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2016年天皇賞(春)感想文

あ、いや、でも、紛らわしいタイトルでごめんなさい。これは「あんま競馬とか興味なかった人が初めて競馬場に行ってみました。せっかくなのでG1の日に行きました」という文章です。なんか、アレですよね、玄人のみなさんは分析とか解説とか色々あるんですよね、わかんないですけど。そういう内容ではないので、そういうのを期待した人は回れ右してください。アザラシの赤ちゃんは反時計回りにクルンと一回転してください。かわいいのでイワシをあげます。でも、だからって、反時計回りを二回転したからってイワシを二尾もらえるかというとそうではないからね、そんなこと言ってたらアザラシの赤ちゃんが回転するたびに際限なくイワシをあげなきゃいけなくなっちゃうじゃん!ダメでしょそんなの! こらっ、そんなかわいい顔で見つめてもダメなものはダメ!アザラシは子供の頃は毛がもっこもこでほとんどマルチーズとかポメラニアンとかあそこらへんの小型犬みたいですごくかわいい。そのくせ、眉毛みたいな模様が入っていて目も大きくなったり細っこくなったり実に表情豊かだ。そんな顔でイワシをせがまれたらもう僕困っちゃうよワシャシャシャシャ!ワシャシャシャシャシャシャシャシャ!

では、馬しか出てこない競馬場の話を始めます。アザラシの赤ちゃんが見たい人は、ググってください。

一応、地元のばんえい競馬を見に行ったことは何回かあったんだけど、ガチの競馬場っていうのは見たことがなくて、せっかくなので一回くらい行ってみてもいいかな~と思ってたのが去年の秋とかなんですけど、冬とか寒いなか頑張るのは正月明けのばんえい競馬でもう飽きたしな~とウカウカしてたらいつの間にかゴールデンウィークになってて、そしたら天皇賞っていうG1ですね、一番すごいランクのレースが京都でやるっていうので、「ランクが一番すごいランクのレースはすごい」っていう感じは、僕はダビスタやったことないけどモンスターファームで学んでるから。行くならここらへんだなと思って行ったんですね。行って帰ってきたんです。

まず人は思ったより多かったね。僕は基本ナメてかかるっていうのが人生のモットーでして、「どうせ大したことないだろ」から入ることは徹底してまして、USJに行く時とかも大体「ひらパーくらいだろ」と思って行くんですね。そもそもひらパー行ったことないんですけど、USJひらパーが同じくらいしか人いないならむしろひらパーはもっとすごいところだって方方で言われてるはずなんですけれども、「まあまあ言うてもひらパーくらやろ」思って行くことを決して諦めないんですけど、なんでかと言われたらそれはもうわかりません。たぶん「まぁ、覚悟してたから仕方ないね」と諦めながら人に揉みくちゃにされて何するにしても待たされるよりも「思ってたんと全然違うぞふざけんな」って半ギレになりながら待たされた方が時間が経つのが早い、みたいなそういう生存本能なんですけど。だから今回も京阪の淀駅にある京都競馬場に行くにあたっても「だいたいくずはモールと同じくらいしか人おらんやろ」言うて。嫁が「結構競馬場広いよ。こんだけ広いってことはもっといっぱい人いるんじゃない?」とか言われても、「お前ね、馬が走るんだから。人がいようがいるまいが広くしないと仕方ないんだよ。広くないと馬は走れないんだから。広いっていうのはそれだけの理由なわけよ。むしろ広ければ人がいるってのはどういう料簡だい?君は南極大陸モッシュできるほどの人集りを見たことがあるってのかい?」とか言ってね、超ナメ腐って行ったんですけど結論からいうとめちゃめちゃたくさん人いたね。普通に盆や正月の新大阪駅くらい人いたね。あんなに人がいるんだ。びっくりしたわ。

