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ブログで遊ぶということ雑感

これ読んであーなんかいいですねーと思ったので僕もなんか書こうと思いました。なぜなら、なにより、まだあんまり眠くないからです。

僕は、まあインターネット自体は触り始めてから15年ちょいくらい経ってると思うんですけど、インターネットを触るっていうとInternetExplorerのアイコンの丸みを撫で回してるみたいな誤解をされるかもしれませんけどそこは察して欲しいんですけど、まあそこそこ長いこと人生の半分くらいを多かれ少なかれインターネットと共に過ごしてきてたんですけど、その大半は遠方の気の合う誰かと慣れ合うみたいな目的が大半で、誰も見てないところで一人でアホみたいな顔して月を見て射精するアザラシみたいな顔で長文をカタカタ打ってそれをアップして、その後にリアクションを楽しむみたいな、いわゆるブログみたいなものを始めて早3年とかなんですかね。最初の頃は自分はなにかすごい大変なことをやってるんじゃないかなとかワクワク感もあったんですけど、今は幸か不幸かスッカリそんな作業も日常の一部に組み込まれ、今日も僕はディスプレイの前でこうして「オウッオウッ」と半目で嗚咽ともちっちゃい慟哭ともつかぬ声を漏らすばかりです。スコッティ。

別にサッとポジティブなことだけ言って引き上げてもいいんですけど、さっき皿を洗ってる時にちょっと考えてていい感じにまとまったのでついでがてらに助走をそのまま逃げる推進力に変えるウンコの投げ方をするゴリラのテンションで昨今の金儲け大好きブログの人たちについて思ったことを書くんですけど、とりあえずまぁ僕の普段からの関心事としては「書いてるのか・書かされてるのか」ってのがあって、書くっていうのは自分の体験がどのような体験であったかを再構築して記憶として固定する行為なわけであるから(書いたから安心して忘れられるって人もいるけどそれは例外として)書くっていう行為は結構危なっかしいというか大事にせにゃならん行為だとは思うわけ。そういうものを安易に「効率的に要領良く口当たり良く読者がサクッとスキマ時間で読めるように」書き記すことって、それでどれだけ金が手に入るのかは知らんけど、ずいぶん貴方の体験やら人生やらを安売りしてることにはなってないだろうかみたいな要らん心配はやっぱりしちゃうんだよね。なんか世にもであったじゃん、自分の過去の記憶や体験を売りさばく男の話。この前リメイクでもやってたよね、本家は小堺一機主演でリメイクだととんねるず木梨憲武、男気じゃんけんジャンケンぽん!今回の勝者には何気ない普通のポピュラーな白い粉・小麦粉2トンを買って頂きます!

そういうわけなので、生きてて感じたことは、感じたように書くことが望ましいと思うのだけど。どれだけそれが面倒で大変だろうと。それよりもウケだとか、時間的効率だとか、読みやすさを優先して、自分の体験そのものを蔑ろにしてる人を見るとなんだかなぁと思う。

とか感傷的なことを差し置いて言えば、最初っから自信満々のどうかしてる人ってのは一部いるわけですけど、やっぱりみんながみんなそういうわけではないんだよね。これは僕の勝手な印象なのだけど、ブログでお金を稼ごうとする人たちってやたら低いところから入るイメージがあって、「こんな僕ですけど頑張りますのでよろしくお願いします!」から始まって「こんな僕でも頑張ったらこれだけできました!」ってなって「こんな僕でも頑張った甲斐あって、こんなに立派な僕です!」みたいな調子になっていくよなぁ。そりゃあ、頑張った結果としてお金がついてくりゃ嬉しいだろうとは思うし、それは悪いことじゃないんだろうけど、俺には「結果を出して自信がつく」のと「ちょっと金を抱えちゃって気が大きくなっちゃう」の区別がつかねえんだよな。中学の時に柏木くんって奴がいてさ、口下手だけど気の良い奴でさ、いっつもグループの端でニコニコしてるような奴だったんだけど、アレ今考えたらなんだったんだろうな、そんな中心って感じでは全然なかったんだけどそれなりに仲良くやってた柏木くんが、何かコンビニとかスーパーとか寄った時にやたらと「奢ってあげようか?」と言い出したのは。奢ってもらう筋合いがないのでそう言っていたらいつしか疎遠になった。柏木くんは別の奴らとつるんでいた。別の彼らが柏木くんに奢ってもらっていたのかはまるで知らない。なんだかそんなことを思い出すのである。果たして柏木くんはどうしてそんな他人にスティック感覚で奢るような金を持ちあわせていたのだろうか。その真相を突き止めるべく、我々は柏木くんをぶん殴ってみた。すると柏木くんの目からなんと真珠の涙がこぼれ落ちる!

