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読書感想文よりもまず「最後まで読め」が嫌だった

そういえば少し前に読書感想文に意味があるだとかないだとか自由に書かせてやれだの自由に書けって言われても困るだのという話題が賑わっていてそれはまぁ定期的に賑わう話題なのでどうでもいいっちゃいいのだけれど、そういえば僕も今でもだけど本を読んで読書感想文を書くのが苦手で子供の頃はずいぶん苦労したものだけど結局何がきつかったのかということを思い返すと読書感想文を書かされることよりも自分で選んで読み始めた本は最後まで読めと言われるのがきつかった。

最後まで読めと直接的に言われたかは定かではないのだけど、何を読むか選びましょうね?何を読むか決めましたか?あなたはこれを読むと決めたんですね?じゃあ夏休みにこの本を必ず最後まで読んで読書感想文を書きましょうね!自分で選んだんだもんね!読めますよね!という最終的には圧力臭くなるようなフローは組まれていたような気がする。

自分の意思で決めたことを簡単に投げ出してはいけないというのは正論ではあるのだが、人間だもの子供ならなおさらのこと自分で向いてるかなと思って選んでみたもののちょっと触ってみるとどうもあんまり向いてなくてつまんないことがわかったなんて判断ミスは普通にありえるはずだ。にも関わらず、どうも初志貫徹みたいな思想を子供の頃はずいぶん押し付けられて窮屈な思いをした記憶がある。学校でやらされる読書ってのは俺の中でその筆頭なのだ。

読んでる最中は苦しくても最後まで読んでみて初めてよかったと思えることもあるとか言うけど、最初くらい読み始めから読み終わりまで一点の曇りもなくずっと楽しくって苦しい瞬間なんてひとつもなかったっていう読書体験をさせてくれよ。ましてや最後まで読んでみて普通につまんねえなってなることもあるわけじゃん、そうするとマジで時間の無駄だったなーって気分になるし読書は時間の無駄だからやーめぴっぴってなるわけじゃん。俺はそういうところあって活字への苦手意識ってのはすげえムクムク育ってこんなに大きくなりました。巻末の解説文だけ読んで感想文を書いたり漫画でわかるシートンの一生を読んでシートン動物記の感想文を書いたりしてそうしたズルで捻出した浮いた時間で延々ポケモンのレベルを上げ続ける馬鹿の出来上がりです。

だから子供に本を読ませたいならつまんなかったら途中でどんどん投げて次の本を読みなさいって感じが一番いいんじゃねえかなと個人的には考えている。図書館はタダで本を読めるから素晴らしいっていうけどどっちかっていうと読んでも読まなくてもタダであることこそが素晴らしいと俺は思う。

そんなんじゃダメだ、そんな甘やかしてたら本を読まない人間になっちゃうぞって言う人は逆に本の力を侮ってるというか信じてないんだと思う。最初の10ページでも20ページでもいいから読んでつまんなかったらハイ次の本ハイ次の本ってことを10冊20冊やってりゃ誰でも1冊くらい「ウヒョーなんだこれ超面白れー、ページを繰る指が止まんねーご飯いらねー続き気になるから眠くもねー」みたいな本に巡りあうもんだろと思ってる。「本はいいぞ」ってのはそういうことなんじゃねえの。

一回そういう「うひょー」っていう成功体験があって悪くない思いをしたからこそまた次の本を手に取ろうって気分にもなるし成功体験があるからこそ「もうちょっと読んだら面白くなるかもしれねえし」と自分の意思で読み進める力が身について投げずに読める本の幅ってのも広がっていくもんなんじゃねえの。

もちろん低学年向け中学年向け高学年向けとか本のやさしいむずかしいの差っていうのはあるんだろうけど、炎属性の奴は初級のレベル1のダンジョンだろうが水系モンスターしか出てこないダンジョンだったら詰むわけで、逆に相性さえ良ければ結構むずかしい本だって「おもしれえから」って理由でグイグイ読めたりするもんだ。自分の属性なんて最初はわからないに決まってるんだからまず、それがなんなのかを見極めないことにはしんどいしそれを見極めるのに必要なのは頑張って最後まで読むことじゃなくてとりあえず数当たって一発で心鷲掴みにされる一冊に出会うことだと思う。ダンジョンの最下層まで無理して潜らなくていい。ダメそうだったらさっさと引き返してほかのダンジョンに潜ればいい。最初の一冊さえ見つかったらあとはAmazonのこの商品を購入した人はこんな本も購入していますじゃないけど相性の良い本の探し方はなんぼでもあるわけじゃん。で、そこに並んでるのを順番に読んでるうちに精度良すぎて「本当に俺の好み当てて来すぎてキモいわ」ってなって天邪鬼にそこに出てこない違う毛色の本に手を伸ばして、今まで読めなかった本も読めるようになってる自分に気付いたりするわけじゃん。そういうのが楽しいじゃん。

親の性格とか運で引いた担任の性格とかで、俺はどうもそういう本への触れ方を許されなかったようで書いてたら自分でもびっくりするくらい思い出し怒りが湧いてきてなんか無駄に喧嘩腰ですけど、もしかするとそういうのは俺の環境がたまたまそうだっただけだったり今は時代もずいぶん変わってたりでここにあるような本の読み方が推奨はされずとも許容されているのであればそれは子供にとって良いことだと俺は思うのでそうだといいなと思う。「最後まで読め」が今も主流であるならそんなん糞食らえだぞと思う。実際のところどうなのかは子供が近くにいる生活に今の俺はないので知らん。ので、とりあえず書くだけ書いた。

あとついでになんか言いたいことないかなと考えたら二つあって、ここにあるやり方も含めてどうしたって本を読まない奴もいるだろうけどそういう奴は読まんでいいと思う。本からでしか学べないことというのも中にはあるのかもしれないが、本以外からでもだいたい同じように学べることというのもきっと「本を読めないやつはダメだ!」と本気で思ってる人が考えてるよりはずっと多い。俺は本を楽しく読めるようになったのがだいぶ年食ってからでそれをもったいなかったなと自分で思ってるのでそういう立ち位置で書いてるだけ。あともう一つは、読書感想文の書ける書けないってのも結局うひょーってなる本についてだったら書けるし大して面白いとも思ってなかったら書けるわけないだろう。それだけの話だろう。流石に「本当に面白かったら放っておいても勝手に書く」とまでは言えないので書け書け言って書かせるしかないんだろうが、「書け」って言われて「じゃあ思ってることあるからちゃちゃっと書くわ」と書き始めてその思ってることが自分が頭の中で思ってるよりうまく書けなかったなら悔しいからうまく書けるように頑張るだろうし、大して思ってることなかったらうまく書けなくても悔しくもなんともないから頑張る気も起きないだろう。書きたいことがあったら書けるし書きたいことがなかったら書けない。学年で一、ニを争う馬鹿で本なんかろくすっぽ読まずに学校の作文や読書感想文なんか全力ですっぽかしてた河野くんはエロ小説なら書けた。河野くんにとってそれは本当に不思議な、中学三年生の夏の出来事であった。以上です。