年齢層は思っていたより幅広かった。いかにもなおっさんから、二足歩行できてるにしても自我としてはノーカンくらいのガキを連れたファミリー、普通の初々しい大学生カップルっぽい人らまで結構な選り取りみどりで、言ったものの俺に選び取る権利は何ひとつないわけだけれども実に多彩なラインナップであった。とは言っても、2016年の日本とは思えない喫煙所の乱立っぷりとか何か馬券を買うためのマークシートを記入するスペースの別にそんなことないのにイメージ的には蛍光灯が切れかかってチカチカしてるような焦燥感あふれる風景は目眩がする有様で、「競馬場は思っていたより誰でも気軽に来れるあったかい場所だったよ!」というよりかは「死臭を中和しようとする客層は思ったよりもいる」くらいの感じでした。特に僕はもともとフードコートが苦手で、将来もしいつか子供ができたら我慢するにしても、今のところフードコートは俺には「餌場」にしか見えないということでものすごい嫌悪感があり、別にフードコートの飯はまずいだとかフードコードで飯を食うやつは馬鹿だとか言いたいわけではないのだけれど、あの芋洗いのようにごった返す人間がみんな何かしらにかぶりついている何かしらを頬張っているというのがもうなんか近未来SFホラーにしか見えなくて、とても「食事」には見えなくなってくるんですね。あんなもんエネルギー補給ですよ。餌を貪る何かしらの畜ですよ。別にそれを悪いことだとは思わんけど、俺は食事をしてえんだよ、つまりこのフードコートで売ってる食い物は全部食事じゃなくて餌なんだろ?俺は餌を食うなんてごめんだよ。並んで餌を金払って買うなんてごめんだ。ふざけんなばーかばーか!ってなるタイプなので、それに加えて競馬場のフードコートは俺の妄想じゃなくてマジで「勝負の合間の栄養補給だ」って感じで餌感覚で吉野家を貪るおっさんとかがたくさんいたのですごいなと思った。だって、普通にウロウロ歩きながら牛丼頬張ってたりするんだよ、2時間何も食わないと餓死するコマネズミじゃないんだからさ。

それで、僕はまぁ2レースくらいお賽銭程度の額を賭けてみたんだけど、下馬評の読み方とか馬券の買い方は将棋のコマの動かし方は知ってるレベルくらいで知ってるズブの素人なのだけれども、それでもまーやっぱりアレは賭けないで見るより賭けて見る方が面白いんだなーっていうのはわかった。

「口で言うだけならなんぼでもできるけど」って言い方があるけれども、「金を賭けたか賭けなかったか」ってのはその点においてものすごくわかりやすいから、「あっちも来ると思ったんだけどなー、あのまま賭けておけばなー」なんて言い訳は通用しないのである。お前は来ないと思ったから馬券を買わなかったんだ。言い訳するな見苦しい。お前にはお前なりの予算があって、そのなかで最善を目指した結果、その当たり馬券を買わなかったのだ。お前は本当にダメな奴だ。僕は自分にも他人にもそういう考え方をする人間なので、普段は興味ないのであんまり近づかない領域だけどこの賭ける賭けないという世界それ自体はとても分かりやすく魅力的な世界だ。そういう大前提があればこそ、どこに賭けようか本気で悩めるし、賭けに負けた時心の底から悔しがったり諦め切れたりすることができる。俺あの麻雀とかで、上がってないのに「俺もこんなテンパイしてたんだよ」って牌を倒すやつが苦手で、馬券の買った買わないはそれを許さない感じがあるよね、「いやお前当たり馬券持ってないんでしょ?」みたいな。そういう感じは好きだ。

