的には思う。ここはちょっと異論は認める。

で、早々に移行を決めたらその後は四苦八苦しながらちんたらちんたらそれこそ最初は活字を一文字一文字拾っていくジョバンニよろしく文字を打ち込んでいくしかないわけですけど、負荷をかけるだけかけていくスタイルはそれはそれで重要ですけど、それだけではただの根性論になってしまいいまいち効率的にタイピング速度が向上するとは思えないわけで、それと平行して合理的な訓練は訓練でやっていく必要があります。それで、タイピングの訓練はどのようにしていくのが一番効率がいいかなっていろいろ僕も考えたんですけど、二本立てが良いかなと思います。一つはただ出力のみに心血を注ぐ訓練、もうひとつは思ったことを文として出力する訓練。前者でオススメしたいのは、既に暗記している文章を打ち込む訓練です。昔から聴いていて全部歌詞覚えている曲くらいならみんないくつかはあるんじゃねえかなと思います。祇園精舎の鐘の声とかでもいいです。ポイントは何かしらの文章を見ながら写経するのではなく、既に覚えこんでいて頭の中ではとっくの昔に完成されているただ出力するという作業をすればそれだけで目の前に立ち上がる文章でなくてはならないという点です。ただ出力するという一点のみにメモリを全振りするのがこの訓練の目的だからです。目で文章を追ってその文章を文字として理解して打ち込むとかそういうところにメモリを割いていては、そっちにメモリを割いてるからチンタラ打つのも仕方ないといういいわけになってしまいます。なので「認識するまでもなく」次に何を打ち込むべきか既に理解している文章であることが必要条件なのです。そういうわけなので、なんでもいいんで既にあなたが過去に暗記している文章を打ち込む訓練が習熟度を高めるうえではもっとも効率的かなと思います。僕もいろいろ写経したりとかやってましたけど、今からまた別のかな文字配列とか習得しろよしないと殺すぞって言われたらたぶんこの訓練ばっかやると思います。

で、次に後者の思ったことを文として出力する訓練。これについては最初はテレビや音楽を聞きながら耳に残った単語やフレーズを逐一メモっていくのがとりあえずとっかかりとしてはいいんじゃねえかなと思います。正確に全文字書き起こせなんてどうせできっこないので言いません。できる範囲で結構です。お昼休みあちこちご機嫌処分ごめんなさいいいトゥモローとか、最初はこれくらいの雑さで結構です。聞こえた単語やワンフレーズを出力して出力し終わった時点で一息ついたその瞬間に耳に届いたフレーズをまた出力してまたそれを打ち込み終わったらその瞬間耳に残ってる言葉を、という繰り返しです。全部聞き取らなくていいですどうせできないんで。歌詞なりなんなりを完成させるのが目的でもないんで。つまりこれは何をしているのかというと「思うという作業」のアウトソーシングですよね。「思う」という作業にメモリを使ってたらそれがまたいいわけになりますから、自分が自分にいいわけする余地は徹底的に排除します。写経と変わらないんじゃない?と思うかもしれませんが繰り返しになりますが出力した文字を確認するという部分でやはり我々タイピングしてる時はある程度目を使っている現実があります。その目に「これから打ち込むべき文字を確認する」というマルチタスクを強いてはいけません。それはサボる理由・できない理由を与えてしまうことになります。また、あくまでこれは「思ったことを打ち出す」という訓練なので、「思う」という行為に近ければ近いほど良い。というわけで耳から認識するという行為のほうがより「思う」に近いのでいいんじゃないかなというのが僕の見解です。

そこからまぁ慣れてきたら次にちょうどいいのはたぶんやっぱチャットとかなんだよね。俺も結構習熟度低い段階でもブログとかでまとまった文章を無理して書いたりしていたけど、やっぱ長い文章を「思う」のは大変だから、馴れないうちはしんどいし打てないことが足かせにしかならないんだよね。「思う」量は徐々に増やしていくのが望ましい。まとまった文章じゃなくて脊髄反射的に思った短い思考を出力する訓練から始めた方がたぶん上達は早い。そのうえ相手がいてスピードが早ければ早いほど良い状況のほうが訓練の環境としてはなお良い。でもチャットする相手なんかいないよ~って人はこれギャグじゃなくてマジメな話、2ちゃんで釣りスレでも立てて全レスする覚悟で一日中喧嘩してるとかが一番上達早いと思う。結局自己完結するしかない文章はちんたらやってても困るところがないから甘えになっちゃうんですよね。相手がいて、そいつに言いたいことが逐一ある環境というのが望ましい。相手がいるというのもいいわけできない要因の一つですよね。なんか最悪、人工知能的な?ボット?みたいなのが相手でもいいから、こちらの短い思考を生み出すよう促してくれる相手と会話してみるっていうのはいいかもしれない。