こんな僕ですけど、ブログなんかをやらしてもらってます。一応、これは僕のブログの所感を割りと切実に語ろうかなと思って書き始めたエントリだったので、前段に関係ない悪口とかどうでもいい話を挟んだとしても、それと同等の文量くらいは書こうかなと思って書き始めたんですけど、前者に該当する部分が2000字近くなってるんで今ちょっと引いてますけどね。

こんな僕ですけど、ブログなんかをやらしてもらってます。たまに怒られて、たまに褒められて、それらすべてはごくごくたまにで、道端に咲く一輪のタンポポの綿毛がやがて風に流れそれが鼻に詰まって橋の下で小さくクシャミをするおじさんくらいほそぼそとブログで遊んでいます。まぁ、あんまり良いも悪いもないですね。だって俺が書いてるだけなんで。風呂で歌ってるのとそれほど大差はない。書いてるぶんにはそんな調子です。それでもちょっと違うのは、そうして書いてると、他所の風呂の調子がババンババンバンバンと聴こえてくる。それで俺も調子がいいやつなもんでそれに対してハービバビバノンノとか返してる。そんなことをやってるうちに多少は僕の毎日も賑やかになった。お互い湯船に浸かりながら窓越しに叫んでるような声の知れた奴もいる。風呂あがりに一緒に牛乳を飲みながらぷへーっとかぷはーっとか言う奴もいる。そこらへんは、まぁ、人それぞれではある。しかしまー、ブログなんかやる以前よりは幾分か賑やかになったもんである。

それでどうしてそうなったかと考えると、いくらか耳が良くなった。自分でいつもぶつぶつと喋っていると、自分以外の声が聴こえてくる時これが意外とよく聴こえてくるのだ。なんだこの声は、自分の声とは違うぞ何言ってやがるんだこいつは。ギャースカと怒鳴り散らしていると恐らくこうはいかないだろう、自分の発する声が音が自分の耳に知らず知らずつんざいて、同じ音か同じ音だと思ってる音しか入ってこなくなるのだろう。あくまで一人、ぼそぼそぶつぶつと呻くことがコツだ。そうして自分の声を知る。自分の声を知れば、自分の声と他人の声の差異を知ることもできる。そうして僕は、初めて他人の話をマジメに聞けるようになった気がする。ブログを書く以前は全くそんなことできなかった(小学生の時に聞いた、川の水を飲むとエキノコックスに取り憑かれて脳が爆発するという話だけはマジメに聞いたし今でも信じてる)。

ブログを書くのはオススメだ。この文章を今読んでいる人は、少なくとも書かないにしろ他人のブログを読むことに寛容な人なのだろう。なぜならこのブログはせいぜいそんな人しか読まないどうしようもないブログにほかならない。もし、このブログを読んでいてブログを書いていない人がいれば是非書いてみてくれよないっちょやってみっかと思う。それだけで本当に驚くほど、読み方だって変わるのだ。例えば「この人の書いてることに嘘はないのだろうか?」「この人は1エントリでどれくらいの文字数を書いているのだろう?」とか、自分だって書いてると自然と気になってくる。「私は読むだけで十分だよ」と考えている人にこそ、読む楽しみを十分に味わうために自分だって書くことをオススメする。少なくとも自分にはそういう側面がある。

それで、書いていて気付いたことなのだけれども、金儲けがどうとかそういう人は置いておくにしたって、ブログは人を救うのかってのは気になる話だ。ここまで書き進めながら考えていたのだけれども、当たり前の結論にしかならなかった。思えば、なんだかんだブログに救われた部分というのはこれまで多分にある。僕は日常生活の話とかあんまりしないブロガーだとは思うけれども、それでも思ったことは結構書いてるタイプだろうとは思う。そしてその一方で、ブログには決して救ってもらえないだろうなという領域が僕の中にもどうにも存在している。それは僕の人生の一部なのでどうにもならないものなのではあるが、それだって「これがブログに書けるんならこういう風に書くなぁ」とか思いながらやっている。じゃあやっぱりある意味では救われているのかもしれない。しかし、僕はそういうお題目に対して、ブログとか関係なくやっていくかと思っているだけなので、やっぱりそれは、ブログでは救われぬ部分になるのだろう。

あ、眠くなったので寝ます。

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