一つ目、試しに買ってみようというレースではボックス買い(上位二頭に来そうな馬を3頭以上チョイスする買い方)をしていたのだけど、勝ったとしてもトントンくらいなら最初から買わなきゃいいじゃんという考え方になる人間なのでド本命は外して他から馬を選んでたら本命が普通に勝って外してしまったので、そりゃそうだよなぁと思った。でもやっぱ手堅く勝ってもつまんねえんだよと考えた結果、次(というか天皇賞)は、本命2頭をピックアップしてそこから流しで来たら面白そうな馬を何頭か選ぶような買い方をした。結果としては、そういう買い方の方が本番のレースは楽しんで見れるような気がした。今回は、本命2頭のうち1頭がきっちり終始レースの中心にいてくれたのでそれはそれでよかったが、本命2頭が倒れた時の「ふっざけんなよ!」も経験できたらそれはそれで楽しい気がする。僕は競馬で「ふっざけんなよ!」ってなる人の気持ちがあまりわからないでいたのだけれども、たぶんこういう買い方をしてるんじゃねえかなと勝手に思った。その本命として抑えた馬がダメならもう全滅なのだ、そういう買い方をしてたら「ふっざけんなよ!」となるような気がする。

要するに、「何を買うか」「どこに賭けるか」というのは「何を買わないか」「何に賭けないか」という話なのが本来的であり、そういう買い方はなんぼでもやろうと思えばできるなかそういう買い方を放棄した時に「何を買うか」「どこに賭けるか」という世界の話に立ち返る。たぶんそこで勝負するという感覚は非常に気持ちいい。たぶん競馬で遊ぶならそういう遊び方のほうが楽しい。特に今回はパドックで生の馬を見ることができたので、「こいつになら託してもいい」みたいな勘違いを非常にしやすい。そいつを見て、なんかイケる気がしたから、そいつが来る前提で他に誰が来るかという押さえ方ができるのだ。前評判とか、オッズとかそういうの気にしてたらいくら買っても足りない気がしてくる。可能性は無限なんだから仕方ない。それを諦めるというか匙を投げるキッカケを勝手に何かを見出す瞬間ってのがたぶんアレみんな気持ちいいんだろう。

結論から言うと勝てなかったんだけど、別に大した額は賭けちゃいないし、別にそこはどっちでも良かったから、こうして「勝ち負けどうなるか含めてテンション上げられる賭け方」を考えてる時点で、自分はあんまりギャンブルにはテンション上がらない人種なのかなぁ~っていうのはわかる。競馬場には本当にいろんな人がいて、お前すごいなみたいな盛り上がり方とか入れ込み方をしてる人はいくつか見かけたのだけれども、俺はああいうのにはあんまりなれなさそうだ。お金にまったく興味がない現代人なんてなかなかいないので自分もそうまでは言い切れないけれども、少なくともギャンブルというところで僕は盛り上がれるタイプではないっぽい。変な言い方をすると、俺は盗みとか詐欺の方がお金に一喜一憂するなら向いてそう(犯罪だからやらないけど)。それでもやっぱ「口だけならなんぼでも言える」「お前がそう思ったんなら馬券を買え。買ってないならお前はその馬を信用してなかったってことだ。その馬が勝ったあとに持ち上げたって無駄だ」みたいなノリには痺れるものがある。そこに突っ込むお金がはした金なのか生活費なのか俺には知ったこっちゃないが、あの最終コーナーが回った時の大歓声。だってあんなもん、みんな金突っ込んでるんだ。俺だって突っ込んでた。じゃあ、そりゃあ、あんなマジな大歓声にもなるもんだ。みんなが馬を見てる、馬は走ってる、馬は20頭とかそんなもんで、それに対する人間の数はハンパなくって、走ってる馬の熱量よりも人間の熱量のほうがハンパないのも見ての通り。それも当たり前だ。みんな金突っ込んでる。金を突っ込んでるってのは信じたってことだ。あんなにわかりやすく、何かを信じてみることってなかなかない。いや、賭けっていうのが楽しいことがよくよく俺はわかった。別に次もまた行きたいなってわけじゃないけど、昔の友人が頭を掻きながら1万円貸してくれってやってきたら、その1万円を俺は馬に賭けるほうがよっぽどマシだなみたいな、そういうことは思った。以上です。