あとはそうっすね、全体通して言いたいことは日本語って五十音に分解して考えてみると登場頻度に結構差があるねってことです。「な」とか「か」とかは「そんなに!?」ってくらい頻繁に登場するし、「ゆ」とか「ひ」とかは「そんなに!?」って言うくらいなかなか出てきません。なので、ここで紹介しているような感じで体系的に訓練に適した文章を写経していくんじゃなしに無軌道気味にやっていくというやり方をとると、あんまり登場しない文字がたまに出てきた時どうしてもつまずく、引っ掛かる、キーがどこにあるのかわからなくなって探してしまうみたいなシーンが頻発しまして、なかなか上達してないんじゃないかみたいな気分になることがしょっちゅうです。でもまぁ、それはたまにしか使わない文字だからそうなってるわけなので、実のところ客観的に見ると体感ほどつまずいているわけではありません。つまずいてない時間の方がずっと長い。なので気にせず行きましょう。やがてそれがかつて躓く文字だったことも自然に忘れます。これを気にして訓練用のまんべんなく五十音が散りばめられた文章の写経を始めてしまうのは、本を読み始める前にその本に出てくるすべての漢字をノートに何度も繰り返し書いていって読む前にすべて覚え込もうとするようなものです。そういうのは気にせずガンガン読み進めていれば案外いつの間にか最初わからんかった漢字もなんとなく読めるように書けるようになっているみたいな調子で、全てのキーを引っかからずに打てるようになっているはずです。僕はだいたいそこに到達するのが1ヶ月ちょいくらいでした。

まぁ、以上のような感じでですね、出力する部分にのみ特化した訓練を交えつつ、テキトーにキーボード叩いてたらですね、徐々にタイピングの方に割かなくてはならないメモリがどんどん減ってきてですね、今これを書いてるみたいな感じの思ったことをただバババーっと書き続けるみたいなことが苦もなくできるようになってきます。なります。なりました。ラスボスはやっぱブログみたいなまとまった文章を書くことかなぁ。こういうのはでも実績解除みたいな感覚を持つのが大事ですね。馴れない打ち方でたくさん文章を書くというのは大変で、僕も結構長いこと「親指シフトで書いたならまぁこんなもんだろ」みたいな感覚が残ってましたけど、そこは多少無理してでも苦労して一回時間かけて納得いくものを書いてみたら「なんだ親指シフトでも書けるじゃん」という感じになって次からがグッとラクになります。まぁでもこれは、親指シフトに限らずなんの話でもそうか。

ほんで、あとはー、今の僕の感覚はローマ字と大体おなじくらいの感じで打てるようになったなぁというところでスタートラインと言えばスタートラインなんですけど、でも手の負担とかは減ったような減ってないような。まぁみんなラクっ言ってるってことはそうなんじゃないですかねくらいの感じで僕はあんまりよくわからないんですけど、例の「指が喋り出す」みたいな表現ですけど、もしかすると人によってはローマ字で文章を書く時に無意識に制限してる思考を解き放てたりもするのかな~という気はしないでもない。というのも、僕はまぁテキトーにガチャガチャーと文章を書くことにもともと慣れ親しんだ人間ではあるんですけどもしかしてみんながみんなそういうわけではないのかなぁ~と思う機会が最近まぁいろいろあってですね。僕はもともとローマ字打ちの時から喋るという行為の代替としてタイピングという行為を認識していたわけですけど、もしやすると人によってはローマ字でのタイピングという行為は例えばLINEスタンプを選択して送信する行為の上位互換のように考えているのかもしれないなぁみたいなことを思ったわけです。ローマ字を通して日本語を書くという行為を記号を選ぶような感覚でしか処理できないっていうのはもしかするありえるなと思って、今これを読んで「あ、言い得て妙!」という感覚が少しでもある人におかれましては、直接日本語をそのままに打ち込むという親指シフトタイピングという行為は「考え思考し喋り想像する」というより本来的な言葉との戯れ方を可能にするのかもしれないみたいなことは思わないでもない。思い当たる節のある方は是非ご検討くださいませ。

なんか書き忘れてることあるような気もするけど疲れたからまぁいいや。あ、リアルフォース買ったんでその自慢はまた別個します。以上です。